79.再炎する悪夢
浮上する。
自己を再認識する。
再び地獄へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
意識を無理やり覚醒させる。
「──……!」
途端、痛みという痛みが全身に染み渡る。
全身を毒液に浸されているような地獄の苦痛。
一瞬にして心が引き裂かれそうになってしまうほどの痛覚が叩きつけられる。
「ァ"ッ゛!! ッ゛~~~!」
ごぼりと血を吐き出しながら、苦痛に呻く声が漏れた。
いや、声にすらなっていない。
顔の下半分が焼けるように熱い。
喋るための器官がまるごと失われているのかもしれない。
『レイルっち!!』
呼びかけられた。
その声は誰のものだったか。
必死に目の焦点を合わす。
「──……ッ……」
何だか、小さくて黒い、鳥みたいなものが羽ばたいているのが見えた。
……これはなんだろう。
『自力で戻ってきたのっ!? ふ、二人ともレイルっちが目ぇ覚ましたよ!』
「レイルさんっ!」
「お兄さんっ!」
更に別の二人から呼びかけられた。
目線だけでその方向を確認する。
白銀の長髪の女の人と、栗色の髪を二つ結びにした少女だ。
「ゴボッ! ゥ、ッ……!」
『無理に喋ろうとしないで! 考えるだけでウチには伝わるから!』
……あぁ、ジョーガちゃんか。随分可愛い姿になったなぁ……。
それと、二人は……ミーシャさんと、……もしかして、さっき破落戸から助けた子か?
『そうだよ! 二人ともウチの声を聞いて駆けつけてくれたの!』
「レイルさんっ! よ、よかった……」
「まだ傷が全然塞がってません! どうしてっ!?」
……ジョーガちゃん、今、どういう状況なんだ?
さっきの帝国の奴らはどうなった?
『何とか押し留めて私だけ戻ってきたけど、アイツらももうすぐ出てくる! 今すぐここから離れないといけないんだけど、キミの身体がっ……!』
そういうことか。
じゃあ、立ち上がらないとな……!
「……ゥ……ッ゛、……ッ!」
「レイルさんっ!? 駄目です、そんな身体じゃ立てないですよ!?」
「血っ、血が! お兄さん……!」
『……二人とも、肩を貸してあげて! レイルっちをこんな目に合わせたヤツがまだここに居る! 早くここから離れないとヤバいの!』
「! わ、分かりました! ユナちゃん、そっちを!」
「は、はいっ!」
無理やり身体を動かして、何とか立ち上がる。
血糊がべっとりと床に染み付いて、固まりかけていたところを無理やり剥がす。
とんでもない量の血が自分から流れ落ちていた。
今、こうして生きているのが不思議なくらいには。
『ほとんど死んでたんだよ、キミは……。竜核も停止して、肉体も限界を超えてて……正直、二人に回復魔術を掛けてもらっても焼け石に水だと思ってたんだけど……』
……。
まだ死ねないってことを思い出したからな。
何とか戻ってきたんだ。
『そんな精神論で何とかなるもんじゃ……いや、とにかく本当に死ななくてよかった。……っていっても、まだ助かったとは言えない。なるべく急いでここから離れよう』
分かってる。
今のこの状態で奴らと戦うことなんて絶対に無理だ。
肩を貸してもらって、ようやく歩くことができるほどなのだから。
……二人には迷惑を掛けてしまって本当に申し訳ない。
『何馬鹿なこと言ってるの! キミがこの二人を助けたからこそこうして縁が繋がって、助けを呼ぶ声が届いたんだよ!?』
──そういう経緯だったのか。
でも、これから二人を巻き込んでしまうかもしれない。
それだけは絶対に避けたいんだ。
『もう誰かを巻き込むとか巻き込まないとか、そんな考えは捨てた方がいい。……今、この王都を五体の竜が荒らし回ってる。無関係の人が既に大勢亡くなってるハズだよ』
……そんな……。
『今はキミが生き残ることを第一に考えて。ヤツらの狙いはキミとジェーンちゃんの二人なんだから』
──!
そうだ、ジェーンを狙っている奴がいるんだ。
こんなところで死ぬわけにはいかない……けど。
尚もダラダラと滴り落ちる血液が、せっかく取り戻した意識をすぐにでも奪いそうだった。
まずはこれを何とかしないことには始まらない。
ジョーガちゃん、何とかする方法はないか?
『……ゴメン、今のウチじゃ無理だ。アイツを閉じ込めるだけで力のほとんどを使い果たしてしまったから、もうこうして対話することしかできない』
……分かった。
それと、ありがとう、そんなになるまで頑張ってくれて。
『ウチのことなんてどうでもいい。これはただの仮の身体だから。それに……ウチはそんな言葉を掛けられる資格なんて無いの』
……?
資格って何のことだ?
『……キミは、βテスターという単語に聞き覚えはある?』
……? べーた……?
『……ゴメン、あるワケないよね。……キミの親──母親がどんな人だったかは覚えてる?』
いや、全くない。俺は物心付いた時から父親と弟妹たちだけで暮らしてたから。
『──そっか、分かった。ゴメンねこんな時に』
気にしないでくれ。それを確かめることがジョーガちゃんにとって大事なことなんだろ?
『うん。けど、ゴメン、今こんな状況下で話すべきコトじゃなかった。今は急ごう』
ああ、分かってる。
***
ミーシャさんとユナという子の力を借りて、何とか廃屋を脱出する。
夜中なのに遠くから絶え間なく聞こえてくる喧騒が、異常事態だということを知らせていた。
王都全域が混沌とした雰囲気に包まれている。
「レイルさん、大丈夫です! 絶対に治りますから、意識をしっかり保っていてください!」
「はぁっ、はぁっ……っ!」
二人に声を返せないのが酷くもどかしくて仕方がない。
俺の汚い血で服を汚しながら、懸命になって助けてくれているというのに。
特に、出会って間もないはずのユナという子が、必死になって自分を支えてくれているのが、嬉しくて、そしてそれ以上に辛い気持ちが湧く。
歩くことに、意識を保つことに、痛みを堪えることに精一杯な自分が、情けなくて堪らなかった。
『──ヤバいっ! もう出てきたっ!』
──!
瞬間、背後から轟音と熱波が襲ってきた。
「きゃああっ!?」
「熱いっ!」
激痛に耐えながら、何とか二人を前方に押し出して腕を広げて覆い被さった。
「ッ゛~~~!!」
遅れて到達した熱波の塊が背中の皮膚を焼いていく。
容易に意識を沈めてしまいそうになるところを何とか堪えて、背後の様子を伺った。
焼け落ちた廃屋。
そこから這いずるように現れたのは──……、
「……アハァ! アハハハハハハハハハッ!」
金切り声を上げて、ずるりと燃え盛る肉体を引き摺り、廃屋から路上へと乗り出してくるナニカ。
明滅する視界の中で、永遠に脳裏を犯していた悪夢が具現化する。
──それはいつかの地獄の再演。
──燃え盛る炎。
──嗤う悪魔。
「あぁぁあ──我は深淵を見たり」
その声に、その姿に、全身が硬直してしまう。
この身体に、アレが恐怖の象徴だとして刻み付けられてしまっている。
「我は龍の御業に触れたり!」
炎で構成された身体が歪み、人間のそれへと変貌していく。
真っ赤な長髪をした、女の姿へと。
せめて、せめて、後ろの二人だけは、守らなければいけないのに。
身体が、動いてくれない……!
「嗚呼、なんと素晴らしい体験! 得難き奇跡! この感動、この感激、この興奮、歓喜陶酔驚嘆愉悦昂揚悦楽快感絶頂ッ!!!」
悪魔が高らかに狂声を上げ続けている。
「いい……何もかもが光って見えるわ……! 今までの人生でこれほどの高揚を感じたことがあったかしら……? いいえ、無い!! 断言できるわ! 私は今、これまでの人生で最大の幸福を享受しているのよ!」
「闇の龍の瞳に囚われてなお私は生きている! 叡智の炎が私を生かした! 炎の龍よッ! 感謝いたします!」
「天命は私に在るッ! さぁ私の最高傑作! 愛しい子よ! 私の元に帰りなさい!」
お芝居のような大仰な仕草と台詞回しで、声高らかにそう叫んだ悪魔。
近づいてくる。
ヒールの音を響かせながら、炎を背に、悠然と。
動けない。
痛みと恐怖が、俺の身体を動かしてくれない。
──『いつかは君も、大切な人たちを守るために戦わなければならない場面が来る』
それが今だというのに、どうして俺は戦えないんだ……!
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