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※今回は過激な心理描写があるため、苦手な方はお気を付けください。
――昔から、人の悲しい顔が嫌いだった。
よく誤解されるが、優しいからではない。俺が苦しいからだ。
それもこれも見てわかってしまうからだ。
どれだけ悲しいのか、どれだけ辛いのか。一部始終を理解してしまう。
理解するとはつまり、同じだけの苦痛を味わうこと。
家族だろうと友人だろうと、赤の他人だろうと嫌いな相手だろうとお構いなし。
鮮明に映る自分のものではない悲しみに、胸を痛ませ吐き気を催す。
とても耐え難い問題だった。
だから、人をつぶさに観察した。この人はどうしたら悲しむのか。
今思えば、初めからそういった目は優れていたのかもしれない。
卵か鶏か。兎にも角にも、人の嫌がることを徹底的に避けた。
それが、周りからは優等生に見えたらしい。
「あの……勉強を教えてほしいの!」
勘違いさせてしまったのか、咲里花のような子もいた。
だが、そんなお人好しを嫌う人間も少なからずいた。
その子もまた、優等生という奴だった。
表向きは快活で、笑顔が特徴的な女の子だった。
だが、優等生という重圧は、一人の少女を歪ませるに事足りるらしい。
気に食わなかったのだろう、自分と同じくらいチヤホヤされているのが。
俺はすぐにいじめの対象になった。
教師に相談しても困ったような様子。まるで信じていない。
そして、元気のない俺を見て、周りが心配する。
それが辛くて、大丈夫と嘯いた。笑顔を貼り付けた。
「最近の君、変だ……変よ?」
そうすれば咲里花以外は笑ってくれる。悲しむ顔を見ないで済む。
服の下に痣があることなんて日常茶飯事だった。
下駄箱に虫の死骸を詰められても、俺が隠せば大丈夫だった。
痣ができていても、俺が笑えば大丈夫だった。
「ねぇ、本当に大丈夫なの……なのかしら?」
咲里花がどんなに心配しても、俺が大丈夫と言えば大丈夫。
大丈夫と嘯く。
自分は何もおかしくない。大丈夫だと。
――三年の終わり頃に、喫煙する生徒の写真が張り出されていた。
当事者であるその子は、酷く青ざめた様子で、職員室に連れていかれた。
翌日、一時謹慎の身でありながら、学校にやってきた。
激昂し、取り繕う体裁も無くなっていた。
鬼気迫る様子に誰も止められず、俺は問い詰められていた。
もはや、未来の無いその子の顔には、パニックに近い怒りと酷い絶望が入り混じっていた。
その絶望を理解できてしまったから、哀れだと感じた。
その結果、左目と顔に決して癒えない傷を負うことになった。
それでも俺は笑った。大丈夫だと笑った。何度も嘯いた。
だが、変わらない。俺の顔を見るたびに皆の表情が歪む。
気持ちが悪い。吐き気がする。お願いだからそんな顔をしないでくれ。
……一災起これば二災起こるらしい。
爺ちゃんが病気で倒れたと言われた。
「急激に進行したみたい……多分、あの子のことで」
膝から崩れ落ちた。堪えた絶叫が頭蓋骨の中で木霊する。
取るに足らない病魔が、偶然にも悪化した……とは、とても思えなかった。
「……彼芽君。辛いときは、辛いって言っていいんだよ」
病室で目覚めた爺ちゃんにそう言われた。
ほら、笑えよ。いつもみたいに。大丈夫だって、嘘でも言えよ。
……その頃から、感情に対して表情が追い付かなくなる。
学校は手のひらを返したようにその子を見放し、俺に平謝りを繰り返した。
取り巻きも、今までのことがバレるのを恐れて謝ってきた。
俺に傷を付けた張本人は、どこかに消えた。
もう……どうでもよかった。
どんなに頑張っても誰かが悲しむ。足搔くだけ無駄だった。
高校への推薦もあったが、行ったところで誰も喜ばない。
学校に対する復讐だ。周りからはそういう風に見えていたらしい。
だが、誰も苦言を呈さなかった。一人を除いて。
「推薦蹴ったって何……⁉」
気が付けば、三年の付き合いになっていた咲里花が語気を強める。
「私、頑張ったのよ⁉ 君と同じ学校に行くために必死に‼」
「…………ごめん」
「ごめんじゃないでしょ⁉」
胸倉を思い切り掴まれ、咲里花の瞳が揺らめく。
「何で君が謝るのよ……! 君は何も悪くないじゃない!」
「…………ごめん」
「だからぁっ‼ お願い、だから……助けてって言って‼」
タガが外れる音がした。
今まで考えないようにしていた思考が噴き出してくる。
「……言っていいのか?」
「……ええ! 大丈夫! 次は必ず私が――」
駄目だと、理性がブレーキをかける。
言えば全てが終わると、脳が警鐘を鳴らす。
「死にたいな」
だが、心はもう壊れていた。
希望に満ちた顔が、瞬間的に青ざめていく。お面を付け替えてもこうはならない。
胸倉から手が落ちていき、縋るように頭を預けられる。
「ごめん……ごめんなさい……! 私……ずっと一緒にいたのに……!」
涙を流しながら声が枯れていく。
何で泣くんだ……俺はお前の望む通り話したじゃないか。
ほら、やっぱりそうだよ、爺ちゃん。俺が辛いと言うと人が悲しむ。
俺が生きてると、みんな悲しむ。
――それから、進学と共に一人暮らしを始めた。
表向きは無人になった、爺ちゃんたちの家を管理するために。
本当は家に居たくなかっただけだ。
今すぐにでも消えてしまいたかった。
だがせめて、爺ちゃんが生きている間だけ。
俺が生きていたことにしてあげたかった。
――爺ちゃんの葬儀は粛々と行われた。
爺ちゃんが、親族や知り合いの人たちに囲まれて眠っている。
死に化粧のせいか、今にも起き上がりそうなほどに、綺麗な寝顔だった。
だが、額に触れるとあまりに冷たい。血が通っていない。
火葬場に入れられる棺を見て、どうしようもない無力感が襲った。
そして……今、俺の腕の中には爺ちゃんだったものが抱えられている。
あまりに軽い箱。本当に俺を背負っていた人の骨が入っているのか。
婆ちゃんの遺影の横に飾った後、倒れるように眠ってしまった。
――体が重い。
ベッドから動く気力が出ない。
目を覚ましたくないのに、体が勝手に目覚めた。
今日は何曜日だろう。葬式から何日経っただろう。
目覚ましも機能していない。針の音が煩わしくて、叩き壊していた。
呼吸さえも億劫だ。心臓の鼓動が止まってくれないだろうか。
苦しい。生きていることが苦痛だ。考えることが苦痛だ。
それでも、妙な喉の渇きがある。その感覚が煩わしい。
水の出る音が、無聊を持て余したキッチンに響き渡る。
じわじわと溜まっていく水を、ただ眺める。
『――お前のせいだ! お前のせいで私の人生、滅茶苦茶だ!』
呼吸が浅くなる。胸の奥でドロドロとした固形物がつっかえるような感覚。
無意識に近くにあった何かを手に取る。それを首に押し当てる。
『ごめん……ごめんなさい……!』
視界がブレる。瞬きもできずに焦点が定まらない。
『お前、生きてる意味ある?』
もう終わっていい。もう終わっていいんだ。
なのに、脳裏にずっと一人の少女の姿がチラつく。
そうなると、どうしようもなく頭がクリアになっていく。
包丁を無造作に投げ捨てる。不快な金属音と共にキッチンの上を滑っていく。
部屋に戻り、力尽きたようにベッドに突っ伏す。
すると、側にあるスマホの画面が明滅していた。
……だから、嫌なんだ。
普段から毎日のように、親からの心配のメッセージが送られてくる。
だから普段は通知を切っているが、最近は輪をかけて酷くなった。
こうも通知音ばかり聞かされていては、気が滅入る。
一通り鳴り終えたのを確認して、メッセージを流し見る。
『片桐が危ない』
――嘘のように体が動いた。
慌てて、外に出ようと玄関の扉を開けた。
「……咲里花?」
「良かった。まだくたばってないのね」
――メッセージの発信者が、玄関の前で立っていた。




