表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/70

2品目:「瘴気の森の素材採取」

 朝日が昇り切る前、リュシアは工房の扉に鍵をかけ、静かに歩き出した。街外れの森の奥へと続く道を進むうち、空気が徐々に冷たくなっていく。朝露が土に染み込む音が微かに響く中、彼女は足を止めることなく、ただ黙々と目的地を目指した。


 昨夜、黒いフードの男に調合した瘴気耐性の薬。その主成分である夜影草の在庫が少なくなっていた。


「……ついでに、珍しい素材でも見つかれば儲けものね」


 夜影草は瘴気の強い場所にしか生えないため、市場にはほとんど出回らない。仕入れに頼ると高額になってしまうが、リュシア自身にとって瘴気の森はそれほど危険な場所ではない。彼女の体には、ある程度の耐性があるのだから。


 森の入り口に差し掛かると、独特の甘い腐臭が漂ってくる。薄紫色の霧が森全体を包み込み、まるで異界への境界線のような雰囲気を醸し出していた。


 瘴気の濃度は以前よりも強まっているようだったが、リュシアは特に気にする様子もなく、霧の中へと足を踏み入れた。


 森の中は不気味なほど静かだった。獣の鳴き声も、小鳥の囀りもない。ただ、濃い霧の向こうに何かが潜んでいるような、不穏な空気だけが漂っている。


 そんな中でも、リュシアは手際よく足元の草木を観察し、素材のありかを探していた。


(……やっぱり、前より濃くなってるわね。何か異変でもあるのかしら)


 考えながら歩いていると、ふと気配を感じた。


 リュシアは静かに動きを止め、目を細める。


(……あら)


 視線の先には、昨夜店を訪れた黒いフードの男の姿があった。


 彼は瘴気の影響を受けることなく、慎重な足取りで森の奥へと進んでいた。きっと、リュシアが調合した薬を使ったのだろう。しかし、彼の行動は明らかに普通ではなかった。


(素材採取にしては、妙に警戒しているわね)


 まるで「誰かに見られたくない」ような動きだった。


 リュシアは距離を取りつつ、音を立てないように後を追う。


 しばらくすると、男はある木の根元で足を止めた。


 そこには、リュシアもよく知る植物——「死者の息吹」が生えていた。


(……あれを採るつもり?)


 「死者の息吹」は瘴気の森の奥深くにのみ生息する毒草だ。その名の通り、扱いを間違えれば命を落としかねない猛毒を持っている。しかし、正しく精製すれば、高度な麻痺薬や鎮静剤としても利用できる。


 用途次第では「人を救う薬」にも「人を殺す毒」にもなる、危険な素材。


 男は小さなナイフを取り出し、慎重に根ごと切り取ると、密閉された瓶に詰めた。


(……素人の動きじゃないわね)


 採取の仕方が手慣れている。一般の冒険者なら、毒にやられないようにもっと慎重に扱うものだが、彼の手際はまるで職人のようだった。


(ただの依頼人、じゃなさそうね)


 その時、不意に男が周囲を警戒するように動きを止めた。


 リュシアはとっさに息を潜め、木陰に身を隠す。


 男はゆっくりとあたりを見回したが、特に何もないと判断したのか、再び歩き出す。


(気配に敏感なのね……間違いなく素人じゃないわ)


 リュシアは心の中で警戒しつつも、そのまましばらく彼の様子を観察することにした。


 黒いフードの男は、慎重に「死者の息吹」を瓶に詰めると、静かに腰を上げた。再び周囲を警戒するように視線を巡らせるが、リュシアは既に木陰に身を潜めている。


(さて……どうしようかしら)


 彼の様子を見る限り、明らかに「ただの依頼人」ではない。瘴気の森に慣れているし、猛毒を持つ薬草の扱いにも手慣れている。何より、この異常な警戒心。


 リュシアは考える。

 このまま男を追い、彼が何をするのか探るのもありだ。だが、それでは結局、彼の目的が分かるまで待つしかない。


(それなら……いっそ、こちらから仕掛けた方が早いわね)


 リュシアは木の陰から一歩踏み出し、わざと落ち葉を踏みしめた。


 パキッ——


 乾いた音が静寂を破る。


 男が反射的に振り返り、腰のナイフに手をかける。


 リュシアはそんな彼を見ながら、ゆっくりと口角を上げた。


「……ずいぶんと、面白いものを採ってるじゃない」


 落ち着いた声で言うと、男は一瞬だけ固まる。


 しかし、すぐに表情を隠すように、フードの奥で視線を細めた。


「……錬金術士」


 まるで「なぜここにいる?」とでも言いたげな口調。


 リュシアは肩をすくめてみせる。


「夜影草を採りに来たの。ちょうど補充が必要だったから。……あなたは?」


「……関係ない」


 男は短く答え、再びナイフを腰に戻した。


 どうやら、すぐに襲ってくるつもりはないらしい。


 だが、リュシアはそれを見ても気を緩めることなく、続けた。


「そう? でも、『死者の息吹』をこんなに丁寧に採る人って、珍しいのよね」


 男の指がわずかにピクリと動く。


 その反応を見て、リュシアは確信した。


(やっぱり、ただの冒険者じゃない)


 彼はあの植物の価値を知っている。いや、それだけではない。

 どう使うのか、何のために必要なのか——そのすべてを理解した上で採取している。


「毒を作るなら、もっと手軽な素材があるわ。なのにわざわざこんな場所まで来て、それを採る理由は?」


 リュシアが探るように問いかけると、男はわずかに息を吐いた。


「……興味本位か?」


「いいえ。商売よ」


 リュシアはクスリと笑う。


「せっかく作った薬の使い道が気になるのは、錬金術士として当然でしょう?」


 瘴気の霧の中、黒いフードの男は静かに息を吐いた。


「……俺は、『ある者』を助けるために来た」


 リュシアはその言葉を聞き、興味深そうに片眉を上げた。


「助ける、ねぇ……。それなら、どうして『死者の息吹』を採ってるの?」


 彼女の指摘に、男の指がわずかにピクリと動く。


 「死者の息吹」は猛毒だ。扱いを間違えれば即死するほどの強い毒性を持ち、普通なら「助ける」とは真逆の用途でしか使われない。


「……お前には関係ない」


 男はそう言って、リュシアとの距離を取ろうとする。


 しかし、リュシアは一歩も引かない。


「そう? でも、あなたが何をしようとしているかで、私の商売にも関係するのよね」


 彼女は静かに男を見つめながら、わざとゆっくりとした口調で続ける。


「助けるために毒草を使う方法……例えば、毒に侵された相手の体を強制的に麻痺させて進行を遅らせるとか?」


 男は目を細めた。


「……分かっているなら、なぜ聞く」


「確認よ。あなたが素人じゃないのは分かる。でも、素材の扱いを間違えたら“助ける”どころか“殺す”ことになるわよ?」


 リュシアの指摘に、男はわずかに唇を噛んだ。


(なるほどね……やっぱり、この男はただの冒険者じゃない)


 毒を薬にする発想は、一般の者には難しい。つまり、この男は薬学や錬金術に何らかの知識があるのは確実だった。


 リュシアは腕を組み、考える素振りを見せながら続ける。


「助ける相手は、瘴気にやられたのか、それとも別の毒を受けたの?」


「……瘴気だ」


 男は少しの沈黙の後、ぽつりと答えた。


「俺の仲間が瘴気の森で倒れた。すぐに助けに戻りたいが、この森の影響で普通の解毒薬は効かない。だから、“死者の息吹”を使った薬を作るつもりだった」


 リュシアはその答えを聞き、ふむ、と小さく鼻を鳴らした。


「その方法、悪くはないけど……残念ね。たぶん、それじゃ間に合わないわ」


「……どういう意味だ?」


「“死者の息吹”を使うなら、適切な触媒と調合が必要。でも、あなたがそれを持っているようには見えない。仮に即席で作れても、完成した頃にはその仲間、もう生きてないと思うわよ」


 男の表情が険しくなる。


「じゃあ、どうすればいい」


 リュシアは肩をすくめ、にやりと笑う。


「話が早くて助かるわ。いい方法があるの」


 彼女は腰の道具袋から小さな瓶を取り出した。淡い琥珀色の液体が揺れている。


「“瘴気の麻痺作用”を一時的に中和する薬よ。でも、これだけじゃダメ。これを飲ませた後に、“特定の条件”を満たせば、瘴気の影響を完全に打ち消せるわ」


 男は瓶を見つめ、疑わしげに問う。


「……特定の条件?」


「ええ。一定時間内に、ある種の魔力を持つ素材を摂取すること」


 リュシアはいたずらっぽく微笑んだ。


「つまり、助けるには追加の素材が必要ってこと。さて、どうする?」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ