116.禁じられた記憶
「ええと……つまり、アルルはあなたの娘で、かつ虹の龍アイリスであり、アイリスはあなたの事が好きだということですか?」
「はい、その通りです王女殿下」
親友の豹変ぶりを目の当たりにして放心する私を尻目に、ルノアは淡々と説明をしてくれた。
「それにしても、幼少の頃にお会いしたきりでしたのに、まさか私を覚えていてくださるとは思いませんでした。光栄の至りです」
「あなたほどの人物を、そう簡単には忘れませんよ」
「恐縮です」
幼少期──私が5才の頃の出来事だったと記憶してる。
ルノアは王国騎士団の団長をスヴェン義兄さんに譲り渡して、その後の行方は知れず。
王家との関わりもそれっきりになっていた。
「……落ち着いて事態を把握してみると、色々と疑問が湧いてきました」
「なんなりとお聞きくださいませ、王女殿下」
「もしかしてですが、アルルと──あなたの娘と私は、幼少期の頃からの知り合いだったのでは?」
頭の片隅に朧気に残っていた、そんな記憶。
彼の家族には確かに娘がいた。それも、私と同じくらいの。
共に育って、遊んで、喧嘩して、仲直りをして、また一緒に遊ぶ。
そんな存在がいた。
どうして今まで思い出せなかったのか。
「確かにそうです。王女殿下と私の娘は同じ年の同じ月に生まれた、姉妹同然に育った仲でございます」
「……やっぱり」
ピースが嵌ったかのように、記憶の欠片が次々と繋がっていく。
……もしや、意図的に記憶を消されていた……?
「ある不幸な出来事がありました。私は色んなものを失い……残ったのは、この子だけでした」
「不幸な……出来事……」
何となく覚えている。
もう会えないのだと言う事が分からず、ひたすらに我儘を言って周りを困らせた記憶。
母も、友人も、大事な人が二人も消えて、私はただ泣きじゃくることしかできなかった。
「もし、王女殿下に記憶の欠落があるのだとすれば、それは善意で行われた事だと思いますよ」
「……恐らく、婆やの仕業でしょうね」
ずっと泣いている私を心配して、辛い記憶を奥底に閉じ込めることで、悲しみを和らげようとしてくれたのだろう。
「この子は私の娘アルルであり、虹の龍アイリスでもあります。……失われた娘の命を繋ぎ止めてくれたんですよ、この龍様は」
どんどん辻褄が繋がってゆく。
どうして記憶が欠落していたのかも、なぜアルルが龍様であるかの理由も。
「それでも、完全に娘が戻ってきた訳じゃないんです。あくまでこの娘は……一度死んでるんですよ。亡くなった時点での肉体と記憶を元に、アイリスが娘の肉体と魂を再現してくれた。……龍様の役割までも放棄して」
「……呆れるほどの献身ですね」
ルノアの娘を救うために、アイリスは龍様の役割すらも放棄した。
今ですらそうだ。
レイルを救うために、アルルの姿を放棄してでも助けてくれようとした。
「ええ、本当に。昔からこいつはそういう奴なんですよ」
「んふー♡ んふーーー♡」
「なぁ、そろそろ元に戻ってくんない?」
コイツは一体何回キャラ崩壊を起こせば気が済むんだろうか。
「ほら、アルル。そろそろいいだろ」
「やぁー♡ はなれたくないのぉ♡ 」
「……」
──バッシィ!!
「痛いっ!?」
父親に両足を回して抱き着いている実娘の姿をしたインモラルな龍様のケツを引っ叩いてやった。
お返しだこの野郎。
「はっ!? お父さんニウムの過剰摂取で頭がパーになりかけていました……!」
「オマエホントさぁ……私の涙を返してくれ……」
何だったんだ今までのシリアスな雰囲気は。
「もう大丈夫ってことでいいんだよな?」
「あ、はい。お父さんが来たからにはもう大丈夫です。あらゆる問題が全て解決しました。ハッピーエンド間違いなしです」
「ああ、そう……よかったな、アルル……」
なんか釈然としないけど、ホントに釈然としないけど、問題が解決したのなら、いい。
「レイルさんの事もですよ。お父さんが先に見つけてくれたんですよね?」
「ああ、先に見つけた。──この先のとある場所で、ジルア王女殿下を待ってますよ」
「!」
この先にレイルが──。
「行きましょう。案内します」
*** *** ***
「着くまでの間、少し話をしましょうか。レイルの事でも」
「……はい」
──俺があの子を見つけたのは、帝国領の内にいくつかある、人体実験を行う研究所の中でした。
そこでレイルは竜の心臓を埋め込まれ、磔にされていました。自死できないように、あらゆる自由を封じられ、実験の材料として生きながらえることを強要されていたのです。
一体どれほどの期間をそこで過ごしてきたのか、あの子自身すら分かっていませんでした。助け出した時によく心が崩壊していなかったと思います。
けれど、助け出した当初、あの子は……死にたいと、そう願っていました。その身を蝕む痛みや苦しみは、きっと他の誰にも分からない。永遠に続く地獄の中でたった一人、生き続けていたんです。
俺は……あの子に生き続けてほしいと願いました。……ただの俺のエゴです。こんなに酷い目に合ったのだから、それを帳消しにするくらいの幸せがこの子に与えられないとおかしいと、そう思いました。
地獄の中で再び生きていけと、俺は言ったのです。レイルを無闇に苦しめるだけなのかもしれないと悩みはしましたが……。
俺は身勝手な願望を押し付けて、ありったけの幸せがあの子に訪れるように力を使いました。……けれど、それでも前を向くかはあの子次第でした。
それでも、レイルは俺の手を取ってくれました。……本当に強い子です。自分の身に起きた悲劇を受け止め、乗り越えて、必死に今を生きていた。
それからの事は、きっと貴方の方がよく知っているでしょう。
***
ひたすらに黒い通路を進みながら、ルノアの語るレイルの過去を聞いていた。
おおよそレイルが自分で語ったものと変わりはない。
けれど、レイルはルノアに出会う前の事はひたすら淡々と語っていた。
ルノアの言う通り、きっと他の誰にも分からない、本人にしか知り得ない地獄の日々を生き続けてきたんだろう。
私は……レイルを助けて、その気持ちに応えたい……と思う。
──でも、こんな私に、レイルの横に立つ資格はあるのだろうか?
「着きました。見えますか? あの開いている扉の先に、レイルは居ます」
黒い通路を抜けた先に、大きな白い部屋があった。
その部屋の向こう側には、開いたままの扉。
「この扉は何なのですか?」
「ここはレイルの心の中の世界であり、あの子の心象がダイレクトに反映されています。開いたままの扉というのは、誰かに見られても構わないという意志表示だと思ってください」
「誰かに見られても構わない……?」
「ええ。それくらい幸せな記憶が詰まった、レイルの聖域ということです。私は一足先にあの子をここに連れてきて、中を見せてもらいましたが……」
「……?」
ルノアの顔が和らいで、笑みを堪えるような表情になっていた。
「いえ、これは内緒にしておきましょう。さあ、彼に会いに行ってあげてください」
「早くジルアも私みたいにすきぴとラブラブしたいですよね! 応援してますよ!」
「……」
コイツマジ……いや、もういい。ほっとけ。
うっすらと金色の光が漏れ出している、開いたままの扉の前に進む。
この先にレイルは居る……。
「…………」
じゃあ、この開いた扉の横にある、鎖で雁字搦めにされて閉じられた扉は、一体何なのだろう。
「王女殿下。そっちにレイルはいませんよ」
視線だけで私の意図を察したルノアが先に答えた。
「……この先は、何があるんですか?」
「閉じた扉はそのままの意味です。誰にも見られたくない記憶。封じておきたい思い出。そういうものが詰まっています」
赤錆びた扉。
鎖は執拗なまでに巻きつけられており、まるでその先を絶対に見るなと言わんばかりだった。
「例えば、過去の辛い出来事とか、忘れたい記憶ですね。……ジルア王女殿下、この心象の世界ではそういった記憶に触れることで、魂に致命的な損傷を与えかねません。お気を付け下さい」
ルノアが真剣に忠告してくれた。
それはつまり、それだけ危険な記憶が眠っているという事なのだろう。
……当たり前だ。
それだけの記憶が──レイルの味わった地獄が、この先に広がっているのだから。
「……ジルア? 何してるんですか? その先に進んじゃダメですよ?」
「…………」
足が、閉じられたままの方の扉に向かって進んでいた。
──本当に馬鹿げた事を考えてると思う。
「ちょっと!? 何考えてるんですか!? そっちはダメなんですってば!」
「ジルア王女殿下、貴方は……」
ルノアは、私の馬鹿げた考えに勘付いたようだった。
それでも止めようとしないのは、私の意志を尊重してくれているからだろうか。
「──私、レイルに好きだと言われました。愛してるって言われました。……レイルに庇われて、代わりにレイルが死に逝こうとしている寸前に」
本当に、ズルいと思う。
私の気持ちを知る前に言い逃げしようとして。
「……今の私じゃ、きっとレイルの隣に立つ資格がありません。レイルの献身に応えられるようなものを、私は持ち合わせていないのです」
「い、意味が分かりません! 資格ってなんですか!? 好き合う者同士にそんなものが必要なんですか!?」
アルルの問いは至極当然のもので、きっと私がおかしいだけだった。
こんなの、ただの私の心の問題だ。
「レイルさんに会ってオーヴムを渡せばそれで済む話じゃないですか! 何で死にに行くようなことをするんですか!?」
アルルが本気で怒っていた。
本当にアルルからしたら意味不明なんだろうな。
……だけど、私にだって譲れないものがある。
「確かにその扉を開けば、レイルと同じ痛みを知ることができます。……けれど、ジルア王女殿下。レイルは貴方にそんな事は望んでいませんよ。それでも行くと言うんですか?」
そんな事言われなくたって分かる。
アイツは絶対に止めてくるだろう。
だから、これは完全なる私の自己満足だ。
「……私はずっとレイルを引っ張り回してきました。それが当たり前で、でも、レイルはいつも嫌がらずに付いて来てくれて……。レイルの思ってる私はきっと、前に立って引っ張っていくような存在なんだと思います」
アイツは本当に優しくて、その身体に見合わず気の弱いヤツだと、組んで早々に気付いた。
だから、私が前に立って、引っ張ってやらなきゃって、守ってやらなきゃって思い始めた。
逆だ。
私はずっと、レイルに甘えていたんだ。
私だって何かを守れるんだって、私の力で何かを成し遂げてるんだって。
そんなちっぽけな自尊心を満たすためだけに、レイルに甘えていた。
レイルがどんなに辛い思いをしてきたのかも知らず、のうのうと生きていた。
私はなんにも分かっていなかった。
それなのに、レイルは私の傍を離れないでいてくれた。
私なんかの事を好きでいてくれた。
愛していると、言ってくれた。
「……私に出来ることって、結局戦うことだけだと思ってるんです」
私は、ルノアや、アルルや、義兄さんみたいに、空間転移してレイルを助けに行くことはできない。
婆やみたいに時を止めてレイルを助けてあげられない。
じゃあ、私がレイルのために出来ることは一体何だろうと、ずっと考えていた。
「例え仮初の日々だったとしても、相棒としての役割に嘘は無かった。だから、私は……オレは、アイツの傷を背負ってやりたい。それくらいしないと、きっとオレはレイルに応えられない」
せめて、一緒に居てあげたい。
一緒に戦ってあげたい。
レイルの痛みを分かち合ってあげられたら、きっと私は胸を張ってレイルに応えてあげられる。
「バカッ! 何でこんな時にそんな我儘なこと言ってるんですか! 全部無駄になるんですよ!? 貴方が死んじゃったら元も子もないんですよ!?」
「死ぬつもりなんて更々ない。オレはレイルを助ける。絶対に、レイルと一緒に帰ってくる」
「~~~ッ!! お、お父さんも止めてください! ジルアはバカだから無理やりにでも止めないと本当に行っちゃいますよ!」
「…………」
ルノアは止めなかった。
瞳を閉じてただ黙っている。
賛でも非でもないってことだろうか。
「ゴメン、アルル。こんなところまで連れてきて貰った挙句、全部無駄にするような真似して」
「なんで……それが分かってるなら、どうして、そんなことしようと思うんですか……」
「……ゴメン。でも、絶対に帰ってくるから。その時にまた怒ってくれ」
そうだ。
こんなところで終わらせる気なんて全くない。
禁じられた扉の前に立って、ドアノブに手を振れた。
瞬間、雁字搦めの鎖は全て弾け飛んで消えた。
「……ジルア王女殿下。心の鎖の封印が解けたということは、貴方はその先へと進む資格があると判断されました。それくらい貴方は、心からレイルに受け入れられているのです」
……レイル。
レイルが私を受け入れてくれている。
絶対に見せたくなかったものも、封じておきたかったものも、全てさらけ出してくれた。
なら、私はそれに応えないとダメだ。
ドアノブに手を回して扉を開け放った。
中は赤黒い空間で、死臭に溢れていた。
中に入ればただで済まないのが一目で分かる。
けれど何も躊躇わなかった。
一歩進んで扉の中に踏み入った。
「強い人ですね、貴方は。……レイルをお願いします、ジルア王女殿下」
「ジルア……絶対に帰って来てくださいよ!? 絶対の絶対ですよ!?」
「ああ、行ってくる」
一歩進むと扉が自動的に閉まった。
もう戻ることはできない。
けれど何も怖くはない。
むしろ安心さえしていた。
泣く事しかできなかった私に、ようやく意味が生まれたのだから。