8品目:笑顔を奪うもの
商人の家は、広場から少し外れた静かな路地にあった。
扉を開けると、温かな灯りがともる小さなリビングが広がる。
そこには、一人の少女が静かに座っていた。
年の頃、10歳くらい。
淡い栗色の髪に、大きな緑の瞳。
しかし——彼女の表情は、驚くほど無表情だった。
「この子が、私の娘です……レーナ、と言います」
商人が娘を紹介するが、レーナはただ静かにこちらを見つめるだけ。
リュシアはすっと前に歩み寄り、膝を折ってレーナと目線を合わせた。
「こんにちは、レーナ」
レーナは瞬きを一つし、口を開いた。
「……こんにちは」
声には感情がほとんどない。
(ふむ……これは確かに、ただの性格や気分の問題じゃないわね)
リュシアは慎重に観察しながら、ゆっくりと質問する。
「最近、何か変わったことはなかった?」
「……分からない」
「何か嫌なことがあった?」
「……分からない」
「じゃあ、楽しいことは?」
「……分からない」
リュシアは静かに息をついた。
(感情が鈍ってる……本当に「笑えない」のね)
単に気分が沈んでいるのではなく、何かが彼女の感情を抑えている。
「リュシア様、何か分かりますか?」
商人が不安そうに尋ねる。
リュシアはゆっくりと立ち上がり、室内を見渡した。
「……レーナがこうなったのは、半年前からなのよね?」
「はい」
「何かきっかけになるような出来事は?」
「それが……思い当たることがないんです」
リュシアは顎に指を当て、考える。
(普通、こういう変化が起こるなら「何か」があったはずよ。でも、家族が気づかないってことは……)
「レーナ、何か拾ったり、持ち帰ったりしたものはない?」
「……分からない」
(やっぱり、本人も覚えていないのね)
リュシアはゆっくりと室内を歩き、家具や棚の上に置かれたものを眺めていく。
(魔道具や呪物なら、何かしらの痕跡があるはず……)
だが、一通り確認しても、怪しいものは見当たらなかった。
「……」
リュシアは再びレーナを見つめる。
(原因は……この子自身にある?)
そう考えたリュシアは、ポーチから小さな瓶を取り出し、レーナに差し出した。
「これ、飲んでみて」
「……なに?」
「ただのハーブティーよ。リラックス効果があるの」
レーナは少し考えた後、コクリと頷き、リュシアの手から瓶を受け取った。
そして、一口飲んだ瞬間——
ビリッ——!
見えない“何か”が、かすかに弾ける感覚があった。
(……やっぱりね)
リュシアは静かに目を細めた。
「レーナ」
「……?」
「今、一瞬だけ何か感じなかった?」
「……少し、チクッとした気がした」
「なるほど」
リュシアは確信する。
(この子は、「何かの影響」を受けている)
しかもそれは、魔力によるものではなく——何かの“成分”によるもの。
「……リュシア様、何か分かったのですか?」
商人が食い下がるように尋ねる。
リュシアは静かに頷いた。
「ええ、大体はね」
「それで、どうすれば……?」
「……まずは、一度“解毒”する必要があるわ」
「か、解毒……?」
「ええ。この子は“何か”を摂取して、その影響で感情が抑制されている。」
「そ、それは……毒なのですか!?」
「いいえ、一般的な毒ではないわ」
リュシアはポーチを探りながら説明する。
「例えば、ある薬草の成分には“気分を落ち着かせる”作用があるの。でも、強すぎると、逆に“感情を鈍らせる”こともあるわ」
「じ、じゃあ、レーナは薬草のせいで……?」
「……それだけじゃないわね」
リュシアは小さく首を振る。
「この子は、たまたま拾った“何か”に触れ、それが影響している可能性が高いわ」
その“何か”が何かは、まだ分からない。
だが、リュシアには一つの方法があった。
(まずは、強制的に体内の異物を排出させるポーションを作る。それで影響が消えるか確認ね)
リュシアは静かに息をつくと、商人に向き直った。
「少し時間をちょうだい。この子のために、特別なポーションを作るわ」