113.終わらない物語を、君に
ありえざる場所で、ありえない誰かと出会う。
よくある事だ。
「君は……」
『お前は……』
運命などという不確かなものが見えるおかげで、こういったことは慣れていた。
「ジョウガ、まさか君までレイルに関わっているのか?」
『……ええ、お前よりも余程密接に関わっていますよ。この子はこちら側の被害者ですので』
「そう、か……そういう事か……」
時折見えづらい運命の糸が幾つか絡んでいたのも、龍が関わっていたから。
全部が終わった後で種明かしをされたような気分だった。
それも、よくある事だ。
『……先に言っておきますが、お前の件に関しては何の関係もありませんよ。あれは何の裏もない、ただの不幸な事故だったとお前も納得したでしょう』
「分かってるよ。……だから、ただの八つ当たりだった。俺は自分の無力さを棚に上げて、理不尽に怒っているだけなんだ」
『知りませんよ。私はお前が嫌いです。できるならこうして言葉も交わしたくありません』
人を愛する龍様が、怒りを隠そうともしないで吐き捨てた。
当たり前だろうと思う。俺は、アイリス以外の全ての龍に嫌われているのだから。
それでも彼女は、人間を愛しているから、こうして言葉を交わしてくれている。
「ここは、俺に任せてくれないか」
『…………』
「本当に今更だけど、あの子の命を救った責任を果たしたいんだ」
本当に今更だと思う。
自分のエゴで助けておいて、放ったらかしにして。
大変な時を全部他人に投げっぱなしにした挙句、最初と最後だけ都合よく助けようなどと、虫の良い話だと自分でも思う。
……だけど、それでも。
あの子の物語が続くというのなら、他ならぬ自分が手を貸してあげたいと、そう思ったのだ。
「後、親の責任もな」
『本当に今更ですね。虫唾が走ります』
闇の向こうで悍ましい怪物が牙を剥いた。
直視すれば正気をガリガリと削るであろう例えようもない恐怖に、本気で喰われかねないと本能的に理解する。
だけど一歩も引く訳にはいかなかった。
『……分かってますよ。きっとお前が行った方が、あの子は喜ぶ。それくらいは私にだって分かっているのです』
怪物が霧散し、心の奥底へ続く通路が開けた。
譲ってくれたのだと理解し、歩を進める。
「ありがとう、恩に着る」
『勘違いしないでください。私はあの子の為を思って譲ったのですから。しくじればいくらお前でも命はありませんよ?』
手を挙げて応えた。
無論、こんなところで命を無駄にするつもりはない。
***
『~~~ッ!! あぁーーーッもうホント嫌いアイツ! 大っ嫌い!』
*** *** ***
浮かんでいた。どこかに。
ふわりとした浮遊感だけを感じて、漂っている。
いつからここにいたのかわからない。
ただただ揺蕩っている。
「ああ……」
何も感じない。
何/痛みも苦しみ/も感じなくて、それが心地よかった。
ただ、やっと解放されたという思いだけがあった。
ずっと耐えてきた務めがようやく終わったのだと、確信した。
「ようやく、死ねたのか……」
今度こそやり遂げた。
敵を倒し、ジェーンを守り切って、役割を果たせた。
自分で自分を誇らしいと思えるほど、満足のいく結末だった。
「……」
ふと、ここはどこだろうかと疑問に思った。
見渡す限り真っ暗な闇。
死んだ後だから、順当にいって溟界だろうか……?
「……いや、世界から消されるって言ってたし、それは違うよな」
常識の範疇ではない場所。そんな気がする。
世界から消されたらこんなところに飛ばされるのかもしれない。
……死んでも意識があるとは思ってなかったから、少し戸惑う。
誰もいない空間で一人ぼっちというのは、どうにも心が落ち着かない。
けど、世界から消されるというのはこういう事なのかもしれなかった。
……昔は、地獄の中をずっと一人で耐えていたのだから、別にこんなの大したことじゃない。
けど、他人の温もりを知ってしまった後では……やっぱり寂しいと思ってしまった。
「少し、探索して見るか」
時間はいくらでもあるのだから、じっくりと見て回ろうと思った。
何かが見つかれば寂しさも紛れるだろう。
***
遠くでぱちぱちと何かが燃える音が聞こえる。
走って近寄ってみると、焚火をしている誰かがいた。
「──来たか」
「……え?」
男の人だ。
山のように大きな巨体。
無骨な岩とでも形容すべき容貌と雰囲気を放っている。
そしてその身に纏っていたのは、王国騎士の鎧だった。
「座りなさい。色々と話そう」
「あ、はい」
促されては座らないわけにはいかない。
言われた通り、焚火を挟んだ地面に腰を下ろした。
「さて……。まずは、よくぞ務めを果たしてくれた。己は君に礼を言わねばならない」
「……いえ、俺の方こそありがとうございました」
薄っすらとだけど覚えてる。
シラーの廃屋で死にかけた時、この人が声を掛けてくれたおかげで俺は立ち上がることができた。
「あの時あなたが助けてくれなかったら、俺は何も成せないまま死んでた。だから、本当に感謝してます」
「……君は勇敢だ。人のために立ち上がれる強さを持っている者は、そう多くない」
……そう言われても、実感はない。
俺が立ち上がったのは、ジェーンが大好きで、ジェーンが誰かに傷付けられることが我慢できなかった、俺のためだ。
結局のところ、俺は、俺の欲望のために戦っていたに過ぎない。
「不服そうな顔をしているな。……考えていることは分かる。君が立ち上がった理由は自分のためだと、そう言いたいのだろう」
「……はい」
お見通しだったようだ。
「本当に辛いとき、人は自分を救うことしか考えないものだ。これは当前のことだ。自らの命に危険が迫っているというのに、他者を気にする余裕などあるはずもない」
「……」
「そんな事が出来るのは、己の命の危険すら撥ね退けられるほどの強者か……己の命よりも大切だと思える存在がいる場合だけだ。……君の場合は言うまでもなく後者だな」
「……はい。ジェーンは、大切な人です」
死にかけの男の命よりも、彼女の方がきっと何倍も大切で、大事だった。
「君は己の命よりも、彼女の命を優先した。それはつまり、君は他の誰かのために立ち上がれる人間だったということだ」
「……違う。俺の命は、もう長くなかった。ジェーンの方が、俺なんかよりずっと必要とされていた。だから、だから──」
「違わない。君は最後の最後まで命を捨てたくなかった。死にたくなどなかった。彼女と一緒に生きられる未来を、最後まで信じていたはずだ」
ビキリと何かに罅が入った音がした。
心の奥底にある、本当が暴かれた気がした。
「──」
言葉が出ない。
だって、そんなの、当たり前だ。
死にたくなどなかった。
ジェーンとずっと一緒に居たかった。
──最後に見たジェーンの泣き顔が脳裏に焼き付いて離れない。
「あぁ……ぁ」
こんな終わり方なんてしたくなかった。
これしかできなかったから、こうするしかなかった。
でも、本当は、本当は──もっと生きたかった。
果てのない苦痛に身を蝕まれても、それでも相棒と一緒だったら耐えられた。
その素顔を一目顔を見ただけで恋に落ちた。
不鮮明な世界の中で、彼女は鮮やかに輝く光のような人だった。
もっと側に居たいと、そう願った。
「俺は……死にたくなんてなかった……!」
そんな、当たり前のことが。
溢れ出る感情が、止まらなかった。
「本当は生きていたかった! まだジェーンの隣に居たかったんだよ!!」
叫んだ。
もう手遅れなのだと理解していても、叫ばずにはいられなかった。
ずっと死にたいと思っていたのに、いざ死ぬとなると怖くなって仕方がなかった。
「何でっこんな……! どうして俺はっ……!」
「君は臆病で他者を傷つけることを嫌う、優しい子だった。それでも勇気を出して戦った。誰かのために立ち上がれる、真の強さを持っていた。……己は君を尊敬している」
そんな賞賛を貰ったところで、何も変わらない。
終わった事実は変わらない。
「己は君に本当に酷いことをした。希望を与えるような真似をして、君を立ち上がらせたのだ。謝って済むようなことではない」
……この人は何も悪くない。
俺は死んでしまったけど、それでもジェーンの命だけは救えたのだから。
けれど、声に出して伝えることはできなかった。
しばらくの間、慟哭は止まらず、涙は零れ続けたままだった。
***
「ここは死後の世界に近い場所だと己は考えている。そうだと考えなければ色々と辻妻が合わないからだ」
落ち着いてから、また話を続けた。
この人は、その鎧から分かる通り、王国騎士の一人だった。
それも副団長だったらしい。名はカレドナと言った。
「ここに居るってことはあなたも、その……死んだんですか?」
尋ねると、カレドナは答えた。
「あぁ。君も知っているだろうが、竜械人との戦いで己は命を終えた」
「竜械人──」
俺の血から生まれた怪物。帝国が造り出してしまった生物兵器。
無辜の人々を怪物へと変えた禁忌の産物。
「気にするな。己の力が足りなかった、ただそれだけのこと」
「──、はい……」
口に出そうとしてことは、事前に止められてしまった。
「それよりも、君に教えておきたいのは、ここは”世界に消された後の場所”などではないということだ」
「……え? それって、どういうことですか?」
「己がここに居ることがその証左だろう。君と話している己が居るということは、君はまだ世界に消されたというわけではない……と己は考えている」
俺はまだ、消されていない……?
「なぜかは分からないがな。だが、そうだとして君と己に何ができるわけでもない」
「それは……そうですね」
消されるのに時間が掛かっているだけなのか、分からないけれど。
どちらにしろ、死んでいることに変わりはないのだろう。
「うむ。だがな──……あぁ、来たか。遅かったな」
「……え?」
カレドナが俺ではない誰かに語り掛けた。
俺の背中越しに何かを見つめて。
慌てて振り向くと、そこに居たのは──。
「……オジサン?」
「やぁ。……久しぶりだな、レイル」
忘れるはずがなく、見間違えるはずもない。
始まりの記憶は、彼との出会いから始まったのだから。
──オジサン。虹の英雄。王国騎士団長ルノア・コンシェール。
命の恩人が、俺の後ろに立っていた。
「なんで、こんなところに……──ッ!?」
「死んでない死んでない。君に会いに来たんだよ、レイル」
思い至った可能性を口にする前に否定される。
ホッとすると共に、じゃあ一体どうやって、と疑問が湧いた。
「まさかあんたがここに居るとは思わなかったけどな、カレドナ。……殺したって死なないと思ってたよ」
「抜かせ。お前みたいな規格外と一緒にするな。己は刺されたら血が出るし死ぬさ」
「普通の刃物じゃ傷一つ付かないくせによく言うよ」
オジサンとカレドナが軽口を叩いている。
二人は王国騎士だったのだし、深い親交があったのだろう。
「レイルは借りていくが、いいな?」
「勿論だ。戻しに来なくていい。……マーカサイトに申し訳なかったと伝えてもらっていいか?」
「……あぁ、分かった。おいでレイル、少し歩こう」
「えっ、あっ」
展開に追いついていけない内にオジサンが歩き出してしまった。
立ち上がって後を追おうとして、何となくこれがカレドナとの最後の会話になると察した。
「あの、助けてくれて、本当にありがとうございました!」
「己こそ、君に感謝を。良い夢を見れたからな」
お礼を言うと、逆に感謝されて、微笑まれた。
その意味はもう知ることはないのだろう。
振り返り、オジサンを追っていく。
***
「虹の橋だよ。言っただろう、虹の橋はこの世界のどこにでも掛かるんだ」
「なるほど……」
オジサンがこんなところに居たのは、虹の橋のおかげらしい。
まさか死後の世界まで飛べるなんて思っていなかった。
「ごめんな。こんな最後にしか会いに来てあげられなくて」
「──そんなことない! オジサンは正義の味方だから、俺だけじゃなくて皆を助けるのに忙しかったはずだ。それに……こうして会えただけで嬉しいよ」
帝国にはもっと酷いことになっている人達が居てもおかしくはなかった。
俺だけが特別酷い扱いをされていたなんて思ってない。
……この世界には、邪悪な行いをする人間が多すぎる。
オジサンのような正義の味方はいつだって多忙なはずだ。
「正義の、味方か……初めて言われたな、そんなこと」
「えっ!?」
「そんなに驚くなよ。……オジサンはね、基本的に間に合わないことの方が多いんだ。いつだって何かを取りこぼして……後悔ばかりしてきた」
俺の頭の中ではずっとオジサンは正義の味方だった。
どこからともなく颯爽と現れて巨悪を打ち倒す、そういう存在だと思っていた。
「君を助けた時もそうだった。もっと早く俺が気付いていれば、君は……」
「──違うよ。俺はちゃんと救われた」
それだけはオジサンにも否定してほしくなかった。
確かに竜の心臓が埋め込まれる前に助けられたら、あんな苦痛を味わうことはなかったかもしれない。
けれど、こんな身体になったおかげでジェーンに出会えた。
ジェーンを助ける事ができた。
「全部オジサンの言う通りだったよ。苦痛に耐えた先に、待っている人が居た。特別な人が出来た」
生きる意味を与えられた。
その出会いは俺にとっての救いになった。
「相棒と出会えて、ずっと冒険の旅をして……楽しかった。確かに俺は幸せになれたんだよ」
……できれば、もう少しだけ、一緒に居たかったけれど。
「そう、か。……確かに、レイルは幸せになれたみたいだな。こんなにも幸福な記憶で溢れているんだから」
「え?」
つい、と指を差された方向を見てみると──俺の記憶が漏れ出していた。
ジェーンとの思い出、冒険者として旅した日々、一緒に過ごした宿部屋での生活。
初めて素顔を見た時のこと、手を握ってドキドキした時のこと、ジェーンが俺のために泣いてくれた時のこと。
それらが全て、風景として映し出されていた……!
「わあああぁっ!?」
「あっはっはっは! 駄々惚れじゃないか、レイル! 随分高嶺の花に恋をしてしまったんだなぁ」
「見ないで! 見ないで!」
「ありゃあ、一年も過ごしておいて女の子と気付かなかったのはダメだろう。こういうのは女のメンツが傷つくんだぞ?」
「もう!」
慌てて隠そうとしてもオジサンの背の高さには敵わず、何も隠せなかった……!
……アレ? そういえば俺の背が低い。子供のように身体も小さかった。
まるでオジサンと初めて会った時みたいな……。
もしかして、この場所では元々の身体に戻っているのか?
「ごめん、ごめん。……んー、ここら辺でいいか」
「え?」
「オジサンはこの辺で失礼するよ。君の幸せな記憶に水を差したくないからね」
「えっ」
急も急だった。
オジサンに出会えたことが奇跡みたいなものだっただけに、こんな直ぐに別れてしまうのは寂しい。
もっと話ができると思っていたのに。
「また会えるさ。今度は間に合ったみたいだからね」
「えっ、あっ……」
別れの言葉を言う暇も無く、オジサンは消えた。
来た時と同じように虹の橋を使ったのだろう。
「行っちゃった……」
また会えるって、どういうことなのか。
一体何が間に合ったのか、疑問だけを残して行ってしまった。
「はぁ……」
追うこともできず、どうしようもなくて、とりあえずその場に腰を下ろした。
いつの間にかジェーンとの記憶でいっぱいになった空間が広がっていた。
寝っ転がって空を見上げた。
「懐かしいな」
ジェーンと出会った頃、彼女と過ごした日々、ジェーンの笑顔、ジェーンの優しさ、ジェーンの温もり。
全てが鮮明に浮かび上がってくる。
「……綺麗だなあ」
黄金色に輝く空間は幻想的で、手を伸ばしても、その輝きは掴むことはできない。
もう二度と触れられない。
「……寂しいよ、ジェーン」
ふいに涙が溢れた。
自分が消えることは受け入れていたはずなのに、いざその時が来ると思うと、辛くて、怖くて、仕方がなかった。
読了いただき、ありがとうございます。
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