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3.夏祭り

 ようやく終業のベルが鳴った。

 心臓の高鳴りと嫌な締め付けが、少しだけましになった気がした。


 カラカラの喉を潤すためにペットボトルのお茶を、一気に飲み干す。

 その間も、僕は玲奈の後姿を見らずにはいられなかった。


 少しだけ丈が短いスカート。整えられた髪。

 仲が良い友達数人が玲奈を取り囲んで、いつものように雑談を少しすると、申し訳なさそうな表情をしながら、右手を合わせた。


 ああ、時間を取ってくれたのだなと思った。ちなみに、スマホは見ていない。

 いや、既読スルーが怖くて見れなかった。


 僕は安堵の息をつくと、立ち上がる玲奈に先を越されないように、足早に廊下を歩いた。

 後方から足音が聞こえてくる。


 僕は振り返れなかった。

 その音を立てている主が玲奈じゃない場合を想定すると、怖かった。


 書庫へと続く扉を開けると、僕はようやく振り返った。

 図書館を歩いている生徒がいる。こちらに近づいてきている。


 その度に、僕の心臓は鼓動をして、掌の汗が増しているような気がした。


 ゆっくりと扉が開いたとき、眼前に立っている清楚可憐な人物を目にして、魂が抜け落ちたように体から力が抜けた。


「話があるって……」


 扉を見ずにゆっくりと閉めると、玲奈目をキョロキョロさせた。

 その珍しい光景が、付き合いの終わりを予見させるようで、僕もまた目をキョロキョロさせた、だろう。

 玲奈は困惑の表情を浮かべた。愛想笑いのように引きつった笑顔を見せている。

 僕もまた同じ表情を浮かべているのだろう。


 数秒間そのように見合ってから、ようやく僕は口を開く決心ができた。


「今後のことについてさ、話がしたくて」

「そ、そっか……」

「うん。大事な話なんだ」

「大事な話……ねぇ、私からも話があるの」

「東雲からも!?」

「うん。私から先に言ってもいいかな……?」


 神妙な面持ちだった。

 首を縦に振れば、次の瞬間悪い話が僕の耳を刺激するような。


「そ、それは困る! 僕から……言わせてほしい」

「私も嫌だ。私から言いたい」

「いや僕から」

「私から。お願い」

「そこまで……」


 本当に真剣な表情だった。いつもなら譲っていただろう。

 それでも、そうすることは出来ない。

 付き合いを断たれる話をされては、玲奈が好きだと伝えられない。

 一生の後悔になる気がした。



 だから、僕は首を横に振った。


「それだけは譲れない。だって僕は、東雲玲奈が好きだから。僕は玲奈を失いたくない。あのとき、抜け出してごめん。許してとは言わない。ただ伝えたくなって……」

「……へ? 今、私のことが好きって……」


 東雲は膝から崩れ落ちた。


「東雲!」


 僕はすぐさま玲奈の肩を支えると、僕の両腕に負荷がかかる。


 玲奈は、生気を失ったように倒れ込みそうだった。


 試練を乗り越えた後のような緩んだ頬と、とろんとした瞳で僕を見ている。


「東雲大丈夫か!?」

「今、私のことが好きって」

「え、ああ、うん」


 僕がそう言うと、玲奈は微かに唇の末端を上に引き上げた。


「もう櫻井くんなんて知らない。ばーか」

「な、なんで?」


 玲奈は、頬をぷくりと膨らませた。


「分からないの?」

「僕は……玲奈に酷いことをしたことしか分からない」

「酷いこと?」

「教室で、僕が抜け出してしまったから」


 玲奈は右手を口元に添えて、クスクスと笑い始めた。


「な、何が面白いんだよ」

「だって、私は微塵も気にしていなかったから」

「でも僕は、東雲を少し傷つけた」

「うんそうかも。ちょっとだけ」

「じゃ、じゃあ――」

「櫻井くんの鈍感」


 玲奈は再び頬をぷくりと膨らませると、立ち上がり、左の棚から『日本の夏祭り』という本を取り出した。だから僕も立ち上がった。パラパラとページをめくりながら、玲奈は口を開く。


「これから夏祭り……ねぇ、櫻井くん、本当に私のこと好き?」

「……え。う、うん」


 ああ、本当に何言ってんだ僕。

 これじゃまるで、怖いもの知らずの猛獣じゃないか。

 それでもなぜか僕の頬は緩んだ。


「そか」


 玲奈は短くそう言うと、本をパタンと閉じた。

 再び僕の中で心臓が高鳴る。ああ、やっぱり振られるのだろうな。

 ネガティブな感情が押し寄せてくる。


 それでも、僕はその答えが聞きたくて仕方がなかった。

 いつもなら耳を塞いで逃げ出していたというのに、今日の僕は、えらく馬鹿野郎だ。


「へ、返事、もらっても?」


 僕がそう言うと、玲奈は人差し指を顎に当てると、何やら考え出した。


「うーん……お祭りに行ったらでいいかな」

「分かった」


 平静を装いそう言うが、心臓はバクバクだった。

 返事を保留にされている。こういう場合は、良い返事をもらえないと僕でも知っている。悪い展開が僕の脳裏にちらつく。


『ごめんなさい』


 頭を下げられるのだ。そうとしか思えなかった。


 そうだとしても、伝えて良かった、そんな幸福感が少し僕の感情を柔和にさせている。


 ――本当に伝えて良かった。


「お祭り楽しみだね。集合場所はどこにする?」

「き、決まってないのか?」

「そうみたい」

「じゃあ、神社の……鳥居の前に午後六時……にしよう」

「うん。お祭り楽しみ」


 玲奈は嬉しそうに笑った。その表情を見ていると、僕の感情も柔和になる。

 少なくとも嫌われているわけではなさそうだ。


「そ、そう言えばさ」

「うん」

「話したいことがあるって」


 僕がそう言うと、玲奈はハッとした表情をした。


「その話も、後でいいかな?」

「ど、どうして」

「返事と一緒だから」

「一緒」

「うん。私がなんで櫻井くんを避けていたかって理由。真剣に真剣に考えていた。ごめんね?」


 玲奈はそう言うと、微笑んだ。


「それに、もう少し別な場所で話したいよ。薄暗いここじゃない場所で!」



 ☆


 日が落ちかけている夏の夜空は、どこかノスタルジックな雰囲気にさせる。

 加えて、祭の喧騒と太鼓の音が耳に響き渡り、湿った空気が鼻に纏わりつく。

 永劫にこの日が特別だと感じさせる何かが、祭りにはあるような気がした。


 僕は色々な意味で緊張をしていた。

 図書委員との練り歩きは上手くいくだろうか。ただの白Tシャツ、僕の服装はおかしくないだろうか。

 祭で何をすればいいんだろうか。


 ――玲奈は何を伝えてくるのだろうか。

『ごめんね?』という書庫での言葉と、あのときの真剣な眼差し。

 ああ、頭に重りがつけられているように憂鬱な気分になってくる。


 それでも、僕は行かなければならない。大馬鹿だから。


 僕は周囲に目を配ることすらできなかった。


 屋台をゆったりと眺めることなく、スタスタと眼前に見える赤い鳥居まで無心で歩いた。


 大木のような赤い円柱。そこから先は階段になっており、薄暗く神秘的に見える神社が見える。

 幸いなことにこのエリアは屋台からほんの少しだけ距離があるため、人通りは少なかった。

 僕にとっては居心地が良いエリアだ。屋台の付近は、手をつなぎ合っているカップルだらけ。


 僕の心に毒を塗るようなものだ。


 しかし、リア充を連想させる笛や太鼓の愉快な音は容赦なく、心をざわつかせた。


「これからどうなっちまうんだ僕」


 流石に公衆の面前で泣くのは、恥ずかしいぞ。

 そう自分で言い聞かせてから、スマホで時刻を確認する。


 五時五十分。


 ちょうどいい時間に来た。そろそろ図書委員も到着する頃だろう。

 再びスマホをポケットにしまうと、カタン……カタン……という音が喧騒に負けずに聞こえてくる。


 下駄の音だ。


 その持ち主が誰なのか僕は超能力者になったかのように分かった。

 その瞬間、心臓がドクンドクンと高鳴る。


「ごめんね、待たせちゃった?」


 カタン……カタン……

 玲奈は、ピンクの花柄の浴衣を着ていた。

 眼下に目を向ければ、華奢な足とピンク色の鼻緒の下駄が見える。


「今来たところ」


 僕がそう言うと、玲奈は右手で巾着を持ち、袖を広げるように両腕を折り曲げた。


「……どうかな?」

「ど、どうって、そりゃ東雲はかわいいに決まってる。浴衣も凄く似合っている。髪も凄くお洒落で」

「そっか」


 玲奈は嬉しそうに笑うと、一歩距離を詰めた。

 カタンと音が鳴る。

 この神社の女神が近づいてくるような気がして、僕は思わず右足を後ろに動かした。


「ち、ちか」

「ちか?」

「ち、近くまで来ているかな?」

「なんか、さっき連絡したんだけど、出なくって」

「え? それって僕らだけ」

「そう、なるね……」


 玲奈は巾着を両手で持つと、僕をチラリと一瞥した。

 そんな表情をされると、今すぐ攫いたい気分になってくる。

 というか、二人っきり。


 え? この後どうなってしまうのだろうか。

 いやいや、その前に振られるかも? で、でも、玲奈はなんか嬉しそうだな。

 少し紅潮した頬に、涼し気な口元は三日月状に歪んでいる。


 ああ、かわいい、本当にかわいいと僕は思った。


 僕はただじっと玲奈の可愛さに見惚れていた。

 すると、モジモジと脚を動かした玲奈は、小首を傾げた。


「そんなに見られると、恥ずかしいかも」

「ああ、ごめん! そんなに見惚れるつもりは無かった」


 僕がそう言うと、玲奈はクスクスと笑いだした。


「櫻井くん少しだけ正直になってくれた気がする」


 そのとき、ようやく、自分が何を言ったか理解できた。


「そんなことより、行こうか!」


 僕は、慌てて賑やかな喧騒の方に体を向けた。

 玲奈に再び告白をしてしまいそうだった。

 顔を見ぬように、浴衣を見ぬように、露になった白い足を見ぬように、誘惑にかられないように、僕は目線を左右に何度も動かした。


 暑かった。


 太陽が沈みそうな夕暮れ時のジメッとした空気が、ではない。

 僕自身が火照っていた。


 ピロロという笛とドンという太鼓の音だけが、何度もリピートする。

 何度も繰り返される。


「櫻井くん、待って!」


 僕は、Tシャツの袖を掴まれていた。

 気付けば、鳥居は少し遠くに見える。屋台列の中ほど。


 ああ、やってしまった、と思った。

 僕は、また、男らしくない部分を見せてしまった。


 しかし、今すぐ頭を抱えて逃げ出したくなる気持ちを抑えて、僕は振り返った。


 そこには、少しだけ呼吸を乱した玲奈が、涼しそうに微笑んでいた。


「全く、櫻井くんは、もう、ばか」


 玲奈は袖から手を離すと、矢継ぎ早に口を開いた。


「あの時の話。私は櫻井くんが周りの目を気にすると分かってたから、だから嫌われちゃったのかなってずっと思ってた。おかしいよね。お互いに嫌われていると思っていたんだから」


 右手を口元に当ててクスクスと笑った玲奈は、もう一度口を開いた。


「私も好き。だからもう一度、聞かせて」

貴方の心に残る物語になったでしょうか。

さて、「★★★★」や「いいね」「ブックマーク」していただければ、喜びます。

物書きに必要なのは、反応だと思う故に。

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