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ヘルドゥラの神々:漆黒の女王  作者: 渡弥和志
第一章

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4. 落影の古砦

 夜明け前、森の霧が濃く立ちこめ、薄明かりがその木々を照らす頃、ダインは音もなく立ち上がった。

 ガルドたちがようやく身支度を整える頃には、彼はもう歩き始めていた。


「トロトロすんな。行くぞ」


 アラスバの砦は、霧の中にその姿を半ば埋没させていた。

 苔むした石壁、荒れ果てた砦は、遠目には静かな廃墟に見えるが、脇を通る古道には木組みで関所のような柵が増築されており、その門は閉じられている。

 砦にそびえる塔は森の霧の中に巨大な影を落として佇んでいた。塔に見張りがいれば必ず見つかるだろう。


「遅れずついて来い」


 ダインはそれだけ言うと、双剣に手もかけぬまま、堂々と門へと向かい始めた。



「ガルド様、やはり無謀です! ここは伏せて、森の中を回りましょう!」


 カイルが声を潜めるが、ガルドは首を振った。


「いや、彼に従ってみよう。この状況で正面から行くことに、何かあるはずだ」


 ガルドは、緊張に背筋に冷たいものを感じながらもダインの後を追った。



 門の脇、砦の陰に身を潜めていた者たちが五人ほど飛び出してきた。

 しかし、彼らはこちらを見るなり武器を構えるどころか、慌てて姿勢を正してダインの前に立ち並ぶ。


「お(かしら)!」


「おかえりなさいませ!」


 野盗らしからぬ、どこか軍隊めいた報告の声に、ガルドたちは立ち尽くした。

 ダインは彼らを見て顎をしゃくる。


「ここまで近づくまで気づかんたぁ、油断してんじゃねえぞ。見張りの役目くらいきっちり果たせ」


「も、申し訳ありません、お頭!」


 ダインがニヤリと笑う。

 それは、昨夜ガルドたちに向けた嘲笑とは違う、(あるじ)の顔だった。


「ようこそ、俺の仮宿へ。ここをねぐらにしてるのは俺の仕切る『禿鷹の傭兵団』だ。──通行料は……ま、昨日の晩飯でチャラにしてやるよ」


 ガルドは目を丸くした。カイルは憤怒に顔を歪ませ、ジャクスは腰が抜けたようにその場に座り込んだ。


「貴様……! 我々を騙したのか!」


 カイルが剣を突きつけるが、ダインは相変わらず憶しもしない。


「騙した? 人聞きの悪いことを言うな」


 腕を組み、ガルドを見据えた。


「俺はただ、俺の庭を通りたいという客人の度胸と質を見ていただけだ。

 領主の嫡子、クレド・フィルの息子は、なかなか見込みがありそうだ」


「ダイン殿……なぜ、このような回りくどい真似を」


 サルフェンが静かに問うと、ダインは肩をすくめた。


「口約束だけじゃ、面倒な仕事は受けられねえ。

 お前らが信用に足るかどうか、確かめる必要があった。……ま、合格だな」


 ガルドは苛立ちが湧き、眉をひそめた。

 が、それ以上に、この男の底知れぬ実力に驚きを隠せなかった。


「……わかった。だが、以後我々に嘘をつくのは契約反故とみる」


 ダインはガルドの真剣な瞳を見据えた。


「そうだな、わかった。お詫びと言っちゃなんだが、情報を共有してやる。

 お前らの逃げてきたフィレアルのことだ」


 ダインと傭兵らは四人を砦へ招き入れた。

 苔むした回廊を抜けると、日の射す中庭が広がっていた。

 砦はあちこちに雑草が生え、石積みが欠け、古びてはいたが、中庭はさながら戦陣の様に整えられている。

 多くの剣や槍、盾、弓矢が棚に据え置かれており、物々しい空気を醸していた。


「立派なもんだろう? 俺たちが相手にするのは野盗やら、魔獣やら、最近増えてやがる『異形』やら。

 ここの他にも各地に拠点があってな。依頼に応じて、まとまった兵を出すこともある」


 辺りには三十名程の傭兵たちが居たが、いずれもダインを見て姿勢を正しており、ガルドたちは警戒の必要は無いことを理解した。


「で、だ。一昨日の夜、フィレアルの方に妙な雲行きと光が見えたから、偵察を出した」


 ダインが部下の一人に目を向ける。


「昨日出した隊は戻ったか?」


 部下は不安げに首を振った。


「頭。まだ──」



 その時だった。

 回廊へと続く廊下から、ゆっくりと中庭に入ってくる人影が見えた。


「……あいつらだ! 偵察隊が帰ってきたぞ!」


 兵士の一人が歓声を上げるが、その声はすぐに途切れた。


 戻ってきたのは三人。

 しかし彼らのその姿に力はなく、だらりと両手を下げている。


「おい、どうした、何があった!?

 他の奴らはどうした!」


 ダインが声をかけるが、三人の影は低い呻きのような声を上げるばかり。

 人影が中庭に入り、淡い朝日に照らされた。

 が。それでもその姿は(よう)として見えず、三つの影は、まるで中庭の光を拒むかのように黒い影のまま。

 ──それらは、人の形をした()()()()()()だったのだ。

 中庭に冷たい風が吹き込むように感じられた。


 ()()の顔にあたる部分には、二つの紅い光がこちらを見据えるように灯っている。


「……なんだ、ありゃ……」


 ジャクスが震える声で呟く。

 傭兵の一人が恐怖を隠しきれない様子で叫ぶ。


「ハマン!? おい、ハマンだよな!?」


 三人の影の形に彼らの面影を見て、ダインは剣を抜くのを躊躇した。


「……嘘だろ……お前ら、どうしちまったんだ!?」


 不意に。

 その腕がぶるんと震え──そして、うねうねと関節をくねらせた。

 そして、それが瞬く間に刃物のような様相を呈したかと思うと、最も近くにいた傭兵に飛びかかった。


「ぐあああっ!」


 不意に切りつけられ悲鳴を上げる。

 どよめき、慌てて各々の武器を構える。

 人のものとは明らかに異なる動きで、次々と切り倒される傭兵たち。

 歴戦の者らが応戦するが、剣は空を切るばかりで、その動きは衰えることがない。


「いかん、『異形』が人に擬態しておるのじゃ!」


 サルフェンは叫び、続けて術を唱え始める。

 辺りは血に染まっていく。

 人を倒すたび、傷口から『異形』に紅い光の帯が吸い込まれてゆき、その動きの激しさを増しているようだった。


「ダイン! 討て! 触れれば魂を喰われるぞ!」


 ガルドは一体からの攻撃をなんとか盾で受け止め叫ぶ。


「くそっ、わかってる!」


 ダインは呻きながら二振りの剣を抜き放った。

 背を低く構え、兵を切り裂いた一体を鋭い眼で狙い、深く息を吸い込む。

 それが次の兵に切りかかろうとした瞬間、素早く間合いを詰め、左手の剣でそれを受け止めた。鈍い金属音が響く。


「──ッ! 太刀筋までハマンの真似をしやがって!」


 そして刃を肩口間際で擦り落とし、間髪入れず右手の剣をその身体へ突き入れる。

 ──が、手応えがない。


「なにっ──!」


 そこへサルフェンの声が響いた。


サトステラ(汝の刃に)ロウル・トゥ(光の恵みを)!」


 ダインの剣が淡い光を帯びたかと思うと、『異形』は刺し通された剣の部分から、砂が崩れるように砕けていく。

 赤い瞳がぎょろぎょろと蠢き、不快な叫び声のような音を響かせる。


 サルフェンの術の光がガルドたちにも届く。

 ガルドはとめどなく襲い来る刃を盾でいなし、その僅かな隙を見計らって剣を振り下ろした。

 この世のものとは思えぬ断末魔が響く。

 最後の一体と相対するカイルは、剣で攻撃を受け止め、ジャクスが背後から槍を突き入れた。


 三体はその動きを止め、人の姿は崩れ、しばらく蛭のような欠片となり蠢いていたが、やがて黒い(もや)を漂わせて消滅した。


 残った傭兵たちは、夥しい血溜まりと、仲間の『影』が消えたその場所を呆然と見つめていた。

 ダインは荒い息をつき、剣の切っ先を地面に向けたまま、静かに中庭を見渡した。誰も口を開かない。


 サルフェンは目を伏せ、古の言葉で死者を弔うと、ダインへ向き直った。


彼奴(きゃつ)らはこれまでの『異形』とは異質……人の力──鋼の剣では倒せぬようじゃ。咄嗟に貴殿らの刃へ光の力を与えたのが効いたようじゃが……」


「『異形』……人型は初めて見たぜ。剣も効かねえだと……しかも、人間の技を理解してやがる。これまでの『異形』にはそんな奴はいなかった」


 サルフェンは深く頷く。


「小型のものが人の中に入り込む例はあったが──」


 ガルドは一年前のカルラを襲ったものを思い出し、胸が締めつけられた。


「──人そのものになり変わるものなど初めてじゃ……」


 額に手を当て苦悶の表情を浮かべるダインに、ガルドは歩み寄った。


「フィレアルで忌まわしい儀式が行われた。それと関係しているのかもしれない」


「……それでクレストルへ急ぐって訳か……詳しく聞かせてもらうぜ」


 ダインは元の半数以下となった傭兵団十数名を集め、指示する。


「ここは棄てる。お前らも一緒に来い。クレストル地下水道の拠点へ合流するんだ」



 一行は、犠牲者たちの武器を墓標に埋葬する。

「お前らの死は無駄にしねえ。元凶を突き止めてやる」

 ダインの声と、土をかぶせる音だけが、静まり返った砦に響く。


 そしてアラスバを発ち、首府クレストルを目指し北へと歩みだした。


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