82.たった一つのシンプルな解決方法
「火、発して、燃え盛り、圧縮し、炸裂せよ!」
「!」
短縮詠唱の爆裂魔術を先制して放つ。
無論こんな攻撃でやられてくれる相手ではないことは十分に理解している。
相手はその手の甲に龍痣を宿していた。
レイルに竜の心臓を埋め込んだという帝国の兵士──炎の龍の力を継承した者。
それはつまり、義兄さんと同等以上の力を持っているということ。
案の定、爆破の際に生じた煙の向こう側には、無傷の赤髪の女の姿が見えた。
「あああぁぁぁ……全く、礼儀も何もなっていないわね。報告通りの野蛮人だこと」
爆破の威力が丸ごと消されたのか、その女より後ろ側には何の影響も与えられていなかった。
炎の龍の力を持っている以上、火属性の攻撃自体がコイツに効かない可能性は多いにある。
そうなってくると、得意属性が火に偏っている私の魔術の大半が意味を成さないことになってしまう。
「ねぇ王女様? 言葉による交渉をしてみようとは思わなかったのかしら? せっかく言葉を理解する知能を持った種族に生まれた者同士なのに」
目の前の不俱戴天の敵は突然そんな事を宣った。
先制攻撃という敵対行動を行ったにも拘らず、言葉による交渉とやらがお望みらしい。
ならばこちらもそれに従おう。
「いいぞ。じゃあオレからの要求だ。レイルを人間に戻せ。もちろんそれだけじゃ到底足りない。アイツがこれまで受けたありとあらゆる苦痛の対価を支払え」
それが交渉の最低ラインだった。
「……ねぇ、どうしてあなたが交渉できる立場にあると思ったのかしら」
赤い髪を揺らしながら女はそう言った。
イラつきを隠そうとしない声色。
努めて冷静を装ってはいるものの、その内心は怒りで煮えたぎっていることがよく分かる。
「まさかあなた、自分が優位に立っていると思っているの?」
「馬鹿かオマエ、そんなもん当たり前だろうが。むしろオマエの方がオレに対して交渉できる立場であるとでも思ってたのか?」
私の台詞一つ一つに、女の怒りが蓄積されていくのがよく分かった。
相手の感情を制御するのは戦いにおいて基本中の基本だ。
「オマエ、逃げられると思うなよ? これだけのことをやらかしておいて、何か一つでも上手くいくとでも思ってるのか? もしそうなら、とんでもなく脳が足りてないぞ」
「……」
私は。
私は、既にこの女よりも、怒っている。
心の奥底から、沸々と湧き上がるこの感情が。
今にも私の身体を焼き尽くしてしまいそうなほどに。
「オマエには二つの選択肢がある。このまま大人しく捕まって帝国の情報全てを売り渡した後死ぬか、それともこの場でオレに殺されて死ぬか」
「……さっきから黙って聞いてりゃ、随分と舐めた口を利くわ」
炎の勢いが増していく。
先程までとは比べ物にならない熱量が周囲に渦巻いた。
「ねぇ、王女様。私が、私という存在が。たかが王家の血筋というだけで勘違いした小娘一人の手に負えるようなものだとでも思っているの?」
大仰な手振りでこちらを煽るような仕草をする。
炎が舞い上がり、何やら怪物のような姿へと姿を変えた。
だから何だという話だった。
「知らねえよオマエが誰かなんざ。気狂いの類なのは間違いないだろうけどな。なあオイ、さっさと答えろよ。オレの選択肢のどっちにするんだ? それともあれか? オレの言葉が理解できてないか? 言葉を理解する知能を持ってなかったか?」
「囀るなメスガキィッ!!!」
あくまで冷静な対応を心掛けようとしていた女の仮面が崩れ去り、本性が露わになった。
「五体満足の生け捕り予定だったから下手に出てやったのにィィィ!! こンのメスガキャア!! 焼いて達磨にしてやる!!」
轟、と一瞬にして辺りを包み込むほどの炎柱が形成され、私の方へと一直線に向かってくる。
私は、それを──、
「ジルア!」
切羽詰まったアルルの声が聴こえた。
未だに後方で私を気にして心配してくれているんだろう。
正直、今の煽り合いはレイル達を撤退させる時間稼ぎも兼ねてたんだけど……。
アルルが私を助けると言った以上、この場を離れることができないのかもしれない。
なら、さっさと私が手助け無しでもコイツと戦えると、アルルに分からせてやらないとダメだ。
「──権限取得:属性・火」
魔力に物を言わせた強引な制御術式。
迫り来る炎波をそのまま私の左手へと収束させてゆく。
ついでとばかりに、辺りの廃屋に飛び火していた分も吸い取って消火も忘れない。
「……あ? こんだけか? デカイ口叩いた割にショボいな」
相手を煽ることは忘れずに。
冷静にさせたらその分だけ不利になるのだから。
……あぁ、どうしてだろうか。
私は、身を焦がすほどの怒りを感じながらも、同時に、とても楽しくなっていた。
口角が上がるのを抑えきれない。
目の前の女は、間違いなく強者だ。
クロライト迷宮の竜など比べ物にならない。
今まで出会ったことのないほどの、難敵。
……けれど、けれど!
ああ、何だか、もうおかしくなってしまう。
「はっ! アハハッ!」
気付けば笑いが漏れていた。
なんでって、だってもう笑うしかない。
出した事無いほどに大きな声を張り上げて。
後ろで見ているレイルに聞こえるように、はっきりと伝えた。
「おいレイル! オレをしっかり見とけ!」
──私の役割は、決まっていた。
「今からコイツをオレがぶっ倒してやる! オマエの身体の問題も、コイツを倒せばそれで全部解決だッ!」
レイルの身体を元に戻す方法を知っていれば、それを行わせる。
知らなければその龍痣の力を奪って、代償に使えばいい。
ごちゃごちゃしていたあらゆる問題が、私が目の前の敵に勝つことで、全て解決できてしまう。
何ともシンプルで素敵な解決法だった。
*** *** ***
微かな虹の残滓の後に、二人の少女が現れていた。
その内の一人の顔を忘れるはずもない。
『アイリス』
どうしようもなく運命力が不足していたこの最終局面に割り込める者など無に等しい。
それこそ、運命を司る龍様か、或いはそれに近しい存在くらいのものだろう。
そして今この王都においては。
唯一彼女だけが、運命力という理の外から干渉できる存在だった。
『──あの子は、まだ人間の真似事などしているのか』
炎が、スヴァローグが、ポツリと呟いた。
その悲しげな声は、今まで敵対していたことさえ忘れそうなほど。
慈しみさえ感じられる声だった。
虹の龍──人の身に堕ちた龍、人の視点に立った龍。
人に真の意味で興味を持ってしまったもの。
龍たちの、末の妹。
『あれだけの献身を裏切られておきながら、なぜあの子は未だ人に執着する? 当機には理解不能。演算不能だ』
炎の龍は、もはや人に対する興味を失っていた。
人に失望しきっていた。
対して私は。
私は、人に失望などしない。
『……人の素晴らしい一面とは』
人のために創られたからという理由じゃない。
『愛という説明が付かない不合理なもののために、命を、自分自身の存在を懸けられることです。それは時に、多くを巻き込み滅ぼしてしまうほどの灼熱となり──たった一人を救うための情熱ともなりうる』
確固たる信念が形作られているから。
『説明の付かない曖昧な概念をどうやってシステムに落とし込んだのか、管理を担う私ですら未だ到底理解が及んでいません』
黒淵龍という機能は、そうやって生を迎えたから。
『それでも、私はそれが美しいと感じました』
たとえ、どのような結末を迎えるとしても。
人の紡ぐ愛の物語というものは、美しいのだ。
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