99.レイドバトルⅨ
「何を馬鹿な事言っているんですか? 話を聞いていなかったのですか?」
「聞いておるとも。そして決断したのだ」
「私はジルアが有利になるように恩寵で助けてほしいと言ったのです。それがどうして倒した後に恩寵を許可することになるんですか?」
「余の見立てでは、奴らの力量はほぼ互角か、それ以上にそのジルアとかいうヒトの女の潜在能力の方が高いぞ。余は天を統べる龍故、両者に公平を期さねばならんのだ」
「はぁ……? ジルアが、龍痣の継承者と互角以上……? お、お姉さん本当ですかそれ……?」
「……ディアウス、貴方にはあの子の魔力の源泉の正体が見えているのですか?」
「恐らくだがな。未曽有の珍事ではあるが、こういうこともあり得るやもしれぬ」
「???」
アルルは理解できないといった表情で、ディアウスの言葉の意味を必死に理解しようとしていた。
「……どちらにせよ、竜人を含めるとジルア側は不利です。貴方の裁定に則ると全く公平ではありませんよ」
「本当にそうか? あの白髪のヒトの男、竜人と全く同じ力を持っているように見えるが」
「……彼は竜人になれませんよ。スヴァローグが手出しをして無理やり表層に出現させた向こうと違って、彼は成ってしまったら世界から消されます」
「即刻消されるわけではあるまい。削除されるとしても、多少の猶予は有るはずだぞ?」
「レイルさんに竜人としての戦力を求めないでください」
きっぱりと言い切ったアルルに、ディアウスは訝しげに眉を顰めた。
「何だアイリス貴様、あのヒトの男も大切だと申すのか?」
「……私の大切な人の、大切な人です。いえ、レイルさんだけじゃありませんね。あの場に居る誰もが私にとっては欠けてほしくないのです。ですから、死ぬことが前提の考えはやめてください」
「……フン。ワガママな奴だ、貴様は」
ディアウスは不貞腐れたようにそう呟いた。
そして続けられた言葉は、アイリスの求める答えではなかった。
アイリスのためならば簡単に神意を翻すディアウスであっても、この考えを改めることはないようだった。
「例え竜人側が有利だったとしても、βテスター側の決着が付く方が早かろう。これから与えられるやも知れぬ余の恩寵のことを考えれば、この裁定が真に公平である。この神意は覆らぬぞ」
*** *** ***
視界が霞む。
龍気変換器が焼け付く寸前にまで龍気を継ぎ込んだせいだ。
小さい頃は加減が分からなくて、よく婆やに怒られたっけ。
完全に龍気変換器が焼け付いてしまえば、もう魔術は使えなくなるかもしれないのだから、至極当然の配慮ではあるのだけど。
それでも、焼け付く前には何とか拮抗状態を解除できた。
レイルと義兄さんが仕掛けてくれたおかげだ。
「姫さん」
「……義兄さん?」
おかしい。義兄さんが二人いるように見える。
眼下で竜人と剣戟を交わしているのは、間違いなく義兄さんだ。
そして私の横に空中で直立して声を掛けてきたのも義兄さんだった。
「顔が酷ぇことになってるぞ」
「大丈夫、これくらい」
確かに人に見せられないような顔になってるだろうな、なんて思いながら治癒魔術を掛けて見た目だけでも顔を治す。
結構な勢いで目の端や鼻から流れてた血はローブで拭った。
「危ない事をするな、と言いたいとこだが……今のは正直よくやってくれた。赤竜の炎の事、知っていたのか?」
「……いや、知らずに飛び込んでたよ。今のがそうだったのか」
赤竜の炎──対象を焼き切るまで決して消えることはない、呪いの炎。
一度放たれたら終わり、必殺技の代名詞と言えばこの炎のことだ。
それほどまでにこの世界での知名度は高い。
何せこの炎で消え去った街や文明は、もはや数えきれないほどにあるのだから。
そんなものをなぜ竜人が放ってきたのかは、もはや考えるだけ無駄なのかもしれない。
多分ヤツは何でもありだ。
「何かに燃え移った瞬間に王都の焼失が決まっていたかもしれんからな。本当によくやったよ、姫さん」
それでも、私はそれを防ぐことができた。
火の超級魔術を以てして相殺する事ができた。
対抗できたのだ、私の力で。
「……まだ、何も終わってないでしょ」
けれど、そう。防いだだけではダメなのだ。
ヤツらに勝たなければ、誰も助けられない。
「ああ、まぁそりゃそうだがな」
「あの溶岩のヤツはどうなったの。もう倒した?」
「いや、スマンがまだだ。アイツああやって戦ってる裏で、ずっと逃げ道を確保しようとコソコソ動いてやがるんだ。ムカつくだろ? なんでまず王都からの逃げ道を全部塞いでるんだよ」
後方の様子を伺うと、義兄さんがホシザキ相手に激しい戦いを繰り広げていた。
凄まじい数の溶岩弾を黒い剣で切り裂くと、溶岩弾が消失していく。
全く原理の分からない戦いだ。見たことのない黒い剣の効果だろうか?
「……何か、義兄さんが三人いるように見えるんだけど。私の目の錯覚か?」
「現実だ。分身だよ、分身。さすがに三体で動くのは初めてだがな」
竜人と戦う義兄さん、ホシザキと戦う義兄さん、そして今私に話しかけている義兄さんの計三人がいた。
影分身──古代魔術クラスの術理だ。
分かってたけど、何でもありだな、義兄さん……。
けど、それくらいやってもらわないと、王国騎士団長という職務は務まらないのかもしれない。
「奴を倒すにゃ、まずあの溶岩の範囲を縮めないことには始まらん。大規模な範囲攻撃を持ってない俺じゃちまちま削っていくしかできないから、時間が掛かって仕方ねえ」
そう、奴の炎の龍痣の効果は非常に厄介だ。
だが、もう突破口は見えた。
「その顔。わざわざ戻ってきたってことは、策があるんだろ?」
「……そんな分かりやすい顔してる?」
「あの指輪付けてても何考えてるか丸分かりだったんだから、言うまでもねぇわな」
「嘘ぉ」
いや、指輪の効力にかまけてたせいもあるんだろうけど……私ってそこまで分かりやすい性格してるのか……?
「本当はこんな事言ったら王とストラスに怒られるんだがな。──いけるか? 姫さん」
「──ああ、任せて!」
……初めてかもしれない。
義兄さんに頼りにしてもらえたのは。
***
「──あらぁ、王女様じゃないの。私から尻尾を撒いて逃げたかと思ったら、戻ってきたのね?」
ホシザキと戦っていた義兄さんが退いて、私が前に出た。
溶岩の巨体は所々に黒い球体のようなものがくっ付いている。多分義兄さんのスキルによるものだ。
見れば戦場の方々にそれが散らばっている。恐らくだけど、あれで溶岩地帯を削っているのだろう。
「さっきの、遠巻きにだけど見てたわよ。火の超級魔術ね? まさか、赤竜の劫火と互角にやり合えるとは思わなかったわ」
久しぶりに思える、粘着質で不快な口調。
全てを暴こうとしてくるあの目つき。
何もかもが気に障る。
けれど、認めざるを得ない。
コイツは強く、その頭脳はどこまでも狡猾だ。
「やはり素晴らしいわね、その魔力量は。少し龍気変換器が焼け付きかけてはいるけど、あれだけの事をしでかしてその程度で済んでいるというのも驚愕よね。私たちだってそんなことはできなかったわ」
ペラペラとよく語る。本当にコイツは何でも知っていて、見透かしてくる。
「あれが貴方の最大火力だったのでしょう? 残念だったけど、あの超級魔術は私に効かないわよ。自分で理解しているでしょうけどね」
「じゃあなんでオレが前に出たと思う?」
「囮でしょう? それ以外に何があるのかしら」
即答される。
そう、その認識のままでいい。侮られたままでいい。
「三手だ」
「……何?」
「オレが、三手で、オマエを、倒す」
「──何を言っているのかしら?」
疑念と訝しみの混じった視線。本気か冗談か測りかねている様子。
嘘やハッタリではなく、私は本気で勝てる勝算があった。
ついさっき出来上がった。出来上がってしまった。
「困ったわね、本気の目だわ。龍気変換器の損傷で意識が朦朧としているのかしら? たった三手で私を倒すなんて、戯言に過ぎるわよ」
「ごちゃごちゃうるせぇよ。自信がないのか? まぁ今も必死に逃走経路を探してるくらいだから、仕方ねぇのか」
「……ふぅん。ふふ、ええ! いいわ! 乗ってあげましょう! あなた一人で、三手。それが成せなかった場合どうなるのかしら? まさかあなたに何のデメリットもない、なんて甘いこと言わないわよね?」
「義兄さん」
『はいよ』
義兄さんがホシザキから完全に手を引いた。
黒い球体は消えて溶岩の地帯が復活していく。
「……本気?」
「言っただろ。オレが、オレだけの力で、オマエを倒すんだ」
「……」
「怖気付いて逃げたきゃそれでいい。逃げる理由を作るのはオレじゃなくてオマエだからな」
「……嫌ね。ほんッとうに調子に乗っているわ。腹が立つ。ああ腹が立つわ! 思い上がった小娘ほど神経に触るものはないわね!!」
熱気が湧き上がって、あまりの温度に街が黒焦げてゆく。
火山の如く猛る溶岩の巨体は瞬く間に領域を拡大して、その猛威を増していく。
『後ろのことは気にしなくていいからな。姫さんは好きにやれ』
「ありがと、義兄さん」
『それと、負傷した団員は全員命に別条はない。そもそも俺が許可したことだから姫さんが気に病むことは何もねぇ。思う存分、やってこい』
「──うん!」
本当に私は恵まれている。
こんなにも支えられている。
これだけの恩、ここで報いることができなきゃ、私は本当に恩知らずになってしまう。
「メスガキィ! お前の頭脳じゃ私を倒せねぇンだよォオ!!」
いい感じにノってるな。
ああ、私の脳も弾けるようにチリ付いている。良い意味で。
流石に二度も正解を見せられたらどうすればいいのか辿り着く。
赤竜の劫火の正体も龍気だった。それを魔力で強引に相殺しながら、私はどうすればいいのか考えていた。
何の確証もない確信めいたものが、次々と頭に浮かんでは消えていく。
そして一つの解を得た。
さぁ、実証を始めよう。
実のところコイツを倒すには二手で十分だ。
確実性を増すために一手余分に申告しただけ。
だから、そう、最初の一手はこうすることにした。
「魔術式呼出──」
襲い掛かってくる溶岩を全ていなして、一度目の交戦の時に残しておいた魔術陣を起動させてみる。
溶岩の層に気付いた時に仕込んでいたやつだ。これを基点とした広域破壊魔術式をあの時は計算していたんだっけ。
範囲演算も事前に終了しているので、後は魔力を流すだけ。
「ボケがァ!!」
魔力を流した時、バヂンと音が響いて陣に亀裂が走り、霧散していった。
「この私がァ! そんな下手クソな偽装を施してるモンに気付かないとでも思ったかァ!?」
だよな。絶対気付いてると思った。
だからこうする。
「──転写」
地に描いていた魔術陣を空に複製した。
役割、種類、範囲、威力を全て書き換えて。
シラー地区全域を覆い隠すように巨大な陣が出現する。
「ハ──」
流石にそれを見てしまえば、私が冗談でなく本気で自分を滅せると理解できたに違いない。
そしてその顔は──やはり、絶望の色など一切なく、嘲笑を浮かべていた。
「──アハハハァッ!! 無駄ぁ!」
ホシザキが溶岩ではなく何かを自身の手から発して、凄まじい勢いで空の魔術陣に向かって放った。
──魔術だ。
恐らく、魔術陣の効力を破壊する類のもの。
私が魔術陣を起動するよりも先に到達してしまうのだろう。
ああ、やはり安全策を取っておいてよかった。
誰も彼もが手札を隠しているのだから、多少の計算違いの余白は常に残しておかないといけない。
だから、ここからが本番の二手だ。
転写しておいた私の杖の先の魔術陣を起動する。
「龍気、満ちよ──」
──地母龍の龍脈専用線、接続完了。
開きっぱなしの龍脈の接続先を、体内の龍気変換器から、杖の先に転写した魔術陣へと変更する。
試運転であり初稼働。ぶっつけ本番の一発勝負。
こういう時の私はすごくミスをするけど、ああ、なぜだろうか。
今だけは、失敗するなんざ微塵も思っちゃいない──!
「──龍気、放ち射出る!」
杖の先から放たれたのは、黄金の光線。
一フィートの太さにも満たない光が、僅か一瞬で彼方に見える王都の外壁にまで到達する。
それはまるで先の光景の焼き直しの如く──、
「なにィ!?」
照射された光の柱を薙ぎ払う。
一切の熱を介さない光の線は、ホシザキの溶岩の巨体をバターのように滑らかに両断し終えた。
瞬間、ヤツの足元の溶岩は冷えて固まり元の地形へと戻っていく。
そう、これだ。
ヤツは分断されるとどちらかの肉体にしか干渉できなくなる。
つまり今のヤツの本体は、あの巨人の上半身にしか存在できない。
後は、それが地面に落ちるよりも早く、アレを穿てばいい。
そして私の最後の一手はそれよりも速く──、
「ふざけるなよッガキャァアアアアッ!!」
溶岩の巨体が地面に落ちるよりも先に──その肉体が炎へと変換された。
そしてその炎は凄まじい勢いで飛翔した。
「竜の息吹をただのNPCが放つだとォオオ!? クソがッ! 不正だ! ありえんだろうがッ! とんだチート野郎だ! クソがッ!! クソがァッ!!」
空に浮かんだ炎は悪魔のような顔を象っていた。
凄まじい速さで空を飛び回って、何やら口汚い言葉を捲し立てている。
「また龍か!? 龍の入れ知恵なんだろ!? クソが! AI如きが!! NPC如きがッ!! いつまでも人の邪魔をしてんじゃねぇええエッ!!」
溶岩の巨体をそのまま転換したような質量の巨大な火の玉が突っ込んできた。
それは視界全てを覆うような炎の壁となって、私へと迫ってくる。
鈍重な溶岩の巨体と違って凄まじい速さのそれに、私は虚を突かれて──……いない。
それは、もう見ていた手札だから。
「生け捕りなんざもうどうだっていいわッ! 汚れたガキがッ! 死ィねェエエエエエッ!!!!」
恐らくヤツは、あのまま空を飛んで逃げることもできただろう。
それをせずにこっちに突っ込んできたのは、私を仕留められると踏んだから。
今の私は魔力装甲を纏っておらず、大技を繰り出した直後で、範囲攻撃に碌に対処ができないと思われたから。
そう、思わせたから。
私は、指輪の認識阻害機能を解除した。
杖の先に展開した魔術陣の、認識阻害を──。
「──ァ?」
極大範囲を意味する巨大な魔術陣が突如目の前に現れ、それを見た炎は間の抜けた声を漏らした。
それがヤツの最期の言葉だった。
「龍気、拡散し、放ち射出る!」
瞬間、閃光が瞬いて。
目と鼻の先にまで迫った炎は、黄金の光の中に消えていった。
*** *** ***
地の龍気の放つ黄金色の光が消えた後に、炎はどこにも灯っていなかった。
悪しき熱は消え去った。
ジルアの放った、龍技の前に。
「あのヒトの女め。龍気を扱いよった。これで史上何人目の魔法使いだ? ジョウガ」
「──ありえません、こんな……! 今のは──今のは、地母龍の権能そのものではありませんか!」
「そうだな。龍脈を開く権限を持ち合わせておったようだ。もしやアレがクヴェニールの末裔という奴か? アイリス貴様、それが分かっていて大切な人だなどと言っておったのか」
「……関係ありませんよ、そんなの」
一部始終を見守っていたアルルは、呆然とした様子でディアウスの言及に答えた。
「龍痣や龍器や龍尾剣などとはモノが違うのですよ!? わ、私達の存在意義そのものを人類に委ねてしまったようなものです! 地母龍は一体何を考えているのですか!?」
「あやつの心など誰にも分かるものか。ただ、そうさな。ヒトに全てを委ねるのは潔い考え方よな。全く賛同は出来ぬが」
「そ、そんな簡単に済ましていい話ではないでしょう!? 地の龍気を使い放題など、バランス崩壊もいい所ですよ!?」
「ではどうするジョウガよ。ガイアが自ら譲渡した権限をヒトの手より奪い返すか?」
「そ、れは──……」
ジョウガは押し黙った。
それは、始まりの龍である地母龍の考えを、自らの物差しで測り異を唱えるということ。
「……例え無限のリソースを得たとしても、それを魔術に用いるには長い修練の時間が必要だったでしょうね。龍気変換器に直で地母龍の龍気を流し込むんですから、その制御には血の滲むような努力と苦労があったのでしょう。多分命懸けだったはずです」
アルルが遠い目をして言った。
「本当に、ジルアは凄いです」
炎の龍痣持ちであり、龍世界の裏側の事情の知識まで持っていたβテスターを、本当にたった一人で倒してしまった。
それがどれだけの偉業か、きっと彼女自身は理解出来ていない。
「……それは、確かにそうですね。彼女は自力で龍気操る術を編み出しました。私の教えたスキルのせいでもあるでしょうが、それを為したのは彼女自身の才あってこそです」
ジョウガの教えた『思考分割』のスキルも、元々はジルア自身が似たような技術を使っていたからこそスキルへと昇華したようなものだった。
そしてジョウガの教えを受けたとしても、実際に会得できるかは運の世界だ。
それを己のモノとしたのは、彼女の才覚故である。
「……余はあやつを好かん! 地母龍の権能だけでもヒトには過ぎたモノよ! それにあの指輪! 貴様のだろうジョウガ! スキルに龍器に、一体どれだけ下賜しておるのだ貴様は!」
「韜晦の指輪に関しては元々マホロバからクヴェニール王家に収められた宝物です。私は一切関与していませんよ」
「貴様もだアイリス! あやつの幸運の値が妙な桁になっておるぞ! 虹の祝福を使ったのであろう!?」
「言われる前にやったことですからノーカンですよノーカン」
「言い訳をするでないっ! ええい、貴様ら特定個人に対して露骨に贔屓しおって! もっと公平にせねば不平等であろうが!」
「理不尽の権化みたいなあんたに平等だなんだとか一番説かれたくないんですけど」
ぎゃいぎゃいと言い合いを始めるアルルとディアウス。
やりとりを聞いていたジョウガは深いため息を吐いた。
「いずれにせよ、彼女は貴方の定めた取り決めを見事に果たしました。ディアウス、貴方の恩寵の許可を出しなさい」
「……ムゥーッ! 気が乗らんっ! 全く気乗りがせんっ!! あんなの余が嫌うチート系主人公そのものではないか! もう全部あやつ一人でいいではないか!」
「おい」
「アイリスも嫌いって言っておっただろうが! ご都合主義とか何の努力もせずに授かったチート能力で無双する奴は嫌いって、貴様言っておっただろうが!!」
「無双はしていませんし、ジルアはちゃんと努力してるからいいんですよ」
「大体なぁ! ──ンム? 何か妙な事になっておるぞ」
「ちょっと、何誤魔化そうとしてんですか」
「余が誤魔化しなどするか! ええい、いいから見よ! あやつ立ったまま気をどこかへやってしまったぞ!」
「え?」
そう言われて映像に目を向けるアルル。
確かに、ジルアがホシザキを消滅させたままの姿で、時が止まったかのように静止している。
その目は開いているが、まるでどこも見ていないような虚ろな色を湛えていた。
「ジルア……!?」
「これは……意識だけをどこかに移されたな。こんな芸当を出来るのは我らくらいしか居るまいよ」
「スヴァローグでしょうね。……私が出ましょう」
「私が行きますよ! 場所さえ分かれば──」
「いいえ、貴方はまだです」
小さい身体をパタパタと動かして、ジョウガはアルルの前に出た。
「場所は大方私が閉じ込めていた月の孔の中でしょう。ならば私も少しは力が使えます。あれの性格から殺しはしないでしょうが、嫌がらせはしてくるでしょうね」
「でも、そんな身体ではもう碌に動けないんじゃあ」
「申し訳ないですがこの身体はここで捨て置きます。ディアウスよりも、スヴァローグの方が貴方と二人にさせたくないので」
「お姉さん……」
ジョウガの黒い靄のような肉体が解けていく。
まるで最初からそこに何もなかったかのように、薄くなっていく。
「ディアウス。アイリスに変な事をしたら本当に怒りますからね」
「余を何だと思っておるのだ貴様は! いいからさっさと消えんか!」
「アイリス。私は先に退場しますが……レイルのこと、よろしくお願いしますね?」
「言われずともです。お姉さんもジルアのことお願いします」
短い別れの言葉を交わすと、靄は完全に消えさった。
*** *** ***
『おめでとう、賢きものよ』
「……………………何、だ……?」
場所が、分からない。
私の眼に映っているのは、果たして一体何なのだろうか。
いや、その以前に……眼が、無い。
眼どころではない。手も腕も、耳も鼻も、顔も身体も存在していなかった。
ただ、私自身と分かるものがだけがこの場にあった。
何もない空間だった。
地も空も、光も影も、色も温度もない。
そこに、炎が燃えていた。
完全に消し去ったはずの炎が、灯っている。
けれどこの炎はホシザキではない。
もっと、別の──上位の何か。
『当機は低能な猿は嫌いだが、賢きものは別だ。その功績を称賛するし、敬意も払おう』
もう私は答えが分かっている。
理解してしまった。
私の、目の前にいるこの龍を。
『炎の龍痣の継承者を破った賢き存在。当機は正しく貴様を評価しよう。体系の異なる炎の絶技を魔術により再現し、自力で龍気の操り方を編み出した。これらは評価に値する。よって、龍である当機が、下等生物である貴様に、褒美を与えることとする』
人に智慧を授ける龍──炎昇龍。
先刻破ったホシザキの龍痣の主に違いなかった。
『当機の龍痣を受け継ぎしものは、最も賢きものでなくてはならぬ。……故に』
あまりにも長大な炎の体躯がうねり、私を取り囲んだ。
逃げ道を防ぐように、完全に包囲される。
『貴様に、炎の龍痣を継ぐ資格を与えよう』
まるで、断る選択肢など存在しないかのように、炎の龍がそう告げた。
けれど──嫌な予感しかしない。
敵対している存在が手のひらを返して力を与えるなんて、おおよそ碌な事にならない。
そもそもコイツは人を見下した態度を取っている。
そんな存在から与えられるものなんて、碌でもないと相場が決まってるんだ。
「断れば、どうなる?」
『別に断っても構わない。その代わりに、貴様が知りたくなかったことを教えてやろう』
「……何?」
ほぼ強制的に褒美とやらを与えられるとばかり思っていた私は、その返答に面食らってしまう。
知りたくなかったことだと?
『断ることは分かり切っていたからな。単なる嫌がらせと言うやつだ。で、どうする? 断るか?』
まるでそっちの方が本命だとでもいうかのように、急に炎の龍は態度が変わった。
「……龍様が人に嫌がらせって、随分俗物的なことをするんだな」
『馬鹿が、貴様ら低能な猿にそんなことをしてどうなる。当機が嫌がらせをするのはジョウガにだ』
……どっちにしろ俗物的なことには変わりないと思うけど。
『反抗的な態度を取ったということは、当機からの褒美は受け取らぬという事でいいな』
「!」
ぐにゃりと、周囲の空間が歪む。
陽炎の如く空間全体が揺らいでいた。
どこかを掴もうとした手は空を切った。そもそも手なんかここには無かった。
無抵抗だ。私に出来ることなど何もない。
これは、龍様がやる事なのだから。
*** *** ***
何かを見せられている。
とある場所の、とある家の中。
見たこともない器具で埋め尽くされたその部屋の中で、赤い長髪の女性が忙しなく器具を弄っていた。
何かの研究をしているらしかった。
私は、その研究の詳細よりも、赤毛の女の方に目がいってしまった。
「ホシザキ……?」
帝国軍の女兵士。ついさっき私が打ち倒した敵兵だ。
けれど、何かが決定的に異なっていた。
その表情が、纏う雰囲気が、まるで違う。
ホシザキと異なると思われる赤毛の女は、しばらくそのまま研究を続けていたが、不意に外から戸を叩く音によって研究は中断された。
赤毛の女は素早く懐から何かを抜き取って外の様子を伺う。
懐から抜き取ったのは、見たことのない短い筒の形状をした鉄の物体。恐らく帝国が使う銃という武器だろう。
来訪者が誰だか判明すると、彼女は戸に近づいて声を掛けた。
何やら言い争いをしているようだった。
暫くして彼女は観念したかのように、その来訪者を家に招き入れた。
来訪者は男性だった。その手には大きな花束を持って来ていた。
その頬は赤く、一目で赤毛の女に気があるのだと見て取れた。
『もう来ないでと言ったでしょう。ここは危険なの』
赤毛の女が溜息を吐きながらそう言った。
やはりこの女はホシザキと異なる人物だ。声の抑揚も、雰囲気も、全くの別物。
その肉体だけが、ホシザキと同一であるだけで。
『食料を毎度届けてくれるのはありがたいけれど、私には返せるものがないの』
『俺は君が好きなんだ、レイン。君の役に立つだけで、俺は幸せなんだ』
『……だから、私の身体が目当てなら、好きにしていいと、』
『そうじゃない! そうじゃないんだよレイン! 確かに君の身体は僕にとっては魅力的だが、そこには愛がない!』
『……私は、あなたに愛なんて返せないわ』
『返す必要はないさ。愛は、勝手に生まれて、勝手に育っていくものだから』
『……』
あまりにも情熱的な告白に、レインと呼ばれた赤毛の女は、全く理解できないとばかりに困った顔になっていた。
『私は、そういうのは分からないわ』
『分からなくてもいいんだ。ただ、俺が君を愛していることだけは、分かって欲しい』
そう言って男性はレインの手の甲を取って口付けをした。
レインは手を振り払わなかった。
場面が変わる。
***
『あなたも物好きね。私みたいな女を好きになるだなんて』
『レインは綺麗だ。俺にとっては誰よりも魅力的な女性だ』
相変らず情熱的な言葉を投げかける男。
何度言っても変わらず、レインは困ってしまっていた。
『私のどこが好きなの?』
めんどくさい女みたいな台詞をレインは投げかけた。
『レインは秘密を隠している。こんな誰も来ないような山の中にある家の中で、見たこともない器具で何かの研究に没頭している。俺には何にも分からないが、これがレインにとって命よりも大切な研究だということは分かるんだ。他の何もかもを投げ捨てて、この研究を成し遂げようとするレインの姿は、とても美しくて、そしてどこか儚げだ。……俺はそんなレインを、心から魅力的に感じている』
『……』
ああ、何かこう、胸に来た。
賛同でも称賛でもない、理解があった。
男は、隠したもの全てを含めてレインに惹かれているんだ。
『……私に、愛は返せないわ』
『いいんだ』
男がレインの手を握った。
レインも抵抗せずに、お互いがお互いに身体を預けあった。
そして……ふと二人の唇が合わさった。
場面が変わる。
***
大きな硝子の容器の中に薄い緑色の液体が満たされ、その中心に……胎児のようなものが浸っていた。
管の様なものがいくつも胎児に繋がれ、脈動に合わせて液体が波打っていた。
レインがそれを見上げていた。
泣いているような微笑んでいるような、どちらとも取れる不思議な表情だった。
私は、その胎児が、誰なのか、知っている、気が、した。
場面が変わる。
***
『もう会えなくなるって、どういうことなんだレイン!? 急すぎるだろう!?』
『分かっていたことでしょう。私が普通の女じゃないことは』
『っ! それでも、こんな急すぎるだろう!? やっと君は、君が……、君が俺を……。……お、俺は嫌だレイン! 君がいなくなるなんて考えたくもない!』
涙を流しながら男は、レインを引き留めようとする。
レインはどこかへ逃げなければいけない事態になっているようだった。
『この子を、あなたに』
レインは足元に置いていたバスケットから、布に包まれた赤ん坊を取り出して目の前の男に差し出した。
『私たちの子です。私には育てられないので、あなたが育ててください』
『な──お、俺達の子!?』
レインは無理やり男の手を取って、赤ん坊を男に抱かせた。
『どういうことだレイン! 君はお腹なんか膨れていなかっただろう!?』
『人工子宮──私の胎内ではなく機械技術で育てた赤子です。間違いなく私とあなたの遺伝子が組み合わさって生まれた子ですよ』
『……そんな、本当に……?』
『本当です。私は嘘を好まないので』
『……本当だったとしても、君は赤ん坊を放ってどこかへ行くなんて、そんなのおかしいだろう!?』
『おかしいでしょうね』
レインが儚げに笑った。
『元から私はおかしかったのに、そのおかしな私の手を、あなたが取ったのです。責任は、取ってくれないと困りますよ』
『責任って、こんな……! お、俺もレインと一緒に行く! どこへだって付いて行くよ!』
『駄目です』
レインが男の頼みを断った。
拒絶した。
『私はあなたに死んでほしくありません。この子にも』
『……死ぬって、君は死ぬ気なのか?』
『ええ、恐らく死にます』
あっさりと自分の死を受け入れて、レインは再び頬笑んだ。
『だから、これが──あなたに返せる、私の愛なんです』
男は何も答えることができなかった。
レインは去って、男の元には愛の証だけが残った。
場面が変わる。
***
『こんばんわ澪音。一年もの間組織から逃げ回った手腕は、素直に称賛しておきましょう』
『……』
白のロングテーブルを挟んで、白髪の老婆がレインの向かいに座っていた。
その喋り方を聞いて一瞬でそいつが誰だか分かった。
どろりと腐ったような粘り気のある声。
何もかもを見透かすような悪意を感じさせる喋り方。
こいつだ。
こいつがホシザキだ。
『それで、何か分かったのかしら。あなたは私達の末裔の中でも、指折りの頭脳の持ち主ですものね。きっと私達の下から離れた先でも研究を続けていたに違いないわ』
『……!』
レインが動揺する。
ホシザキの言う通りだとでも言わんばかりの顔をしていた。
『……教祖様』
『何かしら?』
『……私たちは、私たちの中に流れる血こそが、この世界で唯一のヒトである因子の持ち主であると教育をされてきました』
『そうね。何も間違っていないわ』
『ですが教祖様。私たちの中に流れる血には、この世の他の人種たちと何ら変わりはない、同じ遺伝子構造しか持っていないのです!』
それこそが、レインの研究していた内容のようだった。
ホシザキの表情は、レインの秘密を知っても何ら変わりはなかった。
『そんなくだらないことをわざわざ確かめていたの?』
『くだらないことではありません! これでは今までの前提が全て崩れ去ります! 私たちはただ同じ種族を! 人間を! 実験体にしたという悪行だけが残ってしまいます!』
レインの告白した内容は、帝国の内情なのだろうか。
自分たちは高貴な身分という思想教育を受け、下々の民は自分たちとは別種の下等生物であるという認識の下、実験動物のように弄んだ。
それに疑問を持って、レインは帝国から逃げ出した……?
『いいえくだらないわ。私たちはこの世界で唯一の人間。それだけは決して変わりのない真実なのですから』
『……教祖様。その事実を表す、確たる証拠が何一つないのです』
『いいえ。確たる証拠はあります』
老婆の瞳は濁り切って何も映していなかった。
『私です。千年を超えて生きる私の存在こそが、βテスターたちの生きた証であり、未だ灯る復讐の炎なのです。疑う余地など一切ないでしょう?』
『ッ……!』
レインはとうとう押し黙ってしまった。
この老婆が何を言っているのか、全く理解できない。
狂っているのか、知が綻んでしまっているのか。
それとも本当に、私たちが理解できない地点から話をしているのか、本人以外誰にも分からない。
『理解できないようね。まあいいでしょう。所詮はあなたたちも劣化していく者達。血を薄めてNPCに成り下がってしまうのだから』
『…………私は、どうなるのでしょうか。教祖様』
理解を諦めた様子のレインは、大人しくホシザキの命に従おうとしていた。
『そうね。そこに疑問を持ってしまったからには、もう澪音はいらないわね』
『……』
あまりにもあっさりとホシザキはレインを見捨てた。
レインの顔が伺えない。
『ですが安心なさい。あなたの肉体は私の役に立つことができます』
老婆の顔が醜く歪んでいく。
場面が変わる。
***
『……ホシザキか? 新しい肉体に入ったのか』
『ああ、フルカワ。ちょうどよかったわ、あなたを呼ぼうとしていたの』
見たことのない男と喋るレインが──いや、ホシザキがいた。
その身体も表情もレインなのに、その声だけでホシザキなのだと分かる。
こいつは、他人の肉体を奪って生きながらえているんだ。
……目の前の男の名を、ホシザキはフルカワと言った。
ホシザキは竜人のことをフルカワと呼んでいたはずだ。
私が王城で襲われたレネグが竜人なのだとしたら、コイツらは他人の肉体を奪い続けて生きていることになる。
『そろそろ調整の時期が来ているでしょう? 見っともない老婆の姿だと、いやでしょうからね』
『何を馬鹿なことを。君は老いても美しい』
『明らかに反応が違う癖に、よくも口が回るものね』
そう言って、二人は一糸纏わぬ姿になった。
やめろ、見たくない。
こんなもの。
場面が変わる。
***
『お父さん。これ、今日のお金です』
『あぁ~……? 少ねぇじゃねぇか。イオお前、ちゃんと働いたのか?』
『はい』
目の前の酒に酔って飲んだくれている男に、お金を渡すイオと呼ばれた少年の姿。
この子がレインとあの男の息子に違いなかった。
何より、酔って飲んだくれている目の前の男が、レインと愛を育んでいた男だったのだから。
『こんだけじゃ酒も満足に買えねぇだろうがよ』
ガァンと何かが割れた。
酒の空き瓶を、実の息子であるイオに向かって投げつけた。
信じたくなかった。
とても、さっきまで見ていた男と同一人物だとは、思えなかった。
例え、愛した人を失って心を病んだのだとしても、こんな行いをするヤツだったとは思いたくない。
『次は頑張ります』
『次じゃねえ! 今稼いでこい!』
『ごめんなさい』
額から血を流しながらも、イオは一切親の暴力に屈することなく、ひたすら耐え続けていた。
「やめろ」
口から声が漏れた。
これ以上、見たくない。拒否権はないと知っていても、見たくない。知りたくない。
私は何もすることができない。
目の前のこの子を助けることが、できない。
「やめてくれ」
必死に父親からの暴力に耐えた後、男はどこかへ出掛けて、イオは違う部屋へと移動した。
そこには、イオよりも小さな子供たちが、震えてうずくまっていた。
『お兄ちゃん……!』
イオが部屋に入ると、わらわらと子供たちが駆け寄ってくる。
弟妹たちなのだろう。それぞれが似た容姿をしていた。
イオと違って。
『お兄ちゃん大丈夫……?』
『ああ、大丈夫。兄ちゃんは平気だから。それよりも、ほらこれ。皆で食べてくれ』
『ごめんなさい……』
『どうして謝るんだよ。これはお前たちのために買って来たんだから、遠慮せずに食べるんだ』
イオはそう言って、弟妹たちに懐に隠し持っていた食べ物を分け与えた。
あまりにも少量で、一目で質が悪いと分かるものを。
ああ、もう分かってる。
イオはきっと、レイルだ。
レインの息子がレイルなんだ。
髪の色も肌の色も、今とは異なっているけれど、分かる。
嫌がらせというのは、この不幸の連鎖の行方を見届けろという事だろう。
場面が変わる。
***
『……それは本当の話か?』
『ええ、本当でさぁ旦那。近頃そこら中に建てられてる帝国の研究所とかいう施設で、人員の募集が掛けられていましてね? それがまた奇妙な話で、若くて体力のある男ってだけで、この値段ですよ』
『…………』
懐から出した巾着袋の中身を見て、男の目の色が変わる。
『その中で、一体何をやらされるんだ?』
『わたしゃ何も知らされてませんが、まぁぶっちゃけたところ……帝国の悪評を聞く限りは、法に触れるいかがわしいことをさせるための奴隷でしょうなぁ』
『…………』
やめろ、何考えてんだ。
嘘だろ。
場面が変わる。
***
『イオ。お前をまっとうな仕事に就かせてやる』
『まっとうな仕事……?』
『ああ、すげぇ金が俺たちの懐に入る。お前が頑張れば一家全員この先安泰だ』
『本当に……!?』
「やめろ馬鹿野郎!! 自分の子供を何だと思ってんだ!!!」
場面が変わる。
***
『お兄ちゃん、無事に帰って来てね……?』
『ああ、絶対に帰ってくる。お前たちを守るのが兄ちゃんの役目だからな』
***
『俺はどこで働くんですか?』
『ん? あぁ、若くて丈夫な男がほしいって募集があったから、まずはそこに売り込みを掛ける。何をするかは知らんが』
***
『お前は俺たちの研究に協力するのが仕事だ。お前の才能は俺たちの研究に役立つ才能だ』
『研究……? あの、具体的には、何を──』
『難しいことは考えなくていい。指示があるまでここで休んでいろ』
***
『今から君には我々の研究の実験体になってもらうわ』
『じっけんたい……?』
レインが、イオにそう言った。
『えぇ、そうよ0番君。実験を受ける対象になるの。君が初めての実験体になるわ。光栄でしょ?』
顔も知らない実の母親に、実験の道具扱いされて、レイルは「こんなものを見る必要はありません」
【1687940813568.mp4 の再生が停止しました。】
*** *** ***
映像がそこで終わった。
黒い靄のようなものが、私の周りを取り巻いていた。
『ジョウガ貴様ァ……!』
『こんな嫌がらせをしてまで自らの憂さを晴らそうとするとは。本当に女々しい性格ですね、貴方は』
「ジョウ、ガ……?」
黒い靄の中には無数の瞳が渦巻いていた。
名状し難き恐怖そのものが形となったような、暗黒の化身。
闇の龍の御姿に違いなかった。
『いつまでしゃしゃり出てくるつもりだ!?』
『全く同じ言葉を返しましょうスヴァローグ。貴方が先に消えなさい』
『抜かせッ!』
炎の龍の憤怒と共に、凄まじい熱気が辺りに放たれた。
それがジョウガの靄の身体を覆う寸前で──……熱気は消え去り、炎の龍の姿も消えた。
『──もう大丈夫だよジェーンちゃん。強制的に退去させたから』
ジョウガがそう言うと、ポンと音を立てて、荘厳な闇の龍の姿は消えて、見知った使い魔のような小さな姿が現れた。
「……キャラ差エグイな、龍様って」
『あー、ウン……。あんなのばっかじゃないんだけどねぇ』
「そっちじゃなくてジョウガが──あ、いや、そんなこと言ってる場合じゃなかった」
さっきの龍様然とした姿の方が、本や昔話に伝わる黒淵龍の姿なんだろうな……。
今みたいなすごくフレンドリーな態度の方がおかしいだけであって……。
「助けて……くれたんだよな?」
『当たり前だよ! ウチら側の事情に巻き込んじゃってホントにごめんね!』
「いや、それは全然いいんだけど……さっきの見てたか?」
さっきまで見せられていた、レイルの親と帝国の関係──過去の場面の再現。
あれは本当に──、
『アレは、恐らく本当にあったことだろうね。わざわざ手間を掛けて記録に細工をする必要がないだろうし』
「そっか……そう、だよな」
あまりにも壮絶な過去の光景。
何もかもがこじれた、痛ましい記録。
あの後レイルは恐らく──意識を乗っ取られた母親によって、竜の心臓を植え付けられる。
そうとは知らないままに、母は子を、子は母に癒えない傷を刻まれてしまう。
「もう終わったことだけど……あんなの見せられたら、何とかしてホシザキをレインの肉体から追い出すことはできなかったか、なんて、考えちゃうよな」
『それは……たぶん肉体を乗っ取られた時点で、レイルっちの母親の意識は消えたんだと思うよ。だから、今さら救うことは不可能だった。ウチがそう断言する』
「……うん」
龍様が断言するからには、それはもう絶対だ。
だからもう気に病むなと、そう言ってくれてるんだろう。
『──長い間囚われていたレイルっちの母親の肉体を、解放してやれた。むしろジェーンちゃんはこう考えるべきだよ』
「……そうだよな。何も知らなかったとしても、レイルに母親の肉体と戦わせたくなかったしな」
その責務を、私が背負えてよかったと思う。
『そろそろ表に戻ろっか。ジェーンちゃんもこんなとこよりも元の場所に戻りたいだろうしね』
「そうだ……! ここはどこなんだ!? 気付いたらここにいたんだけど、転移でもさせられたのか!?」
『ここは──例えるなら、ウチのお家のゴミ捨て場かなぁ? 元はスヴァローグを突っ込んでたんだけどね?』
「ゴミッ……!? い、いや、待て! ジョウガの家って、黒淵龍の住まう場所って──まさか月か!?」
『おっ、よく知ってるねぇジェーンちゃん』
「嘘だろ……本当に……?」
月──夜空に浮かぶ、黒淵龍の瞳にして居城。
人が決して触れることのできない、深秘の聖域。
そこに……私が……?
『まぁ、こんなところに突っ込まれて月に来たって言ってほしくはないけどねぇ。どっちかというと人類の月一番乗りはレイルっちじゃないかなぁ?』
「アイツも来たのか!?」
『そ★ 最初はねぇ──って、あんまり無駄話してちゃダメだよね。続きは全部が終わったときに話そっか』
「!」
意識がふわりと浮く感覚がした。
ジョウガがここから抜け出せるように何かをしてくれたのだろう。
『ジェーンちゃん、キミの偉業をちゃんと見てたよ。よく龍気を扱う方法を思いついたね?』
「いや、偉業って……。アルルからヒントっぽいもの貰ってたし、答えを何度も見せられたら流石に分かるよ」
『またあの子は……。ううん、それを差っ引いても、キミの才能は飛び抜けてるよ。……それにしても、地母龍の龍脈を開いてるとは思ってなかったけどね?』
「あ、流石に分かった?」
『……あのねぇ、ジェーンちゃん。それがどれだけ凄いコトか、ちゃんと分かってる? ウチたちみんな割と驚いてるんだからね!?』
「えっ、龍様から見てもやっぱりこれって凄いのか……?」
『そうだよ! 言うなれば──ああ、いやもう時間がないや。とりあえずジェーンちゃんの想像よりも遥かに凄いモノだってコトを自覚してね?』
「う、うん」
確かに、この始原魔術を受け継いだ時には、婆やと父上に口を酸っぱくして色々言われたっけ。
それを単なる魔力リソースとして使って見せたときには、婆やと父上が仰天してひっくり返りかけてたな。
……今思えば、無限の財を捻出できる力を、私の個人武力として行使するようにしたんだからそうもなるか。
当時は私の始原魔術の使い方について色々と論争があったらしいが、結局私がこの使い方以外興味もない魔術馬鹿だということもあって、そのままにされたけど。
『ここに居るキミは意識だけの存在だから、元居た場所に戻っても時間は経ってないハズだから安心して』
「そりゃよかった。私が居ない間に竜人が倒されてたら嫌だしな」
『ナチュラルに竜人とも闘る前提のジェーンちゃんホントパないわ……ん、いや自分で分かってるだろうけど、自分の身体は大事にしてね? じゃないと、レイルっちが頑張った意味が無くなっちゃうから』
「それは私だって同じだ。レイルが無事に戻って来てくれないと、私が頑張った意味が無くなる。だから、私はまだ戦う」
『……強いね、キミは。……ウチがこんなことを言うのはおかしいと思うけど、どうか聞いてくれる?』
ジョウガの身体が薄くなって段々と消えていく。
元々力を使い切って小さな姿になっていたと聞いていたから、恐らくさっきので完全に力を使い果たしてしまったのかもしれない。
だから、これが最後になるんだろう。
『どうか、レイルのことを守ってあげて』
そんなの言われるまでもないよ。
そう答える間もなく、意識はどこかへ引き摺られ──……。
読了いただき、ありがとうございます。
ブクマ・評価・励ましの感想などを頂けたら作者は飛び上がるほど喜びます。