50.親子の楔Ⅰ
なんで父上がここに居る。
どうしてここが分かった。
いや、そもそもどうやって急に現れたんだ。
様々な疑問が頭の中に浮かんでは消えていく。
「なぜお前は言いつけを守らない! 今お前がしようとしたことは、人として犯してはならない悪逆な行為だと、なぜ分からない!」
ジンジンと今更痛み始めた右頬と、父上の怒鳴り声で頭がくらくらしていた。
怒られている理由は分かる。
でも、今はそれどころじゃない。
「……うる、さい」
ふらつく頭を振って立ち上がる。
「邪魔を、するな……! 父上であっても、私の邪魔をするならっ!」
「お前は……!」
ここでチャンスを逃せば唯一の情報源を失うことになる。
だから、今は何としてでもこいつを──、
「落ち着いてください、王も、姫さんも」
暗がりから声がした。
闇と同化したような黒色の鎧がするりと姿を現す。
「義兄、さん」
それでようやく事態を把握した。
アルルの変装がバレたんだ。
アルルから私がどこに行ったのかを聞いて、義兄さんの空間転移で飛んできたんだろう。
「姫さん、よく聞いてくれ。こいつは帝国の兵じゃない」
「……何?」
そんなハズない。
「こいつが先の騎士団との戦いで捕らえられた兵だって、確かに聞いたぞ」
「確かにこいつは先の戦いで捕らえた兵だが……こいつの正体は、帝国に金で雇われただけの傭兵団の頭だ」
「は……」
傭、兵……?
バカな、じゃあ──、
「こいつは帝国の情報なんざ何も持ってない。伝達も帝国が関与していない第三者を通じて行っていたのが判明してる」
「……全部、無駄、だったのか」
力が抜けて、その場にへたり込む。
唯一の手掛かりが泡と消えてしまった。
「……オイ、もしかしてそこにいるの、クヴェニール王かよ!? じゃあその頭イカれた女は王女サマか!?」
「黙ってろ、口を挟むな」
「黙ってられっかよ! おい、王様よぉっ!! お前の娘がオレを殺そうとしてんだぞっ!! それも禁術だ! 法で禁じられた魔術で俺を廃人にしようとしてきやがったんだ!!」
傭兵が何やら興奮して捲し立てているが、もはやどうでもいい。
もうこの場所に、状況に興味がない。
……どうすれば、アイツを救える手掛かりが手に入れられる?
「聞いてんのか王様よぉっ! ガキの教育はどうなってんだ一体! 王女が堂々と法を破って人を殺そうとしたなんて他国に知られたらやべぇんじゃねぇのか!?」
「貴様、口を慎め」
義兄さんが剣を抜いた。
別に何も間違っちゃいない。この男が言った事は事実なんだから。
「清廉潔白な賢王が娘の重罪を見逃すのか!? オイ! 何とか言えや!!」
『黙れ』
「ッ! ッ……!? ッ!!」
義兄さんが傭兵を黙らせるよりも先に父上が真言を使った。
男は喉に何かが詰まったかのように声が出なくなり、パクパクと酸欠の魚のように口を開閉させていた。
「先ほどから喧しい。無論私の娘の罪は私が裁く。それに貴様が横から口を出す権利はない」
見た事のない、冷たい目つきをした父上がいた。
私の知る父上とはまるで別人みたいで、思わず身震いしてしまった。
「そも貴様は人殺しに誘拐、強姦、脅迫と数え切れぬほどの重罪を犯しているのが発覚している。それで人の罪を咎めるなど厚顔無恥であると知れ」
「~~っ! ~っ!」
父上が傭兵に向かって淡々と告げていく。
その言葉に反論したいのだろうが、声は出ずただ息だけが漏れていた。
「貴様は終身刑だ。大監獄で生きていることを後悔しながら一生を終えるまでもなく、娘がお前を壊すまでもなく……今ここで私が引導を渡してやっても構わんのだぞ?」
「……!」
冷やかにそう言い放つ王を前に、傭兵は顔面蒼白になって震えていた。
……私も、威圧感に押し潰されそうになる。
王の放つ重圧は凄まじく、この場の空気を支配するには十分過ぎた。
これが、この国の王の姿。
私が知らなかった、父上の国王としての顔。
「立てジルア。城に戻るぞ」
***
闇の中を通り抜けると、そこはもう城の中だった。
義兄さんの空間転移によって、一瞬にして留置場から城まで移動してきた。
……反則技すぎる。あれだけの距離を一足飛びに移動できるとか、ズルいにも程がある。
「こっちだ。来なさい」
父上に促されて後ろを付いて歩く。
今更反抗する気力もない。
スヴェン義兄さんは付いて来ないみたいだった。
父上と二人きりって、一体いつ以来だろうか。
……あまり記憶に残っていない。
階段を最上階まで上がっていく。
また自分の部屋に放り込まれて閉じ込められるのかと思ってたんだけど、どうにも違うらしい。
しばらく歩いて、長い廊下を進んだ中央にある部屋で立ち止まった。
ここは──父上の私室だ。
生前の母上との部屋でもある。
「入りなさい」
ここへ立ち入った記憶は少ない。
物心つく前にはここで育ったらしいが、幼い頃の記憶はおぼろげだ。
一歩踏み入って室内を見渡す。
幾つもの調度品に囲まれた部屋だった。
一目見ただけで高価なものだと思うようなものから、そうではなさそうなものまで様々だ。
だけど豪奢というほどでもない。
姉さんも父上も私も、そういうものにあまり興味がないのは血筋なんだろうか。
「向こうに座りなさい」
部屋の中央にあるソファに座るように促され、足を進める。
座る直前、向かいに座る父上の背後、調度品を飾った棚の一列が目に入った。
「母上……」
棚の硝子戸の向こう側に、光で映し出された母上の姿があった。
──魔導映写機によるものだろう。
絵画ではなく、目で見たそのままの風景を再現する写し絵。
古くに作られて、現代では原理が解明できていない技術の一つだ。
数が少なく、かなりの高額で取引されている代物だと聞いていた。
「……お前は、エファートに本当によく似ている」
父上がポツリと私を見据えて呟いた。
それは、母上の名。
「……私は、母上に似ているの?」
「ああ。見た目ではない、性根の話だ。あやつもお前と同じで本当に破天荒な女であった。とんでもないことをよくやらかして肝が冷えたものだ」
そう話す父上は、私を通してどこか遠くを見据えていた。
「衛兵に魔術を掛けるわ、貴族をぶん殴るわ、挙句の果てに王族に楯突くわで問題行動を数えたらキリがないぞ」
──そんなこと、初めて聞いた。
私は母上がどんな人だったのかを覚えていないけど、周りからの評判は色々と聴いていた。
ただただ、皆から敬愛されていて、慕われていて、大切に想われていたんだろうな、ということは幼い頃の私にだって理解できた。
けれど、父上だけは母上の事をあまり語ろうとしなかった。
だから今、父上が母上の事を語る姿は──……。
本当は、母上の事、何とも思っていないんじゃないかって、ずっと……。
「いつも誰かのために動いて、自分が損をするような事を平然とやってのける女だった。そのせいで周りから反感を買うようなこともあったが、それでも自分を曲げようとはしない。困っている者がいれば誰であろうと手を差し伸べる。……高潔な在り方だった」
懐かしむように、慈しむように語る父上。
その表情も私の知らないものだった。
「私はその輝きに魅せられて──気付いたら求婚しておった。平民だったあやつを娶るのは苦労の連続であったが……その日々すらも愛おしかった」
……んん?
「それまで浮ついた話など一切無かったし、恋愛などに興味も無かった私であったが……ふっ、今思い出しても笑みが溢れてしまうわ。あの時のあやつは非常に可愛かった。恥ずかしがりながらも私のプロポーズを受け入れてくれた時などは、愛おしくて愛おしくて仕方がなかった」
「……」
あれ?
なんか、急に惚気話が始まったんだが。
「あやつを妻に娶ってからというものの、私は変わった。今までの自分からは考えられない程にな。王としての仕事に没頭するばかりだった私が家庭を持ち、子を育てるようになったのだ。それまでの私を知る者からすればさぞかし驚いた事だろう。──特に、後ろの棚を見てみろ。あれらは全てエファートとの出会いの後に私が書いた本だ」
振り返った先の棚に置いてあったのは、数冊の綺麗な装飾の本。
題名は──……『運命の愛──愛しき君に捧げる詩』。
「………………」
「市井にも数は少ないが流通させたことがある。全て売り切れてしまう程の人気作だった」
「いや、絶対何らかの忖度があったと思う」
「何を言う。この本のおかげで恋人が出来ました! なんて言う声もあったくらいだぞ」
「嘘だぁ」
ていうか、キャラが崩れる。私の中の。父上のキャラが。ガラガラと音を立てて。
いや、待って、おかしい。
私、初めて父上にぶたれて、怒鳴られて、説教されてる場面のはずなんだが。
なんでこんな話を聞かされなきゃいけないんだ……!
「──愛というものは、ヒトという種が持ちうる、この世で最も強き力だと私は思う」
「……何、急に」
「まぁ聞け。愛という力があればこそ、我々ヒトという種は繁栄してきたと言ってもいいだろう」
本当にどうした急に。
ここから真面目な話に戻せるのか……?
「だが、その力には弊害もある。それが何か分かるか?」
「弊害って……恋は盲目とか、そういう話?」
「そうだ。恋も愛も、時として己を盲目にする。愛する者のためならば、全てを擲ってでも守り通そうとする者もいる。……今の、お前のように」
そう言われて、思わず黙ってしまった。
確かに、今の私はレイルためなら何だってするし、全てを投げ出してでも守ろうとするだろう。
──けれど。
「私の目は、曇っていない。……帝国は、悪だ。悪党だ。絶対に許すわけにはいかない」
「……」
「私は、レイルが好きだ」
するりと、想いが口から出た。
「愛してる。だから、レイルを傷付けた帝国は許さないし、助けるのを邪魔するなら誰だろうと容赦しない」
「ジルア……」
愛している、と。
言葉にするのは初めてだったけれど、照れもせずに口に出せた。
むしろ心は凪いでいて、とても落ち着いている。
「……気持ちは、分かる」
父上は目を閉じて、ポツリと呟いた。
「痛いほどにな。……私もお前の立場であれば同じことを考える。大切なものを守るために、手段を選ばず行動してしまうかもしれん」
「じゃあ!」
「だが、それではダメなのだ」
「……どうして」
「それは己の命を勘定に入れず投げ捨てるのと同義だ」
「私はっ! アイツを助けるためなら命なんて惜しくは──」
「お前はそう思うだろう。だが、他の者はどう思う? 自分のために戦って死んでしまったら、残された者はどうなる?」
「それ、は……」
「お前が死んだら、悲しむ者がいるということを、忘れないでほしい」
父上の顔が見れなかった。
なんで、急にそんな、普通の親みたいな事を言うんだよ。
そんなこと、今まで一度も──……。
「頼むから、これ以上私を心配させないでくれ。……お前は、エファートが遺した、私の大切な娘なんだ」
本当に。
なんで今更そんな事を言うんだ。
***
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