29.甘い眠りから覚めて
夢を、見ていた。
「ん……」
酷く怠い心地と共に目を覚ます。
身体が重い。頭も痛いし、全身に倦怠感があった。
(最悪の目覚めだ……)
どうしてだろうと考えて、辺りを見回すと──すぐに昨日の出来事を思い出して納得した。
辺りに散乱している家具の残骸。
空っぽになるまで消費した私の魔力。
……レイルが語った話を聞いて、感情のままに行動したせいだ。
部屋に張られた結界を壊して外に出ようとして、ついぞできなかった。
今の私の力では、婆やの魔術に太刀打ち出来るわけないなんて、分かっていたことなのに。
──それでも、あいつに会いたかった。
会わなければいけなかった。
会って、今話したことなんて、全部嘘だって言ってほしかった。
結局私には、部屋に張られた結界はどうしようも無くて、子どもみたいに泣いて喚いている内に、いつの間にか眠ってしまったのだろう。
目が腫れぼったい。喉も渇いてる。
こんなことをしている場合じゃないというのに、身体は水分を求めていた。
涙が乾いて動かし辛くなっていた目尻と頬を無理やり拭って、ベッドから上半身を起こす。
シャンデリアを割ってしまったせいで部屋は暗いままだったけど、夜じゃないことは分かる。
カーテンから差し込む日差しが、部屋の中をぼんやりと照らしていた。
「ジルアさま。お目覚めなさったようで」
部屋の中で唯一無傷で残っていたテーブルの向こう側から、声がした。
「……婆や」
「お久しぶりですじゃ。良い夢は見れましたかな?」
その言葉で、昨日婆やに夢幻魔術を使われたことを察する。
長い夢を見ていた気がするのは、気のせいではなかった。
「ほれ、お飲みなさい」
婆やの声と同時に、テーブルに中身の入ったグラスが現れた。
……今、何らかの魔術を使ったのだろうけど、私には未だに婆やがどういった魔術を使ったのかすら、検討もつかない。
「昨夜はだいぶ暴れたようで。喉が渇いておりますじゃろうて」
「……」
目も開かないほどに老いて皺だらけの顔。
何もかもを見透かしたように笑みを浮かべるその表情は、ここから出ていく前と何ら変わっていない。
実際、私が何を考えているのかなんて、手に取るように分かっているのだろう。
……婆や相手には何をしても無駄だ。
大人しく婆やの向かいに座り、テーブルに置かれていたグラスを手に取って、そのまま一気に飲み干した。
──檸檬水だ。乾ききっていた身体に清涼さが染み渡っていく。
「ジルアさま、ずいぶんと成長なされたようで。あのように強い魔術を使えるようになっておるとは、婆は驚きましたじゃ」
昨日の、広間での出来事を言っているのだろう。
「……一言で消しておいて、よく言う」
「永く生きておりますゆえ、卑怯な手はいくつも覚えておるのですじゃ」
ほっほっほっ、といつもの調子で笑っている婆や。
そんなことにさえ心がささくれ立っていく。
こんなことをしている場合じゃないのに。
「婆や。お願いだから、ここから出してほしい。会わなきゃいけない人がいるんだ」
「……竜をその身に宿した坊やのことでしょうか」
──竜を、その身に。
昨日のレイルの話がフラッシュバックする。
竜の心臓をその身に移植されて、常に身体に激痛が走っている──という馬鹿げた話。
「会って、どうするというのでしょうか」
「そんなの決まってる! 話をして──」
「酷な事を言いますが、ジルアさまが何をお話になられても、あの坊やの身体に何ら良い影響は及ぼせません」
「な──」
なんで、そんなことを言うんだ。
そんな、そんな言い方じゃ、まるで本当にあいつが、レイルが──
「あの坊やは既に死の淵におりますじゃ。ジルアさまがどんな言葉をかけようと、それは変わりませぬ」
「そ、んなわけないだろ!? だって、レイルはあんなにも元気で!」
「婆にも不思議です。どうしてあの身体で今まで動くことが出来ていたのか……。その身に掛かる苦痛を想像すると、とても正気ではおられません」
言葉が、出てこない。
婆やがこういう場で冗談なんて言うはずもない。
……レイルの話したことは全部……本当だった。
「……婆やなら、治せるよな? 婆やならなんとか出来るよな!?」
「ジルアさま……残念ながら、あの坊やの身体は、治癒魔術でどうにかなる段階をとうに越えておりますじゃ」
嘘だ。
嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だッ!!」
そんなの信じない。
レイルが死ぬなんて、バカな事あるはずない。
絶対に認めない!
「ジルアさま。落ち着いてください」
「うるさいッ!! レイルは死なないっ、死ぬはずがないだろっ!! あの頑丈な奴が、そんなバカなことっ」
──『な? この通り、すぐ治っちゃうんだ。だから、さっきの傷も大したことなかったんだよ』
──。
──『難しい事は考えられないんだよなぁ……雑念っていうのかな。集中できないんだ』
やめろ。
──『あんまりお腹は空かないんだ。俺の分もジェーンが食べていいぞ』
──『身体がこうなったのは突然で──いや、本当なんだよ。そんなトレーニングとかしてないんだって』
やめろ、やめてくれ!
それで、これまでの辻褄が全部合うんだとしても、こんな理由信じられるか!
──『俺の体のことはジェーンに言わないでおいて貰えると、その……助かる』
「──……なんで、だよぉ……なんでっ、そんな、ことっ……!」
怒りなのか、悲しみなのか、もはや何なのか分からない感情が渦巻いて、溢れて。
留めきれずに、零れていった。
「やだ……やだ、やだよ……そんなの……いやだ……!」
「ジルアさま……」
「お願い、だからっ……! もう、馬鹿な事なんて、しないから……ちゃんとっ、王族として、務めを果たし、ます……! だからっ、レイルを、助けてっあげてぇ……?」
「……」
「なんでも、するから……あいつは、私の特別、なんだ……」
特別な、存在、だから……失いたく、ないんだ……。
「……あの坊やが、ジルアさまの──自身にとっての特別だと、そう望んだのですね?」
「……うん」
特別──この龍世界の古い言い伝え。
地と溟、天と虹、炎と氷、光と闇。
この世界を象る八つの龍に、それぞれ対が存在するように。
この世の全てのものには、自身の片割れとなる特別な存在がいる。
──姉さんと義兄さんがそうであるように。
私もいつか、そんな存在と出会えることを夢見ていた。
「ならば、決してその存在を手放してはなりません。……よくお聞きなさい、ジルアさま」
婆やの声色が変わった。
乳母としての優しい声ではなく、魔術の師としての厳格なそれへと。
とめどなく溢れる雫を袖で拭って、婆やに向き直った。
「治癒魔術の原理は、人が元々もつ治癒能力を活性化しているというのは覚えておりますね?」
「うん……」
「あの坊やは、人としての存在が極端に少なくなっておりますじゃ。竜に肉体を喰われ続けている、と言った方が正しいでしょうか」
「……」
一体、どれだけの苦痛を、あいつは味わっているのか。
あの笑顔の裏で、どれ程の苦しみに耐えていたのだろう。
「治癒魔術はあくまで人の肉体に作用する魔術なので、人としての存在が薄くなっているあの坊やには効き目がない、ということですじゃ」
「……それじゃ、どうしたら」
「それ以外の方法を探すしかありませぬ。……例えば……時を巻き戻して、竜の心臓を埋め込まれる前の坊やに干渉する、など」
「そん、なの……古代魔術の類の話じゃないか……」
「左様ですじゃ。これは、そういう領域の話なのです、ジルアさま」
つまり、それは……レイルを助けるためには、この龍世界の深淵に触れなければならないということ。
この龍世界には、未だ解明されていない原理や法則が数多くある。
古代魔術もその一つだ。
時を巻き戻すなんて突拍子もないことも、不可能なんて言い切れない。
「──婆や。婆やは時を操る魔術を使っていたよな? それでどうにかならないのか?」
確か婆やは時空操作系の高位魔術を扱っていたはずだ。
植物を急速に成長させていたのを見た記憶がある。
「小さな物体の時を止めたり、進めたりする程度ですじゃ。因果に介入するような真似は出来ませぬ。ましてや、人の運命を変えるようなことなど。それこそ古代に失われた魔術の領域の話ですじゃ」
「そう……か……」
婆やほどの魔術師でも、時を戻すことなんてできない。
……古代魔術を、手に入れるしか、ない。
でも、どうやって。
そんなの、今から調べて、あいつが死ぬ前に習得できるかどうかも──、
「猶予なら、ございますじゃ」
「え……?」
「因果に介入するような真似は出来ませぬが……その身に宿した竜の進行を遅らせることはできました。今しばらくの猶予はできたかと──おっとと」
「婆や……!」
思わず、駆け寄って婆やを抱きしめた。
やっぱり婆やはすごい!
「ありがとう、婆や……!」
「お礼なら早うございますじゃ。……この猶予が尽きれば、その時は本当に手遅れとなります。──すべきことは分かりますね?」
「──分かってる。絶対に、レイルを助けてみせる」
「婆も出来る限りの力をお貸しいたします。王国各地の魔術院に伝手がありますゆえ、そちらを当たりましょう」
何から何まで、頭が上がらない。
婆やがいなければ希望の欠片も見えなかったはずだ。
「うん、お願い! 私は──」
「ジルアさまには、残念ですがお役目がございます」
「……え?」
役目……? 一体何の……?
「自室で暴れた罰として、3日謹慎せよとの王からの仰せですじゃ」
……。
…………。
「はぁっ!?」
***
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