114.貴方が虹を見つけたから
彼女と初めて会った日の事はずっと覚えている。
***
スヴェンに会うために城に出向いた折、書庫に立ち寄った時のこと。
どうしても知りたい知識があって、参考書を探している最中、彼女に声を掛けられた。
『何をしてるんだ?』
深い金色を溶かしこんだように煌めく、長い髪が特徴的な少女だった。
その翡翠色の瞳は子供特有の好奇心に満ちており、一方でどこか理知的な印象を受けた。
──私の記憶はこの子を知っている。
私が私であった時の知り合いで、幼少期の頃からの付き合い。
──リュグネシア王国第二王女、ジルア・クヴェニール。
王国騎士団長ルノア・コンシェールの娘として生まれた私と、同じ年、同じ月に産まれた子。
騎士団の長であるコンシェール家と王家の仲は良好で、家族ぐるみの付き合いをしていた。
あの日から四年──その間一度も会わなかったけど、私達は幼馴染と言えるであろう関係性だった。
『本を探してるだけです。特に面白いことはしてませんよ』
『そりゃあ本を探すのが面白いワケないだろ。変わってるヤツだな、オマエ』
どうにも彼女は私の事など忘れてしまっていたらしい。
人間の頭というのはなんと惰弱なことだろうか。
でも丁度いい。ヒト初心者の私には、初対面からの方がやりやすい。
『私も探してやる。何て名前の本なんだ?』
『何という名前というか、人体の参考書が読みたいのです』
『人体の……? オマエ、医者でも目指してるのか?』
『違いますよ。知りたいことがあるんです』
『何が知りたいんだ? もしかしたら私が知ってるかもしれないぞ?』
ふふん、と得意げに胸を張る少女。
中々に自信があるようで、その言葉を信じて相談してみることにした。
『近親で子を作ると何がいけないのかを知りたいんです』
『きんしんでこをつくる……?』
どうにも伝わらなかったようだった。
『例えば兄と妹で交尾をして子を孕むというのは人の間で禁忌だとされてますよね?』
『こうび……? こをはらむ……?』
『性行為です。セックスって言えば伝わりますか?』
『セッ……?』
駄目だった。
やっぱりこの幼い少女には早かったようだ。
『分かんないみたいですね。じゃあ私は本を探すのに戻ります』
『ま、待て! 私も手伝うって言っただろ! 知らないことがあるのは良くないことだからな! 私もその知識を一緒に学ぶぞ!』
この年の子供にしては、随分と大人びたことを言うものだと思った。
王族という環境がそうさせたのかもしれないし、本人の素養が優れているのかもしれない。
この子はどちらかというと、後者の方だろうと何となく思った。
『私は──ジルアって言うんだ。オマエの名前は何て言うんだ?』
『……アルルと申します。よろしくお願いします王女様』
王女という身分を伏せておきたかったのか、王女様と呼んだ時の彼女の顔はおかしなものになっていた。
あまり仲良くなるのも面倒くさいので、線引きはきちんとしておくことに越したことはない。
それから目的の参考書を見つけ、二人でその内容を確認し、目当てだった知識を得られた。
彼女はまだ意図的に教えられていなかった性の知識を一から十まで知ってしまい、その夜、性の芽生えを迎えてしまったようだった。
その後アプレザルにとんでもなく怒られてしまった。
後から分かったことだが、この時予想していた通り、ジルアは幼少の頃から聡明で頭の良い子供だった。
学習意欲が高く、特に魔術の才覚に優れていて、大人顔負けの実力を有していた。
賢いのは良いことだが、それ故に同年代の友人とは全くと言っていいほどに話が合わないらしく、彼女の周りは一部の親しい人を除いていつも孤独だった。
だから、私を見つけた時、こんなにも嬉しそうな顔をしていたのだろう。
***
『アルル! また本を読んでるのか?』
『アルル! 今日は婆やに新しい魔術を習ったんだ! ちょっと見ててくれ!』
『アルルー! こんなところにいたのか! 私の部屋に来てくれ!』
ジルアは度々城にお邪魔した私をすぐに見つけだし、駆け寄ってきては楽しそうに話しかけてきた。
私たちの交友関係を疎ましく思う人がいたようだから、少し城に行く頻度を下げたこともあった。
そうすると──、
『アルル! ここに居るのか?』
なんと城から抜け出して私のお店にまでやってきたのだった。
そうまでして私と話したかったのだろうかと思うと、私にだって愛着が湧いてきてしまう。
『なんでこんなゴミばっかり陳列してるんだ……?』
『アルル……あの、お願いがあるんだけど……この割ってしまった壺に似たのって置いてない……?』
『……父上とまた喧嘩した。なんで分かってくれないんだろう。皆良いアイデアって言ってくれたのに……』
『家出してきた! ここに泊めてくれ! 一晩くらいならバレないって!』
何かと理由をつけては城から抜け出し、私に会いに来るジルア。
どうやら父親である王様と仲違いをしているらしかった。
その度に私に会いに来ては愚痴を吐いたり、家出してきたりした。
『そもそも私に王族の暮らしなんか合ってないんだよ。もっと自由に生きたいのにさぁ……。はあ、もう疲れたよ……』
『こうして普通にとも……だちと喋ったりしてさ……今からでも普通の村娘として生きることはできないのかな』
『……決めた! 私は冒険者になる! 王女なんかやめてやる!』
そうして彼女は家出どころか王都から出奔する決意までしてしまった。
絶対にそんなことが成功するわけないし、すぐに連れ戻されて終わるだけだと思ったのだけど……彼女はそれから一年もの間冒険者として活動を行い、本当に王都に戻ってこなかった。
どうやら王国騎士総出で見守る計画を練って王様を説得させ、なんとか許しを得たらしい。
許す王様もどうかと思ったけど、王国騎士団もとんだ親バカの集団なんじゃないかと心配になってしまった。
『あのう、アルルちゃん。貴方にお願いがあるのだけれど……いいかしら?』
ジルアのお姉さんであるストラスに影武者役を頼まれた時は、どいつもこいつもジルアを甘やかしすぎだろうと呆れ果てた。
……友人のために色々と融通してあげた私に言えた義理じゃないかもしれないけれど。
一度だけ力を使って彼女の様子を見に行ったことがあった。
龍器で姿を隠し、一丁前に冒険者として活躍しているようで、少しだけ安心した。
……その傍らにいる男に多大な信頼を向けているのを見て、なんだか無性に腹が立った。
***
そうして彼女が帰ってきたと思ったら、随分と様変わりしていた。
『真剣な話なんだ。茶化さずに聞いてほしい』
『助けたい人が居るんだ。……私の、大切で、特別な人なんだ』
『し、しちゃったもんはしょうがないだろ!? こ、恋は急に落ちるものってよく言うし……!』
冒険者の時に組んでいた男に惚れて、女に目覚めたらしかった。
気持ちは分かる。私も籠絡したい男がいる。
だから、友達として協力することにした。
『私の代わりに、ここで監禁されててくれないか』
『わ、分かった、悪かったから! だから胸を揉もうとするな!』
『わ、悪かったよ、本当に……! でも、だからって胸を揉むことないだろ!? なんでそんなに私の胸を揉みたがるんだよぉ……!』
『アルル、その……そんなに辛いのなら、別に……揉んでも……いい、よ……?』
ナマイキに成長した果実は美味しそうに実っていたし、ドラゴンの本能には抗えなかった。
***
『オマエは、アルルだろ。オンボロ骨董品店の店番で、無表情で何考えてるか全然分かんなくて、ときどき変なこと口走って、──私なんかとずっと交友を持ってくれた、私の親友のアルルだ!』
困ってしまった。
本当に、この子は……いつも真っ直ぐで、困る。
そんなことを言われてしまったら、私は……応えない訳にはいかない。
この、愛しい親友の願いに応えるために、私は全力を出すしかなくなってしまった。