36.騎士団長は乙女心が分からない
兵士用の食堂へ続く廊下に、ガラガラと何かを転がしている音が響いていた。
「ふん、ふん、ふーん♪」
(……ミセラか)
廊下の柱の影に"転移"してきたスヴェンが、その音と能天気な歌声を聴いて、眉間にシワを寄せた。
「おいミセラ」
「ふんふうわああぁっ!?」
スヴェンが柱の陰から出て、ミセラに話しかけた。
「んもおおぉう!! 団長驚かさないでくださいよおっ!!」
「このくらいの気配は察知しろ」
「無理言わないで下さい!!」
ミセラの叫びを無視して、スヴェンは話を続けた。
「レイルに飯持って行ってたのか?」
「そうですよ。私がレイルの世話役ですからね!!」
ふふん! と自慢げな顔をするミセラに、スヴェンはため息をついた。
「お前、あいつが気に入らないんじゃなかったのか?」
「そうですよ? 気に入りませんけど仕方なくです。長い付き合いになりそうですからね。恩を売っておいて損はないでしょう?」
「長い付き合いって、お前なぁ……」
話を聞いてなかったのか? と続けようとしたスヴェンだったが、やめた。
「……それは勘か?」
「そうです!!」
スキルの影響も大きいのだろうが、ミセラの勘はよく当たる。
だからといって、此度の件に関しては、ミセラの言う通りになるとはスヴェンには到底思えなかった。
「姫様があれだけ頑張ってるんです!! 絶対上手くいきますよ!!」
「……そうだな」
そうなったら、どれだけ良いことだろうか。
……アプレザルが語った、レイルを救うためのただ一つの方法が、一体どれだけ確率の低いものなのか。
スヴェンは痛いほど理解していた。
だが、アプレザルが提示した方法以外に、現状ではレイルを救う手立てがない。
スヴェンは歯噛みしながら、ミセラの横を通り、食堂とは反対側へと足を向けた。
「ミセラ、頬にパンくず付いてるぞ」
「えっ!?」
「嘘だ。慌てるってことはやっぱりお前、レイルの分のメシ食いやがったな?」
「はっ!? だ、騙しましたねお兄ちゃん!!」
「お兄ちゃん言うな。罰として今日の訓練倍にしてやる」
「鬼ですかあんた!!」
後ろでミセラがギャーギャー騒ぐのを無視して、スヴェンは歩を進めた。
……食堂に用があったのだが、ミセラと一緒では用が果たせない。
(本当は甘味の一つか二つ、機嫌を直す土産が欲しかったところなんだが……)
***
王城の一室。
第一王女及び、王配の居室──即ち、自分の部屋にたどり着いたスヴェン。
二つの部屋は隣り合っており、扉一つで行き来できるようになっている。
スヴェンは第一王女──自分の配偶者の部屋の扉の方に立ち、ノックをしてきっちり三秒待った後、声を掛けた。
「ストラス、俺だ。入るぞ」
……返事はない。
構わずスヴェンは部屋の中に入った。
「……俺の部屋の方か」
第一王女の私室だというのに、あまりにも質素な部屋だった。
家具や調度品は最低限の品位を保っているが、必要以上に華美なものは一切ない。
唯一の贅沢品といえば、本人が必死に隠しているつもりであろう、本棚の隠しスペースに置いてある少女文芸の雑誌くらいのものだ。
スヴェンは自室に繋がる扉へと移動し、再度ノックをして三秒、今度は声を掛けずに入った。
「……何をやってるんだ、お前は」
「……」
ストラスが、部屋のベッドに仰向けになっている。
声を掛けても反応がない。
「おい、ストラス」
「……」
意地でも無視を貫くらしい。
スヴェンはため息を吐いた。
「……急に出て行って悪かったよ。仕事でな」
「……私より大事な仕事ですものね。私のことなんて気にしないで、もっと頑張ってきてもよろしいですよ?」
ストラスが背を向けるように寝転がった。
やはり、逢瀬の最中に出て行ったのは悪手だったらしい。
「そう拗ねるな。子供じゃないんだから」
「拗ねてませんーーーっ! 大人の女がそんなことするわけないでしょ!」
「……いや、今のお前の態度はどう見ても」
「もうっ! 拗ねてないって言ってるでしょ! スヴェンのお馬鹿っ!」
バフン! と音を立てて、投げられた自分の枕が顔面に直撃した。
その程度は甘んじて受け入れなければ、王女様の機嫌は悪化の一途を辿るばかりなのは明白だった。
「俺が悪かったから許してくれ」
「……ふんっ」
ストラスは背中を向けたまま鼻を鳴らした。
ある程度の溜飲は下がったらしい。
──女の機嫌が悪い時は、とりあえず謝るに限る。
スヴェンの経験則であった。
投げられた自分の枕を拾い、自分のベッドに腰を掛ける。
部屋を出ていく前にストラスとしていた話の内容を、改めて思いだす。
「……姫さんの方は、どうだ? 何か進捗あったのか?」
「……分からないわ。色んな文献に目を通しているみたいだけど、とても話しかけられるような雰囲気でないもの」
「そうか」
背中越しに、暖かいものが触れた。
ストラスの温度が伝わってくる。
「……いずれにせよ、レイルの事は俺から姫さんに伝えるつもりだったんだ。事は、それが遅いか早いかの違いだけだ」
「……ん」
「だからお前もいつまでも気にするのはやめろ」
スヴェンの言葉にストラスは反応しなかったが、背中に伝う重さが心なしか増した気がした。
「……別に、気にしてなんて、いません。私はやるべきだと思ったことをしたまでですから」
「そう思うならもうちょっと態度に出さないようにしたらどうだ? 慰められたいって顔に書いてあるぞ」
「~~~っ!!」
ぐいぐいと背中に掛かる重量が増す。
言葉で表せないほどにお怒りらしかった。
(これで品行方正で冷静沈着な王女様、なんて言われてるんだから、笑っちまう。──こういうところは、姉妹そっくりだ)
スヴェンの顔に苦笑が浮かんだ。
「どうどう。落ち着けストラス。ほら、大人の女はそんなことはしないんじゃなかったのか?」
「むぅ~~~!!!」
まるで駄々っ子のように身体を揺するストラス。
王女様、ご乱心である。
「いい加減大人しくしろ、王女様」
「っ!」
ひょいと持ち上げて胸に抱えると、駄々っ子の動きが止まった。
「暴れると落ちるぞ」
「……」
ストラスは無言のまま、腕の中で身を捩り、スヴェンの胸元に頭を擦り付けた。
そんな、人前では絶対に見せないであろう王女様の一面を、自分だけが知っている。
そこには邪な感情など一片も存在しない。
ただ感じるのは、命を賭しても守り抜くという誓いの重みが増したこと。
──ただの破落戸も同然だった自分に、命を賭しても守るべきものが出来たのだ。
スヴェンにとってそれは何物にも代え難い喜びであり、誇りでもあった。
そんな、命よりも大切な存在が、悲しみに暮れているのであれば、どうにかしたいと思うのは当然の事だろう。
「……これは口外してはいけない事だが、レイルを助ける方法が一つだけあると婆さんが言っていた」
「えっ!?」
ストラスが勢いよくスヴェンを見上げた。
「本当ですかっ!?」
「あぁ。……ただ、とんでもなく成功確率は低い。話を聞いた俺も無理だと思っちまったくらいだ」
「……それでも、可能性が無いよりはマシなはずでしょう。ジルには?」
「まだ言ってない。そもそもその方法を試すにも、王の許可が必要だ」
「お父様の……?」
「あぁ、全ては王の許可次第だ。……正直俺は、許可を出さないと思ってる。いくら娘の恩人だろうと、事が事だ」
「……一体どういう方法なんですか? 教えてください、スヴェン」
***
「……」
「お前はどう思う?」
「それは……でも……」
王の実娘たるストラスであっても、その反応は鈍かった。
「もしも失敗すれば、王国は力を失うことになる。……成功したとしても、それが元に戻るのかすら分からん」
「…………」
ストラスの表情は険しい。
スヴェンの言う通り、もし失敗したならば王国にとって大きな損失となるだろう。
しかし──。
「……レイル君を失ってしまえば、きっとジルは壊れちゃうわ」
「……」
「愛した者を失う、というのは、それだけで人の心を壊すのに十分なんです」
「……そうかもな」
ストラスが胸の中で小さく動き、身を寄せた。
スヴェンは、抱いた熱の尊さを噛み締めながら、壊さないように少しだけ力を込めた。
「きっと、何とかなるさ。ミセラの勘も、良い方向に転がるって言ってたしな」
「そう、ですよね……」
***
──この雰囲気ならば、とスヴェンは思った。
常々、『乙女心をもっと尊重して!』だの、『もっと浪漫ちっくな雰囲気で!』だのと小言を言われては、夫婦の睦言すら満足にこなせていなかったのだ。
王にグーパンを貰って婚姻を認めてもらってから実に三年。
王からは事あるごとに『孫はまだか』とせっつかれていたし、部下からの視線もそろそろキツイ。
正直、そんな事をしている状況ではないのだが、逆にこういう状況下だからこそ、乙女心や浪漫ちっくな空気というものが醸成されるのではないかとスヴェンは考えた。
スヴェンは胸に抱いた尊い存在を、丁重にベッドへと寝かせた。
「スヴェン……?」
不安そうにストラスの瞳が揺れていた。
それを無視して、額に一つ、唇を落とした。
「ひゃ……えっ!?」
そして、目を真っ直ぐに見つめた。
「っ!? …………っ!」
ストラスも、何をされるのかを理解し……ゆっくりと瞳を閉じた。
──……いける!
GOサインが出された! スヴェンは確信した。
内心では諸手を挙げて喜ぶほどに舞い上がっていたが、それをおくびにも出さずに冷静な声音で告げる。
「ストラス」
「ひゃ……は、はい……!」
真っ赤な耳元に顔を近づけて、要件を手短に伝えた。
「──悪いが、今から人と会う約束があるんだ。だから、それが終わったら、続きをさせてくれ」
「……………………」
バチィン!! と小気味良い音が鳴った。
***
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