1. 宣告の刻
ガルドたちが、首府クレストルにようやく近づいた頃──
都の空気は、変わっていた。
トルイデア軍の兵が外周を警備しており、物々しい空気を醸していた。
「どういう事だ……このまま街に入るのは危険だ」
様子を伺うためクレストルを迂回し、街外れの集落へ向かう。
着くなり噂は流れ込んだ。
「〝魂喰い〟の群れがクレストルを襲ったんだ」
「ここまで内地に現れるなんて、例がねえ」
「居合わせたトルイデア軍が交戦し、最後には〝神子〟が退けたっていうぜ」
「トルイデア侯に議会の非常権限が与えられたらしい」
耳を疑う噂が飛び交っていた。
「何とかシリス様に会わなければ」
ガルドが言うと、アディルがミリアに目配せした。
「私たちが前に出るわ。ガルドとダインは兜をかぶって護衛の傭兵に成りすますの」
ミリアは頷き同意する。
「クリスは──ごめん、ムゥと荷馬車に隠れてくれるかな?」
「うん。私たちは目立つから、それがいいね」
クリスは同意し、ムゥも小さく鳴いた。
───
ラルス家姉妹一行となったガルドたちは、街へ入る事に成功し、ラルス邸へと足を急いだ。
そこに駆け寄る騎士があり、警戒が走る。
「……! ご無事であったか!」
八司祭騎士長フェイラスだった。
シリスの警護に当たっていたのだ。
「この状況は、いったい……」
当惑するガルドにフェイラスは顔を曇らせる。
その拳は握りしめられ、革の軋む音が響いた。
「私が不甲斐ないばかりに……詳しくはシリス様から」
館の応接室に通されると、シリスが迎えた。その顔色には苦悶と疲労がにじんでいる。
「ガルド、ミリア、それにアディル……よく無事で戻りました」
シリスが言葉を続けようとしたとき、扉が静かに叩かれた。侍女が控えめに頭を下げる。
「治癒中の方が……お会いしたいと」
シリスは快く許しを与えた。
入ってきたのは、包帯を首に巻いた青年。
顔色は悪く、まだ歩みは慎重だが、その背筋はまっすぐだった。
「──カイル!」
ガルドが思わず立ち上がる。
カイルは深く頭を下げた。
「ご心配をおかけしました。
……お叱りは、あとで承ります」
冗談にも似た言い方。しかし声は静かで、真摯だった。
シリスが優しく口を開く。
「毒は深く、命は細い糸でした。
それでも、戻ってこられた。あなた自身が、まだ終わりを望まなかったからです」
カイルは短く息を吐き、胸に手を添える。
「恐れながら……ガルド様に、背中を向けたままでは、行けませんでした」
視線を上げるが、真正面からは見つめない。
どこか遠慮するように、少しだけ横へ逸らす。
「お側に立つと誓いました。
それを果たせぬまま死ぬのは──不敬かと」
言葉は淡々と、しかし奥に熱があった。
ガルドはしばらく何も言えず、拳を握る。
「……無理はするな。命を削る忠義は、俺は望まない」
そう言いながら、胸の奥に鈍い痛みが残った。
これほどの忠誠を向けられるほど、自分は応えられているのか──
カイルは素直に頷いた。
「承知しております。
ですので、まずは身体を治します。
いずれ、再びお役に立てるように」
その答えに、シリスが微笑む。
「当分は静養です。ここなら安全でしょう。焦らず、時を待ちなさい」
「は。深く感謝いたします」
────ふと、ガルドは言葉を失った。
胸の奥に、まだ言い出せずにいた重石がある。
「……シリス様。カイル。もう一つ、伝えなければならないことが」
その声音に、室内の空気がわずかに張りつめた。
「サルフェンが──没した」
短く、それだけを告げる。
シリスの瞳が、揺れた。
「……まさか、あのお方が……」
指先が震え、口元へと運ばれる。視線はどこにも焦点を結ばず、静かに彷徨った。
「サリスファの惨劇の最中──皆を逃がすために踏みとどまり、命を賭して封呪を……」
ガルドの声は低く、かすれていた。
長い沈黙のあと、シリスはゆっくりと瞼を伏せる。
「……サルフェン様らしい」
祈るように両手を組み、微かに唇が動く。
その脇で、カイルが膝をついた。
「……私は、シリス様とミリア様、そしてサルフェン様に救われた……」
言葉は途中で途切れた。
強く唇を噛みしめ、俯く。
「すまない、カイル。助けられなかった」
ガルドがそう告げると、カイルは首を振った。
「いいえ。隊長の判断に、誤りはございません。
私も同じ場に立てば、きっと同じ選択を」
その声音は震えながらも、確かな敬意を帯びていた。
やがて、シリスが顔を上げる。
「……ならば、なおさら進まねばなりません。あの方の死を、無駄にせぬように」
悲しみは消えない。
だが、その奥に、細い光がひと筋灯ったようだった。
カイルは一礼し、退室する前に振り返った。
一瞬だけ、言葉を探すように唇が揺れ、それでも、頭を下げる。
「……どうか、ご武運を」
静かな言葉が、灯火のように残る。
────
ひとときの後、シリスの表情が変わった。
「……では状況を、お話しましょう」
その視線は沈み、それぞれを見渡す表情は暗い。
「議会は、屈しました。
畏怖と、そして恐怖に」
議会が屈した────
その言葉の重さは計り知れない。
「クレストルを『異形』の群れが襲撃、それがメドゥルの指揮で鎮圧されたのです。そして最後には〝神子〟の力によって退けられた……」
ガルドは動揺を隠せない。
しかし、声を振り絞った。
「……竜皇の言葉が真実なら、カルラが──邪神が『異形』を操っている……」
「やはり……そのような予感はありました」
シリスは額に手をあて、痛恨に顔を歪めた。
「しかし、議会は信じ、縋った。私は止められなかった……メドゥルは恐怖を使い、人心を掌握したのです」
皆、言葉を失った。
シリスは瞼を閉じたのち、意を決したようにミリアを見据えた。
「これを、お持ちなさい」
その手にある長杖を差し出した。鈍く輝きを放つそれは、人の手によるものとは明らかに異なる精緻な造形。
「光の『杖』、ラルスアトスです」
ミリアは、戸惑いながらも受け取る。
何かに導かれるように。
それは鼓動に呼応するように手の中で脈動した。
「五神器を集める──それが邪神の封印を修復する道……」
ガルドは視線を伏せる。
「それを信じていますが──剣はメドゥルは手に、玉はカルラの内にある。いったいどうすれば……」
────
部屋が沈黙に支配された、その時。
外から街のざわめきが伝わった。
「神子様だ! 神子様がお出ましだぞ!」
クレストル中央議事堂の露台に、人影が二つ、静かに立っていた。
風に翻る旗が、まるで彼らへひれ伏すかのように垂れ下がる。
メドゥルは、街を見下ろしていた。
その姿は王でも将でもなく────
ただ、結果だけを測る秤のように冷たい。
その隣に、カルラがいた。
白き衣をまといながら、白よりなお白い肌。
その髪と目だけは、深い底へと落ちていくように黒い。
群衆は息を呑み、やがて膝を折る者すら出た。
(────あれは、カルラではない)
ガルドの胸の奥で、言葉にならない声が鳴る。
かつて笑っていた面影は、どこにも見当たらなかった。
ただ、静寂。
そして、底知れぬ、異質。
メドゥルが一歩、前に進む。
その影が、議事堂の外壁を長く引き裂いた。
群衆のざわめきが、波のように広がる。
人々の目は、二人に縋りつく。
誰も、自分の判断で世界を見ようとはしていなかった。ただ、答えを与えてくれる声を待っている。
「ここに宣言する」
メドゥルが声を響かせる
「我に与えられし非常権限をもって、この神々の神子、カルラは────」
右手をかざし、一段と声を張った。
「世界女王に即位するものとする!」
人々が沸き立つ。
「女王カルラ様!」
「メティル女王万歳!」
街はカルラを称える声で溢れた。
メドゥルが両手を上げ、民に語る。
「その力の庇護のもと! 世界は恒久的な平和を────」
その時。
空気が、変わった。
メドゥルの声は、突如、遮られた。
全ての音が、消えた。
カルラが進み出る。
その動きはあまりにも滑らかで、まるで地面と彼女の間に距離があるかのようだった。
伏せられた睫毛の下で、黒が深く沈む。
その声が、発せられる。脳裏に、直接。
「平和────即ち」
拒む事のできない声が、全ての人間に響き渡る。
「それは、ヒトの滅び」
その響きは、心臓を掴むような冷たさを帯び、畏れと恐怖が人々を支配した。
メドゥルが、隣に立つカルラを愕然と見た。
それは歓喜でも、確信でもない──その視線に、測るべき秤は、もうなかった。
カルラの瞳がメドゥルを見返す。
「これは、あなた達が選択した帰結」
なおも声は逃れようもなく頭に注ぎ込まれる。
「三つの影の王が降りる」
叫び声をあげる者、泣き出す者もいた。だが、声を遮る事はなかった。
「七日ののちに。
南──魔術の都。
次に西──法の都。
そして南東──剣の都」
預言めいたそれは、宣告だった。
「抗いなさい。その叫びこそ我が贄」
声の示した方角に、黒い雲が湧き上がった。
世界に罅が入ったかのように、天から紫黒の光芒が降りる。
音が、戻った。
歓声は悲鳴へと変わり、街は狂乱で渦巻いた。
「……何ということ……」
シリスが膝をつき、絞り出すように言う。
「影の王……古の文書にあります。都市を一晩で滅ぼすほどの脅威であったと。
神器によって抑えられたといいますが……」
彼女の声は震えていた。
誰も、すぐには口を開けなかった。
滅びの順序が、残酷なまでに明快だったからだ。七日後に、南、西、南東──
(どれかを救えば、どれかが滅ぶ)
そんな言葉が、喉につかえて出てこない。
最初に息を吐いたのは、ガルドだった。
「……都市を、守らなければ」
「『座』へ向かい、封印を急ぐ方法は──」
と誰かが呟く。
シリスは、かぶりを振った。
「神器は……恐らくまだ目覚めていません。
覚醒を促す何かが必要──」
冠と盾、そして杖を見据える。
「──それに都市が滅びれば、人の祈りも、秩序も失われる。封印は、その上には成り立ちません」
言葉にした瞬間、その重みが胸に落ちる。
ダインが低く笑う。
「守るさ。だが──手は限られてる」
彼の視線は、皆の顔を順に確かめていく。
「時は少ない。手分けするより他ないな」
そう言っても、誰もすぐには頷かなかった。
別れるということは、誰かを見送り、誰かを失う覚悟をする、ということだった。
その静寂を、シリスが破った。
「……最初の南。レシャンクレイへは、八司祭騎士を向かわせましょう。フェイラス、頼めますか」
言葉は重く、それでも崩れない。
「御意。馬を駆ければ三日のうちには着くはず……現地の術師たちと連携を」
その声音には、騎士長である前に、人を守りたい、という痛みが滲んでいた。
クリスが、一歩前に出た。
「……私が一緒に行く」
その瞳は強く、迷いがなかった。
「『冠』とムゥが居れば戦える」
言い終えたあと、ほんの少しだけ、唇を噛んだ。
ムゥの羽根が、かすかに揺れた。
クリスは、一度だけ目を閉じる。
「失うのは、もういや」
ムゥが翼を広げ、鋭く鳴いた。
同意の声のように。
「なら、俺は西だ」
ダインが言った。
「シル・エザリスには、『禿鷹の傭兵団』の砦がある。
あそこは──逃げ場のねえ連中を、何度も守ってきた場所だ」
軽口は消えていた。
「影になんざ、渡したくねえ」
アディルが、すぐに応じる。
「私も行く。『盾』の力も必要でしょ」
その目は、確たる覚悟を湛えていた。
皆の視線が、最後にガルドへ集まる。
言葉が、重く喉を塞ぐ。
(これで、本当にいいのか)
(全てを救うなど、可能なのか──)
それでも、口を開いた。
「……俺は、トルイデアへ向かおう」
その言葉が、自分の胸に落ちるのを感じた。
「俺の家は、あそこにある。父さんの、母さんの……そして────」
言葉が喉で途切れ、数拍おいてから結ぶ。
「ヴァルス、カルラ。家族の、場所だ」
ミリアが震える手で『杖』を抱きしめるように握り、頷いた。
「うん、一緒に行かせて。
……恐い。でも、逃げたくない」
辺りは立ち込めた暗雲に陽光が遮られ、低く垂れこめていた。
それでも彼らは、足を止めなかった。
それぞれの胸に灯った、小さな光だけを信じて────




