61.パラグラフ14へ進め
「ハァッ、ハァッ……ぐぅっ……!」
走って走って、地下通路を駆け抜ける。
背後から恐ろしいほどの熱量が迫ってきて、剥き出しになった背中の皮膚を焼き焦がす。
それも痛いが、それが比にならないほどに全身が悲鳴を上げていた。
当然だ。限界を迎える寸前の身体だったのだから。
(それでも……ッ!)
足は止めてはいけない。
意識を手放してはいけない。
ジェーンに危険が迫っているのだから。
「はあっ、はっ──」
破落戸達が集まっていた部屋を横切り、廃屋へ出るための鉄梯子を目指す。
──もう少し冷静に状況を観察していれば、それに気付けたのかもしれない。
けれど俺はそれどころではなく、ここから出てジェーンに会わなければという気持ちで頭がいっぱいになっていた。
だから──通路の先に光が灯っていたことに気付けなかった。
「おォラァッ!!」
「──ぁぐっ!?」
鉄梯子のある小部屋にたどり着いたと同時に頭部への衝撃を受けた。
視界がブレる。
遅れて激痛が走り、息が出来なくなった。
「う、ぐ……!」
思わず膝を付いてしまって、起き上がれない。
視線だけ上に向けると……部屋に居たはずの破落戸の一人が、棍棒を持って見下ろしていた。
「コイツ! 俺の手を折りやがった奴だ!」
「ジャイアントベアかよ。デケェ図体しやがって」
見れば、あの部屋に居た破落戸全員が揃って武器を持ち、目の前に立ちふさがっていた。
部屋の脇に隠れて待ち伏せしていたのだろう。
──どうしてこいつらが動いている?
ジョーガちゃんの技を受けて動けなくなっていたはずなのに。
……龍様としての姿で来る際に、技の効果が切れたのか?
「オラァッ! この野郎! お礼だ! オメェの手もぐちゃぐちゃにしてやらぁ!」
「ぎっ……!」
棍棒が振り下ろされ、頭を押さえていた右手ごと殴りつけられた。
骨が砕ける嫌な音がした。衝撃と痛みで意識が飛びそうになる。
そこへさらに追い討ちを掛けるように、振りかぶった足が腹に入った。
「ごふっ……!? げほっ! ゲホッ……」
「ヒャハハッ! ざまあみろ!」
「な、なぁ大兄貴……こいつ今どこから出てきたんだ……?」
「あぁ!? そんなの魔術かなんかで隠れてやがったに決まってんだろ! オラッ!」
「いつの間にか俺が連れてきた女も消えて時間が飛んでやがるしよぉ……そんな訳の分からない真似ができるのは魔術師って昔から相場は決まってらぁな」
「おいお前。女をどこに連れていきやがった? お前一人か? 仲間は?」
……痛い。
もうどこが痛んでいるのか分からないほどに身体中が痛い。
麻痺して感覚が無い箇所すらある。
このまま気を失えば、今までと違って帰ってこれないんだろうなと漠然と感じた。
俺が昔のままだったら、喜んで意識を手放して楽になっていたんだろう。
──でも、今は。
ジェーンがいるから。
「おい、聞いてんのか? 気ぃ失っちまったか? ──へぶっ!?」
髪を引っ張って無理やり顔を上げさせられた勢いで、目の前の男に頭突きをぶちかます。
──この程度でやられるわけないだろうが!
「テメェ! 何舐めた真似してやがんだ! 調子乗ってんじゃねぇぞコラアァッ!!」
「──っ、ア ァ ア ア ア ア ッ!!」
力の限り叫ぶ。
振り下ろされた棍棒をひしゃげた右手で受け止めて、反撃に左手を叩きこんだ。
男は吹き飛んで壁に激突する。
力の加減など今更できるはずがない。
どうでもいい悪人の心配なんて、出来るはずもない。
「は……?」
「あ……あぁ……こ、こいつやっぱり……!」
残りは二人。
少女を誘拐した男と、腕相撲で相手をした大男。
大男が怯えたような声を出して後ずさりをしている。
「チッ……オイ! 相手は手負いだ! 二人掛かりで仕留めるぞ!」
「兄貴! こいつは無理だ! 普通じゃねえ……! 俺は奴の相手をしたから分かるんだ!」
「馬鹿言ってんじゃねぇ! 戦うしかねえんだよ! 逃げ場がこの梯子しかねえんだ!」
「でも兄貴! ──」
「──」
「──」
喋る言葉がぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃと意味の分からないノイズになっていく。
掛かってくるのかこないのかどっちなんだ。
躊躇うくらいなら最初から襲い掛かってこないでくれ。
時間がもったいないから道を譲るか消えるか早くしてほしい。
──────/──────。
違う。違うな。
待ってる場合じゃない。
進まなくちゃいけないんだ。
立ちふさがる者は何もかもを薙ぎ払って進め。
だって、ジェーンに危険が迫っているんだから。
***
「ハァ……はぁっ……」
──ジェーン。
お願いだから無事でいてほしい。
俺の唯一の相棒。
一番大切な人。
俺の、特別。
ジェーンが居なかったら、俺に生きている意味は無いんだ。
「はぁっ……くっ……!」
ひしゃげた手で鉄梯子を掴むのが難しい。
汗なのか血なのか、色が分からずもはや判別できないけれど、滑って落ちそうになる。
どれだけ時間が過ぎているのかすら分からない。
あらゆる感覚が消えさっていっている。
「──ふ、ぐ……!」
鉄梯子の最後の段を抜けて、やっと廃屋へ戻ってきた。
ここから城まであとどれくらいあるんだ。
走らないといけないのに身体がいう事を聞いてくれない。
体力だけが頼りだったのに、今や全身が悲鳴を上げて役に立たない。
城に辿り着けるかどうかすら怪しい。
──それでも。
「はあっ、はぁっ……」
それでも、行くしかない。
行くしか──「驚いた。本当に逃げ遂せるとは」
「は────ゴァッ!?」
────。
────────。
────────────────。
***
「おっと……意識を飛ばすだけのつもりだったんだが、顎ごと消し飛ばしてしまったか。悪いな、この身体にまだ慣れていなくてね」
王国騎士団の鎧を纏った男──帝国の間者はそう言うと、脚甲に付いた肉片を足を振って払い除けた。
「下での出来事は聞いていてな」
間者は廃屋の中へと入りこみ、横たわった血まみれの大男──レイルを見下ろした。
「事態を察して戻って来たのさ。誰がお前を助けたかまでは知らんが残念だったな。先ほど反応が消失したぞ」
髪を引っ掴んで、顔を覗き込む。
「対してこちらの反応はアリ。まぁ、あの女が死ぬわけがないしな」
レイルはまだ意識を保っていた。
だがその目の光は消えかけており、虚空を眺めるように焦点を失っていた。
下顎の部分は千切れ飛んでおり、喋ることすらできない。
ゴボ、ゴホ、と血混じりのか細い呼吸を繰り返しているだけだった。
「オリジナル。もう動けないか? ──残念だが第二王女は俺が貰う」
レイルの瞳孔が収縮した。
「俺自体は全く興味がないんだが、記憶の方に引っ張られてしまったみたいでな。──中々に厄介だな、竜の強欲というやつは」
「──! ──……!」
レイルは声にならない声で叫んだ。
コヒュー、という間抜けな呼吸音にしかならなかった。
間者はレイルから手を離すと、懐に手を入れて何かを取り出した。
「これが何だかわかるか?」
レイルの目の前に取り出した物体──四角い小さな箱を突き出した。
「王都の地下に待機させている竜達に命令を出す装置だ。総勢五体。王都を滅ぼすとまではいかんが、確実に機能は停止するだろうな」
止めてほしければ奪ってみせろとでも言いたげに、装置をレイルの眼前で揺すった。
レイルはそれをただ射貫くように睨みつけることしかできなかった。
「実はもう一体用意していたんだがな。運悪く支配から逃れて野放しになってしまったのを退治されてしまったんだ。……そう、クロライト迷宮での一件だ。あれが原因でお前たちは王都に連れ戻されることになったんだったか」
「──!」
「そんなに睨むなよオリジナル。どうせ近く戻されることになっていたんだから、それが少し早まっただけだろう? いいじゃないか別に」
レイルの眼前に突きつけられた装置を指で弾くと、甲高い音が装置から響いた。
「ほら、これで竜達が暴走を開始するぞ。我が王国騎士団は一体どれだけ被害を抑えることができるか……見物だな。まぁ、見届けている時間はないんだが」
甲高い音を鳴らし続ける装置をレイルの目の前に落とすと、脚甲でそれを踏み潰された。
バキィンと音を立てて、呆気なく装置は粉々になった。
「しばらくそこで大人しくしておけオリジナル。直に地下からホシザキもやって来るだろうからな」
ギュチチチチチ──と、不快な音を立てて間者の背に骨が突き出し、肉が追随して再生していき──翼を形成した。
赤い鱗に覆われた、巨大な翼を。
「俺はこれから王城へ向かって王女を攫ってくる。なに、あの頭の緩い女ならば簡単に騙されてくれるだろうさ。何しろ昼間に面会済みだからな。さして怪しむこともなく俺についてくるはずだ」
翼を生やした異形はレイルに背を向け、廃屋を後にした。
「──……」
レイルはゴボリと血を大きく吐き出して、それきり反応は無くなった。
ゴウ、と風が吹いて廃屋の中に吹き込んだ。
廃屋の扉の向こうには既に異形の姿はなかった。
──開け放たれた扉の外から、地を揺るがすような咆哮が幾つも響いていた。
***
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