107.暁へ羽撃く
【──DranCohnia・Online──】
【ドランコーニア・オンラインからのお知らせです。】
【人類に敵対する存在が出現しました。】
【其は倒さなければならない存在。人類が克服すべき脅威。】
【個体名:イオ・メイランズ。 分類: . . . 竜人。】
【. . . エラー。ハザードシグネチャに登録中の種族と一致しました。】
【規定に従い、統括機構エヴォルヴは、個体識別番号2001:0db8:1234:5678:90ab:cdef:0000:0000 の削除処理を実行します。】
【削除完了まで残り. . . 00:10:00。】
【この処理は停止できません。】
*** *** ***
人を辞めた。
今までの何もかもを捨てて、無駄にして。
それでも、彼女の命だけは守らないといけなかった。
【カースドスキル∴ドラゴンウィング:アフターバーナー 発動します。】
点火した。
翼から噴き出す炎の勢いは凄まじい。
その勢いのまま翼を羽撃かせて飛び立ち、加速する。
一瞬で最高速度に達して空を駆け抜けた。
身体が軽い。
視野が広い。感覚が鋭い。力が漲っている。
人の身体がどれだけ脆くて弱いのか、今ならよく分かる。
……それでも、俺は人間でありたかった。
遠くに思えた竜人にもあっという間に追い付いてしまう。
目を凝らすまでもなく至近距離に捉えた奴の身体は、しっかりと死に体だった。
頭も腕も完全に治りきっていないし、何より動きが鈍すぎる。
残った口でジェーンのローブを引っ掴んでいる有様だ。
「ジェーーーン!!」
呼びかけても反応は無い。
気を失っているのか、ぐったりとしていた。
元々力を使い果たしているのに、こんな速度を生身で受けたら無事では済まないはずだ。
一刻も早くこいつから引き剝がさなければいけない。
「オオオオォッ!!」
自分のものとは思えない声量の雄叫びが口から漏れた。
完全に人を辞めた恩恵か、今なら咆哮だけでも倒せそうな気がした。
ジェーンまで巻き込んでしまうから、絶対にそんなことはできないが。
大きく接近し、首ごと斬り落とすつもりで爪を振るった。
衝撃波が出るほどの威力で繰り出してしまったそれは、相手に当たるどころか空を切った。
力の調整が上手くできていない──ならば、直接ジェーンを奪い取れ。
再度接近し、ジェーンに手を伸ばした瞬間──竜人はジェーンを口から離した。
「何!?」
ジェーンが空から落ちていく……!
そんなことをするはずが無いと勝手に思っていた。
──例え死の間際にあっても、何よりも優先して欲しいと願い奪った存在のはずだ。
それを、自ら殺すなんて選択が取れるはずがない。
「ジェーン!!」
死にかけの竜人の考えなどどうでもいい。今はジェーンだ!
急旋回し、落下していく彼女の元へと滑空する……!
「やらせると思うか?」
「!」
俺を追いかけるようにして竜人が同じように滑空してきていた。
──ああ、そういう事か。
こいつはジェーンを諦めるつもりなど微塵もない。
追いかけた俺を背後から襲って倒した後に、再び拾うつもりなのだ。
「選べ、俺に殺されるか、女を見殺しにするか」
「お前を倒して! ジェーンも救う!」
迷うことなく即答した。
──先にこいつを倒さなければ、ジェーンを救えない!
反転して竜人と向かい合う。
残された猶予はジェーンが地面に落ちてしまうまで。
落下感に身を任せながら、迫る竜人を睨みつける。
簡単だ。
今のこいつは死にかけで、俺には力が残されている。
この爪の一撃を食らわせればそれで終わりだ。
「ウオオオッ!!」
加減を気にせず右腕を振り切る。
間違いなく必殺の一撃だった。
俺の右手が、消えていなければ。
「──」
……ああ、そうか。
死にかけなのは俺も同じだった。
言われてたじゃないか、世界から消されるって。
つまり、俺の身体が消される前に、決着を付けなければいけなかった。
「アアアアァッ!!」
「グッ!?」
ガァンと頭部に激しい衝撃が走る。
顔を覆う何かに罅が入り、崩れ落ちた。
視界が狭まる。人の視野に戻った感覚。
左右で歪む視界に何とかピントを合わせる。
目の前には竜人の相貌があった。頭突きを喰らわされたんだろう。
その証拠に、やつの複眼と竜鱗で覆われた皮膚が縦半分に砕け、人の顔が覗いていた。
恐らく俺も同じような状態なんだろう。
「死にたくないッ……! 俺は生きて、あの女を侵す! 俺のモノにする! お前はそこで死んでゆけッ!」
「~~~ッ!」
密着されたまま蹴りで腹部を殴打される。
残された左手で何とか引き剥がすと同時に、左手が綻んでゆく感覚が伝わってきた。
予想以上に身体が崩壊するスピードが速すぎる……!
「お前は十分恵まれただろ!? あの女だけでも俺に寄越せ!! いいだろうがそれぐらい!!」
絶叫だった。
それは紛れもなく、こいつの剥き出しの心の叫びなのだろう。
嘘偽りのない本心。
確かに自分は、地獄に叩き落された代償として何かを得なければ、不平等だ。
──俺が、限りない幸運と、相棒を得たように。
……だけど、その願いは聞き入れられない。
それだけは絶対に。
「ジェーンは俺のだ! 誰にも渡さないし、触れさせない!!」
そんな強欲が漏れ出た。
秘めた想い。ずっと押し殺してきた独占欲。醜い欲望。
……ああ、浅ましいな、こんな感情。
こんなこと、誰にも言えるはずがなかった。
でも、ここには自分しかいない。
だから、もう、素直に全部口に出したってかまわない。
これが偽りのない俺の本心だ。
「何一つ譲らない! 例え相手が誰であってもだ!!」
【エクストラスキル∴無我の境地 発動します。】
一瞬が引き延ばされてゆく。時間が凝縮される。
無駄なものが全て排除される。
自分たちだけがこの世界に取り残された。
人だったときのスキルはまだ使えるらしい。
そんなものを使わずとも、ありとあらゆる竜のスキルが使えるのに。
でも、少しでも馴染みのあるものの方が、今はいい。
さぁ、自分を倒すための方法を編み出せ。
自らの欠損具合と残り時間を考慮して、最速最短でジェーンの命を救い出せ。
勝手に詰め込まれたスキルの知識から、今の状況に合ったものを……!
【カースドスキル∴ドラゴンレッグ:グランインパクト 発動します。】
メキリと脚の筋肉が膨れ上がり、力が一点に集中していく。
翼を羽撃たかせて、最後の一撃を加えるべく飛翔する。
「お前を倒す! 俺の欲望に手を出したお前を、絶対に許さない!!」
身を焦がす程の強欲が、心臓の脈動のままに暴れ狂う力となって溢れ出す。
感じたことのないほどの力の奔流に飲み込まれそうになる。
だけど、今はこの力が必要だ。
「なぜ俺が排除されなければいけない!? どうしてこんな地獄に産み落とした!? 答えろッ、俺の原型ゥウウウッ!!!」
死さえも拒絶したあまりにも強い恨みは、きっと剥き出しの感情でしか対抗できない。
【カースドスキル∴ドラゴンハート:マナブラスト 発動します。】
奴の最後の技は竜の息吹のようだ。
龍気の充填音が劈くように響き渡り、口腔内にまばゆい光が集まっていく。
膨大な龍気の激流を越えて、蹴りの一撃を叩きこめば俺の勝ちだ。
もう言葉はいらない。
お互いに感情のまま咆哮をぶつけ合った。
全ての力を込めた右脚を突き出し、放たれた光の中へ飛び込んだ。
***
「──────!!」
「──────!!!」
流れに抗うように、光の中を逆行する。
……この光は呪いだ。
今までの苦痛や恨みや憎しみを全て具現化させたようなもの。
あの時手を差し伸べられなかったら、こうなっていたかもしれないという、末路。
負けたくない。
こんなものに負けてしまったら、俺の今までの全てが無意味だったことになってしまう。
虹を見たことも、銀の剣の教えも、白い優しさに助けられたことも──……黄金との出会いすらも。
「──ッ!!」
心臓を動かせ。炉に今までの全てを継ぎ込め。限界を超えろ。
「──ァアアアアアッ!!」
【カースドスキル∴ドラゴンウィング:オーバーブースター 発動します。】
虹色の光が身体を包み込んだ。
残されていた虹の龍気が推進力となって、呪いの奔流を切り裂いていく。
もうこれ以上はない。
だから、これで打ち破れなければ俺の負けだ。
「──死にたくない。何もできないままに終わるのなら、どうして俺は生まれてきたんだ。何のために地獄で苦痛に耐えてきたんだ」
自分の嘆きが聴こえた気がした。
その嘆きの答えを、俺は持ち合わせていない。
何も応えられない。
──だからせめて、自分だけは、生まれてきた役割を果たしてやる。
「どうして」
答えはない。
謝りはしない。
俺は、俺の欲望のために、お前を殺す。
呪いの奔流を遡り、地竜の震脚を叩きこんだ。
地を震わせるほどの衝撃が竜人の身体を駆け巡り──……爆散した。
***
やった。
今度こそ完全に竜人を仕留めた。
もう蘇ることはできないはずだ。
バラバラに散ってゆく死骸を無視して、ジェーンの元へと急ぐ。
ジェーンは、もうかなり地上に近いところにまで落ちていた。
けれど俺ならば間に合う。
「ジェーン!!」
滑空するスピードに推力を加え、一気に加速する。
大丈夫、いける。必ずジェーンを助けられる。
「!?」
ガクンという衝撃が身体を襲う。
急激にスピードが落ちた。スキルの効果が切れてしまっていた。
けれど、大丈夫だ。もう近い。このまま手を伸ばせば彼女に届く。
ほら、手を伸ばせ、手を──
「──ぁ」
手は消えていた。肘から先が無かった。
彼女を受け止める、手が足りない。
手が届かない。
「レイ、ル……?」
「ジェーン!?」
ジェーンが目を開けて、弱弱しく俺の名前を呼んでいた。
風を切る凄まじい音にかき消されていても、俺には必ず届く声。
ジェーンは今にも気絶しそうなほどに青ざめた顔をしていても、まだ意識を保っていた。
「手を伸ばせジェーン! 俺に捕まれッ!!」
「ぅ、ぁ……」
ジェーンは必死に手を伸ばしてきて……けれど、あと少しだけ距離は足りなかった。
俺の手が消えてなかったら、既に掴んでいたはずの距離が……!
「……ッ!」
死力を尽くせ。最後まで諦めるな。
ここで助けられなかったら全てが無駄になる。
残った力を全て使い切れ……!
「ジェーン……!!」
「ぁ、ぐ……!」
差が──差が、縮まらない……!
あと少しの差がどうしても埋まらない……!
──追いつけない。
地面に激突する瞬間の方が先に訪れてしまう。
そんな事は許されない。
許されないが、もう俺に残っている力は何も無かった。
──ふと、視界の端に何かが映った。
それは、落ちてゆくジェーンを追い抜いて、手を差し出した。
ジェーンの背中を押すように。
「──!」
その後押しで、縮まらない距離が埋まった。
肘の先しかない腕で、躊躇うことなくジェーンの身体を抱きしめた。
もう二度と離さないように、強く。
「──しっかり守ってくれ。大切な人なんだ」
「……どう、して」
竜人が、ジェーンを助けた。
崩壊した上半身だけの死骸はまだ動いて、言葉を喋っていた。
その声色は先ほどの全てを呪うような怨念に満ちたものではなく、穏やかなものだった。
……この人は、違う。俺じゃない別の誰かだ。
恐らく、この顔の持ち主──帝国に囚われた王国騎士の人格が表に出ているんだろう。
「……レネグ……?」
「ジルア様──」
腕の中で抱きしめていたジェーンが、誰かの名を呼んだ。
しっかりと、その名を呼ぶために、口を開いた。
「──許されないことをしました。帝国に屈し、王国を、貴方を、裏切りました。その上、貴方をこんな目に──」
「ありがとう」
騎士の謝罪を遮って、ジェーンは感謝の言葉を口にした。
そして、優しく微笑んだ。
もう意識も保てないほど辛いはずなのに、最後に与えるべき感謝を紡いだ。
「──あぁ」
騎士の肉体が綻んで消えてゆく。
最後に彼の人格が残ったのは、奇跡か、本人の心の強さ故か。
もう知ることはできない。
けれど、騎士は最後に王女の命を守った。
それだけは、確かだった。
「いつまでも、貴方の輝きが続きますように──」
最期の言葉を残して、その肉体は霧散していった。
読了いただき、ありがとうございます。
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