12
「ぐす、ぐすっ……」
「歩ちゃん。ラムネジュース買ってきたぞ?」
「……………………のむ」
冷えたラムネ瓶を手渡す。
手を合わせて礼をし、木製の階段に腰を掛ける。
社前は祭りの灯りも少ししか届かず、僅かな声が聞こえるだけだ。
隣で泣く歩ちゃんを見て、酷く落ち込む。
大好きな姉に怒鳴られる。とても辛い思いだ、理解できてしまう。
歩ちゃんの涙の数に応じて、心臓に針を突き立てられる。
まるで本人の気持ちが直接、流れ込んでくるように。
「おじさん…………これ、のめない」
「……これはビー玉をここに引っ掛けて、こう」
昔、教えてもらった飲み方を実演する。
ああ一気に飲み過ぎた。喉が痛い。
「ほんとだ、のめた」
「言っておくが、ビー玉を取ろうとすると指が抜けなくなるからな」
俺は一度やった。初めて飲んだ時、ビー玉が特別に見えたんだ。
今まさにやろうとしていたらしい。慌てて指を引っ込めていた。
「おじさんはだれにおしえてもらったの?」
「……祖父、じゃないな。爺ちゃんに教えてもらった」
「おじさんのおじいちゃん?」
なんか文面を考えると不思議な気持ちになるな。
「優しい人で、俺がわからないことを沢山教えてくれたよ」
「おじさんにもわからないことがあるんだ」
「ああ。これも飲み方がわからなくて、爺ちゃんが根気よく教えてくれたんだ」
俺が取れなかったビー玉を、手品みたいに取り出してくれた。
どこにやっただろうか、あのビー玉。
「おじさんも沢山怒られて、沢山教えられてきた」
「…………歩もお姉ちゃんにいろんなことおしえてもらってる」
ポツリポツリと、一度は収まった涙が落ちていく。
「歩のこと、きらいになっちゃったのかな……歩わるいこだから……」
「――歩ちゃん。好きの反対って何かわかるか?」
「はんたい……? きらい?」
「それも正しい。でも本当は無関心になるんだ」
無関心の意味がわからなさそうに、じーっと見てくる。
「歩ちゃんはお姉ちゃんたちが好きだろ?」
「ちがう、だいすき」
「そうか、そうだな。でも、もしお姉ちゃんたちが遊んでくれなくなったら?」
「あそんでくれない……⁉ そんなのやだ!」
「無関心って言うのは、そういうこと。笑ってもくれないし、怒ってもくれない。一緒にゲームもしてくれない」
人物に興味を持たない。幸福になろうが、不幸になろうが知ったことではない。
ふるふると首を振って、イヤイヤする。
「だが、お姉ちゃんは怒ってくれただろう? それは歩ちゃんが大好きだからだ」
「でも、おこったおねえちゃんすっごくこわかったよ?」
「嫌いだから怒る奴だっている。というか大体がそうだ」
相手を攻撃することが目的の感情だ。
「前に話したお話、覚えてるか?」
「うん」
「あの時、リスさんは熊さんが嫌いだから怒ったのか?」
「……………………ううん」
「お姉ちゃんも同じだ。歩ちゃんが嫌いになったんじゃない」
攻撃する意図はあっても、決して悪意を持っていない。
「歩ちゃんが大好きだから。歩ちゃんが危ない目に遭わないために怒ったんだ」
でないと、あんなに悲痛な顔はしない。
片桐の気持ちを理解すればするほどに、胸が痛む。
「もし、リスさんの手を払っていたら、熊さんはきっと一人ぼっちになってたよ」
もう二度と、誰も彼女に手を差し伸べなかったように。
「愛は無償だが、有限なんだ」
「むしょう、ゆうげん?」
「お姉ちゃんたちの言うことを聞かないでいると、いつかみんな歩ちゃんに無関心になる」
怯えから体を震わせる。
子供にとって怒られるのは嫌なことだ。大人だってそうだ、出来れば怒られたくない。
嫌悪の怒りと、愛故の怒りなんて怒られる側にとっては関係無い。
良いことではない。それでも、必要なことなのだ。
「なら、ごめんなさいしないとな。そこにいるみたいだから」
視線を促すと、木陰からこちらを覗いている影が出てくる。
実は最初らへんからいたが、出てこないので放置していた。
だが、中々出てこないので痺れを切らして呼び出した。
「盗み聞きとは趣味が悪い」
憔悴しているからか、いつもの罵倒はない。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん、あの、あのね?」
何も言わない姉に恐る恐る駆け寄って、言葉に詰まる。
姉も姉で、罪悪感から影を落としたままだ。
ここで、口を出すのはきっと違うだろう。
「歩、もういちねんせいになったから、ひとりでもだいじょうぶだとおもって」
言い訳を並べてるわけではない。ただ、必死に捻りだしているのだ。
「それでね? それで……ひぐっ」
零れる涙を何度も拭って。
それでも、流れる粒が口を開くのを邪魔する。
「ごめん、なさい……ちゃんと言うこときくから……」
さっきよりも大きい涙を零していく。
「ごめんなざぁぁぁい! むかんしんやだぁぁぁぁ!」
そうなってようやく、ハッとして抱きしめていた。
「ごめんね! 怖かったよね! ごめんね!」
歩ちゃんがわんわん泣く。沢山、沢山お互いに謝って。
「私は貴方のこと大好きだから……!」
人が集まってこないか、不安になるぐらい大声で謝りあって。
これなら大丈夫だと、安堵した。
「ひぐっ、ひぐっ。あゆむもすき、だからむかんしん、や!」
「大丈夫ですから、私がそんな風になることなんてありませんから」
思ったより脅しが効き過ぎたらしい。
「効き目がいい」
「本当ですよ。子供に容赦がなさ過ぎます」
涙を拭いながらも、笑みは浮かんでいた。
悪態が吐けるなら問題ない。
「お姉ちゃんはなれたら、や!」
しかし、完全にビビった歩ちゃんをどうするか。
片桐がすごい目で見てくる。
「……お参りするか」
「お参り、ですか?」
「二人がずっと仲良しでいられるように。どうする?」
問いかけると、力強く頷く。
三人横並びで、先人切って賽銭箱にお金を入れる。
手を合わせて目を瞑っていると、それぞれの小銭が入る音がした。
しばらくして目を開ける。順に片桐も目を開く。
歩ちゃんはグッと目を瞑っていた。合わせる手の力も強い。
見守っていると、遂に瞼を開けた。
「ちゃんとお願いできましたか?」
「うん! いいこにしますから、お姉ちゃんたちとずっといっしょにって!」
「はい、私はずっと一緒です」
ほっこりする空気に、表情は緩まなくても、心が緩む。
すると、ズボンを摘まれる。
「おじさんも!」
ズキッと心に刺さる。咄嗟に反応できない。
不思議そうに覗き込まれて、良心の呵責に苛まれる。
「それは、困ったな。おじさんはずっと一緒にはいられない」
「そうですね。卒業したらきっと別々ですから、ずっとは難しいですね」
「えー? なんでー? やだー」
膨れっ面で抗議されて、タジタジになる。
本当に困った……本当に、困ったな。
子供相手でも、だからこそ嘘でもできない約束はしたくない。
俺はたぶん、今年……
「あ! じゃあ、お姉ちゃんたちがけっこんすればいいんだ!」
「「…………はい?」」
お互いに素っ頓狂な声を出す。
「お母さんとお父さんもけっこんしたからずっといっしょにいるもん!」
「それは、そうですね……?」
駄目だ。否定しようにも、肝心の片桐が動揺している。
ほら、今にも煙を吹き出しそうな音が聞こえる。
羞恥ではなく、妹の頼みを断れないからだ。
「わ、わかった。明日もお家に遊びに行くから、今はそれで許してくれるか?」
「むー……やくそくだよ?」
「よし、それじゃあお祭り行くか。ほら、行くぞ?」
「あ、それならちょっとまって。お姉ちゃん五円玉」
片桐が上の空のまま五円玉を渡すと、もう一度お賽銭に投げた。
さっきよりも願いは短いが、しっかりと礼拝の所作をしていた。
「こ、今度は何をお願いしたんだ?」
もう訊くのもおっかなくなってきた。
「えっとね! おじさんを許してあげてって!」
「許す?」
「おじさん、かみさまおこらしちゃったから、おかおにけがしてるの! だからね!」
「あの、どうい――」
――空を仰ぐ。溢れないと思っていたものが、溢れそうになる。
いや、実際は出てこない。何か、見えない何かが、左目から流れそうだった。
「そうだな……許してくれるかな」
声が震えてしまった。
片桐は何も言わずに、ただ歩ちゃんの手を握った。二度と離れないようにと。
握って、何か視線で合図をしていた。
不意に俺の手に人肌が触れる。
「えへへ、これでみんな一緒!」
「…………そうだ、な。これで一緒だな」
手を握って、みんなで祭りに戻る。
その後はもう一度、屋台を巡って。
たこ焼きか焼きそばかなんて、意味の無い議論をして、結局二つとも買って。
「――上がりました」
気が付けば花火の上がる時間になっていた。
金属の炎色反応によって織りなす、色の花。
見惚れる二人の顔もそれに合わせて、照らされる。
「たーまやー」
「おじさん、へんなの」
「花火が打ちあがる時、こう言うらしいですよ。ほら、次が上がります」
タイミングを合わせる。
「「「――たーまやー」」」
二人が可笑しそうに微笑むのを眺める。
俺の視線に気が付いて、片桐の表情にとても優しい花が咲く。
花火のように眩しくはない、大きくもない。それでも、一番綺麗な花だと思った。
直視できなくて、ゆっくりと振り返る。もう一度、祈る。
どうか、この二人が俺のせいで不幸になることがありませんように。




