15
――男たちが警察に連行されていき、フロアの一角に黄色いテープが貼られる。
何でもあの後、崖さんは事情があって家に引き返したらしい。
そこで状況を察して、通報すると同時に駆けつけてくれたようだ。
その崖さんはというと、壁に背を預けて腕を組んで、視線を合わせてくれない。
明らかに、不機嫌な様子で。
「……何度も連絡したぞ」
「……すみません」
実際、スマホには鬼のようなメッセージが入っていた。
ほぼ全てが、崖さんからのものだ。
いつも通りなのに、言葉の圧に縮こまってしまう。
「――無茶するな」
「あ……」
体の向きは変えずに、手だけが頭に置かれた。
意外と大きくて男らしい手。こうしてもらうと、不思議と安心する。
同時に、初めて自分がどれだけ無茶をしたか自覚する。
遅れて体が震えてくる。夢中だったから、恐怖より怒りが先行した。
「本当に、無事でよかった」
そう言って、どこかに歩いていく。
向かう先には、ブランケットに包まれた星摩さんの姿があった。
いつもと正反対の、絶望の表情に身の毛がよだつ。
ほんの一瞬、タッチの差。もう少し遅かったら……そんな想像をしてしまった。
吐き気がする。一生ものの傷ができていたかもしれない。
「――御園さん、自分がしたことわかってますか?」
耳を疑った。
私にしたのとは違う、冷ややかな言葉。
「御園さんの行動が多くの人に迷惑をかけました」
「ご、ごめ――」
「そんなに彼氏さんとの約束が大事ですか?」
「な……⁉ なんで知って……⁉ で、でも……彼が大事な用事だって言うから……!」
「貴方を危険に晒してまで?」
星摩さんが言い淀む。正論ではあった。
「わ、わかんないよ! あたしは彼のことが好きだから、気持ちに応えたかったし……!」
「貴方を本当に大事にしてるのは誰ですか?」
無機質だ。いつもと変わらないはずなのに、いつもより冷たい。
「わからないなら、後で嫌でもわかります。御園さんを愛してる程、愛してる程――」
機械のように同じ単語を繰り返す。淡々と。
「――これは、呪いになる」
「君! 今のこの子に――」
「貴方は‼ 貴方こそ自分が何をしているかわかってるんですか⁉」
一心不乱に胸倉を掴む。言葉よりも先に手が出ていた。
掴んだ服から嫌な音がしたが、構わない。
「今の星摩さんの心は弱ってます‼」
「だが、言わないといけないことだ」
「ええそうです正論です‼ ですが‼」
話すにしても今である必要はない。むしろタイミング的には一番最悪だ。
最も深く傷付いて、最も強烈に言葉が届くタイミング。
「星摩さんは自分なりに幸せを守ろうとしたんですよ⁉」
彼女がギリギリでも門限を守ってくれたから。
「自分の幸せのために片桐に迷惑かけて、命まで危険にさらしたんだぞ」
「私は!」
自分でも驚くぐらい、手に力がこもっていく。
胸倉を掴まれて、首が圧迫されているのに、瞬き一つすらしない。
「星摩さんのことを迷惑だと思ったことなんて一度も無い‼」
惚気られたり、ダル絡みされることも今まであった。
好奇心で危なっかしいことをして、言い合うことも多少はあった。
それでも、星摩さんには救われた。一緒にいる時間はずっと楽しかった。
「だからこれ以上! 貴方が星摩さんを傷付けることは許せない‼」
自分の発言に気が付かされる。私がこんなに苛立っている理由に。
私、この人に星摩さんを傷付けて欲しくないんだ。
「……疲れた」
――空気が破裂するような音がホテル内に響く。
大きく振った右手がジンジンと痛む。
強烈な音に「うわぁ……」と警察の人が漏らしていた。
「……しばらく、顔も見たくありません」
「……そうか」
頬が赤くなってもこの人の表情は変わらなかった。
その後、警察の人に簡単な事情を聞かれた。
とは言っても、星摩さんとの関係性は本人から言及があったからか、厳しくはなかった。
その代わり、今回のことに対する厳しい言葉は受けた。
話も終わって家族に連絡を入れてくれた。もうすぐ迎えに来るらしい。
星摩さんは一旦、ご家族と共に自宅に戻ったようだった。詳しい話は後日らしい。
残った警察の人が私に「ありがとう」と言っていたことを教えてくれた。
「――びっくりしたわ」
聞き覚えのある声に、反射的に影に隠れてしまった。
「まさか来てくれるとは」
「来るわよ、普通。いきなり『何かあったら頼む』なんて」
「お陰で、話がスムーズになった」
どうやら橘さんらしい。理由はわからないが、一緒にいるみたいだ。
「酷い顔ね。片桐に振られた?」
「そんなところだ」
「大方、ノンデリ発言でもしたんでしょ」
「自覚はある」
「そう……それで? まだ帰らないのは何。私もあんまり長居できないんだけど」
「もしかしたら来るんじゃないかって」
来る……誰かを待っている?
この位置から二人は見えないが、入口のドアは見えていて、開いた。
息を切らしながら入ってきたのは、同い年ぐらいの……いえ、この人は。
「――ぜぇ、はぁ! は⁉ た、橘⁉ 何でお前がここに⁉」
「あんたは――コイツ、私と同じ学校の」
「貴方の恋人は、もう帰りました」
「そ、そうなのか⁉ 星摩は無事なのか⁉ なぁ⁉」
肩をグワングワンと揺らされている。
そうだ、私も一度会ったことがある。星摩さんの彼氏。
会った時に苦い顔をされてイメージは悪いが、恋人同士の仲は良さそうだった。
「貴方のせいで危険な目に遭ったというのに、随分な余裕ですね」
まるで、犯人扱いをするような、それと同義の視線を向けていた。
彼に余裕がないのは表情を見ればわかるはずだった。
「な⁉ きゅ、急に何を言い出しやがる!」
当然、激怒だ。こうならない方がおかしい。
「こっちは全力で心配してんだぞ⁉」
「彼女に門限を破らせた男が、ですか?」
「そっ、それは……愛してるんだから、一緒にいたいと思うのは当然だろ⁉」
「同じセリフを家族の前で吐けますか?」
「は?」
「星摩さんが味わった恐怖を拭えますか?」
割って入ろうとしていた橘さんが、動作を止める。
声のトーンも表情も変わらないのに、圧だけはあった。
「そんなの――」
一瞬でも言い淀んだのが、運の尽きだった。
「片桐の前で誓えますか『絶対に守る』と」
一瞬に付けこむように言葉を連ねる。
私も、動かした足を止めてしまっていた。
「う……うるせぇな! 大体、今回は星摩が悪いんだ!」
「は? あんたそれ本気で言ってるの⁉」
「だってそうだろ⁉ 門限が何だって言って、一緒にいてくれねぇんだからよ!」
みっともない逆ギレだった。
ブチっと、また血管が裂けそうになった。
ただ、それよりも先に、凄い寒気がした。
「貴方にとって数ある内の一人でも、片桐たちにとっては世界にたった一人なんです」
遠巻きに見る私でさえ、唾を飲んだ。
「――な、何だよお前は気持ちわりぃ⁉」
捨て台詞共に本気で嫌悪感を露にしていた。
「珍しいわね。随分な言いようだったじゃない」
「……あいつ、汗をほとんど掻いてなかった。必死さを醸し出してた割に」
力を抜いて顔を下に落とす姿に、落胆が伝わってくる。
「いつからあいつのことを知っていたの?」
「お前に事件のことを聞いた時に、二人の顔が過った」
一人は私。もう一人は星摩さん。
カップルを狙うのは、浮ついた心に付け入るために。
特に出来て間もないカップルほど、狙いやすい獲物はいないらしい。
彼氏の知り合いだと言えば、多少なりとも気を許してしまう。
「彼氏さんが守ってくれると思ってたのにな」
「そんなこと、微塵も信じてないでしょ」
「信じてたよ。例え『体目当てじゃないか』と、辿り着いても」
「……あんたなりに気は使ってたのね」
「人の幸せを壊す勇気が無かっただけだ」
不意に、いつかのセリフを思い出す。
『彼氏さんと夜道は気を付けてください』
あの時の、あの中途半端なのは――
「気持ち悪いけれど、実際に当たってるわね」
「何が?」
「あいつ、うちの学校じゃ割と遊び人なのよ」
「厳格なのにか」
「厳格だからこそよ……やだやだ、鳥肌立ってきた。何でわかるのよ」
和ませる為なのか、わざとらしく身震いする。
それでも顔を上げないから、真剣な表情に戻る。
「そのこと、言わないの?」
「俺の妄想では、って? こんなこと、信じるお前らが馬鹿なんだ」
「あのねぇ? 事実として当たってるじゃない」
「それにだ。あんな人間でも、御園さんにとっては人生だったんだ」
「…………そういう感情があるなら、今ぐらい悲しい顔しなさいよ」
「悲しい。誰かの悲しむ顔なんて一度だって見たくなかった」
それでも、一切表情を変えずにエントランスを後にしていった。
ただ、哀愁だけを背に漂わせて。
「……いたの。難儀な男よね、優しいのも度が過ぎると考え物だわ」
私は返事していないのに、話を続ける。
「あいつは死ぬ気であんたを守ろうとしたのよ」
ぶっきらぼうにして、何かを投げられる。
ひょっとこのお面。夏祭りで一緒に買った。
「片桐に会ったら返しといて、だって」
「…………どうして」
守ろうとしてくれた。
歩を大切にしてくれた。
「どうして――その優しさがあって泣けないんですか……⁉」
「感情はある。ロボットじゃないわ」
「わかってるんですそんなこと‼ だったら尚更、許せないんです‼」
あんなに、あんなに冷徹に彼女を責めたことが私には許せない。
だって、相手が嫌がるとわかっていて、傷付くってわかって言ったんです。
「わかってるんです‼ わかって、たのに……」
「擁護する気はないけれど……あいつは優しいのよ、人を傷付けるくらいにわね」
呟きには、確かに私を案じる気持ちがあったけど。
同時に、誰かを嘲るような思いも含まれていた。




