余命半年のおばあちゃんとコスモスを見る。
『第5回「下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ」大賞』参加作品です。
9月。私は車椅子を押していた。
車椅子には祖母が座っている。背中を丸め、視点は定まらず、なぜここにいるのかもわからない私の祖母だ。
8歳で両親が離婚した。父も母も私の引き取りを拒否した。私は母方の祖母に引き取られた。以来一度も母には会っていない。
20年。充分な愛情を持って祖母は私を育ててくれた。
祖母が一番張り切ったのは花見だ。
お弁当箱に料理を詰めて、電車に乗って大きい公園に出かけたものだ。
土手沿いにずらっと桜の木が並ぶ中、祖母と二人でどこまでも歩いた。水筒の中は砂糖入りの紅茶でいっぱい。
その場にいた子供たちとその場限りの友達となり駆け回って遊んだ。祖母は何も言わず目を細めて私を見ていた。
祖母に認知症の兆候が現れたのは今から5年前。
あとは入退院の繰り返し。医者に余命半年と告げられたのがこの間であった。
桜には間に合わないのかもしれない。
それで私は祖母と国立公園に来た。ネモフィラで有名なここは秋、一面のコスモスになる。
ゆるいスロープをゆっくり上がると両脇にコスモスがびっしりと生えていた。
赤、白、黄色、ピンクに黒いコスモスまである。
風が吹けば一斉になびき、風が止まればゆらゆらと元に戻る。
ふう。ふう。
車椅子に乗った人間の体重がたった36キロでも、傾斜を登るのはなかなか難儀だった。
なんとか丘の頂上に到着する。汗をハンカチで拭いた。
風が止まった。
もうコスモスたちは動いていなくて、何万年も前から黙っているように見えた。鳥の声一つしない。あまりに静かで。
人類が絶滅したあとの大地に2人っきりでいるよう。
サワサワ、サワサワ、時折コスモスが揺れる。
「ふぅ〜〜っ」
祖母が突然息を吐いた。肩に乗っていた重荷を全ておろしたかのような、安堵の色をしていた。
「きれいねぇ」晴々とした笑顔。
「うん。きれいね。おばあちゃん。コスモスって言うのは……」
私は勢い込んで言った。
「コスモスっていうのはね。『秋の桜』と書くのよ」
車椅子の背中を抱きしめる。
「暖かくなったら今度は春の桜を見に行こうね」
20年前。
古びた家の縁側で泣く私の背中をさすり続けた祖母。
あのとき世界はおばあちゃんと私の二人きり。
庭にはコスモスが2輪。黄色の花弁の儚げな花。
「ばあちゃん植えとらんよ。種が勝手に飛んできたのよ」
祖母は笑ったっけ。
「どんな場所でも、根を張ったらこっちのもんよ」
あの日見た秋桜の健気な美しさがそれからの私の20年を、支えたのだった。
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