11
「お母さーん、着付け終わりました?」
浴衣を着終えて、階段を降りる。
「お母さん、これきつい」
「夏祭りは決まって浴衣なの。良く似合ってるから我慢、我慢」
「う~……あ、お姉ちゃんキレイ!」
「巫代、良く着替えられたわね?」
「去年も着てますから。歩も良く似合ってますね」
何で着たんでしたっけ……思い出した。星摩さんが見たいって駄々こねたんだ。
私は藍をメインに、歩のは桃色を。どちらも朝顔の模様が描かれている。
「おそろーい!」
「彼芽君はまだよね?」
「いえ、あの人は余裕をもってくるので――」
瞬間、チャイムが鳴る。
ほら来た。三十分は早いが来た。
「おじさーん!」
「おっと。歩ちゃん、良く似合ってるな」
「おじさん、きょうはありがと!」
玄関に走っていったのを慌てて追いかける。
「悪い、早かったか?」
「大丈夫です。それと……今日は、その、ありがとうございます」
なんかむず痒い。変な気分ですね。
彼は無言で私を見てくる。
間に戸惑って、団子を留めてる櫛を弄る。
「あの、何か言ってくださいよ」
「…………言っても悪態吐かれそうだから嫌だ」
「な! 何ですかそれ! 素直に言えばいいじゃないですか」
浴衣姿を見てどんな反応するか、密かな楽しみだったのに。
ジト目で睨みつけても、視線を逸らして逃げられる。
「こらこら、喧嘩しないの。彼芽君、今日はお願いね?」
「はい。無事に家に帰してみせますので」
「いこ!」
「あ! 慣れない格好だから走っちゃ駄目ですよ!」
もう待てない、と手を引かれて思わず躓きそうになる。
その後ろを、付かず離れずの距離でついてくる。
神社は歩いても全然行ける場所で、山の中にある。
それでも、ワクワクが止まらないようで、繋いだ手をブンブンと振り回す。
少しして、祭りの飾り付けが見えてきた。
「かなり規模大きいんだな」
「あの神社は参道とか含めてかなり広いので」
花火自体は別の河川敷で上がるが、ここからでも充分楽しめる。
ちらほらと私たち以外にも、浴衣姿の人が見え始める。
カップル、親子連れなど、様々だ。
「安心した。思ったより目立ってないみたいだ」
「貴方と私の格好、周りからはコスプレに見えてるみたいですね」
「別にしたくてしてないんだが」
怪訝そうに片眼鏡を上げ直す。
事実、妙な格好の人たちがたまにいる。
傷痕は目を引いても、格好が目立つことはあまりないだろう。
「ふたりともきょうそう!」
「あ、歩ちゃん」「あ、待って!」
境内前の階段を先へ先へと上がっていってしまう。
追いかけようにも、浴衣のせいでいつもより動きづらい。
同じ条件のはずなのに、子供って怖いもの知らずだ。
「俺が先に追いかける。ゆっくり来い」
「すみません。お願いします」
少し遅れて、階段を登っていく。
「わぁぁ! キラキラしてる……!」
参道に並ぶ屋台から漏れるライトや香り、活気のある声が祭りを彩る。
飾られた連なる提灯たちが放つ光は、夏の暑さの中でも温かみを帯びている。
いつもなら活気の無い神社も、今日だけは無礼講なのだ。
呆気に取られていると、肘を突っ突かれる。
「――歩! 一人で行っちゃ駄目ですよ!」
「あ……ごめんなさい」
「逸れたら大変ですから、手を繋いでいましょう。絶対に離しちゃ駄目ですよ?」
「うん!」
「それで、どこから回る?」
「えっとね、きんぎょすくいに、しゃてきに……………………全部!」
「そうか全部か……全部か……」
絶対、疲れると言いたそうですが我慢している。
歩の前では必死に堪えてるらしく、言うことがない。
そして、寄ってきて耳打ちしてくる。
「今さらだが、金銭面は大丈夫か?」
思わず、距離を取ってしまう。
「な、なんで離れる?」
「汗、かいているので」
「それは……悪い」
別にいいかなと思いましたが、直前になって考えが変わった。
デリケートな部分に触れたとでも思ったのだろう、気まずそうにする。
「ふっふっふっ。お金については安心してください」
「……珍しく自信有り気だな」
「こんなこともあろうかと、お小遣いを前借しました!」
ちょっと太った財布を(周りには見えないように)見せびらかす。
「これでどんな無茶振りにも対応できます」
「お姉ちゃん、おかねもち?」
「そうです。今の私はお金持ちなんです」
来月は少し厳しくはなりそうですが、それはそれ。
「お前、本当にいいお姉ちゃんだな……」
とりあえず、人の流れに沿って屋台を巡る。
興味があれば寄っていくという感じだ。
「あんまり無理するなよ。俺も少しは出せるから」
「え? そんな、付き合わせてるのに悪いです」
予想外の提案に全力で首を振る。
「いいんだよ。俺もどうせなら楽しみたい」
「ですが……」
「誘って貰わなかったら行こうとすら思わないからな」
気持ちは私もわかる。面倒だと思っていても、誘われて行ったら意外にも楽しいものだ。
払う為の大義名分にせよ、この人はそう思ってくれているらしい。
「貴方が一人で祭りに来たら、不自然ですよ」
「それはいいえ、という答えでいいのか?」
「いいえ、有難く頂戴します」
「お姉ちゃん、あれ!」
クスッと笑っていると、近くのお面屋さんに引っ張られる。
「これとこれと、あとこれも!」
「うーん、いきなりそんなには」
「……ダメ?」
「駄目じゃないで――」
「駄目じゃないが、持ち物いっぱいにしちゃうと他を楽しめないぞ?」
「そっかー、どうしようかな」
危ない。危うく、初回から飛ばしてしまうところだった。
上手い言い訳を考えてくれて助かりました。そう視線を送る。
先が思いやられるのだろう、頭に手を置いている。
「この狸が歩で、この狐がお姉ちゃん。この変なのはおじさん」
「まさかのひょっとこ」
「いいじゃないですか。きっと似合いますよ」
「ニヤニヤしながら言うな……すみません、これ下さい」
「ありがと、おじさん! ねぇ、みんなでしゃしんとろう?」
「これ着けてですか? いいですよ」
「写真か……」
着けるのに苦戦しているので、代わりに着けてあげ、自分の着ける。
思ったより視界が狭いが、見えない程じゃない。
「あはは、お姉ちゃんカッコイイ!」
「そ、そうですかね? 歩は食べちゃいたいぐらい可愛いです」
「た、たべるの……⁉」
「嘘です、嘘です。そう言う褒め言葉です」
「ああ、嘘ついたらいけないんだ~」
お互いにヘンテコな姿を笑い合う。
「崖さんは……?」
私たちよりヘンテコな姿がそこにはあった。
お面で顔半分を覆い、もう半分は傷と眼鏡をかけている。
中途半端故に、笑いよりも先に困惑の方が先に出てきた。
「……お面を着けるためには眼鏡を外さなければならない」
「そうですね?」
「しかし、眼鏡を外してお面を着けると殆ど見えない。決してわざとではない」
うわぁ、どうしよう。思ったより深刻な内容で茶化すこともできない。
実際、彼にはこの視界は厳しいだろう。かと言って、着けないわけにも。
「はっはっ、面白い兄ちゃんだな! お面は頭に着けるだけでもいいんだぜ?」
「……らしいが、どうだ?」
「じゃあ、みんなでそうしよ!」
「なら、おっちゃんが撮ってやるよ! 並びな!」
「ありがとうございます」
三人で並んで、合図とともにスマホのシャッターが押される。
屋台の人にお礼を言って、全員で写真を確認する。
「おじさんむすっとしてる。おまつり、たのしくない?」
「いや、おじさんはあんまり笑顔が得意じゃなくてだな」
「恥ずかしがり屋なんですよ。カメラに緊張したんですよね」
そんな眼鏡をしておいて、恥ずかしがり屋も何もないですが。
その場しのぎの言い訳にはなっただろう。
きっと楽しくないとは思ってない。この人は拒絶の意思はハッキリしている。
ただ、ただ――笑わないのだ。楽しくても、笑わないだけなのだ。
人も段々と増えてきたのか、荒波のようになってきた。
屋台に行きたくても行列ができていたり、そもそも人を掻き分けられない。
「歩、りんごあめたべたい」
「りんご飴、ですか?」
私たちのいる反対側の屋台だ。ここからだと進めない。
「俺が行ってくるよ」
「お願いできますか?」
「ああ。その前に」
屈んで、歩と視線を合わせる。
「歩ちゃん、おトイレ大丈夫か?」
「……ちょっと」
「だそうだ……おい、何だその嫌悪感バリバリの目は」
「改めて気持ち悪いな、と」
「何とでも言え。買ってくるから、後で合流しよう」
そう言って、周りの人に謝りながら進んでいった。
とは言え、生理現象には逆らえない。二人で参道を逸れようとして。
「――いたっ!」
強引に割り込まれて、態勢を崩しかける。
謝罪も何もなく通っていく背中を睨む。
「絶対、手を離しちゃ――」
――無い。
あるはずの手の感触が無い。なくてはならない小さな手を握っていない。
さっきまで聞こえていたはずの喧騒が、嘘のように静かになる。
頭が真っ白になって、呼吸することすらできなかった。
時間が凍る。血の気が引いて、酷い悪寒が夏の暑さすらかき消していく。
改めて理解した時、冷や汗がドッと流れ出す。
「歩⁉ 歩⁉」
呼吸も忘れて名前を呼ぶ。
周りを見渡しても、あの子の背丈では人影に隠れてしまう。
ぶつかられた時に、思わず離しちゃった……!
絶対に離しちゃいけない手を、私は!
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう⁉
「――落ち着け」
不意に頭にポンと何かが置かれる。
振り返ると、チョップを打たれていた。
「事情はわかってる。おかげで買い損ねた」
「なら何で! 貴方はそんなに落ち着いて!」
「反省は歩ちゃんを見つけた後でしろ。今して何になる」
辛辣な物言いだが、私を責めようとはしていなかった。
いつも通りの無表情に、憤りを感じつつも却って冷静になる。
「……すみません。取り乱しました」
「いや、悪い。俺も不用意だった」
俯いて、眼鏡を弄る。
ただ、それでも。お互いに落ち込んでいる暇はない。
「たぶん歩ちゃん、一人でトイレ行ったんだと思うぞ」
いつもの予想。ですが、今はそれに縋るしかない。
「……どうして、一人で」
「……もう一年生だからな。一人でも大丈夫だと思ったのかもしれない」
だから、手を離した隙に勝手に。
「……もう、じゃないです」
「わかってる。まだ、一年生だ」
祭りの場所から少し離れた場所。そこには仮設トイレが設置されていた。
そこから丁度、見間違えるはずの無い姿が出てくる。
「あ、お姉ちゃん!」
満面の笑みで走ってくる。
「――馬鹿‼」
ビクッと、肩が震えるのが見えた。
きっと、崖さんは静止していてくれたのだろう。
けど、その声は届いていなくて。
「何で離したんですか⁉ 絶対に離しちゃ駄目って言いましたよね⁉」
「で、でも――いっ……⁉」
手に力が入ってしまう。
周りも騒然としていたはずだ。気が付かなかっただけで。
「貴方はまだ子供なの! 悪い大人に捕まったりしたら抵抗できないの!」
こんなに小さい。こんなにも幼いんです。
「もしかしたら連れ去られて、それで……それで……」
想像しただけでおぞましい恐怖がせり上がってくる。
いなくなっていたかもしれない。私のせいで、私の不注意で。
「お姉ちゃんたちと……二度と、会えなくなったかもしれないんです……‼」
涙が出そうになるのを必死に堪える。
言わないと、ちゃんと叱らないと。危ないことだって。
でも、言葉が続かない。出てこない。
「だから――」
背後から肩に手を置かれて、初めて歩の表情を認識できた。
確かに目を合わせていたのに、怯えた顔に気が付かなかった。
「――お姉ちゃんがおこったぁぁぁぁぁ‼ やぁぁぁぁぁぁ‼」
「ご、ごめんなさ――⁉」
「やぁぁぁあぁぁぁあああああぁぁぁぁ‼」
伸ばした手を弾かれる。初めて、自分のしでかしたことに気が付いた。
拒絶された手が震える。自分の顔が白くなっていくのが体感でわかってしまう。
「よしよし、怖かったな。大丈夫だぞ」
妹を宥めながら、周りに謝る。
そして、私を見る。
「しまった、と思う気持ちがあるみたいだから俺からは何も言わない」
歩を連れて、どこかに歩いて行く。追いかけることもできない。
……ひそひそと話されているのが聞こえ、いたたまれない気持ちだけがあった。




