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1品目:静かな日常?そんなわけない

 王都から少し離れた街道を外れた先、森の近くに《月夜の調合屋》と呼ばれる小さな工房がある。

 表向きは、傷薬や風邪薬、香水などを扱うごく普通の薬屋だ。


 ……だが、知る人ぞ知る話として、この店には裏の顔があった。


 店主の名はリュシア・ノクスフィア。

 エルフの血を引く、小麦色の肌の錬金術士。


 彼女はただの薬屋ではない。

 「一般の錬金術士には作れないもの」を請け負う調合士だった。


 しかし、特に何かの組織に属しているわけでも、危険な商売をしているわけでもない。

 普段は普通に薬を売り、穏やかに生活している。


 ——そう、基本的には。


 その日も、彼女は店の奥で乾燥させた薬草を粉末にしながら、のんびりと過ごしていた。


 だが、昼過ぎになり、扉を叩く音が響く。

 カウンター越しに顔を上げると、一人の男が店に入ってきた。


 全身を黒いフードで覆い、顔の半分が影に隠れている。

 いかにも怪しい。


 リュシアは目を細め、片手で頬杖をついた。


「……ふーん、怪しい人間の登場ね」


 男は一瞬、動きを止めたが、やがて低い声で言った。


「……“普通”じゃないものが必要なんだ」


 リュシアは肩をすくめる。

 どうやら、裏の依頼だ。


「詳しく聞かせてもらおうかしら」


 男は周囲を警戒するように視線を動かし、慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「ある場所に行く必要がある……だが、普通に行けば確実にやられる」


「どこ?」


「瘴気の森だ」


 その瞬間、店の空気が少し重くなる。


「……また物騒な場所ね」


 瘴気の森。

 王都の北東に広がる魔の森。


 普通の人間なら、呼吸するだけで体を蝕まれ、数時間で命を落とす。

 冒険者ですら特別な装備なしには立ち入れない。


 リュシアは顎に指を当て、少し考えるように目を伏せた。


「つまり、“瘴気をどうにかする何か”が欲しい、ということね?」


 男は無言で頷く。


(さて……どうする?)


 リュシアの頭の中で、いくつかの調合法が浮かぶ。

 瘴気を完全に遮断する方法もあるにはあるが、それでは効果時間が短すぎる。

 長く耐えられるようにするなら、別のアプローチが必要だ。


 そして、彼女はすぐに答えを出した。


「“完全に防ぐ”のではなく、“一定時間だけ瘴気に適応できるようにする”方法があるわ」


 男が少し眉を寄せる。


「適応……?」


「ええ。瘴気を完全に遮断するのは無理があるけど、体を一時的に調整して、瘴気に耐えられるようにするなら可能よ」


 そう言って、リュシアは棚から小さな瓶を取り出した。

 中には、黒紫の花びらが揺れている。


「……“夜影草”」


「知ってる?」


「瘴気の強い土地にしか生えない毒草だろ」


「正解。でも、調合の仕方次第で、その毒は“耐性”に変わるのよ」


 彼女はすでに調合の作業に入っていた。

 火を入れ、煮詰め、余計な毒素を抜き、適切な触媒を加えていく。

 やがて、蒼色の液体が生まれた。


「……これが、瘴気に耐えられる薬か?」


 男が静かに問いかける。


「ええ。ただし、いくつか条件があるわ」


 リュシアはさらりと言う。


「まず、この薬は瘴気を完全に防ぐわけじゃない。体の内側を一時的に瘴気に耐えられる状態に調整するだけ。だから、長時間の使用には向いてないわ」


「どのくらいもつ?」


「人によるけど……半日が限界ね」


 男は静かに頷く。


「それだけもてば十分だ」


「それから、薬を飲む前に体が瘴気に触れていると、効果が発揮されない。だから、森に入る前に飲むこと」


 この仕様がある限り、すでに瘴気にやられた者には使えない。

 つまり、悪用されにくい。


(……これなら、そう簡単に乱用はできないわね)


「……他に何か問題は?」


 男が慎重に尋ねる。


「ええ、もう一つだけ。飲んだ後、軽い発熱が起こるわ」


 リュシアは淡々と告げる。


(発熱は副作用じゃない。薬の効果時間を調整するための仕掛けよ)


 体温が上昇すると、薬の効果は消えていく。

 つまり、長時間の使用を防ぐための制約だ。


 男はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「……これでいい。代金は?」


「金貨五枚でいいわ」


 相場より安い。


 だが、リュシアにとって、重要なのはこの薬の価値ではない。

 この男が、これを持ってどこへ行き、何をしようとしているのか——それが知りたかった。


 男は無言のまま、金貨五枚をカウンターに置き、薬を手に取ると店を出ていった。


 扉が閉まると同時に、リュシアは小さくため息をついた。


「……さて、どう転がるかしらね」


 彼女の作った薬は、静かに物語の歯車を回し始めた。

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