96.レイドバトルⅥ
叩き落した竜人目掛けて落下していく。
弓の弦を引くように、身体全体を引き絞り、着地点に出来うる限りの威力の攻撃を加えられるように落ちてゆく。
俺の身体はどんな無茶をしたっていい。何をしたって治るのだから。
「お お お お お ッ!!」
喉が張り裂けるくらいの声を出して、全身全霊の力を込めて蹴りを繰り出した。
正確に心臓を穿つ。そのつもりで放った蹴りが竜人へと到達する。
筋が裂ける音と骨が砕ける音を立てながら、足先が竜人の胸部にめり込んだ。
まだ皮膚を抜けない。竜の鱗は鉄よりも固く厚い。
右腕を振り下ろして貫手を放つ。
突き出した指があらぬ方向へと折れ曲がったのを無視して、何度も何度も同じ場所を突く。
剥き出しになった指の骨がようやく皮膚を突き破る感触が伝わってきた。
そのまま指を引っかけて、裂けた部分を思い切り広げる。
水のような無色の体液が溢れ出した。関係ない、認識するだけ無駄だ。
用があるのは、この中にある、心臓部──……心臓がない。
それどころか臓器らしき部位が存在しない。
空洞の中にあるものはたった一つ、赤い輝きを放つ、水晶球のような球体。
これが何なのかは分からないが、恐らくこいつの動力源であることは間違いないだろう。
そう、これを手にして握りつぶせばいい。
球体を壊そうとして──ぞわりと、背筋を走る悪寒を感じ取った。
「おまエ サえ イなケれバ」
「!」
ノイズの掛かった声が頭部の無い肉体から聴こえてきた。
途方もないほどの恨みと怨嗟が込められた、呪いの言葉だ。
【カースドスキル∴ドラゴンテール:オプティックレーザー 発動します。】
──それの発動は一瞬だ。
間に合わないし、止められない。
背後で蠢いている尻尾の先端が、俺に照準を付けている気配をようやく感じ取った。
行動を誤ったと気付いた時には、もはや取り返しのつかない状況になっていた。
視界が、紫色の光に染まって──、
【虹の橋 が発動しました。】
何かに頭をぐいっと掴まれて、無理矢理地面に押し付けられた。
「伏せて!」
「ぐっ!?」
耳元でりっちゃんの声がした。
彼女に抑え込まれているのだと気付くのに、少しだけ時間が掛かった。
伏せた直後に、光線が頭の上を通り過ぎていくのを感じた。
一瞬間を置いて、凄まじい音と共に、辺り一帯の建物が倒壊していく気配がした。
その様を感じて血の気が引く。
これは──このスキルは、触れたものを両断する光の奔流を放つものだ。
長大な射程範囲を誇る、竜の息吹に近いスキル。
こんなところで使われてしまったら、一体どれだけの被害が出るのか想像も付かない。
戦闘中にあまり人の気配が感じられなかったとはいえ、無人ということはないだろう。
一体何人が巻き込まれてしまった?
──どこか、頭の中で漠然と決めかかっていたんだ。
あいつらの目的は俺たちの生け捕りだから、大規模な攻撃系のスキルは使わないだろうと。
それを使われてしまえば、俺たちは容易く皆殺しされると言うのに。
……いや。
りっちゃんなら、対処できた。
これは、りっちゃんなら対処できたはずだった。
俺を、助けてしまったから、対処できなかったんだ。
横にいたりっちゃんを伺うと、その表情はひどく苦々しい有様に歪んでいた。
「ごめん、俺──」
「黙って! まだ終わってませんよ!」
そう叱咤されて、慌てて気持ちを切り替えた。
そうだ、まだ戦いは続いているんだ。
奴を止めなければ、終わることは許されない。
そうして立ち上がろうとして、ふと腹部に違和感を感じた。
見てみれば、大きな穴が開いていた。
右手も消し飛んでいるあたり、りっちゃんにはかなり危ういところで助けてもらったのだろう。
「ゴホッ! ぐぶッ! ごほっ……! げほ……っ!!」
認識した途端血が口から噴き出した。
どうでもいい、こんなこと。
奴はどうなった?
「ジルア避けてーーーっ!」
「!?」
その叫び声にハッとして顔を上げると、空中にいるジェーンに向かって光線が迫っていた。
──走れない。庇えない。
助けられない。
心臓が凍るような焦燥感に襲われる。
そもそも、りっちゃんが声を上げて注意を促したこと自体がおかしいんだ。
だって、彼女は虹の橋で助けてあげられるはずなのに。
今、こうして焦ったように叫んでいる時点で、矛盾している。
それはつまり、今の状況では、虹の橋が発動できないということだ。
もし、それが、俺を助けてしまったせいなのだとしたら。
──ギュギギギギィイイッ!!
ジェーンの魔力装甲と光線が衝突した。
金属同士が擦れ合うような甲高い音が響いて、火花が飛び散っている。
俺は、ただそれを見ていることしかできなかった。
何なんだ俺は。
一体何をやっているんだ。
逆上して飛び掛かった挙句、失敗して。
守りたいと思った大切な人を危険に晒して、結局何もできずに傍観しているだけ。
力を振り絞って、腹の穴が塞ぐのを待たずに走り出した。
僅か一瞬の光の交差が、永遠の時間に感じられるほどの、ゆっくりと流れる時間。
──俺はどうなってもいい。
だから、お願いだから、ジェーンだけは助かってくれ……!
……その祈りが通じたのか、大きく後退しながらもジェーンは光線を防ぎ切った。
けれど、まだだ。
まだ攻撃は終わってない。
紫の光線はその形を保ちながら、上空から振り下ろされようとしていた。
「ジェーン!!」
思い切り叫んだ。
けど、そんなことをせずともジェーンは既に気付いていたようで、光をするりと横に飛んで回避した。
空から降り下ろされた光線は、地面を大きく抉り取り、長い一直線の痕を残すだけに留まった。
そこでやっと紫色の光線は消え、敵の攻撃が途切れた。
辺り一帯の家屋が倒壊していき、砂煙が立ち込めている。
ジェーンは未だ空中にいる。無事だ。
だが、周囲が砂煙に覆われて敵の姿が分からなくなってしまった。
再び攻撃を仕掛けるべきだろうか?
あのスキルは消費が大きい。流石に連発はしてこないだろうとは思うが……。
もしも連発されてしまったら、もはや勝機は見いだせない。
だから、再使用される前に倒すべきだと思う。
思う、けど──判断が、できない。
──もしもまた失敗してしまったら?
そう考えるだけで一歩も動けなかった。
勝手な事をしてこれだけの被害を生み出してしまったのだから、今度は間違うわけにはいかない。
考えなければいけない。何が最善なのか、もっといい手段はないのか。
頭が、考えが、纏まらない……!
「ジルア!?」
「っ!?」
りっちゃんの切羽詰まった声で慌てて空を見ると、ジェーンが空から落ちかけて……!?
「ジェーン!」
それを認識した瞬間に、身体は動いていた。
一足では決して間に合わない距離を、身体の限界を外して/壊れたくらいで一々悲鳴を上げるな。痛がるな。どうせ治るのだから無意味な工程だ/飛び込んだ。
ジェーンの華奢で小さな体躯をしっかりと抱き留めて、何とか地面へと着地する。
「ジェーン!? 大丈夫か!?」
「ぁ……レイ、ル……?」
その表情は青白く、目の焦点が合っていなかった。
何だ? 何かを食らわされたのか……!?
『違う! ウチが新しく教えたスキルのせいで、さっきの攻撃による惨状が心に悪い影響を及ぼしちゃったんだ!』
「大丈夫なのか!? 治せるのか?」
『一時的な症状だよ! もうスキルを切ったから、少し落ち着けば大丈夫なんだけど、今は……!』
一時的なものと聞いて安心すると同時に、ジョーガちゃんの言葉で考えを改めた。
落ち着けるような状況ではない。
ただでさえ竜人が手を付けられない状態になってしまっているというのに、ジェーンがダウンした今、あの炎の悪魔がフリーになってしまっている。
「りっちゃん! ジェーンを……!?」
背後に居るはずのりっちゃんにジェーンを頼もうとしたその時、視界に大きな影が映りこんだ。
凄まじい熱を発する溶岩の巨人の腕が、間近にまで迫っていた。
「やらせません、よ!」
「姫様には傷一つ付けさせませんわ!」
一条の虹光が煌めいて、溶岩の腕が消し飛ぶ。
りっちゃんの龍気の弾丸だ。
そして目の前に飛び出してきて、大盾で俺たちを守ってくれたのは──豪奢な金色の巻髪を携えた、騎士鎧の麗人。
見覚えがある。確か、王宮での一件の時にジェーンと親しそうに話していた王国騎士の一人だ。
「ジルアを退避させてください! あっちの溶岩は私が何とかします!」
りっちゃんが炎の悪魔へと向かっていった。
虹の橋さえ使えば、すぐにでもジェーンを退避させてあげられるのに、りっちゃんがあいつを抑えなければ、それすらも叶わない。
「さぁ、姫様共々お逃げくださいまし!」
「待ってくれ! 竜人の方はどうするんだ!?」
「賊の殲滅は元々我ら王国騎士団の役目ですのよ? 仕事を奪うおつもりかしら?」
「で、でも奴は──」
「そこかァ」
「!」
砂煙を切り裂くようにして竜人が突撃してきた。
その顔は未だ完全に戻っておらず、片腕も再生しきっていない。
それでもなお、圧倒的な威圧感を放っている。
「そいつを、よこせッ!!」
「させませんわっ!」
ガァン! と重々しい音が響き渡り、騎士の持つ大楯と竜人の爪が正面からぶつかり合う。
……いや、逸らした。無理やりに軌道を変えさせて受け流した。
正解だ。普通の人間の膂力では、打ち合うことさえできないだろうから。
「おおおっ!!」
「ギィッ!」
受け流されて体勢を崩した竜人の横っ腹に、片足を犠牲にして蹴りを叩きこむ。
蹴りを受けた竜人は倒壊した家屋の方へと突っ込んで、瓦礫を派手に撒き散らしていった。
「こいつの相手はわたくしが務めますわ! さっさと退避なさい!」
「さっきの攻撃を見ただろ!? 俺じゃなきゃ無理だ! あんたがジェーンを連れて逃げてくれ!」
「何を馬鹿なことを言っていますの」
弾けるように明るい金色の巻き髪をふわりと揺らしながら、騎士が俺を守るように立ちふさがった。
「貴方も我ら騎士団が守るべき対象ですのよ? レイル・グレイヴ──いえ、名無しの誰かさん」
「え……?」
「王が貴方を帝国の被災者として保護すると仰ったのです。王の剣と盾であるわたくしたち王国騎士にとって、それは優先されるべき使命ですのよ」
「……!」
分からない。本当に。
一体どうすべきなのか。何をするのが正しいのか。
自分が戦わないとダメだという漠然とした想いが、心の中で渦巻いている。
けれど、腕の中で苦しんでいるジェーンを、一刻も早くこの場から遠ざけないといけない。
「さぁ、早く!」
「~~~ッ!」
全力で駆け出した。
何もかもを捨て去るように、ただ後ろへ。
腕の中にいる大切な人だけを抱えて、逃げだした。
逃げている間ずっと、竜人の恐ろしい咆哮が木霊していた。
*** *** ***
走って、走って、誰にも見つからないように隠れながら逃げ出して。
戦場の喧騒が遠く聴こえる、どこかも分からない通りの暗い路地裏で、俺はようやく足を止めた。
ずっと抱えて走ったままじゃジェーンの容態にも良くないだろうから。
壁に背を預け、ずりずりと座り込む。
「……ジェーン」
腕の中で瞳を閉じたままの、大切な人の名前を呼んだ。
先ほどよりも顔色が良くなって、呼吸も落ち着いてきたようだった。
「よかった……」
「……よくは、ないだろ……」
「!」
意識を失ってるとばかり思っていたジェーンの声が聴こえた。
まだ意識がはっきりしていないのだろうか、ジェーンが弱々しく口を開いた。
「失敗して、他人にミスを庇われて……責任を放り投げて、逃げ出した。……何も、よくなんか、ない」
「……それでも、死ぬよりかはマシだよ」
「普通の冒険者はミスしたら死ぬだけだ。誰も庇ってなんてくれやしない」
「……」
強い怒りと悲しみが込められていた。
ジェーンは誰かに庇われるのを酷く嫌う。
自分のせいで他人が傷つくのを極端に恐れている。
それは、今思えば、王女としての地位を蹴って、冒険者になった彼女のプライドそのものだったのかもしれない。
高貴な身分を捨ててまで一人になったのだから、自分一人で何もかもを背負うのは当然だと、そう言いたいのだろう。
「それでも俺は、ジェーンが死ななくてよかったと思う」
「だから、オレは──!」
がばりと腕の中から飛び起きたジェーンが、俺の顔を見てハッとした表情を浮かべていた。
「レイルオマエ、身体は大丈夫なのか……?」
「え……あぁ、大丈夫」
身体の怪我じゃなくて、内側のことだと一瞬だけ気付かなかった。
もうジェーンにも全部知られてしまっているのだと思うと、少しだけ落ち着かない。
「りっちゃんに力を貰ったから、しばらくは平気だよ」
「……りっちゃんって誰だ?」
「え? りっちゃんはりっちゃんだよ。ジェーンの親友なんだろ?」
「……アルルのことを言ってるのか?」
「あ、そうだ。アルルって言ってた気がする」
自己紹介してもらったけど、もはやりっちゃんはりっちゃんとして俺の頭の中に定着してしまったから、あまり覚えていない。
ジェーンが思い切り顔をしかめていた。
なぜだろう。
「どこがどうなって”りっちゃん”とかいう愛称になったのかは後で聞くとして……身体の方は本当に大丈夫なんだな?」
「あ、あぁ。かなり龍気を分けてもらったから、しばらくは大丈夫」
「……じゃあ、何でそんなに酷い顔をしてるんだよ」
そう言われて、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。
ただ、ひどくくたびれたものであることは何となく分かる。
疲れているんだ。
身体がじゃない。心の方だ。
心が痛くて重くて、もう何もしたくない。
ただ、ジェーンが傍に居てくれれば、それだけでよかった。
「……俺が居なければ、何も起きてなかった。帝国の奴らもここを攻めてこなかっただろうし、ジェーンだってこんな目に遭うことはなかった。だから、全部、俺が悪いんだ」
淡い翡翠の瞳を見ていると、とてつもない欲念に駆られる。
何もかもを吐き出したくなってしまった。
「さっきだって、俺が選択肢を誤ったから、あんな酷いことになった。もっといい方法があったはずなのに、俺はそれを選べなかった。間違えた。その結果があれだ。何人死んだか分からない。俺が皆を危険な目に遭わせた。俺のせいで、ジェーンは死にかけた」
「それだけじゃない。俺のせいで竜械人や竜人が生まれたんだ。俺が生きてしまったから、あいつらが生まれてしまった。あいつらを生みだしたのは俺だ。俺が生きたせいで、代わりに他の人が死んだ。殺された。これから先もきっと沢山の人が死ぬ」
「俺はあそこで死んでおくべきだったんだ。あの時、見苦しく生き足掻かずに死んでおけばよかった。そうしたら、皆が死ぬことなんて無かったのに」
溢れ出した澱みは止まらなかった。
ずっと考えないようにしていたことが、次々と零れていく。
まるで堰が壊れたかのように、濁った汚泥が流れ出していった。
「どうして俺が生きてるんだろう。生きていたって仕方がないのに。ただでさえ迷惑をかけてるのに、その上、命まで懸けてもらって……。そんなの、ダメだ。責任が取れない。責任を取るために死ぬことすら許されない。俺一人の命じゃ何も贖えない。分からない。どうしたらいいのか、全然、分からないんだ」
泣き言だ。
ひたすら泣き言を漏らしていた。
情けないにもほどがあった。
こんなことを言ったって、ジェーンを困らせるだけなのに。
「レイル」
大切な人が、俺の名前を呼んだ。
その艶やかで小さな唇を動かして、優しく紡いでくれた。
彼女と同じ、冒険者としての仮の名前。
それでも、その仮初こそが俺の全てだった。
ふわりと、何かに包まれた。
柔らかな感触と温もり。そして、彼女の匂いを間近に感じた。
「ゴメンな。オマエがそれだけのことを抱えてたこと、理解してあげられなくて」
ジェーンの胸元に、顔を埋めていた。
強く抱きしめられて、頭を撫でられている。
今まで一度も与えられたことのない熱を、感じた。
漠然と欲しかった何かが与えられている気がした。
「ずっと何かを隠してるのは分かってたけど、オレはそれを知ろうとしなかった。知る権利すらないと思ってた。……オレはずっと、オマエに隠し事をしていたから」
声が震えていた。
暖かい雫がぽつりと落ちるのを感じた。
「オレの隠し事なんて、オマエと比べれば全然大したことなかった。ただの甘えたで、自分の都合ばかりの我儘。……ずっとレイルは苦しんでいたのに、オレは能天気に遊び惚けていただけ」
気付けば、俺の目からも何かが流れて、ジェーンの服を濡らしてしまっていた。
大変だ。俺の薄汚れた体液が、彼女に付いていいわけがない。
でも、何もできない。何もしたくない。
今は、今だけはこのまま。
「ずっと近くに居たのに、何にも分かってなかった。レイルがどれだけ悩んでて、傷ついて、苦しみながら戦ってきたのか、何も知らなかった」
ジェーンは何も悪くない。
俺の事情に彼女は何も関係ない。
巻き込んでしまったのは俺なのだから。
それなのに、どうして彼女が俺に謝っているのだろう。
むしろ、俺が謝らなければいけないのに、償わなければいけないのに。
「オレはずっとレイルに助けられてたんだ」
──。
「レイルが居てくれたから、オレはずっとなりたかった冒険者になれた。自由になれた。一人ぼっちの悲しさを忘れられた。……レイルが傍に居るだけで、オレはずっと楽しくて、幸せだった」
そんなの、俺も同じだ。
むしろ、俺の方がずっと助けられてた。
「だから、死んだ方がよかったなんて言わないでくれ。レイルが居たからこそオレは……私は救われたんだから」
熱が離れて、ジェーンの顔が見えた。
黒い靄は掛かっていない。
彼女の本当の──王女としての顔。
月の深い金色を溶かし込んだような髪が揺れている。
宝石のような淡い翡翠色の瞳からは雫が流れていた。
涙に濡れて、頬が紅潮している。
とても綺麗で、胸が締め付けられるほどに美しい。
「レイルは何も悪くなんかない。だから、罪悪感を感じる必要もないんだよ」
ジェーンの冷たくて小さな手が俺の顔を掴んで、視線を向かい合わせてきた。
少し力を入れると簡単に折れてしまいそうな細い指先が添えられる。
けど、とても頼れて、暖かくて、安心できる手だと分かってる。
「全部帝国が悪い。あんな分かりやすい諸悪の根源がいるんだからそれを憎めばいいのに、レイルは優しいから、臆病だから、全部自分のせいにして責めちゃうんだ」
「……でも、俺のせいで多くの人に被害が出たのは事実だ。俺が居なければ──」
「全部! 帝国が! 悪いんだ!」
ふんす! と鼻息荒くジェーンは言い放った。
有無を言わせぬ勢いだった。
こういう時のジェーンは反論すら許してくれない。
「……いつか、レイルが私のこと正義の味方みたいだ、なんて言ってたっけ。……笑っちゃうよな。真っ先に助けてあげなきゃいけないオマエを放置しておいて、何なんだって話だよな」
自嘲気味に笑って、ジェーンはそう言った。
俺は首を横に振った。
「俺はちゃんと助けられてたよ。いつだってジェーンは俺を助けてくれてた」
「……何言ってるんだよ。私は何もできてない。さっきだって大口を叩いておきながら、結局ドジって庇われて──」
「違う。……ジェーンと一緒なんだよ」
煌めく日々の思い出が、今も色鮮やかに心に残っている。
「ジェーンと一緒に居られただけで、俺は確かに救われたんだ」
あの日、苦痛に耐えて生きることを選んだ報酬を、俺は確かに与えられていた。
「ジェーンと一緒にいた日々こそが、俺が生きてきた理由だった。辛さや苦しみなんて消し飛んでしまうくらい、何をしてても楽しかった」
驚いたように見開いた彼女の瞳。
そんな仕草さえも、綺麗で、愛おしかった。
「ずっとこんな日々が続けばいいと思ってた。……俺のような化け物には過ぎた願いだけど、それでも願わずにいられなかった」
「レイル……」
「でも、間違いだった。俺が巻き込まなければ、ジェーンも、ジェーンの周りの人も、平和に暮らせていたはずなのに」
「それはちがッ!?」
否定しようとする彼女を、抱き寄せた。
許されないと分かっていても、抑えきれなかった。
「もう嫌だ……!! 痛くて苦しいのも、誰かを傷つけてしまうのも、刻まれるのも刺されるのも、辛いのも悲しいのも、怖いのも寂しいのも、みんなから恨まれるのも、全部、全部、嫌だ……!!」
情けなく、彼女の胸の中で泣いた。
弱音を吐いて、熱に縋り付いて、みっともなくわめいていた。
自分自身が制御できない。駄々っ子のようだった。
本当に、どうしようもなく弱い。
自分が嫌いだ。
「帰りたい……! リシアの、龍の金鱗の宿の、あの部屋に……! 何もかも捨てて、逃げて……ジェーンと一緒に、冒険の続きがしたい……!!」
抱きしめ返されて、欲しい熱が与えられた。
そうされると分かっていて、俺は彼女に甘えた。
抱きしめて、泣いて、泣きわめいて、子供のわがままのように自分の望みをぶつけて、押し付けて。
ジェーンの優しさに付け込んだ。
最低だ。
「……そうだな。私も、レイルとずっと一緒に冒険がしたいよ」
抱きしめて、抱きしめ返されて、その柔らかさと温もりを確かめ合う。
俺の欲しいもの。欲望の源。心の拠り所。
ジェーンの全てが欲しくて、仕方がなかった。
けれど、その熱は離れていった。
「でもな、レイル。私はもっとしたいことが見つかったんだ」
代わりに、眩く煌く金色の光が、俺を照らしていた。
***
「レイルを、助けたいんだ」
ジェーンの口から放たれたのは、そんな言葉だった。
「……え?」
「あの帝国兵を倒さない限り、レイルはずっと苦しむことになる。逃げたって、何も解決なんかしないんだよ。私と一緒だ」
王女という身分から逃げたジェーン。
帝国の実験体という過去から逃げた俺。
「もちろん比べられるようなもんじゃないのは分かってる。私は恵まれてた。皆、優しくて、大切にしてくれて、守ってくれていて……。子供だった私にはそれが当たり前すぎて、気付かなかったけどさ……」
「……」
「でも、そんな私だから、レイルを助けられる。恵みを享受していたからこそ、今度は私が返す番なんだ」
「やめてくれ」
そんなこと、してほしくない。
「行かないでくれ。ずっと、側にいてくれ……!」
「バカ、ずっと一緒に居たいからこそ行かなきゃいけないんだよ」
ジェーンの指先が頬に触れる。
涙を拭われ、微笑まれた。
「大丈夫。私が絶対にオマエを助けてやる。ずっと一緒に居て、泣き虫のレイルを守ってあげる」
「ジェーン……」
「大体な、オレが二度目の敵に遅れを取ったことがあったか?」
いつもの、冒険者らしい勝ち気な笑みを浮かべた彼女の姿がそこに在った。
俺の、頼れる相棒の姿が。
「もう勝ち筋は見えてんだ。竜人とやらの邪魔さえなけりゃ、あのクソババアは倒せる」
ジェーンが倒すと言ったら絶対だ。
彼女が言うなら、きっとできる。
そう思えるだけの力を彼女は持っている。
だから俺は──俺は、彼女を助けてあげないと、
「だから、レイルはここに居て待っててくれ」
「──」
息が詰まった。
思考が止まった。
胸が張り裂けそうなほどの辛さが襲ってくる。
ジェーンに突き放されたことが、どうしようもないほど悲しかった。
いや、違う。
ジェーンの助けになれない自分が情けなくて、悲しいんだ。
自分も戦うと、なぜ即答できないのか。
「オマエはさ、根本的に戦いに向いてないんだ。誰かを傷付けるのが嫌で怖いと思ってるけど、仕方なく戦うしかなかった」
ジェーンの言う通りだった。
俺は、弱虫だ。
「そんなこと、すべきじゃないんだ。したくもないことをするなんて間違ってる。自分を苦しめるようなことをする必要は無いんだよ」
それは、違う。
それだけは間違ってはいけない。
確かに最初は辛くて苦しいだけだった。
でも、変わった。
俺は、苦しいから戦っていたわけじゃない。
君を守りたいと──相棒の力になりたいと思ったからこそ、戦ったんだ。
「──俺も行く」
「……オマエ、オレの話聞いてたか?」
「聞いてた。だからこそ、俺も行く。戦う」
そうだ。
これだけは譲れない。
譲ってはいけない一線だった。
「俺はジェーンの相棒なんだ。ずっとそうだったし、これからもそうだ」
「……なーに鼻垂らしながらキメ顔してんだ、バカ」
「……ゴメン」
恥ずかしい限りだった。
みっともなさすぎる姿を晒して、迷惑をかけて、それでもなおジェーンに甘えて。
そんな俺の頭をジェーンは撫でていてくれた。
「……ごめん」
「ほら、もう、泣くなってば」
「……うん」
ジェーンに抱き寄せられ、柔らかな胸に顔を埋めた。
ジェーンの匂いに包まれると安心する。
「よしよし。……オマエの人間らしいとこ、初めて見た気がするなぁ。ちょっと嬉しいぞ」
「……俺はこんなとこ、ジェーンに見せたくなかった」
「いいんだよ。男なんてのは、いつだって女に甘えたい生き物だって本で読んだことあるしさ」
途轍もなく恥ずかしいけど、受け入れられた安心感は何物にも代え難かった。
「本当に、無理はしなくていいんだ。……けど、オマエ自身が立ち向かわないと、変わらないこともあると思う」
「……うん」
「レイルがオレを助けてくれるなら、オレは誰にも負けない」
「俺も、ジェーンが助けてくれるんなら、どんな敵だって倒せるよ」
「つまり──いつも通り、だな」
コツン、と額と額がぶつかった。
互いの瞳を見つめ合う。
「オレたち二人なら、何でもできる」
「……うん。ジェーンがドジらなければだけど」
「レイルがバカをしなきゃの間違いだろ」
「……ははっ」
「笑うなバカ」
軽口を叩いて笑い合うと、すっかりいつもの調子に戻った気がした。
あるべき姿に戻れたような、そんな感覚があった。
「──行こう。さっさと戻らないと皆が危ない」
「待て、オマエ丸腰で戦ってたろ」
立ち上がったジェーンが魔術を唱えた。
よく知っている、剣を生成する魔術だ。
俺が何度も剣をダメにするからと言って、わざわざジェーンが考えてくれた魔術らしい。
本当に俺の相棒はすごい。
「ほら、オマエには剣がないとダメだ」
「ありがとう、ジェーン」
ジェーンの差し出した剣を受け取り、装備した。
しっくりときた。
やっぱり剣がないと落ち着かない。
「いつかは竜退治──なんて夢見てたけど、まさか名のある竜を先に相手にすることになるとはな」
ふわりとジェーンが空に浮かんだ。
俺の肩に手を置いて、補助するように支えている。
俺が走り飛んでジェーンがブーストする、いつもの緊急移動用のフォーメーションだ。
「でも、名のある竜を倒せば、七爪なんて目じゃないくらい昇格するだろ?」
「そりゃそうだ。あの虹の英雄に並ぶ偉業だぞ」
オジサンと並ぶ──夢のある話だ。
「方向は──とりあえず飛んでから確認するか」
『あ、さっきの場所ならここから南の方だよ。レイルっちから見て丁度反対方向』
「反対か。ありがとうジョーガ、ちゃ……」
「……んあ?」
突如耳元で聞こえた声に、あまりにも自然に応答してしまった。
そう、俺とジェーン以外にも、この場にはもう一人──いや、一機居たのだった。
ぱたぱたと羽を揺らして宙に浮かぶ、黒い謎生物。
それは紛れもなく闇の龍様であるジョーガちゃんに違いなかった。
「あ、あの、もしかして……全部見てた?」
『──モチ★』
ジェーンと俺の情けない悲鳴が合わさって響いた。
読了いただき、ありがとうございます。
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