V. 混迷の議会
首府クレストル。
トルイデア軍は都市の外れに待機、ヴァルスは父と共に議会へ赴く。
サリスファは滅びた。
『異形』の群れに押し潰されて。
だが、最後には鎮まった。
姉カルラが『神子』として目覚め、その力で侵攻を退けた────
そう、父は静かに告げた。
……本当に、そうなのか。
目の前に湧き出た、あの影の大軍は、我らを襲わなかった。
だというのに、都市は滅び、調停者の軍も追われた。
胸の奥で、何かが小さく軋んだ。
もしこれを口にすれば、家族も、立場も、何もかも崩れる。
だからヴァルスは、その違和感を、ただ深く押し込めた。
ガルドは、無事なのだろうか────
────
白石で造られた円形の議場は、夜明けの光を拒むように静まり返っている。
石の床は冷えた空気をたたえ、吐息の音すら響かせるようだった。
中央に低い演壇。元素精霊を表す八芒の意匠が彫られている。
その周りに円を描くように並ぶ八つの議員座があった。
クレストルの議長、シリス・ラルス。
西方シル・エザリス首長、ヘルゲン・デルテキス。
レシャンクの王、メデス・グラムドレフ。
クレストリア郊外クレス・クレストリア諸集落代表。
リムレスの街の長。
ゼルク街道宿場街の長。
南方ラル・テイラの各部族代表。
そしてトルイデアのメドゥル・ゼト・フィル。
ヴァルスは、父の後ろに位置しながら、無言で外套の端を握っていた。
(……冷たい)
空気のせいではない。
胸の奥に沈む、説明のつかない冷たさ。
議長シリスが立ち上がる。
「独立都市サリスファが、失われました」
祈るような声だった。
「しかし、『神子』の力によって、『異形』の侵攻は退けられた──
トルイデア侯からの報告として共有いたします」
議場にざわめきが走る。
「神の御業……」
「神子を擁するトルイデアは、いよいよ特別な立場だ」
「しかし一都市が壊滅しているのだぞ。議会に属さぬとはいえ……」
感嘆と畏れと、打算が入り混じる。
……違う。
ヴァルスはまぶたを閉じる。
思い出すのは、黒く沈んだ姉の瞳。
そこには、彼が知る〝カルラ〟はいなかった。
たしかに〝力〟はあった。しかし、あれは────
「なお、付記として——」
書記官が静かに読み上げた。
「トルイデア前領主クレド殿は、前回議会に向かわれる折、賊の襲撃により急逝。
領主位は、嫡流不在のため、暫定としてメドゥル殿が継承するものとする」
淡々とした報告だった。
誰も異を唱えない。
それが当然であるかのように、議事は次へ進もうとする。
ヴァルスは、指先に力が入るのを感じた。
クレド様は事故でも病でもなく——殺されたのだ。
──にもかかわらず、調査も弔いも、何も語られない。
父の手によるものだと、疑っていない。だが証はない。
だからこそ、誰にも告げられなかった。
それを思うたび、胸の奥が軋んだ。
シリスの後ろに立つフェイラスが前に進み出る。
「議長。まず一点、確認させていただきたい」
「発言を許します。八司祭騎士長フェイラス」
「クレド殿の嫡子ガルド殿はご健在。サリスファで共に調停を。
ヴァルス殿はご存じのはず」
視線が集まる。
しかし父が遮るように言った。
「行方知れずであった故、驚きであった。父を亡くされ傷心で去られたものかと」
シリスが父を見据え、何か言いかけたが。瞼を閉じ、黙した。
その眼窩には苦悶が滲んでいるように見えた。
フェイラスは疑念の眼差しを向けつつも、続ける。
「また──トルイデアは、神器の引き渡しを求めてサリスファへ軍を進めていた。
これは、議会として看過できぬ行為です」
場がわずかに張り詰める。
メドゥルが静かに顔を上げた。
「誤解があるな」
声は低く、揺れがない。
「我らはかの都市と戦うために向かったのではない。『異形』の兆しを察知し、援軍として向かった」
僅かに眼を細めた。
「が──間に合わず、悔恨の極みだ」
「しかし攻城兵器を伴っていた」
フェイラスの声音には、剣を抜く前の静けさが宿る。
「説明を」
「備えだ」
すぐに返る。
「議会にも属さぬ城塞都市の動きは測れん。
異形もまた、脅威は測れん。
測れぬものに臨むには、想定以上の力が要る。
そして——神子の覚醒に必要であった『盾』の貸与も、拒まれる可能性があった」
「拒めば攻めたと?」
フェイラスの言葉が言い終わらぬうちに、議員の一人が手を上げた。
「神器の扱いについても、確認せねばなるまい。
盾は、どこにあるのです」
「失われた」
その言葉は、静かな議場に落ちた石のようだった。
音はないのに、空気だけがきしむ。
「惜しむらく事に。戦の混乱の中で、な」
盾は父自ら放棄した────言葉は出ない。
シリスは問いを重ねる。
「もう一つ。
神器、『玉』による魂補完の儀式。レシャンクの魔導士ナルバによる。
これらへの関与は事実ですか」
「『玉』の所在は未だ調査中。ナルバの関与は────」
メドゥルはメデス王の発言を遮った。
「事実だ」
大きなざわめき。
メデス王は言葉を失った。
「禁忌だぞ!」
「一国の裁量で許されるものではない!」
「魂に触れるなど——」
口々に発せられる言葉に、メドゥルは声を張る。
「結果を見よ!」
議場が息を呑む。
「儀式で神子たるに至ったカルラの力で異形の群れは退き、内地は守られた──それが、この世界にとっての事実だ」
フェイラスが、静かに口を開く。
「結果だけを見てはならぬ。そこに至る道が歪んでいては、救いもまた歪む」
「ほう?」
メドゥルが目を細める。
騎士長の言葉は淡々としていた。
「我らが生還したのは、神官サルフェン殿の献身の術あってこそ。神子の力とやらを、私は見ていない」
「早々に去られた故か。程なくして神子が、我が娘が退けたのだ」
父は、鼻先でわずかに笑った。
────我が娘が。
ヴァルスの胸が、ひときわ大きく鳴る。
その言葉が、姉という人ではなく〝力〟を指しているように聞こえた。
「……父上」
思わず、声が漏れた。
全ての視線が、ヴァルスへ向く。
喉が焼けるようだった。
それでも黙っていれば──何かが、確実に壊れていく。
喉から、思うよりも早く声が出る。
「一つだけ……お伝えしたいことが」
父が振り返る。
視線は冷たいが、まだ〝父〟だった。
「何だ」
ヴァルスは、姉の顔を思い浮かべた。
漆黒。
沈んだ瞳。
あの、空虚な声。
息を吸い、吐く。
言えば戻れなくなる、と分かっていた。
「あれは姉上ではない」
沈黙。
誰も、すぐには言葉を見つけられない。
自分の声が、自分のものではない。
「たしかに姉の姿をしている。話す。歩く。力もある」
黒く沈んだ、あの目が脳裏に浮かぶ。
「——しかし、姉上ではありません」
議場が凍りついた。
シリスが、痛むように目を伏せる。
フェイラスは、静かに拳を握った。
議員の一人が、震える声で言う。
「神の御業を、否定するのか」
「否定ではありません」
ヴァルスは首を振る。
「ただ——恐れているのです」
言葉を探す。
それでも、見つからない。
「姿は同じでも、中にいるものが違う。そう感じました」
それ以上、言葉が続かなかった。
メドゥルが、淡々と告げる。
「感情で議会を動かすな」
切り捨てられた。
しかし、議場の空気は変わっていた。
フェイラスが口を開く。
「神器を集め、『邪神』の封印を修繕し、世界を救う。ナルバはそう言っていた」
父の視線が動く。
「それが、進むべき道なのでは?」
「危うい」
メドゥルは言い切る。
「邪神、封印──信用に足らぬ。『異形』は神子の力をもってすれば抑えられる」
安堵とも畏れともつかぬ声が広がる中、
一人の議員が、ゆっくりと立ち上がった。
黒い法衣。
痩せた頬に深い影。
議員にして、西方シル・エザリスの首長ヘルゲン──〝律法の番人〟と呼ばれる男だった。
「議長」
その声は、刃物のように冷たい。
「まずは申し上げねばなりますまい。
——我らは、神子の存在を軽んじすぎている」
場の空気が揺れる。
「異形の大群を退けたる神子カルラ様の力。それは、議会の誰ひとり為し得ぬ御業」
フェイラスの眉が、わずかに寄る。
メドゥルは沈黙し、聞いている。
「禁忌の儀式? 神器の使用? 攻城兵器?」
ヘルゲンは小さく首を振る。
「結果として、内地は守られた。罪なき民は救われたのです。
誰もが正しさを語り、その間にだけ人は死ぬ」
その言い切りに、ヴァルスの胃の奥が冷える。
父の息がかかっている──そう確信した。
(〝結果〟だけで、いいのか? サリスファの民は罪深いというのか)
フェイラスが口を開く。
「しかし——」
だが、ヘルゲンは被せた。
「フェイラス殿。あなたは武の視点で語る。だがこれは、神の領域だ」
静かに、しかし強く。
「今、この世界は滅びへ傾いている。神子の力は、唯一の救い」
その語気には力があった。
「であれば——議会は、神子の行いを正当と認めるべきだ」
メドゥルの眼が、わずかに細められる。
フェイラスは一歩、前へ出た。
「正当化はできぬ」
空気が張り詰める。
「確かに、神子の力が本当ならば強大だ。だが、私が見た限り——
異形は〝変質〟していた。人の理では測れぬ何かが、すでに動いている」
ヘルゲンが鼻で笑う。
「恐怖は判断を曇らせるものです」
強い眼差しがフェイラスを見据える。
「では各々方に問う。神子を疑うなら、何を信じるのです?」
短い沈黙。
ヴァルスは、息を吸った。
「——人です」
自分でも驚くほど静かな声だった。
「戦って、逃げて、守って、迷って……それでも生きようとする人の選択を」
「人は、神には勝らぬ」
ヘルゲンは冷笑する。
「我らは幾度、議論し、躊躇い、その間にどれだけの民を失ったか」
そして、議場全体に向き直った。
「私は提案します。議会は、神子カルラ様を正式に〝世界の守護者〟と認め——
それを擁するトルイデアに非常権限を委ねるべきです」
議場が大きく揺れた。
「もちろんそれは一時的な措置。危機が過ぎれば、権限は議会へ戻されるものとする」
フェイラスは低く呟いた。
「……それは、神の名を借りた覇権だ」
ヘルゲンは即答した。
「覇権でも、救われるなら。
救いなき自由より、救いのある神への従属を」
その言葉に、メドゥルの唇がわずかに上がる。
シリスが、重く目を伏せた。その顔には焦燥が浮かんでいる。
「本件——即断はできません。審議を継続します」
ヴァルスは、背筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。
議会の中にも、〝傾く者〟が生まれている────
言葉にならない不安が、静かに胸を満たした。
きっと、このままでは何かが壊れる。
目には見えない、細い裂け目が──静かに広がっていく。
その始まりを、自分は確かに見てしまったのだ。




