59.帳は下りて地獄が顕るⅣ
轟音。
鉄の扉が紙切れのように切り裂かれて粉塵が舞った。
「!?」
部屋の中にいた二人──真っ赤な長髪の軍服の女と、王国騎士の鎧を纏った切れ長の目の男が、けたたましく響く破壊音の方へと振り返る。
粉塵が舞う中、重い足音を響かせて、扉を破壊した乱入者が姿を現した。
「──あら……誰かと思えば」
「オリジナルだと? ……おい、なぜここに入り込んでいる」
「────」
粉塵が晴れる。
そこに立っていたのは──、
「まさか、こっちが迎えに行かなくても勝手に戻ってくるなんて。やっぱり君は選ばれた子ね。お帰りなさい、0番君」
赤い髪の女に0番と呼ばれたソレは、人間の体をなしていなかった。
額から生えた一本の赤黒い角。
瞳孔が縦に開き血走った眼。
赤褐色に染まった肌。
そして何より異質なのはその右腕。
肘から先が肥大化し、剣のように伸びた鋭利な鉤爪を生やしていた。
その姿は化け物と表す他ないだろう。
「どういう事だ。作戦が漏れたのか?」
「……いえ。ここに居るのは0番君だけだわ。作戦が漏れたとすると、0番君だけがここにいる理由が説明できません。彼が独断でここにたどり着いたと見るべきでしょう」
「オマエ ナゼ イキテ イル ?」
悍ましい声が化け物の口から放たれた。
聞くもの全てを萎縮させるような、重く暗い怨念に満ちた声が響く。
──その声の正体は、スキル:竜の咆哮によるもの。
竜の咆哮はただの雄たけびではない。
相手を威圧し、怯えさせ、恐慌状態にすら追い込むことができる、竜の並外れた通常スキルの一つだ。
だが、化け物の前にいる二人は怯みもしない。
全く効果がなかった。
「私がなぜ生きているか? ……フフ、そうね。私は君の目の前で消し去られてしまったものね」
「オイ……一々話に付き合う気か? 作戦はどうする気だ」
「問題ありません。むしろ楽になったと考えるべきだわ。あなたは王女を捕らえるだけで済むのですから」
「作戦続行ということだな。コイツはどうする。二人掛かりで捕らえるか?」
「結構。あなたは今から王女の確保に向かいなさい」
「承知した」
「サセル ト オモウ カ !?」
ビリビリと空気が震えるほどの咆哮。
地下空間が悲鳴を上げるように軋む。
それすら一顧だにせず、赤い髪の女は笑っていた。
「随分と雄々しくなったわねぇ、0番君。でもね、君は私には勝てないのよ」
「!?」
パチンと指を鳴らすと同時に炎が噴き出した。
何もなかったはずの空間に突如現れた炎は、女と化け物の周囲を瞬時に囲い、まるで檻のように燃え盛る。
「────」
燃え盛る焔の中で、化け物は身動き一つ取らなかった。
いや、取れなかった。
「話の続きをしましょう0番君。私がなぜ生きているのか、その理由よ」
愛おしそうに、狂おしそうに、うっとりとした表情を浮かべながら、赤い髪の女は語り始めた。
「私を消したあの男──虹の龍痣の継承者ね。奴の能力は単純明快にして強力無比。虹の橋──対象を瞬間移動させてしまうの。ありとあらゆる場所への転移能力……それが虹の龍痣の力」
「初動も速い。剣の一振りで剣閃の先にある対象を飛ばしてしまえる。そして自身は予備動作無しで転移可能。……あれでは攻撃を当てることもままならないわ。まったく厄介な相手よ」
「私は奴の剣閃に巻き込まれ、遥か地面の底に飛ばされてしまったわ。普段の転移先をそこに設定してあるのでしょうね。地面の中に飛ばして生き埋めにすれば、大抵の生物は息絶えるもの。わざわざ自分の手で殺めずとも済む、実に合理的かつ残酷なやり方だわ」
「でもねぇ、私も龍痣の継承者の一人。偉大なる炎の龍の龍痣をこの身に宿す者。そんな程度じゃ死ねないのよ」
ドロリと女の皮膚が溶け落ちた。
その中身が露出する。
燃え滾る溶岩が内から現れ、ドロドロと溶けていき、原型を失くしていく。
人間だった姿は見る影もなく、形容しがたい怪物と化した。
「炎熱同化──風の龍気は必要なく、肉体すら必要なく……炎の龍気──熱だけあれば私は生きていける。地熱によって生命活動を維持し、地下深くに流れる岩漿を取り込み力を蓄え……そうして私は生き延びたわ。地の底に送り込んだのが裏目だったわね」
地下空間の温度が急激に上昇していく。
人が生存できる温度をとうに超えて、陽炎が立ち上った。
「────」
人外同士が相対する。
化け物は汗一つ流すことなく溶岩の怪物を見据えていた。
「まぁ、地の底から抜け出すのにかなりの時間と労力を費やしたのだけれどね。やっと地上に戻れた時には、我が帝国の状況はずいぶんと様変わりしていたわ」
「防戦一方よ。虹の龍痣の力には帝国の技術では敵わなかった。なにもかもを地の底に飛ばされて後すら残らない。拠点と人員を使い潰して何とか戦線を維持していたのよ」
「戦闘行為にすらなっていなかったわ。一方的に甚振られているだけだった。酷いと思わないのかしらねぇ」
「けれどそれも仕方ないわね。アレに戦闘を挑むこと自体が無謀だわ。……別の方法で対処するべきだと、私は進言したの」
0番と呼ばれた化け物は動かない。
動けない。
相手に有効打を与えることができないと悟ってしまったからだ。
目の前の怪物には、物理的な攻撃は一切通用しない。
魔術やスキル等による特殊な攻撃しか効果はないだろう。
「絶大な戦闘力を保有していると言えど所詮人間。本人に太刀打ちできないのならば、周りから切り込んでやればいい」
「そう──具体的には、あの男の親族を人質に取ろうと考えたの」
威嚇するように低い唸り声を上げる化け物。
その口の端からは炎が漏れ出ており、徐々に火力が増していく。
その臓腑は灼熱を宿す竜の炉心。
ひとたび息吹として吐き出せばあらゆるものを灰燼と化すだろう。
だが、目の前にいる怪物には、効かない。
それが分かっているからか、怪物は0番の様子に構わず話を続ける。
「虹の龍痣の継承者の正体は、緑竜殺しの英雄──ルノア・コンシェール。元王国騎士団の団長であり、現在は冒険者である──現状の調査状況はそこまでよ。家族の有無、経歴、性格、趣味嗜好──王国騎士団にわざわざ間者を送り込んでいたのだけど、全く情報が得られなかったわ。かなり厳重に秘匿隠蔽されているのね」
「けれど──その調査の過程でとんでもない情報が手に入ったの」
怪物が、もはや手の形を成していない、赤く発光する溶けた腕を化け物に向けた。
「──君よ、0番君。……あの男に処分されたものとばかり思っていたのに、君は生き延びていた。私は目を疑ったわ」
「まるで常人のように冒険者に紛れて生きているなんて……とても信じられることではなかったわ。君は近いうちに肉体が竜の心臓の負荷に耐えられず、崩壊していたはずだった。なのになぜ? 何が起こっている? ……私はその時感じた胸の高鳴りを今でも覚えているの」
「一日たりとも君に対する興味が尽きなかった日はなかったのよ? もう一度身体を開いてじっくりと中身を観察したかったけれど……流石に王国騎士団が厳重に警護している中で君に接触する気は起きなかったわ」
「調査に推測を重ねて……その果てに私はようやく答えを得たわ」
まるで恋人へ語り掛けるような甘い響きを孕んだ声で、怪物が囁いた。
「──君は、炎の龍より与えられた命題の答えそのものなの。虹の龍痣の男なんてどうでもよくなるくらい、特別な存在よ」
「君は私の最高傑作。この狂った世界のあらゆる問題を解決し、その先にある可能性を示す存在。……私には分かるわ。帝国の未来は君によって拓かれると」
興奮気味に語る怪物を前に、化け物は冷静に勝ち筋を探っていた。
変貌した己の身体ができることは自動的に理解した。
そして、その能力を以てしても、眼前の怪物に勝利することは不可能であると悟ってしまった。
──ならば、今すべきことは。
一刻も早くこの場から離脱し、王城へと向かっているであろう、一緒に居た騎士団の間者を捕らえること。
けれど──この炎の檻を突破することはできないと直感が告げていた。
「あぁ……どれだけこの日を待ちわびたかしら。君を手に入れるために色々と準備したのよ? こんな拠点まで用意したりしてね」
「全く──面倒な状況を作ってくれたものよ、あの王女様は。……一体どんな確率なのかしらね? 偶々家出中のリュグネシア王女と意気投合して、そのままパーティを組むだなんて」
「君は帝国の明日を担う存在なの。冒険なんておままごとをしている場合じゃないのよ? ──さぁ、帝国に戻りましょう。君の居るべき場所へと」
ジュウジュウと地面を焼き焦がしながら、怪物が化け物に迫っていく。
化け物は立ち向かうことも、引くこともできず──、
「あぁ、安心してね0番君。あの王女様もちゃあんと連れ帰ってあげるから。好きなのでしょう? あの子が」
その言葉に、化け物の瞳が揺れた。
「大人しくしていたらあの子と一緒にいられる時間も作ってあげるわ。あの王女様にも役割があるから、ちょうどいいでしょう?」
「あぁ、そうそう。王女様には人質になってもらうのよ」
「故郷の王女を人質に取られたとなれば、流石にあの男も黙ってはいられないでしょうし、ね?」
ミシリと音を立てて、化け物の足下の大地が陥没した。
「ジェーン ハ オレノ モノダ ! オマエノ モノジャ ナイ !」
ギュチチチチ──と、軋むような嫌な音を立てて、化け物の背中から血とともに白い何かが飛び出した。
骨だ。
肉を裂きながら外へ突き出た骨が、意思を持ったように変形し、やがてある形に収まった。
その原形に肉が寄せ集まって再生していき──黒い光沢の鱗を纏わせた翼へと変貌を遂げた。
ゴウ、と何度か翼を羽撃かせると地面から浮かび上がる。
そして空中に浮かんだ状態で静止すると、牙の生えた口をがばりと大きく開いた。
そのまま大きく息を吸うと、口腔内に極光が発生する程のまばゆい光が集まっていく。
──効果がないと理解しながらも、闘わずにはいられない。
己の大事なモノが奪われるという事は、竜にとって何よりも我慢ならない事だ。
竜の住処から財宝を拝借した盗人は、執拗に後を追われて殺されるという。
それだけでは飽き足らず、その盗人の一族郎党までをも焼き殺したという話もあるほどに、竜は宝を奪う者に対して執念深い。
竜の欲望は、人よりも遥かに強く、深く、重い。
「戦うのね。いいでしょう」
まるで子に言い聞かせるように、優しく、ゆっくりと。
怪物は大きく両手を広げて、諭すような声で語り掛けた。
「君はまだ子供だもの。何をしても無駄だと私が教えてあげなくちゃいけないのよね」
キィィィィンと竜の息吹の充填音が劈くように響き渡る。
そして──、
【ドランコーニア プレイスコード:C53F+9J,G1398881,リュグネシア,アウルム,シラー にて スーパバイザコール が発生しました。】
天の声が鳴り響いた。
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【リクエストオーダー:アンサモン・コール】
【ニューロンモデル:Ⅳ による 申請が受理されました。】
【オペレーションシステム による 承認 ・ ・ ・ 完了】
【周囲一帯 の 闇のマナ を 媒体 とした フレームモデル による 顕現 が 承認されました。】
【アンサモン:コール・ニューロン】
【黒淵龍 が 顕現 します。】
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