表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/70

3品目:淡く光る短剣

 森の奥へと進むにつれ、霧はますます濃くなり、空気は異様に重くなっていく。


 通常ならこのあたりですら危険だが、今はさらに瘴気の密度が増している。


(やっぱり、何かがおかしいわね……)


 リュシアは慎重に足を進めながら、瘴気の流れを観察していた。


 本来、瘴気は森の中に均等に広がるものだ。しかし、今の瘴気には明らかな偏りがある。まるで何かを中心に、渦を巻くように流れているようだった。


(これは……自然現象じゃないわね)


 何者かが意図的にこの状態を引き起こしている。


 男も同じ異変を感じ取ったのか、低い声で呟いた。


「……ここまで濃い瘴気は初めてだ」


「私もよ。これはただの森の変化じゃないわね」


 リュシアは慎重に辺りを見回す。


「気をつけなさい。もしかすると、瘴気を発生させている“元凶”がいるかもしれないわ」


 その言葉に、男の表情が僅かに強張った。


 二人は慎重に進みながら、目的の素材を探す。


「……あった」


 男が指差した先、古い倒木の根元に深緑色に光る苔が生えていた。


 これこそが、今回の調合に必要な「魔力を持つ素材」だった。


 リュシアはしゃがみ込み、慎重に指先で触れる。


「……間違いないわね。これなら使える」


 彼女が小さな瓶を取り出し、苔を採取し始めた——その時。


 ——ガサッ!


 突然、霧の奥から何かが動く気配がした。


 リュシアと男が同時に視線を向けると、霧の中から異形の獣が姿を現した。


 全身が瘴気に包まれ、ただれて変形した皮膚。赤黒く濁った瞳が、獲物を見つけたかのように光る。


「……厄介なのが来たわね」


 リュシアは静かに立ち上がり、腰のポーチに手をかける。


「こいつ……魔獣か?」


「いいえ。もともとは普通の獣だったものが、瘴気の影響で変異した存在よ」


「……瘴獣、か」


 男は低く呟くと、腰のナイフを抜いた。


 瘴気の影響を受けた魔物は、通常の個体よりも攻撃的で、さらに異常な回復力を持つことがある。放っておけば、この森の異変をさらに加速させる厄介な存在だった。


 そして、目の前の瘴獣は——間違いなく戦わなければならない相手だった。


「……やるわよ」


 リュシアはポーチから小さな瓶を取り出し、男に短く言った。


「こいつ、普通に斬っても倒せないわよ。瘴気の影響で耐久力が上がってるからね」


「じゃあ、どうする」


 リュシアは淡々と笑う。


「毒で殺すのよ」


 そう言って、瓶の中身を男のナイフに垂らした。淡い紫の液体が刃に馴染むと、それは一瞬で透明に変化する。


「これなら、こいつの回復力を削げるわ」


「……効果は?」


「一撃で仕留められるほど甘くはないけど、確実に動きを鈍らせる。あとはあなたの腕次第ね」


 男は短く頷き、構えを取った。


 瘴獣が低く唸ると、次の瞬間——猛然と二人に襲いかかってきた。


 男は瞬時に反応し、素早く横へ跳ぶとナイフを逆手に構える。


「はっ!」


 鋭い突きを放つが、瘴獣の皮膚は異様に硬く、刃が深く刺さらない。さらに、瘴気に適応したせいか、動きも異常に素早かった。


(こいつ……ただの魔獣よりも厄介だ)


 男はすぐに態勢を立て直し、距離を取る。瘴獣はすぐさま追撃しようとするが、その隙を突いて男は毒を塗ったナイフを横薙ぎに振った。


 ナイフが瘴獣の脚を切り裂く。確かな手応えがあった。


「……効いたか?」


 男が低く呟いた瞬間、瘴獣の体が僅かに痙攣し、動きが鈍る。


「毒が効いてるわね。でも——」


 リュシアは冷静に言いながら、瘴獣の様子を観察する。


「それでも、まだ動くつもりみたいよ」


 瘴獣は動きを鈍らせながらも、再び攻撃の構えを取る。赤黒く濁った瞳が、男を標的として睨みつけていた。


「チッ……!」


 男は再び攻撃を仕掛けようとするが、瘴獣の素早い反撃に対応しきれず、紙一重で爪を避ける。


(……このままじゃ、持たないな)


 毒の効果は確かに効いているが、それでもなお瘴獣の攻撃力と耐久力は脅威的だ。


 リュシアはその様子をじっと見つめながら、静かに溜息をついた。


「……仕方ないわね」


 彼女はポーチから小さなガラス瓶を取り出した。中には淡い青色の液体が揺れている。


「派手なのは好きじゃないけど……こういう時には便利なのよね」


 リュシアは瓶を軽く振り、地面に向かって投げつけた。


 ——ボンッ!


 強烈な閃光とともに、衝撃波が周囲に広がる。


 爆裂ポーション——とはいえ、単なる爆発物ではない。威力自体はそれほどではないが、瘴気を吹き飛ばす特殊な効果を持っている。


 爆風と共に、周囲に充満していた瘴気が一気に霧散する。


「なっ……!?」


 男は驚きながらも、すぐにこの変化を察知した。


(瘴気が……消えた?)


 その瞬間、瘴獣の動きが明らかに鈍る。


「瘴気に適応した魔獣にとって、瘴気そのものが生存環境なのよ」


 リュシアは冷静に言いながら、ポーチの中を探る。


「つまり、それを奪えば動きが鈍るってこと」


 だが、瘴気を払っただけでは完全に倒せるわけではない。瘴獣は依然として生きており、今も怒りに満ちた唸り声を上げている。


 リュシアは静かに目を細め、ポーチの奥から一本の短剣を取り出した。


「……仕方ないわね。少しは働くとしましょうか」


 彼女が取り出した短剣は、シンプルな作りながらも、刃に僅かに魔力の波動が宿っていた。


 リュシアがそれを握り、そっと魔力を流す。


 淡い蒼白色の光が、刃全体を覆った。


 男はそれを見て、驚いたように目を見開いた。


「お前……剣も使えるのか?」


「使えるというほどじゃないけどね」


 リュシアは微笑みながら、短剣を軽く振るう。


「ただ、錬金術士だからって、戦えないとは思わないでほしいわね」


 瘴気の消えた戦場に、魔力を帯びた短剣の刃が、蒼白い光を放つ。


 瘴気を失った魔獣は明らかに動きが鈍くなっていたが、それでもまだ戦闘不能にはなっていない。


「さぁ、そろそろ終わらせるわよ」


 リュシアはそう言うと、軽く足を踏み込み、短剣を構えた。


 男もナイフを構え直し、リュシアの隣に並ぶ。


「俺もやる」


「好きにしなさい。でも——」


 リュシアはチラリと男を横目で見ながら、冷静に言う。


「ついてこれるなら、ね」


 次の瞬間——リュシアの姿が消えた。


「……っ!」


 男は目を見開いた。


 速い。いや、異常なほど速い。


 まるで霧の中をすり抜けるように、一瞬で瘴獣との距離を詰めていた。


「はっ!」


 リュシアの短剣が、瘴獣の頸部をかすめる。刃が淡く輝くと同時に、まるで魔力が込められたように切れ味が鋭さを増し、硬い皮膚すら容易く切り裂いた。


 瘴獣が苦しげに唸る。


 男も後を追って攻撃しようとするが——


(……くそっ、追いつけない!)


 彼の動きが遅いわけではない。むしろ、経験豊富な冒険者なら普通についていけるはずだ。


 しかし、リュシアの動きはそれを遥かに超えていた。


(なんだ、こいつ……なんで錬金術士のくせに、こんなに動ける!?)


 男が驚愕している間に、リュシアは再び鋭い一撃を叩き込む。


「ふっ!」


 短剣の刃が瘴獣の関節部を斬り裂き、魔獣の動きがさらに鈍る。


 このままいけば、もう反撃の余地はない——そう思った瞬間。


「——グゥオォォォォッ!」


 瘴獣が最後の力を振り絞り、暴れ出した。


 異常な筋力で地面を砕きながら、巨大な爪がリュシアを狙う。


「危ない!」


 男が叫ぶが——リュシアは眉一つ動かさない。


「遅いわよ」


 彼女は軽く足を踏み込み、魔獣の懐に潜り込む。


 そのまま、短剣を逆手に持ち替え、魔獣の首筋に突き立てた。


 ——スッ。


 まるで水面をなぞるような軽やかな動作だった。


 瘴獣が、まるで理解が追いつかないとでも言いたげに、ギラついた目をリュシアへ向ける。


 だが——


「——もう遅いわよ」


 リュシアが囁くように言った瞬間、瘴獣の体から力が抜け、ズシリと地面に崩れ落ちた。


「……終わりね」


 短剣を静かに引き抜くと、紫黒い血が滴り落ちる。


 男はしばらく呆然とその光景を見つめていたが、やがて低く呟いた。


「……なんで、お前、そんなに強いんだ……?」


 リュシアは軽く肩をすくめる。


「別に、特別なことはしてないわよ。ただ、“必要だったから”戦い方を覚えたの」


 彼女の言葉に、男は何かを言いかけたが、結局黙り込んだ。


(こいつ……ただの錬金術士じゃない)


 男の中で、リュシアへの認識が大きく変わる瞬間だった。


 瘴獣の死体を前に、リュシアはポーチから小さなナイフを取り出し、魔獣の体を調べ始めた。


「何をしている?」


「せっかく倒したんだから、使えそうな素材がないか調べるのよ」


 彼女は魔獣の体表を丁寧に観察し、傷の少ない部分を探る。


「……これは使えそうね」


 リュシアが慎重に取り出したのは、瘴気を帯びた獣の爪だった。


「どうするつもりだ?」


「瘴気の影響を受けて変質した素材って、うまく調合すれば強力な抗体を作れるのよ」


 リュシアは手早く素材を確保し、短く言った。


「よし、必要なものは揃ったわ。街へ戻りましょう」


 街へ戻ると、リュシアはすぐに工房に籠り、瘴気に耐えられる薬を調合。


 男の仲間に使用すると、無事に回復し、意識を取り戻す。


 その後、男が冒険者ギルドに寄ると、受付の者から驚きの事実を告げられた。


「えっ……? 瘴気の森で瘴獣を討伐した?」


 ギルド職員が目を見開く。


「ちょうど最近、あの森の異常な瘴気のせいで、討伐対象になっていたんですよ! 誰がやったのかと思ったら……」


 男はリュシアを横目で見る。


 彼女はどこ吹く風といった様子で、酒を片手にくつろいでいた。


「……お前、本当に何者なんだ?」


 男の問いに、リュシアは微笑みながら答えた。


「ただの錬金術士よ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ