111.間に合わない人
護衛の騎士を引き連れ、王と参謀の二人が長い廊下を歩いていた。
その途中、王がぽつりと漏らすように言った。
「甘いと思うか?」
「何がでしょうか?」
「……見ておっただろうが。オーヴムの件だ」
「そうですね。甘いかどうかはさておき、貴方らしい誠実な行いであったと思います」
「私らしい、か……。帝国との決戦が間近に迫っているやもしれぬと言うのに、この国の戦力となり得るオーヴムを無駄にしたのだ。愚かと言われても仕方あるまい」
「功績には相応の褒賞を。彼の命を救うために必要なものならば、今は惜しむべきではないでしょう。それに……」
「なんだ?」
参謀は勿体付けるようにして一拍置いた後、自らの考えを語り出した。
「私見ですが、しばらく帝国は攻めて来ないのではないかと思っております」
「ほう? それはまた、なぜそう思った?」
「第一に、これだけ大規模の騒ぎを起こしておきながら、核となる帝国兵の人員が少なすぎる点です。フルカワと名乗った帝国兵が、騎士レネグに扮した潜伏期間からして一年かそれ以上……これだけ長期間の準備をしておいて、たった兵数が二人だけというのはあまりに少ない。もちろん兵以上の戦力に値するものはありましたがね」
「……兵が少ない理由、それは何故か。そこに答えがあるということか」
「はい。第二に、その目的が重要人物の拉致であったこと。これから争いとなる国の王に最も近い王国騎士という役職に潜伏しておきながら、その目的は冒険者レイルとジルアお嬢様の拉致と思われました。これではまるで、我ら王国などいつでも潰せたと言っているようなものです。つまり、彼らの目的は我ら王国ではない。彼らは別の何かと戦う想定をしていたということになります」
「……分からんな。元より奴等と関わりがあったレイル殿はともかくとして、なぜジルアが人質として狙われた? レイル殿に言う事を聞かせるための人質としてなら分かるが、対外的な交渉カードとするなら、ジルアは立場が弱い。一体奴等は何と交渉をするつもりだったのだ」
「それは──おや、執務室が少し騒がしいですね」
参謀が話している途中で足を止めた。
少し先にある王の執務室からは怒鳴るような声が聞こえてきたからだ。
王は護衛の騎士──スヴェンに目配せをすると、スヴェンが前に出て執務室への扉を開いた。
そこから聴こえてきた内容は──、
「だから絶対怪しいって! なんで止めるのさフラン!?」
「落ち着きなさいな! この方は嘘をついておりません!」
「そうだ! 旦那は何も嘘をついてねぇぞ!」
「じゃあ証拠を見せろって言ってるんだよ! アンタが先代の騎士団長なら、髭もじゃの渋いおじさんじゃなきゃおかしいでしょ!」
「……困ったなぁ」
少女騎士ティルムが何かに激昂しており、同じく騎士のフランドリーズに羽交い絞めにされて暴れていた。
そして、王が執務室を出た前と違い、この場にはもう一人新たに加わった人物がいた。
「──お前、ルノアか……?」
「ああ、スヴェン。久しぶりだ」
黒髪黒目。襤褸を纏ったみすぼらしい男。
青年と呼んで差し支えない年齢を思わせる容姿をした男は、片手を上げて旧友に応えた。
「ルノアだと!?」
その名を聞いて王が執務室へと押し入った。
王の目に映った青年は──紛れもなく王の知るその人物の姿だった。
──虹の英雄、ルノア・コンシェール。
王国最強の騎士と謳われた男の姿がそこに在った。
「……クヴェニール王、ご無沙汰しております。このような格好で御前にお目通りしてしまい、申し訳ありません」
「──」
その男ルノアは恭しく片膝を付き、頭を下げて挨拶を行った。
王は驚きのあまり言葉が出なかった。
「お前……こんな時に何してやがった……! 全部終わった後にノコノコ現れやがって、ふざけてんのか!?」
「──……」
「おいおい、副団長……!」
先に行動を取ったのはスヴェンの方だった。
殴り掛かるような勢いで詰め寄り、片膝を付いたままのルノアの胸襟を引っ掴んで乱暴に立たせた。
今にも殴ろうと拳を振り上げたが、ルノアは一切抵抗しなかった。
ただ静かにスヴェンの怒りを受け入れようとしていた。
「やめろスヴェン!!」
「~~~ッ!」
しかしそこで王が割って入り、スヴェンの腕を掴んで制止した。
王に言われては従わない訳にはいかず、スヴェンは渋々腕を下ろしてルノアを自由にした。
ルノアは何も言わず、ただ静かに佇んでいた。
「……よく来てくれた、ルノア。再び顔を合わせることができて、嬉しく思う」
「……俺もです、クヴェニール王」
ルノアは穏やかな表情でそう返した。
「(……ねぇフラン、ボクもしかしてクビにされちゃう?)」
「(大丈夫ですわよ。そのような狭量の方ではございませんもの、王も、あの英雄様も)」
ティルムとフランドリーズは小声でボソボソとそんなことを話していた。
王はルノアとの再会を喜び合い、互いに握手を交わしている。
「(何で教えてくれなかったの~っ!? あんなどこにでもいそうな普通の人だなんて思わなかったじゃん!)」
「(お黙りなさいティルム。あの方の存在自体がこの国の第一種機密指定なのですから、おいそれと話すわけにはいかないのは分かっていたことでしょう?)」
「申し訳ありません。急に出向いたせいで、要らぬ混乱を起こしてしまいました」
「ひぇッ!? ……あ、あの無礼な態度を取ってしまい、誠に申し訳ございませんでした……!」
「気にするな、急に来たコイツが悪い。お前たちの立場を考えれば当然のことをしたまでだ」
深々と頭を下げて無礼を謝罪するティルム。
それを庇うようにスヴェンが前に出て言い放った。
「ああ、俺が悪い。……王国騎士の役目は王族を守り抜くことだ。こんな怪しい奴が急に王の執務室に現れたら疑って当然。君の行いは正しい」
「え、あ、ありがとうございます……?」
かの英雄の言葉に戸惑いながらも安堵の声を上げるティルム。
それを優しげな眼差しで見つめるルノア。
そしてルノアを睨みつけるスヴェン。
妙な緊張感に包まれる中、王が口を開いた。
「……さて、用向きがあったのだろう、ルノア。時間を取ろう」
***
「帝国を壊滅に追い込んだだと……!?」
「それは……何ともはや……」
ルノアより語られた内容は、その場に居た全員を驚愕の色に染めた。
あの帝国をたった1人で壊滅させたという事実は、王国──いや、他の国にとっても衝撃的なことだった。
「あまりに時間が掛かってしまいましたが、ようやく成し遂げました。まだ残党が少数残っているでしょうが、頭を潰した以上じきに瓦解していきます」
「……真実、なのだな……お前が言うのであれば間違いないのであろうが……」
「はい。……ですが、まさか王都の方でも同時に帝国絡みの騒ぎが起きているとは思いもしませんでした。危機的状況に在った際に馳せ参じられず、申し訳ありません」
「何を言っておるか。お前はこの国の責務からは解放した身だ。好きに生きればよいと申したはずだぞ」
「祖国が窮地に陥ったのならば、救いたいと思うのは人として当然のことでしょう。……俺の家族だって、王都に住んでいるのですから」
「何を白々しいこと言ってやがる」
鋭い怒気を発したのはスヴェンだった。
今にもルノアに飛び掛かりそうなほどに怒りを露わにしている。
「その家族を何年ほったらかしにした? 手紙は送らない、連絡一つすら寄越さないで何が家族だ。笑わせるんじゃねえ」
「……連絡が出来なかったのは、帝国領で活動していたからだ」
「関係ないガキの面倒を見る暇はあったのにか?」
「……レイルの事か」
スヴェンに指摘され、ルノアは目を伏せた。
「おい……副団長、気持ちは分かるがその辺に」
「騎士団を抜けた部外者は黙ってろ。──いいか、お前はずっと逃げてるんだ。失ったものにばかり目を囚われて、残ったものに目を向けようとしていない」
「……そうだな、その通りだ。俺は逃げていた、あの子から」
「アイツはずっとお前の事を待ってたぞ。十五の祝いにすら一言も寄越さず、帰って来ない父親を待ち続けていた!」
「…………」
「帝国を滅ぼして気は済んだか? 次はどこに逃げる? お前はいつまで後ろを向いたまま生きるつもりだ!?」
ルノアは目を瞑ったまま答えを返さない。
だが、その沈黙こそがルノアの心境を物語っていた。
「……お前がすべきだったことは、一人で帝国を攻めるなんて馬鹿げた真似じゃ絶対になかった。残された娘と一緒に過ごすべきだったんだ」
「もういいだろうスヴェン。……これ以上お前が責めるのは筋違いだ」
「いえ、王。スヴェンには俺を責める資格があります。彼はずっと俺の代わりをしてくれていたようですから」
ルノアの言葉を受けて、スヴェンは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
そして絞り出すように言葉を紡ぐ。
「……レイルにしたってそうだ。勝手に命を救って、他人に預けて放っぽり出して、後は知らん顔だ。野良猫か何かとでも勘違いしてんのか?」
「……帝国にはレイルの他にも、人体実験を受けて苦しんでいる人達が大勢いた。言い逃れをするつもりはないが、特定の誰かに構っている余裕は俺にはなかった」
「そういう事を言ってるんじゃ──……ああもう、クソッ! いつもこうだコイツは……全部自分のせいにして終わらせようとする! ……これだから嫌なんだ」
悪態を吐いて、スヴェンはもうそれ以上は何も言わなくなった。
「……レイルの事は耳にしました。最期は名のある竜級の相手を倒し、ジルア王女を救ったと。……俺が言えた義理ではありませんが、立派だったと思います。彼は自分の幸福を見つけて、その存在を守り切った。……それは、誰しもにできることじゃない」
自らの体験を追憶しているのか、遠い過去を見つめるようにルノアは言った。
「勝手に終わらせてんじゃねえ。レイルはまだ生きてる」
「…………何?」
「旦那、本当だ。大きく身体を失っちまってるが、アプレザル婆さんの時空間魔術で何とか時間を稼いでる」
「──」
スヴェンの言葉に放心したようなルノアへ捕捉するように、ダニーが現状を説明した。
「もしかして、アルルが関わっているのか?」
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