1.なぜ僕は毎日通話しているのだろう
全3話の短編です。
僕の胸は急激に締め付けられた。
そわそわとした感覚が全身に蔓延していく感覚。むず痒い。
居てもたってもいられなくて、僕はベッドから上半身を起こすと、原因であるスマホの画面を見た。
『00:14:29 通話中』
の文言の下に、『玲奈』と書かれている。
何故こうなった、と僕は思う。
学年でトップ4に入るほど可愛い玲奈が、僕に毎日通話をかけるのだろうか。
今度は目を閉じてから、スマホを見るけれど、文言は変わらない。
もしかしてやっぱり好きなのか……?
いやいや、僕とはタイプが違う。で、でも……最近は下校時間に少し話すんだよな。
わ、分からない。
勘違いだったらどうしようか……
玲奈は、学年トップクラスの美少女で交友関係も広い。
櫻井くんが私に好きかどうか訪ねてきたの、とか言われてしまったら……
社会的に死ぬ。
結局、僕は好意を持っているのか否か聞く勇気が湧いてこなかった。
ズボンで手汗を拭うと、深呼吸をして、いつものようにスマホのミュートボタンを慎重に解除した。
「お、おまたせ」
「うん! 大丈夫全然待ってないから!」
なんでそんなに嬉しそうな声音なんだよ。麗奈の甘い吐息が聞こえてくる。
ただのクラスメイト、ただのクラスメイト、ただのクラスメイト。
念仏のようにそう唱えるが、僕の心臓はさっきよりも高鳴っていた。
無理だー……
「櫻井くん? どうかした?」
「え! い、いや、なんでも。それで図書委員の打ち上げの件なんだけど……」
「うん! 一緒にいこーって!」
「そ、それは良いのだけど、何でまた急に。僕は、そのあまり話したことないし……」
そうなのだ。そこが分からなかった。
僕と玲奈はクラス代表の図書委員として、度々カンターの前で惰眠を貪ったり、書庫で適当に話していたりした。
所謂、クラスのお知り合い程度だと感じていた。不戦敗の矜持を守るためにも、この美少女との出来事は綺麗さっぱり忘れてしまおうと思っていたところだ。
僕は影が薄い人間で友達も少ない。それに比べて、玲奈はクラスで輝いている。
他の陽キャな図書委員とも積極的に交流をしている。
まるで月と太陽だった。いや、光が届かないカイパーベルトにある小惑星と太陽くらいほど遠い関係性。
僕なんかが近づいていいのだろうか、と思うわけだ。
ましてや、図書委員は何故か陽キャばかりだ。僕という存在が打ち上げに相応しいとは思えない。
あまり話したこともないし。少し苦手な感覚もある。
玲奈はのほほんとしているからいいが、他の図書委員は肉食動物のように感じられた。
「……櫻井くんは、行きたくない?」
弱弱しい声だった。僕は咄嗟にスマホを口に近づけると、否定するように首をブンと横に振った。
「そ、そんなことはない! 行きたい! 凄く行きたい」
ああ、言ってしまった。馬鹿やろうな僕。
まぁ、僕は玲奈の悲し気な声を聞きたくなかった。
勘違いも甚だしいが。
「……」
あれ? 無言だ。
返事が返ってこない。何かまずい事でも言ったか。
「そう。ぼ、僕も、できれば、行きたいかなーなんてね」
「嬉しい」
「そ、それって……」
「うん。そうだよ?」
ただ一言返ってきて、再び無言になった。いや、ミュートをしていた。ノイズが聞えなくなった。
ただ通話時間が伸びていくのみ。
僕は、鈍感主人公ではない。一般的に言えば、玲奈と僕は、仲が良いと言える。
趣味が合うからでもない。ただ委員会の間、二人で話していただけだ。途中から、クラスメイトがいない教室でも話すようになっていた。
――またね! おはよう! 玲奈は何をするの? 今度~行ってみたいな とかそんな感じの
そんな交流が積み重なり、連絡先を交換するまでになっていた。
つまるところ、やっぱり僕らは両想いなんじゃね?
そのような勘違いの念が再び心に隆起するわけで。
しかし、反対に、僕は、怖いといつも思う。
騙されたらどうしようとか、クラスメイトに弄られたらどうしようとか、友達がいなくなったらどうしようとか、玲奈が馬鹿にされたらどうしようとか、付き合うってダサくねとか、そんなしょうもない考えが無限に湧いてくる。
そう、僕は弱虫な男だ。
「東雲、僕も……いや、僕は……」
「んっんっ。なに?」
君が思っているような人間じゃない。そう言いかけて口を閉じた。
なんて利己的な人間なんだろう、僕ってやつは。好きと言えないなんて。
それに後半の言葉を、玲奈が聞いたらどう思うか。
いい加減、僕は自分に嫌気がさしてきた。
「な、なんでもない」
「そ、そか……ああ、そうそう、それでね、お祭りに行こうって! 紗季がねーみんなで行こうって!」
紗季とは、玲奈の親友だ。何故図書委員ではない人間が打ち上げに参加しているか不明だが、とりあえず僕は相槌を打つことにした。
「そうなんだ。図書委員と?」
「うん! 紗季も来たいみたい。なんかごめんね」
「クラスで祭の話してた。去年は雨だから行けなかったって」
「そうそう! 紗季はイベントごとが大好きだから! 今年は櫻井君も来るし楽しみ!」
くすぐったくなる吐息交りの笑い声が聞こえてくる。体がブルリと震える。
「そ、そうだね」
「全然嬉しそうじゃないよ! 櫻井君も夏の夏祭りが好きだって言ってたじゃん?」
「書庫でのことだっけ?」
「もう忘れたの? 私が本を整理するときに盛大に落としちゃったとき」
ああ、覚えている。僕が本の片づけを手伝ったときだ。同じ図書委員として当たり前の行為だったけれど、玲奈は心の底から嬉しそうな笑みを僕に見せた。
『ありがとう! ねぇ櫻井くんは、祭りが好き?』
唐突だった。
日本の夏祭りという本を見た玲奈が、急に去年の夏祭りのことを話し出した。
雨でいけなかったこと、今年は絶対に行きたいこと、僕が夏祭りが好きかどうかってこと。
陽キャ耐性が零%だった僕は、適当に相槌を打った覚えがある。
ああ、懐かしいな。
東雲玲奈は、誰にでも分け隔てなく接する人間だった。
陰キャな僕とも、それから話をしてくれるようになった。玲奈は明朗で性格が良かった。
数カ月前のことなのに、妙に感慨深い気分になってくる。
玲奈は、僕とのことを覚えてくれていたのだ。
「お、覚えているよ。ちゃんと!」
「そか。ねぇ、少しいいかな。私聞きたいことがあって」
「その、櫻井くんは、優しいよね。いつも手伝ってくれるし」
だって最初から好きになってたから。そう言おうとして、僕は喉の奥にその言葉を沈めた。
「質問ってそれだけ?」
「うん」
「えーと……同じ図書委員だし、クラスメイトだし、じょ、女子だし」
「……つまり、私のこと異性として見ているってこと?」
「そ、そりゃまぁ、だって東雲はかわいいし。クラスのみんなもそう言っている」
「櫻井君は? 櫻井君はどう思ってるの?」
妙に積極的だと感じた。いつもよりも張った声が聞こえてくる。
じんわりと汗が滲んでくる。
「ぼ、僕は……僕も同じことを思っているよ」
曖昧な言葉しか返せなかった。
間違いなく東雲玲奈は、僕のことが好きだ。
そう確信できたとしても、やっぱりそれでも怖くて言い出せなかった。
僕はミュートボタンを押すと、大きな溜息を吐き出す。
「そっか。よかった」
玲奈は嬉しそうにそう言うと、矢継ぎ早に話した。
「ねぇ、このまま暫く通話をつないでいてもいい?」
「うん」
「ありがと」
ガサゴソと何やら音が聞こえてくる。いつも僕は、この瞬間が一番ドキドキする。
玲奈は今何をやっているのだろうか。いいや、きっと何もしていないのだろう。
それでも、気になってしまう。だから、僕は玲奈の寝息が聞こえてくるまで、いつも起きている。
すぅ……すぅ……という寝息。
学校で聞いたことがあるのは、多分僕だけ。
だから、優越感と幸福感で満たされるわけだ。
僕は……いつか伝えないと。
「おやすみ」
小声でそう言うと、いつものように通話ボタンをゆっくりと押し込んだ。