91.レイドバトルⅠ
『今から聴こえる天の声は聞き流して!』
というジョウガの助言がなかったら、きっと私はどうしようもなく混乱していたに違いない。
それくらい唐突で、衝撃的なものだった。
迷宮でしか流れないはずのその声が告げた内容は、私にとって大半が意味の分からないものだった。
それでも、アレが出現したことで天の声が流れてきたのだろうと言う事は分かる。
最終的に、何を言い表そうとしているかということも。
──ヤツを。
完成に至ってしまった竜人を、倒さなければいけないのだと。
それを視界に入れた途端、一瞬で全身に怖気が走った。
アレは、ダメだ。
理性が本能に屈服してしまうほどの恐怖心。
まるで身体中の細胞が拒絶反応を起こしているかのような感覚。
「ぁ──光、束ね、正常と成せ」
ほとんど反射的に弱体無効を唱えていた。
そうしていなければ心が折れていた。それほどまでに、あの存在は恐ろしかった。
「……なんだ、あれ」
「美しい! 完成されたものはいつだって美しいわ。あなたもそう思うでしょう?」
ホシザキリュウナと名乗った帝国兵が、巨人の頭頂部で満面の笑みを見せていた。
何が美しいのか全く理解できなかった。
私の目には邪悪の化身にしか映っていない。
──先ず以て、そいつは竜械人とは一線を画す姿をしていた。
人型のボディに角、翼、爪、尾といった似通った特徴は見受けられるものの、造形は全く違う。
鱗が消えて、赤い光沢を備えた皮膚。その表面を幾何学的な紋様が覆っている。
何より目立つのはその目だ。昆虫の複眼のように大きな黄色い眼球が相貌に収まっている。
生物の範疇を越えた無機質さを与えてくる。
自然に生まれた生命ではなく、意図的に造りだされたモノという印象を強く抱かせる。
それが、完成された竜人という存在なのだろう。
「けれど残念ね。あの姿になってしまった以上、使い捨てる他なくなる。ああ、本当にもったいない」
言葉を聞いてはいけない。思考を誘導されてしまう。
けれど、けれど……ああ、クソッ! どうすればいい……!?
どう考えても向こうの方が強敵に違いない。けれど、目の前の女も無視できるような相手じゃない……。
『ジェーンちゃん、もうあいつの話を聞いて惑わされることはないよ。恩寵によるバフが掛かったから。だから、落ち着いて』
その言葉を聞いて、即座に溶岩の巨人から距離を取りつつ、竜人と両方を相手取れるような位置に移動。
……落ち着いて確認してみると、確かにバフがいくつか掛けられてる。それもかなりの上昇率の気がする。
ギフトってなんだ? アレが現れたことと関係あるのか?
『うん。ウチたちはレイド戦──冠名級モンスターとの戦闘に参加する人たち全員に支援を送れるの。それが恩寵』
……龍様たちがどうしてそんなことをしてくれるんだ?
いや、貰えるならありがたく受け取るけど、竜って龍様側の存在だよな?
『違うよ。人間もドラゴンもウチたちにとってはどちらも変わりない生命。ただ、ドラゴンは人を滅ぼさなければいけないという命令に従って動いてる。けれど、ドラゴンは人間よりも遥かに強い。バランスが釣り合ってないんだ。実際、この世界には何度もドラゴンによって国家が滅ぼされてるし。だから、何とかバランスを保てる形にするために、ウチたちが支援を送るようになったの』
それがギフトってわけか。
さっき聴こえた天の声の内容じゃ、地母龍と黒淵龍と……虹彩龍が支援してくれたって事か?
炎昇龍は敵側だからいないのは分かるけど、他はギフトをくれないのはどうなってるんだ?
『ん……ウチたちも一枚岩じゃないんだよね。皆色んな考えを持ってるからさ、そもそも人間を嫌ってるから絶対に恩寵はやらん! とか言ってるヤツもいれば、人間に興味ないからどうでもいい……みたいな子もいるんだよ』
それは……何というか意外に人間臭いんだな、龍様って。
『アハハ★ そりゃそうだよ。意思や感情があるんだから、どうしたって原型に似てくるよ』
原型って……。
『正直、地母龍が許可出したのはビックリしたけどね! 今回が初めてじゃないかな、あの龍が恩寵を与えたのって。緑竜の時でさえスルーしてたのに』
緑竜──その時も同じように天の声が流れて、龍からギフトが与えられたのか。
王国を滅亡に導くかもしれない災厄を討伐するという時でさえ、かの龍は動かなかったが、今回は動いた。
それだけで、今回がどれだけヤバい状況なのか理解できてしまう……。
『いや、場所が関係してるだけなんじゃないかなって思ってる。あの龍は意思とかそんなものが存在しない、もっと機械的なものだから』
え……? それはおかしくないか? 何で地母龍だけ──、
『ジェーンちゃん後ろ!』
「!?」
パァン! と、乾いた破裂音が後方を駆け抜けた。
慌てて距離を取って振り返ると、溶岩の巨人の腕部が根こそぎ吹き飛ばされていた。
何事かと思いよく伺えば、アルルが腕をこちらに向けていた。何かを放ってサポートしてくれたんだろう。
「……何なのかしらあの子は。古川を吹き飛ばしたというのも嘘ではなさそうね」
ようやくアルルの異質さを感じ取ったのだろう。けど、コイツの相手は私がしなきゃいけないことだ。
『色々考えるのは後にしよっか。それに、向こうに気を割いてる暇はないよ。こっちはこっちで笑えないくらいの強敵なんだから』
そんなこと言われなくたって分かってる。
分かってるつもりなのに、身体が思うように動いてくれない……!
『ジェーンちゃん。キミは今、あの子に背中を預けられてるんだ。だから、前だけを向いてなきゃダメだよ』
分かってる。
痛いほどに信頼されてることも、アイツが今どんな気持ちでいるのかも。
けれど、そうするしかないと分かってても、私は……。
アイツを、レイルを、どうしてもあんなものと戦わせたくない……!
「あぁ、傷が治ったのね、あの子。やっぱりよ、そうじゃなきゃいけないわ。特別なのよあの子は。炎の龍に選ばれた、たった一人の人間。あの子によって私たち帝国の未来は切り開かれるのよ」
レイルを見て、心酔しきったような顔で語るホシザキ。
その瞳の奥には狂信的な光が宿っている。
狂ってるんだ。理解しようとしなくていい。
「あの子の細胞一つ一つを有効活用しなければいけない。昔はとてももったいないことをしてしまっていたわ。切り落とした腕も足も大した研究をせずに捨ててしまったのだから。でも今は違うわ! あの子の細胞から分泌物に至る全てを余すことなく利用し尽くすの!」
「──オイ、黙れよクソババア」
何かが切れる音がした。
熱が冷めた。いくつかの問題がどうでもよくなった。
怒りというものの臨界点を超えると、逆に冷静になるらしい。
初めての経験だ。
初めて、本気で人を殺したいと思った。
この女を、何としてでも殺さなければいけない。
背後から攻撃が迫る気配がした。巨人の残った片方の腕は動いていない。
いや、腕が二本などという固定観念は捨てるべきだ。
相手は流動体。溶岩を自在に操り、形状を変化させることができる。
「──魔術式呼出」
襲い掛かる背後の気配に向かって、私の身体に追従している魔術陣から上級水属性魔術を再発動。
怒涛の水流で迎撃しつつ、私はレイルに背を向けた。
「ウダウダ考えるのはやめだ。オマエをさっさとぶっ殺してからレイルを守ればいい。それで全部解決する」
「あら、あんなに素晴らしい生命を前にして背を向けるなんて。損をしているわよ、あなた」
「どうでもいいんだよあんなのは。オマエのようなゴミクズを一刻も早くレイルの目の前から消し去るのが先だ」
「……ハァン、言うわね。なら、こっちもさっさと終わらせて、向こうの観察をさせてもらおうかしら」
溶岩の巨体から一気に5本の腕が生えた。
どうでもよかった。
息を吸って、吐いて、やるべきことをやるだけだ。
まずは──ずっと傍観に徹してくれている通信の向こう側に情報を送る。
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