93.レイドバトルⅢ
──王城、大広間。
「馬鹿な……レイドコールだと!? 何が起こっている!?」
「先ほどの天の声では、竜人と呼称されていましたね。前後にいささか不明瞭な文言が挟まっていましたが……。魔術院本部、先ほど急激に接近していると言っていた魔力反応はどうなっていますか?」
『はっ! そ、それがシラー地区付近で探知計の反応がオーバーフローした後、消失しました! 識別子は未だ不明です!』
「ジルアお嬢様の通信音声を加味した上で判断しても、敵は十中八九アルル嬢が対処したという帝国兵でしょう。恐らくフルカワというのが敵性情報体の名称だと思われます」
「名前などどうでもいい!! あのレイドコールが流れたということは名のある竜が現れたということだ! この王都の中でだぞ!?」
「既に竜が入り込んでいる時点で何が起こってもおかしくはないでしょう。王よ、落ち着いてください。あなたが指示を出さねば誰も動けません」
大広間の中は騒然としていた。
城内に配備されていた人員が全てこの場所に集約されていた。
謎の通信障害に始まり、緊急招集、そこで聞かされた王都が竜に襲撃されているという緊急事態。
そして、今しがた王都全域に流れた天の声。
その内容は名のある竜との交戦を告げるものだった。
「いや……戦えるわけがない……単純に戦力が欠如しすぎている!」
王の悲痛な叫び声が大広間に響いた。
「龍痣持ちは未だスヴェンのみだ! その上、軍幹部の貴族共は軒並み兵士を引き連れて外遊中ときた!」
その場に集まった人員の中には、貴族派と呼ばれる派閥の姿が全くと言っていいほど存在していない。
王国軍兵士もかなりの数が駆り出されており、この場に残っている兵士は、ほとんどが新兵や王家派と呼ばれる派閥の者ばかりだった。
「今日襲われるということが事前に分かっていたのだろうなぁ、奴らは! 示し合わせたかのように姿を消して!」
「それに関しては、軍事参謀を担っていた私が事前に情報を得られなかったせいでございます。処罰ならば後にいくらでも受ける所存。ですから、今は」
「無理なのだ! 戦力も、時間も、何もかもが不足し過ぎている! ここまで帝国軍に浸透されていた時点で我らの敗北だ!」
大広間が静まり返った。
王の言葉は皆の心中を正確に代弁するものでもあったからだ。
「……王都は、終わりだ。何もかも選択肢を誤った私の失態だ。責任を取る」
「──王、それは」
「皆の者、王都を捨てて逃げよ。周辺諸国へと避難し、再起を図るのだ」
それが王の決断だった。
「騎士団、部隊長は陣頭指揮を執り、この場にいる戦闘可能な兵力を率いて民を守りつつ王都から撤退させよ。民の安全確保を最優先とする」
静かに続けられた王命はどこまでも現実的で、冷徹なものだった。
その言葉を聞いて、騎士たちは唇を強く噛んだ。
誰も彼もが、王の無念を理解できる者たちだったから。
「文官は──」
「待ってください」
つい、と王の前に歩み出て言葉を発したのは第一王女だった。
その左眼からは未だに血を滴らせ続けていたが、気丈に前を向いていた。
「お父様──いえ、国王陛下。今、私達がやらねばいけないことは、逃げることではありません。立ち向かうことです」
「……ストラス。今の私は、この国の王として発言している」
「ええ、分かっております。ですから私もリュグネシアの次期女王として申し上げます。どうかご再考を。ここで引くことは、この国の死を意味しております」
「私は言ったぞ。戦力が足らんのだ。今の状況ではどうあってもな。このまま立ち向かえば兵たちをみすみす無駄死にさせるだけであり、その先に待つのはこの国の死だ。ここで引いて再起を図ることこそが最善策だ」
「いいえ。例え今、周辺諸国へ避難したとして、そこには必ずや貴族派が手を回していることでしょう。避難民は隷属させられるか謀殺されるに決まっています。再起の目すら無くなるのです」
「……ではどうする? お前には何か案があるのか?」
「案などありませんよ。ただ、私は国王陛下よりもこの王都の戦力を信頼しております」
「しんら……そのような曖昧な言葉で兵士たちを死なせる気か!?」
「死なせるつもりはありませんが、結果そうなるのだとしたら、私がその責任を負います。必要とあらば国民も戦わせましょう」
「何を──」
血迷ったこと、と王は言いかけて、口を噤んだ。
ストラスの表情は事ここに至ってもなお、穏やかであり、慈愛に満ちていた。
けれど、そこには何者も寄せ付けない強い意志があった。
「いずれこうなることは分かっていたでしょう。緑竜の脅威は去って、この地は安寧の時を得ました。ですが、いずれ別の脅威がやって来る可能性は十分にありました。赤竜、青竜、幻獣等、王都へ攻め入るやもしれない脅威を、ずっと想定してきたはずです。それが今来ただけのこと」
「それは、そうだが……!」
「この王国内で一番の戦力を保有しているのはこの王都でしょう。それなのになぜ敵わないと決めつけるのですか。そんなにも王都は脆弱で頼りないと仰られるのですか」
「……お前は知らんからだ。名のある竜を直に見たことがないからそのようなことが言えるのだ!」
「そうですね。確かに私は直接対峙したことはございません。ですが、今! ジルはその目で直接相対した上で、立ち向かっているのです!」
ストラスの声が苦し気に歪む。
聞いた者の心を揺さぶるような声音だった。
「あの子が立ち向かうというのに、私たちが逃げる算段を考えている場合ですか! 違うでしょう!」
「やめろ、論点をすり替えようとするな! 今は戦力が足りないのだと言っているんだ!」
「あの子はたった一人で帝国軍の隊長格を相手取っています。そして名のある竜はレイル君とアルルちゃんが抑えています。抑えられているのです!」
ストラスの声は凛として、直接心に響き渡るかのような力強さを持っていた。
カリスマ、と呼ばれるスキルだ。
人を束ねる資質を持つ者の、最低限の素質。
それが今、最大限に発揮されている。
彼女の持つ、本来の才能が開花しようとしていた。
「国王陛下はこの王都の戦力を見誤っているのではないでしょうか。少なくとも私は、十分に勝てる見込みがあると考えています」
「憶測で物を言うな! 根拠を示せ!」
「根拠ならば、この場にあるのでは? 我が王国騎士団と王国軍は、名のある竜との交戦経験があります。そして勝利したことも」
「それは戦力となる龍痣持ちが──」
「マーカサイト王」
王から少し離れた席に座っていた老人が、王の言葉を遮るように口を開いた。
嗄れているが、はっきりと通る声だ。
大公──リュグネシア諸侯十二貴族たちの元締めであるシェルバーン家の当主だった。
「中言してすまぬ。儂は王女に賛成する。戦うべきだ」
「ゲルハウグまで何を……! 貴方とて分かっているはずだろう! 名のある竜の脅威は!」
「先の天の声を聞く限り、帝国はイレギュラーな方法で無理やり 名のある竜級の怪物を作り出したと思うのだ。あの竜械人のようにな。純粋な名のある竜でないのなら、どこかに綻びがあるかもしれぬ」
「憶測の域を出ない! そのような曖昧な理由で戦うわけにはいかない!」
「その憶測が当たっているかどうかを確かめねばなるまいて。周辺諸国の協力を得るにしても、何の情報も無しに戦うことはできぬだろう」
大公は席から立ち上がった。
その背後に座っていた者達も同時に腰を上げる。
「中立を気取り、十二貴族たちの監督を放棄した結果、このような事態を引き起こしてしまったことは儂の責任だ。奴らがこんな大規模な反逆を企てていたとは思いもしていなかった。しかるべき処罰を受け入れよう」
「我々も同罪でございます、王よ。いくら敵対していたとはいえ、その動向は注視すべきでした」
シェルバーン大公に続き、リュグネシア諸侯十二貴族に連なるエッシェルバン、キーセルグ、フローリュズ、アイゼンアイドの公爵家当主四名が付き従い、頭を下げた。
彼らは貴族の中でも王家と対立することを良しとしなかった者達であり、真に国のことを思う者たちであった。
「やめよ! 今は謝罪が必要なのではない!」
「ああそうだ。だが必要なことだ。──マーカサイト王が戦わぬと言うならば、我々は今からストラス第一王女殿下を擁立し、女王と認める。この場で王位継承の儀を執り行おう」
「何を馬鹿なことを……!」
王は狼狽を隠さず、声を荒らげた。
そんな権限は大公といえど持ち合わせていない。
しかしこの場において、王位継承に反論するものは誰もいないだろう。
この場にいる者全てが一つの決意を固めたような顔をしていたからだ。
「……ストラス様の演説に皆当てられましたな。兵も覚悟を決めた顔をしております。やはりストラス様には扇動の才がお有りのようだ」
「馬鹿者どもが……! 玉砕覚悟で挑めば敵うとでも思っているのか!? 無駄だ! 命を粗末にするな!」
「無駄かどうかはやってみないと分からないでしょう。……そもそも、避難と簡単におっしゃられますが、それは今の生活を全て捨てろということ。生活を捨てるということは明日も知れぬ日々にその身を置いて過ごせということです。どちらも命を懸けなければいけない状況なのは同じですよね? ならば、より多くが救われる道を進むべきです」
「だからと言って──スヴェン!!」
王が座る椅子の背後、影からぬるりと何かが姿を現した。
まるで最初からそこにいて、たった今出てきたかのように自然で気配を感じさせなかったが、王には誰よりも早くそれが分かった。
「王!」
王国騎士団長スヴェン・クヴェニール。
現王国にて最大の武を誇る者であり、騎士の頂として君臨する者であり、忠実なる王の剣である。
たった今インタリオ地区の掃討を終え、転移穴で王城へと帰還したのだった。
「この度の不始末、誠に申し訳──ッ!」
そして音もなく王の前に移動して頭を垂れようとしたが、王に胸襟を掴まれて、振り被った右拳で以って頬を殴られた。
「約束したはずだ!! 王都の民を一人たりとも賊の被害者にさせまいと! 今の状況はどうだ!? 既に何人の犠牲者が出ているかもはや想像も付かぬぞ!! 貴様は自分の吐いた言葉を忘れたか!!!」
「──誠に申し訳、」
「御託はいい!! 報告をしろ!」
「はっ、報告いたします。──」
スヴェンは王の激昂を受け止め、淡々と自らの今までの戦況を報告する。
スヴェンが現れてからの一連の流れに口を挟める者はいなかった。
例え王の娘であり、次期女王であり、スヴェンの妻であるストラスであってもそれは同じだった。
──スヴェン・クヴェニールは本来ならば王配に収まることなどできない身分である。
それにも関わらず、彼が王女の隣に立っているのはひとえに王の尽力故だった。
同盟国の生まれとはいえ、破落戸同然のスヴェンを戦力目当てで騎士団に引き入れたのは王自身だ。
人柄には多少難があるが、その腕前だけは本物だと王は認めていた。
その信頼に応え、スヴェンは瞬く間に騎士団の次席にまで上り詰めた。
だが、とある事件が起きた。
スヴェンが第一王女の護衛中に失態を侵し、ストラスの左眼に消えぬ傷を負わせてしまったのだった。
傷を負わせた賊の殲滅後、彼は責任を取り騎士団を退団しようとしたが、誰よりも王がそれを許さなかった。
王女がスヴェンを呼び止めるよりも先のことであった。
ストラスが彼に向けた恋慕を自らが告白するよりも先に王が割って入り、責任を取るならば王女と婚姻を結ぶようにと王命を下したのだった。
娘の気持ちなどお見通しであり、成就させるには王の立場から事を進めねばならぬと考えた故の野暮な親心でもあった。
彼を王配に迎えるにあたり、一波乱どころではない騒ぎが王都で巻き起こったが、それら全てを王が権力で封殺。
現王妃が平民出身であったこともあり、民たちには歓迎されたが、貴族たちにとっては全くもって面白くない展開となった。
外様の平民出身だった彼はかくして大出世し、この世界でも屈指の成り上がり男として本の題材にさえされたほどだった。
だが、それ故に王はスヴェンに対して誰よりも厳しい態度を取った。
貴族派の者たちさえ嫌味を言う隙もなく、むしろ王に冷遇されているようにさえ受け取られ、同情的な目を向けるほどであった。
それが王の信頼の裏返しであることを、誰よりもスヴェン自身が理解していた。
***
「兵舎前に出現した竜は討伐完了。留置場に陣取っていたのは例の傭兵団の頭でした。即刻捕らえて記憶を探ったところ、あのレネグが裏で手を回しており、反乱のための物資を供給していました。──以上です。王、ご命令を。俺一人で名のある竜を対処します」
「状況も知らずに軽々しく言うな! 参謀! スヴェンと状況の共有を行え!」
「承知いたしました。団長殿、こちらへ」
スヴェンはストラスの顔を一目見て顔を歪めた後、何も言わずに参謀の元へと歩いていった。
ストラスは彼の視線を受け止め、それでもなお王だけを真っ直ぐに見つめている。
「……スヴェンが竜を一体討伐したことで残り四体。ミセラも同様に討伐完了していると考えて三。冒険者ギルドを襲撃した竜はその場にいる冒険者たちに任せましょう。残りの二体を軍と騎士団の人員を用いて対応し、スヴェンとミセラの両名を名のある竜の対応に当たらせましょう」
「だから、軽々しく言うなと言っている! 大体ミセラはまだ戻って──」
「王様ーーー!! 竜討伐してきましたよーーー!!」
「……」
大広間の入り口から快活なミセラの声が響き渡り、凄まじい速度で空中を飛び越えて王の目前までやってきた。
「門が壊されてたので瓦礫の排除に手間取ってしまいました!! あとあと、怪我人多数で危なかった人もいたのですが、あの天の声が流れた後にリジェネが全員に掛かったんです!! それで持ち直した人も結構いるんですよ!!」
「──龍の恩寵の効果だろう。よくよく思い出せば、三機もの龍が我らの味方をしてくれると宣言していた。あの地母龍でさえもが力を与えてくれているのだ。もはや守りにおいては盤石と言ってもいい。マーカサイト王よ、この機を逃す手はないぞ」
ミセラの報告を聞いて、シェルバーン大公が王に進言した。
王は深く目を瞑り考え込む。
「…………ミセラ、よくやった。参謀の所へ行って状況の共有を行え」
「はい!!」
王の命令を受けて、元気良く返事をしたミセラが騎士団長と参謀の元へと飛んでいった。
王とストラスは互いに見合って、そして王が再び口を開く。
「……ストラス。お前はスヴェンが死んでも構わないのか?」
「今は王国の危機です。個人の感情は関係ありません」
「……そうか。そうだな、全くもってそうだ。……私には守りたいものが多くできすぎてしまったようだ。何が正しき判断なのか躊躇してしまうほどにな。……今こうしている間にも民たちが蹂躙されているやもしれぬというのに」
「王とて人です。感情に縛られるのは当然のことでしょう」
王が空を見上げ、大広間に集まった人員を見つめ、最後に目の前の臣下たちと娘に目を向けた。
何かを決めたかのような瞳をしていた。
が、口を開くよりも前に通信魔晶珠に反応があった。
『王。ジルアさまより伝言ですじゃ』
「──なんだ?」
『名のある竜と帝国兵は私たちが必ず倒す、とのこと。それと、騎士団を使ってシラー地区一帯より人を退避させてほしいと。自らの魔術に巻き込むことを懸念されてのことですじゃ』
「……怖気付いているのは私だけということか」
溜息を吐くと王は通信の回線を切り替えた。
「魔術院本部、聞こえるか。広域拡声術式を使う。これより王都全域に向けて王命を伝える」
その言葉を聞いて、参謀は不謹慎とは分かっていても、口角が上がるのが抑えきれなかった。
***
『リュグネシアの国王として告げる! 王都に仇なす賊徒どもよ、聞け!!』
その声は、天の声と同様にして王都全域に響いた。
雷鳴の如き戦場の轟音にも負けず、誰の耳にも届くほどに清涼としてはっきりと聞こえた。
──王言であった。
『貴様らは許されぬ所業を犯している! 犯し続けている! 我が国の民たちを──いいや、生けとし生ける者たち全てを虐げ、命を奪い、尊厳を踏み躙った!!』
『故に宣言する! 我が命に懸けて、貴様ら帝国及びそれに属する者どもを殲滅させる!!』
『日々を平穏に生きてきた人々に理由なき傷を付けた罪は万死に値し、情状酌量の余地すらなく私が断罪する!』
『死ぬがよい!! 一切合切を無に帰すが如く、この世から疾く消え失せるが良い!!』
『また、貴族派を名乗る売国奴ども! 王都に住む全ての命を裏切った貴様らの罪は何よりも重い! まだ王都でこの声を耳にしている者がいるのであれば、その厚顔無恥な行いを恥じて自害せよ! 生きている限り貴様ら全員地獄の果てまで追い立て、私の手でその素っ首を切り落してやる!! 覚悟しておけ!!』
王の怒りそのものが音波として伝わる。
まるで巨大な鉄槌で頭を殴られたかのような衝撃を受け、人々は恐れ慄いた。
いや、実際に物理的な重圧を受けているのだ。
王の真言は聞く者に対してその命令を強いることが出来る。
死を命じるのは、王個人が持つ能力において最大級の攻撃方法でもあった。
実質的な効果として、帝国兵が王都に潜ませていた伏兵たちの大多数はその場で崩れ落ち、死亡した。
貴族派のスパイとして大広間に潜り込んでいた兵は錯乱し、恐慌状態に陥った。
竜やホシザキ、竜人といった上位者たちに対しても、弱体効果を付与するまでに至っている。
『──国民たちよ。対応が遅れてしまったことを誠心誠意謝罪する。守るべきはずの命を零れ落としてしまった責任は、私が必ず取る』
『今を以って騎士団及び王国軍総出で事に当たる。邪悪なる竜たちは、騎士の剣の一太刀にて即座に切り捨てられるであろう。また、当座の避難場所として、王城及び王宮を解放する。歩ける者は自らの移動を。負傷者に関しては迅速に保護を行うことを徹底させる。到着まで今しばらくその場で自衛し、待つことを願いたい』
『言うまでもないが、火事場泥棒や略奪、混乱に乗じて悪事を働いた者たちは、事が判明次第その場で殺す! 賊徒と同罪と知れ! 妙な気を起こさぬように心せよ』
『以上だ。──これより殲滅を開始する!!』
***
「──軍の方は参謀殿が一括して指揮し、避難民の誘導や混乱、暴動等の対処に当たる。そして俺たちは敵の殲滅だ。いつも通り部隊長をリーダーとして指揮系統を構築してくれ」
「「「Sir, yes, sir.」」」
騎士団長の指示に従い、騎士団の面々は速やかに規則正しく動き出した。
「それから、レネグ一等騎士が所属していた翼部隊の団員は一応アプレザル婆の精神干渉魔術のチェックを受けてくれ。武装にも何か仕掛けられていないかよく確認してから装備しろ」
「「「Sir, yes, sir.」」」
「もう知っている者も大勢いると思うが、レネグ一等騎士が帝国兵によって殺害され、その心と身体を乗っ取られていた。聞けば最初から帝国兵の指揮下にあったらしい。俺たちは見事に騙されていたわけだが……誰よりも無念なのはレネグ本人だろう。帝国にその尊厳を乏しめられた被害者だ。彼の名誉のためにも我々は戦わねばならない」
「「「Sir, yes, sir!!」」」
騎士たちが怒声の如き返声を発した。
同僚として、戦友として親しかった者が帝国の傀儡と化していたのだから、その心中は決して穏やかではないだろう。
「標的の割り当てだが……俺たちは竜の討伐を優先する。俺がファセット地区を担当、ミセラの爪部隊は王都外門前の奴を相手取れ。翼、牙、尾部隊で冒険者ギルドの竜を担当しろ」
「ちょっと待ってください!? 名のある竜はどうするんです!?」
「名のある竜はアルルとレイルが組んで抑えてるらしい。そっちは暫く大丈夫だと」
「大丈夫って……レイルが戦ってるんですか!? あの傷で!?」
「ああ戦ってる。姫さんを守るために、その身を賭してだ」
「……! そ、それに姫様はどうするんですか!? 姫様は一人で敵の首魁と戦ってるんでしょう!?」
「ジルア第二王女殿下は自らの意思で敵と対峙されることを決断し、国王陛下がそれに許可を出した。つまり、姫さんは戦力として扱われることになったんだ」
「……ッ!! でもでもっ、万が一があったらどうするんですか!?」
「万が一がある前に、俺たちが竜をさっさと片付けてアイツらを助けに行くんだよ」
「!! 確かにその通りでした!! 皆、早く準備を!!」
「準備できてないのミセラだけだよ」
女性騎士がミセラに突っ込んだ。
ミセラの所属する斥候部隊爪の部隊長だった。
誰も彼もが王の演説中に先を見据えて行動を開始しており、とっくに準備は終わっていたのだ。
「私は大した消費もしてないのでこのままで大丈夫です!! 準備できてるんならさっさと行きますよ皆!!」
「一応隊列を組んでーって言う前にもう行っちゃった……団長、爪部隊出撃します」
「ああ、毎度スマンがミセラのフォローをよろしく頼む」
準備を終えた騎士たちは次々に飛竜に乗って、橙色がちらつく戦場の空へと駆けていった。
しかし、黙して動かぬ集団が一つあった。
「団長、先ほど核部隊の名が呼ばれなかったのですが、団長に追従するという認識でよろしいですか?」
「いや、違う。皆の前で呼ばなかったのはワザとだ。核部隊はこちらに集まれ」
騎士団長自らが所属する総合火力部隊核だった。
部隊の面々は部屋の端に呼び出された。
「お前らには一番危険な任務を頼もうと思ってる。姫さん直々に頼んできた任務だ。光栄だな? お前ら」
「「「……!」」」
騎士たちのバイザーの奥の目の色が変わる。
レネグほどのフリークではないにせよ、第二王女のファンは多いのだ。
「姫さんが戦場としているシラー地区一帯から人払いを頼まれた。帝国兵が居城としていた家屋がここだ。その前の通りが戦場となっている。ここで姫さんたちが帝国の首魁と竜人と呼ばれる名のある竜と戦っている。帝国の首魁──ホシザキと名乗る女を倒すために、広域を破壊する魔術を使用しなければいけないそうだ。お前らがどれだけ早く人払いできるかが姫さんの命運を分けることになる。心しろ」
「団長! 工作的な仕事でしたら、翼か尾部隊の方がよかったのでは?」
「核部隊を選んだのは総合的な戦闘力が必要だからだ。龍痣持ちと名のある竜が戦闘している中を行動する必要があるからな。……先に言っとくが、戦場では姫さんが自分で考えてコトを進めている。そこに横入りして考えを乱すような行動は控えろ。必ず人払いだけに専念するように」
「「「Sir, yes, sir.」」」
「……だが、姫さんが危ないと判断すればすぐに間に入れ。お前らの命に代えても、必ずだ」
「「「Sir, yes, sir!」」」
そんな要請は王は行っていない。
娘を戦場に出すと決めた瞬間から、肉親の情は放棄したのだから。
だからこれは、スヴェン個人の──義兄としての願いであった。
無論、スヴェンに言われるまでもなく、騎士たちはその命を賭して守る覚悟を持っていたのだが。
核部隊も飛竜を駆り、戦場へと出撃した。
スヴェンは騎士団員に指示を出し終えた後、柱の影に転移穴を生成し、自らの最も大切な人の元へと飛んだ。
「──ストラス」
彼女はアプレザル婆を陣頭とした、通信網を統括する即席の指令所にいた。
ジルアの通信を元に敵の情報を読み解くグループに加わっている。
「スヴェン、どうしたの?」
振り向いたストラスの顔は青白く、左眼からは血が滴った後が残っていた。
「左眼を使ったのか」
「ええ。使うべき時だったので」
「すまん、俺が側にいれば──」
「もう! 泣き言を言う暇があったらさっさと戦いに行きなさい! 大体あなたはねぇ──キャッ!?」
スヴェンはなおも小言を並べようとする愛しき存在を引き寄せ、抱き上げた。
「お前ももう限界だろう。体力も無いのに無理をするな」
「なっ!? この非常事態に何を言ってるんですか!? 降ろしてくださいっ!」
「おっしゃる通りです。先の龍器による御業でかなり消耗されているからお休みくださいというのに、聞き入れてくださらないので困っていたところでした」
「婆やまで何を言ってるの! 私だけ休むなんてできるはずないでしょう!?」
「お前の分まで俺が働く。俺はお前の夫だぞ? それくらい背負わせてくれ」
「──ッ!」
ストラスの耳元でそう囁くと、青白かった顔が真っ赤に色づいて言葉を失った。
片手で転移穴を作ると、スヴェンたちは暗闇の中に消えていった。
見せつけられて気が昂った指令所の面々は、怪鳥の如き奇声を上げて士気を高めた。
***
「──!! もう、もう! 人前でなんてことするのよ! 信じられません!」
スヴェンの腕の中で悶えていたストラスは、私室のベッドに降ろされるとようやく抗議を再開した。
「俺からすればお前の服装が何てことしてるんだと言いたいところなんだがな」
「え……!」
そう言われて、ようやくストラスは自らの衣装に再度意識を向けた。
向けてしまった。
「これは俺の上着か? まさか下着を付けてないなんてことはないだろうな……?」
「穿いてますぅ! なんてこと言わせるんですか!?」
「ならいいが……いや、よくない。いくら緊急事態だからって、妻の肌を不特定多数の衆目に晒される夫の身にもなってくれ」
「え……あ、んぅっ」
ベッドに横たわる愛しい人の口を塞ぐ。
荒々しいそれは、男としての、夫としての苛立ちも込められていた。
唇を離すと、赤く色づいて蕩けた表情が目に映った。
潤む瞳は真っ直ぐに見つめ返してくる。頬を撫でると、猫のように目を細めた。
今すぐ夫婦の営みを始めたいという衝動に駆られたが、スヴェンは立ち上がった。
「寝てろ。次に起きた時には全部終わらせておいてやるから」
「……ジルとレイル君のこと、お願い」
「ああ」
スヴェンはストラスの頭を優しく一撫ですると、再び転移穴を作った。
「帰ってきたら絶対に続きをするからな。覚悟して待ってろ」
それだけ言い残すと、スヴェンは騎士団の誰よりも早く戦場へと降り立った。
「ふぁっ!?」
後に残ったストラスは顔を更に真っ赤にして奇声を上げた。
***
即席として作られた戦闘指揮所に、王と参謀、リュグネシア諸侯十二貴族の五名、通信官、文官などが集まっていた。
「……私は先の王命で心力を全て注いでしまった故、指揮は任すぞジェフリー」
「お任せを、王よ。先ほどは素晴らしき演説でございました」
「……随分と嬉しそうだな?」
「ええ。不謹慎ながらとても気分が良い。スッキリしました。目的がはっきりしたというのは非常によろしいことです」
ニコニコと場違いな笑みを浮かべる参謀に、面々はやや困惑気味だった。
「それに、権力闘争に明け暮れ本質を失った無知蒙昧な輩どもが自ら袂を分かってくれたのは、実に喜ばしいことではありませんか」
「ぶっちゃけますなぁ、参謀殿」
「ですが、事実でしょう?」
エッシェルバン公爵の呟きに、参謀はやはり微笑んで返した。
「この戦いを治めれば、王国は生まれ変わります。腐敗を一掃し、正しき国家の形を取り戻せるのです」
「未来を見すぎだジェフリー。まず今を切り抜けなければその先もないだろうが……」
そんな、王の指摘に対しても。
参謀はやはり満面の笑みで応えるのだった。
「参謀は未来を見なければ務まりますまいて」
読了いただき、ありがとうございます。
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