112.終わらない物語を、貴方に
アルル曰く。
生物における肉体と魂は表裏一体の存在であり、肉体に反映された変更は魂にも反映され、また逆も然りなのだと言う。
肉体を鍛えるほど魂はより強く強固になり、強き魂の持ち主は強靭な肉体を持つに至る。
──つまり、
「魂のレイルを見つけて、ソイツにオーヴムを渡して、龍痣を継承させる……か」
……トンデモな理屈だが、他に方法なんて知る由もない。
──私たちの世界の一般的な教えでは、人は死んで魂だけの存在になった場合、偉大なる溟の龍が管理する溟界を漂うことになり、そこで輪廻転生や消滅の時を待つのだという。
けれど、今のレイルは死んでも生きてもいない曖昧な存在らしく、溟界にまでは行かなくていいそうだ。
じゃあどこへ行ったら魂のレイルが見つかるのかと問うと、まだ身体の中に留まっているという答えだった。
……では、一体どうやったら身体の中に留まっている魂のレイルに会えるのか?
『そこは私とアプレザルお婆さんにお任せください』
という身も蓋もない答えが返ってきて、二人は早々に姿を消してしまった。
「結局、全部婆やとアルルに任せっぱなしになっちゃった……」
二人の役割は、魂のレイルが居る場所への道筋を探り当てること。
私の役割は、その場所で魂のレイルを見つけ、オーヴムを渡して龍痣を継承させること。
私の役割も重大とは言え、こうして何もしない時間は不安になってしまう。
現在私室に居るのは私とレイルの二人だけ。
時折レイルの様子を見に部屋を訪れる人はいたものの、直ぐに去っていってしまった。
今は戦いの後で忙しい時だし、こんな状態のレイルを見ても辛い気持ちになるだけだから仕方がないと思う。
婆やたちは今日の夜までに準備を整えると言うので、私はそれまで待機ということになった。
二人も働きっぱなしだし、私も手伝えることがあったらと申し出たけど、すげなく断られた。
龍気変換器が焼け付く直前まで損傷していたのだから、大人しく休んでいろと詰め寄られてしまった。
もちろん、竜人をレイルが倒した直後は体力が底を尽いていたんだけど……。
なぜか今の私は元気が有り余って仕方がなかった。
……その原因は朧気ながら覚えている。
アリューゼ橋に降り立って、意識が朦朧としていた私に、レイルが何かを口移、し……で飲ませてくれた。
そのおかげだ。
「……」
自分の唇に触れてみる。
別にキスした訳じゃない。……でも、レイルの体温を強く感じた。
「……レイル」
ベッドに横たわり、瞳を閉じた、特別な人の頬を撫でた。
氷を触っているのかと思う程に異様に冷たく、固い。
時が止まっているせいなのだけど、本当に死んでしまっているようにも見える。
「絶対に助けるから、待ってろよ。……唇を奪って、告白したまま逃げるとか、許さないんだからな」
*** *** ***
日が暮れる。
王都襲撃事変が起きて最初の夜が来た。
王都各地では被害を受けた建物や設備の修復作業が早速行われており、早いところでは既に仮設住宅の設置も終わっていた。
被災した者たちは、王都側が用意する仮の住居へと移り住みを始めていた。
だが、規模が大きすぎるために全員が全員という訳にもいかず、未だ王都のあちらこちらでは混乱が収まっていなかった。
特に被害が大きかったのは冒険者ギルドがある中央区画だ。
この区画では、竜が冒険者ギルドの真下から現れたことで、建物ごと倒壊してしまったという。
人的にも物的にも、被害が甚大なものとなっていた。
未だ倒壊した建物の中から物品や資料を探し出そうとする職員の姿が見られる始末だった。
「……はぁ」
ギルド職員のミーシャはそんな中の一人だった。
彼女は瓦礫の山と化した自分の職場予定地を見て、途方にくれていた。
「これじゃ当分ギルドのお仕事はできないなぁ……」
そう呟きながら辺りを見渡す。
もう人は殆ど引き上げており、残っているのは善意で手伝っている者か、何か役に立たねばならないという強迫観念に駆られている者くらいだった。
ミーシャの場合は後者だった。
「……レイルさん、無事かなぁ」
深夜、シラーの裏路地で別れてしまってから、まだ一日と経っていない。
無事に敵は倒されて事態は終息したようだが、レイル達がどうなったのかまでは不明だった。
ミーシャの頭に過ぎるのは──血だらけのレイルと、それを庇う美しいお姫様の姿。
あの光景を見た時、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。
「あぁぁ……」
頭を過ぎるのは嫌な考えばかり。
そんな考えを消したい一心で、ミーシャは懸命に身体を動かしていたのだった。
ふと夜空を見上げた。
今日は珍しく満月が輝いていた。
闇の龍様がその目を光らせ、地上を見守っているのだ。
「……え?」
その瞬間、ミーシャは夜空にあるものを見た。
始めにそれを見つけたのが彼女だった。
夜空に煌めく、眩しい何か。
夜の空にありえざる色彩が、線を引くように流れていた。
「……虹……?」
それは確かに七色に輝く虹であった。
しかし、それが長く線を引くように空を流れてくるのは、常ならぬこと。
その虹の先端に在るモノは──。
「お、おいっアレ!? に、虹の龍様じゃねぇか!?」
「え……!?」
横で上がった大声は、復興作業を手伝っていた冒険者の男のもの。
あわよくばミーシャに声を掛けようとしていたようだが、今は驚きのあまり目的を見失っていた。
──龍。
この世界を創りだしたもの。
この世界において、至上の存在とされるもの。
滅多に人前に姿を現すことはないそれが今、王都の上空を確かに飛翔していた。
「あれが、龍様……?」
金剛石の如く美しい透明な体。遊色を纏ったような鱗。
全身が宝石でできているかのように輝く、この世ならざる生物。
複雑なカットが施されたその躯体は、月の光と地表の光を吸い込んで煌びやかに輝いている。
多色の乱反射によってできる七色のヴェールを纏い、虹の龍様は夜空を彩ってゆく。
「綺麗……」
少しすると、王都のあちこちで虹を見つけ、夜空を見上げる人々が出始めていた。
あまりの美しさに魅入られ、人々は自然と手を合わせ、祈りを捧げるようになっていた。
美しさというものは、それだけで人を惑わせる。
原始的な信仰というものは美から生まれたものだ。
故にこそ、人は美しく輝くものに心を惹かれるのだろう。
──この龍世界で最も美しいと讃えられる存在、虹彩龍。
司るは──色彩、芸術、運命、そして……幸運。
虹の龍の伝承は数多くあるが、その中でも最も有名なものが『虹の祝福』だろう。
その姿を見たものには莫大な幸運に恵まれると言われている。
祈りを捧げる者の中には、この伝承にあやかろうという考えの者も大勢いた。
……けれど、残念ながら、王都の民にその恩恵が訪れることはない。
今、彼女が現世に姿を見せたのは──たった一人の親友に、ありったけの幸福を送るためなのだから。
王都の天空に架かる特大の虹の極光。
夜を照らす月虹はその輝きを増していき、一直線にある方向へと伸びていった。
指し示す先は王都の中心地、王城──その城の中のとある部屋。
硝子窓越しにその光景を垣間見た一人の少女が、驚愕の表情で呟いた。
*** *** ***
「オマエ、なんで……」
虹色の輝きを目の端に捉えて、窓硝子の向こうの光景を二度見してしまった。
宝石の身体で出来た、この世ならざる美しさを持ったモノ。
──虹の龍に他ならなかった。
「おおぉ……あれこそは虹の龍、アイリス様に相違ございませんですじゃ……!」
「アイ、リス……」
虹の龍の真名。
その姿を見たものに幸運を与えるという伝説を持つ龍の名。
私は、アイツに、そんな役割を望んでしまったのだろうか。
……今更だ。レイルを助けるために、散々その知識を当てにしておいて……。
「恐らく、これから困難へと立ち向かうジルアさまのために、御力を貸すつもりなのでしょう」
「……そう、か」
何もかもが情けなく思えて、思わず涙が出そうになる。
自分自身の力の無さに嫌気が差して、心が挫けてしまいそうだった。
どんどんとここに近づいてくる輝きを見ていると、尚のこと。
テラスへと繋がる扉を開いて、虹の光を迎え入れる。
──輝きで目が潰れそうなほどに、美しく眩しい光が視界いっぱいに広がった。
……派手すぎる。目立って当然とでも言うべき性格は、このせいか。
「ジルアさま、儀式を始めましょう。虹の幸運が在る内に」
「……うん」
虹の光に導かれるように、レイルの元へ。
「よいですか、ジルアさま。心象の世界では気を強くお持ちください。魂の傷はそのまま肉体の傷となります。夢や幻の世界と思わず、気を引き締めてくださいませ」
「わかった」
「忘れ物はございませんか? オーヴムは持っておりますか? 杖は忘れておいででないですか?」
「ちゃんと持ってる!」
この期に及んでドジをするほど馬鹿じゃない。
もう今後一切の油断はしない。
「では──お気を付けてくださいませ。自身の特別を失わないよう、しっかりと手を繋いで帰ってきてください」
「……うん!」
虹の光が輝く。
テラスの方を見ると、見間違えるはずのない目が、私を見定めるようにじっと見つめていた。
私も、あの目に負けじと視線を返す。
「……力を貸してくれるか、アルル」
親友の名前を呼んだ。
龍様の姿をした親友は、その言葉に応えるかのように、煌々と輝いていた。
【虹の橋 が発動しました。】
*** *** ***
虹色の光に包まれて、どこかへと落ちていく。
どこまでも深く、深いところへ。
黒一色の闇の中を、どんどんと落ちていく。
そして、やがて──どこかに足を付いた。
「……ここが、レイルの、心の奥底」
「ええ、真っ暗ですね」
「うおわっ!?」
突如横で聴こえた声に悲鳴を上げてしまった……!
「ア、アルルオマエ、こんなところまで来るなら初めから──……あれ?」
「ん? どうしました?」
「え? どこにいるんだオマエ」
真っ暗な辺りを見回しても、声はすれども親友の姿は見つからない。
自分の身体はちゃんと見えてるから、暗闇の中で見えないということはないだろうけど……。
「ありゃ、やっぱり見えませんか」
「やっぱり?」
「ええと、ううん……こんな感じだったでしょうか」
「──!」
真横で声がした方向に、バチバチと何かが弾けて、いつもの見慣れた姿のアルルが現れていく。
……けど、どこか様子がおかしいような……。
何だか身体が透けていて、輪郭すらおぼつかないように見える。
それになんだか、身体のあちこちにヒビのようなものが入っているし……。
「あーん、上手く戻れません……ジルアも手伝ってくださいよ」
「手伝うってどうやって?」
「手を握って、いつもの私をイメージしてください」
言われるままに手を握って、何の温度も感じられないその異様さにゾッとした。
「──」
必死に、いつものアルルの姿を思い浮かべる。
温もりも、鼓動も、覚えている限りの親友の全てをイメージしていく。
すると次第にその姿が鮮明になっていく。
手には熱が生まれ、姿はくっきりと色づいていき──やがて完全な実体を取り戻した。
「こんなもんですかねえ」
いつもの飄々とした態度のアルルが目の前にいた。
「……オマエ、こんなところまで付いて来てくれるんだな」
「だって、どこ行けばいいのか分からないでしょう?」
「それはそうだけど……オマエだって力が残ってるわけじゃ──」
自分で言って、ハッとした。
──竜人との戦闘中、コイツは後一発しか撃てず、その後は動けなくなると言っていたハズだ。
しかもその直後、レイルを助けるために力を使った。
「アルル、大丈夫なのか? その身体だってどうなってるんだ。元の世界に戻った時、ちゃんと治ってるんだろうな?」
「治らないです」
「──……え?」
あっけらかんと、何でもないことのように言い放った。
「ここに来る際に、巫体──人間の体を維持する用の龍気を使っちゃったので」
「はぁ……? な、なんで? どうして、そんな」
「だから、ジルアを助けるためですよ。こんなところ、普通の人間が長く居ちゃ危ないんです。なので少しでも負担を軽くするために、私が手伝いに来たんですよ」
「──」
もう声も出なかった。
レイルを救うために、今度は親友が命を捨てるに等しい行為を行っている。
私を、助けるためだと言って。
「やめろよ……なんでそんなことするんだ……」
「あっ、ちょっとちょっと、泣くのはまだ早いですよ。涙はレイルさんとの感動の対面まで取っておいてください」
「茶化すな! なんでっ、相談もせずにそんな真似をするんだよっ!?」
もう訳が分からない。
一人の命を助けようとして、もう一人が命を捨てる。
こんな方法でしか助けられないのなら、もっと別の選択肢が無いかを探していたのに……。
「……ジルア、よく聞いてください。別に私は死ぬわけじゃありませんよ」
アルルが私を抱きしめて、耳元で囁くように呟いた。
「あくまで人間の体を維持するための龍気が無くなるだけです。また龍気が溜まれば人間の姿にだって戻れます」
「……それは、いつになったら溜まるんだ?」
「……そうですね。詳しい事はアレですが、少なく見積もっても百年は掛かるでしょうか。私ってホラ、この世界じゃマイナーもいいとこの龍様なんで。龍気が溜まるのもおっせーんですよ」
「百……年……」
もうその頃には私は生きていまい。
つまり、人間の姿のアルルとは、もう、会えない。
「別に龍様の姿のアルルちゃんとはいつでも会えますよ。……と言っても、あっちの姿じゃもうアルルとは呼べないんですけどね」
……そうだ、人間の姿であるからこそ、私たちは友達になれた。
なぜ龍様が人の姿に化けてたのかなんて、知る由もない。
だけど、人でありたいと願う気持ちが本物だったから、その不器用な生き方がとても愛おしかった。
「……月並みなアレで申し訳ないですが、貴方の大切な人を救うためには、誰かが犠牲になるしかない。それが偶々私だったというだけの話です」
「~~~ッ!」
「それに元々私には人間の真似事なんて無理があったんですよ。窮屈で仕方がなかったです。だから……これで良かったと思ってます」
……わざと突き放したような口調で淡々と告げるコイツは、きっと私の意識を少しでも軽くしようとしてくれているのだろう。
それが全くの逆効果だと知らないで。
「さぁ、さっさと行きましょう。あまり時間を掛けたくないです」
読了いただき、ありがとうございます。
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