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2話 崖の前で生を叫ぶ

 あれから無言で電車を1時間乗り続け、それからバスに乗り換えて30分ぐらい経ったあと、女性は不意にバスの停車ボタンを押した。お姉さんが2人分の運賃を払い、バスを降りる。

 雪は僕らの視界を遮るように降り続いた。空気は駅に比べて格段に冷たくて、上着などを持ってこなかった僕は思わず両腕を抱えた。

 僕より数歩先を歩いていたお姉さんは手に持っていたコートを羽織って僕の方へ振り向いた。


「ずっと思ってたけど、背高いね」


「お姉さんが小さいだけだと思いますけど」


 僕の身長は175cm。確かに学校じゃ高い方だった。しかしそれ以上にこのお姉さんは背が低かった。お姉さんは「失礼な!君、そんなんじゃ社会ではやっていけないぞ!」と古臭いおっさんみたいなことを言いながら、僕の隣まで歩いて来た。


 これから死のうとしている人間に将来の話をするのは僕以上にマナー違反のような気がしたが、そもそも死のうとする人に対するマナーもクソもないと気がつく。


「それで、良い場所っていうのは?」


「うん。こっち」


 電車もバスも歩いている道にも、人は誰もいなかった。本当に不気味だった。雪も僕らが歩くたびに勢いが増して行ったように思えるが、それも異世界へ旅に来たような気がして面白いと感じた。

 歩きながらあたりを見渡すと、道の両側にはシャッターが降りた売店のような街並みが続いていた。お土産や海鮮の文字がシャッターには書かれていて、本来はもっと人で賑わっていたのかもしれないと考えていた。そして商店街が挟む歩道の先へ目をやると、車窓で見ていたものと同じ広大な海が広がっていた。

 隣を歩くお姉さんは、僕の方を見ずに、ぽつりぽつりと話し始めた。


「ここは、春になると有名な観光地らしいよ。この商店街を抜けた先には大きな崖があって、そこに沈む夕日が綺麗なんだって」


「でも冬のこの地域は雪がたくさん降って、足元が不安定で危険なんだ。だから冬にここにくる人なんて、熱狂的な崖オタクか、自殺志願者だけなんだって」


 お姉さんの説明を補足するように、僕らの目の前には規制紐と大きな看板が立てられていた。そこには大きな文字で「危険!立ち入り禁止」と書かれている。それから小さな文字で「雪の影響で滑落事故が多発しておりますので、この先の通行はご遠慮ください」と丁寧な手書きの文字が書かれていた。

 しかし、お姉さんはそれを見ず、規制紐を跨いだ。僕も続けてそれを跨いだ。


「これから死ぬ人が、他人の注意なんて受けないよねえ」


 これから飛び降りようとする人の隣で、お姉さんは少しだけ笑った。



 実際に見る崖は、僕が想像していた何倍も大きかった。遠い昔に溶岩によってできた柱状の岩。これが海岸線の限り続いている。

 崖から下を覗き込むと、柱には激しく波がぶつかり白波になって消える。そんな様子が見渡す限り長々と続いていて、どこから落ちても致命傷になることは容易に想像できた。


 岩場の上は歩けるようになっていて、僕らは雪上を滑りながら歩いていった。岩場の先へ立って、僕は崖を見下ろす。先よりも死を近くに感じて、僕は駅のホームに飛び込むよりも深い恐怖に侵されてしまった。


「……じゃあほら、飛び降りなよ」


「え……」


 僕は隣から聞こえてきた抑揚のない声に耳を疑った。声の方へ視線を向けると、お姉さんは僕をじっと見つめていた。瞳の中は漆黒で、その言葉の真意はとてもじゃないけど掴めなかった。

 今朝確かに僕は死のうと思ったが、お姉さんはそれを止めた。わざわざ他人の自殺を止めておいて、今この場所で「飛び降りろ」という言葉は、いかにも矛盾していた。ただ単に「良い死場所」まで案内したかっただけなのか、いやでも普通そんな事するか……?

僕のなかで明らかに思考が揺れ動いていた。


「こわいならわたしがおしてあげる」


「ちょ、ちょっと待って……!!」


 お姉さんはその小さな手を僕の背中へと手をやって、背中を押そうとした。力が強くて、このまま前につんのめりそうになる。崖を覗き込む姿勢になり、僕はようやく目前になった死に対して恐怖した。


「し、死にたくないです!!」


 僕の口から漏れた情けないセリフと共に、彼女も力を弱めた。反動で僕は後ろへ尻もちをつきながら倒れる。雪が波の音を掻き消して、心臓だけがバクバクとなっていた。見上げるお姉さんの表情はよく見えなかったが、目の前の女性が僕には死神に見えた。

 それはゆっくりと僕の方へ振り返ると、僕を見下ろし、僕の首に鎌を僕の首にかけるように微笑んだ。


「そっかー。」


 お姉さんはそう言うと「じゃあ代わりに」と言いながらポケットを探る。手元から出てきたのは、黒い無機質なスマホだ。


 取り出したスマホを、煖炉に薪をくべるような仕草でそれを崖から放り投げた。

 僕はその様子に軽く驚きはしたものの、お姉さんの表情がぴくりとも揺れなかったから追求はしなかった。


「君も君の代わりに投げるといいよ」


 僕は促され、ポケットから自分のスマホを取り出す。誰とも連絡を取らなくなったスマホは持っていても特に意味はなかったが、クリアケースの背面に入れてあったプリクラをチラリとみた。

 僕と、元カノで撮ったプリクラ。慣れずにデコレーションも稚拙なものだった。


「っ……」


 僕はプリクラごとスマホを握ると、野球のピッチャーのような投げ方でそれを投げた。スマホが崖から完全に見えなくなる。聞こえるのはただ波の音だけだった。


 僕らはしばらく無言で、海を眺めた。曇天は水平線とちょうど中央でせめぎ合い、2色の鈍色がキャンパスいっぱいに描かれている。

 こんな風景を描く作者の意図を探ろうと僕は必死に水平線の先を凝視するが、わかったことはこの世界がいかに広いかという事だけであった。


「君、死に損なったけど、どうするの?帰る?」


 不意にお姉さんが僕に尋ねた。先程僕を崖から突き落とそうとした張本人には表情がなかった。まるで僕が飛び降りなかった事にがっかりしたかのように。


「いつかはここから飛びますよ。……そうだな、家に帰るのも癪だから、日本一周でもしてからここに戻ろうかな」


 僕はそう呟いてみたが、すぐに自分が言った事を鼻で笑った。

 無理だ。金も移動手段も知識も、何もかも足りなかった。


 しかし、お姉さんの反応は違った。明らかに僕の方を驚きの表情で見ると、曇天の隙間から陽が覗くように笑った。


「……それ、いいね。」


「なにがですか?」


「ここから日本一周してから飛び降りるの」


「無理ですよ。お金もないし」


「金ならあるよ。ほら」


 手元から取り出した通帳には、見たことのない桁数のお金が入っていた。宝くじの1等が確かこれくらいの額だった気がする。


「このお金、どこで手に入れたんですか?」


「んー、湧いて出てきた」


 茶目っ気たっぷりな言い方に、つっこむ気力すら失った。お姉さんは本気なのだ。



 2人で雪が強くなってきた道を引き返し、次のバスが2時間後であることを確認し、タクシーに乗って駅前まで引き返した。

 帰り道のお姉さんはよく話したし、よく笑っていた。ただ話していたのは次は北に行くか南に行くかと言った話だけだった。電車の中でしたような僕の身の上に関する事等は一切話さず、それが不気味に感じられた。


 しかし、僕もこれから始まる最期の旅行に胸を躍らせたのも事実だ。

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