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ヘルドゥラの神々:漆黒の女王  作者: 渡弥和志
第二章

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4. 夜暗の訪れ

 クレストルへの帰途につき、レシャンクレイを発って三日目の晩。

 ガルドたちはレシャンクの国境を跨ぎ、エデルテ村の灯りを目前にしていた。


「ここは安心するけど……また大歓迎されちゃうわよ」


 アディルが困り顔で呟くと、ダインがにやりと笑う。


「村を脅かす魔獣を退治した英雄──アディル様がまたのお越しだからな。せいぜい俺たちも、おこぼれにあずかるさ」



 村の門番は、往路と変わらず温かな顔で一行を迎えた。


「ようこそお帰りをエデルテ村へ。アディル様、そして八司祭特使の皆さま!」


 門番の声が響くや否や、村中へ到着の報が駆け巡り、集まった村人たちが歓声を上げる。


「また来てくれたんですね! アディル様!」


 アディルは村人たちから花や酒を渡され困惑しながらも笑顔がこぼれる。


「ミリア様も、先だってはありがとうございました。その後すっかり腰が良くなったわい」


 ミリアも顔をほころばせ、照れた顔を皆に向ける。

 村の歓迎で、一行は長旅の疲れがすっと癒えるのを感じた。


「特使さまご一行の食事を用意しよう!」




 村長が言った──その時。村長宅の方から二人の影が人垣をかき分けて来る。その姿に、ガルドは目を見開く。


「カイル! ジャクス! 無事だったか……!」


「ガルド様! 急ぎお伝えせねばならぬことが!」


 カイルは息を荒げ、焦燥の面持ちで駆け寄る。ジャクスの顔色は焦りに揺れ、瞳には涙が溜まっていた。ガルドはただならぬ様子を見て、背に緊張が走った。


「クレド様が……クレド様がご逝去を」


 予期しながらも、胸の奥底にしまい込んでいた悪寒。それが一気に湧きあがり、身体が凍りつくのを感じた。


「今トルイデアでは、メドゥル様がフィル当主を名乗り────」


 そこまで言いかけた瞬間。歓声が、一カ所でふっと途切れた気がした。

 ざわめきの中で、ひとつだけ異質な動きが生まれる。


 ガルドはその違和感を感じ取った。


 ────来る。


 思考が追いつくより早く、群衆をかき分ける影が見えた。

 土埃を蹴り、踊り出た男の手には、月明かりに光る短刀。


 狙いは迷いなく、一直線にガルドの喉元だった。


 咄嗟に剣に手をかけたが、あまりにも速い殺意が、その判断を遅らせた。


「ガルド様────!」


 叫びと同時に、カイルが飛び出した。

 剣を手にするよりも早く、ただ主君の前に割り込む。


 刃が、肉に沈む鈍い感触を立てた。

 カイルの動きが、そこで止まった。


 口がわずかに開き、声にならない息が漏れる。

 首元から、赤黒い血が溢れ、地面に滴った。


 時間が、引き延ばされたように感じられた。


 倒れゆくカイルを受け止めながら、ガルドは呆然とその血を見つめる。


「ちっ……!」


 暗殺者は舌打ちし、再び刃を振り上げる。今度こそ、標的を仕留めるために。


 ────だが、その瞬間。


「このやろうッ!!」


 怒号と共に、横合いから槍が突き出される。

 ジャクスの一撃は迷いなく、暗殺者の胸を貫いた。


 骨を砕く感触と共に、男は息を吐き、力なく崩れ落ちる。


 その瞬間、堰を切ったように悲鳴が上がった。

 村人たちは何が起きたのか理解できぬまま、我先にと逃げ惑う。


 祝祭の空気は、血と恐怖に塗り替えられていた。



「カイル! カイル……!」


 ガルドが膝をつき抱き抱えると、サルフェンとミリアが駆け寄る。アディルとダインは即座に剣を抜いて周囲を警戒した。


「この傷は……急ぎ回復を! ミリア殿、術を合わせるのじゃ!」


 サルフェンとミリアが古の言葉を唱えると、傷口が淡い光に包まれ、溢れ出る血の流れは徐々に止まっていく。

 だが、カイルは力なく横たわったままだった。その傷を中心に皮膚は青く変色し、黒ずんだ血管が浮き出ている。


「毒じゃ……深く回っとる。出血は止められるが、このままでは……」


 沈黙が落ちたその場で、ダインが倒れた男に目を凝らす。短剣に彫られた蛇の彫刻に見覚えがあった。


「こいつ……暗殺者(キーヴァ)だ。こいつらは常に二人で動く。まだもう一人どこかにいるはず」


 重い言葉にアディルが頷き、鋭い視線で周囲を探った。


 混乱のなか、カイルは村長の家へと運び込まれた。



 ────



「ガル……ド……さま……」


 薄く目を開いたカイルが、途切れ途切れの声を絞り出した。


「メドゥル……が……サリスファへ……挙兵を……」


「カイル! 喋るな……!」


 ガルドは揺さぶられる胸の痛みを押し殺し、必死に呼びかける。


 力尽きたように、カイルの腕がベッドに落ちた。

 手首を取ったサルフェンが唸る。


「……気を失っただけじゃ。しかし、この毒……わしとて手が出せん」


 ジャクスが嗚咽を堪えきれず肩を震わせた。


「薬学にも通じたシリス殿であれば、あるいは……」


「うん、お母さまなら……救えるかもしれない。急いでクレストルへ」


 ミリアが涙で声を震わせたところに、アディルとダインが部屋へ入ってきた。


「待って。今ガルドがクレストルへ戻るのは危険よ」


暗殺者(キーヴァ)の片割れが見つからねえ。失敗を報告に戻ったとすりゃ追手がかかる」


 ガルドは拳を握った。

 父の死──カイルの命──メドゥルの進軍──そして迫る刺客の影。

 全てが肩にのしかかってくる。


 沈黙が、部屋を満たしていた。



 ガルドは、小さな寝台に横たわるカイルの微かな呼吸から、目を逸らせずにいた。


 自分の身代わりとなって流された血。それは、フィレアルを覆い尽くした悲劇が、今も自分を追っている証だった。


 彼は、ゆっくりと目を閉じた。



 ────胸に去来したのは、かつての「平穏な日々」。


 木剣の乾いた音が響く、フィレアル城の中庭。


 汗まみれの自分と、息を切らしたヴァルス。打ち合いの合間に、ヴァルスが悔しそうに笑う。


 そして、カルラの細い指が、木剣で打たれたヴァルスの額にそっと触れ、困ったような笑顔でたしなめる。その声は、庭の木漏れ日のように優しかった。


 三人が、笑っていた。


 あの頃のヴァルスは、カルラは、そして父上は、ただ未来を信じていた。その未来を守るために、自分は剣を握っていたはずだ。



 目を開ける。


 ────全ては、壊れた。


 父は死に、カルラは禁忌の依代となり、友はそれを肯定する狂気の元に。

 そして忠実な部下は今、死の毒に侵されている。

 彼は、震える拳をゆっくりと握り締めた。



「……俺が、もっと警戒していれば」


 絞り出すような声だった。


 アディルが、静かに首を振る。


「あなたのせいじゃないわ。手練れの暗殺者よ。私達も気配に気づけなかった……

 あの状況で身を守れる人間なんて、そうはいない」


 だが、言葉は慰めにはならなかった。

 ダインが壁にもたれ、低く唸る。


「問題はここからだ。依頼主の耳にはもうここの情報が向かってると思ったほうがいい」


「……つまり、私たちの動きは読まれる」


 ミリアの声は震えていたが、その瞳は真剣だった。

 サルフェンは深く息を吐き、杖を床に突く。


「メドゥルが進軍するとあらば、もはや内政の問題ではない……世界メティルを二つに割る戦となる」


 ダインは眉を顰めて唸る。


「サリスファは他国と関係を断って久しい。『魔境エヴィラ』と接していて対『異形』でも手一杯だろう。

 ────孤立無援だ。八司祭議会が調停に出るとしても間に合うかどうか……」


 その言葉の重さに、誰も返す言葉をもたなかった。


 ガルドは、ゆっくりと拳を握り締める。

 父クレドならどうするだろうか──想いが駆け巡った。


「……それでも、止めねば。

 父上が命を落とした今、ここでトルイデアの暴走を見逃すわけにはいかない」


 視線が交わる。

 仲間たちの瞳には、迷いと覚悟が混じっていた。


「ならば、生き延びるのじゃ」


 サルフェンが、はっきりと言った。


「死して正義を語ることはできぬ。止めるためには、まず生きておらねばならぬ」


 ダインが頷く。


「遠回りでもいい。サリスファへ先回りし、奴の思惑を潰す。それが一番、勝ち筋がある」


 ミリアはガルドの袖を、そっと掴んだ。


「……あなたが決めて。私たちは、どこへでもついていく」


 ガルドは一度、目を閉じた。

 選択は、もはや決まっていた。


「────行こう。戦になる前に、メドゥルを止める」


 その言葉に、誰も異を唱えなかった。


「身を隠し進むのじゃ。街道を逸れクレストル西方へ向かえば古い坑道がある」


 サルフェンは覚悟を確かめるようにガルドを見据える。


「その『エテの坑道』から山脈の北へ抜けられよう。軍に先んじてサリスファへ向かうとすれば……アギサルの森を通ることとはなるが……」


「アギサルのフォロア族も魔獣も、ガルドを狙ってるわけじゃねえ。なら行ける道だな」


 ダインが腕を組み、決意を込めて頷く。


 ガルドは震える拳を握りしめてジャクスを見た。


「ジャクス……カイルを連れ、八司祭騎士たちと共に急ぎクレストルへ戻れ。シリス様の力が必要だ」


「……承知しました……」


 ジャクスは悲愴な瞳を潤ませて頷いた。


 ガルドたちは街道を外れ、道なき道をかき分け出発する。


 木々の闇夜は彼らの姿を覆い隠したが、その闇は彼らの焦燥に重くのしかかった。


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