第95話 オマエの望み、叶えてやれる
『オマエは——』
『あなたのことは、皆がもう理解しているわ。でも、あなたの提案は受け入れ難いの。だからね、リグ。私の提案を聞いてくれませんか?』
『オマエの、提案?』
『そうよ、リグ。ただ、その前に一つ教えてください。『彩地』をやめろというあなたの提案は、今、あなたの腕の中にいる、ラースという人間の為だと聞きました。その提案が通ったとして、あなたはその子をどうするつもりなのですか?』
『オレが育てる。オレはこいつと一緒にいるんだ。オマエらに邪魔はさせない』
迷いなき即答だった。それを聞き、龍は表情を曇らせる。
『そうですか。あなたが』
『オレに、できないとでも?』
『いえ、ですが、リグ。こんな話を知っていますか? 遥か昔にいた、とても強い力を持った者の話です。その者は大陸すら破壊できうるほどの力があり、それゆえでしょうか、他者を省みることなど一切なく、全てが己の為、というような考えの持ち主でした。そんな彼が、ある日、娘を授かったのです。それで何を思ったか彼は——』
『どうでもいい話だ、ルルカラ』
『そうですよ、はは——いえ、ルルカラ、さん』
話半ばに遮ったリグに、別の龍が同意した。その姿を見るのは『会合』の参加者も久しぶりのことだった。重い金属音を鳴らしながら、鎖を纏った龍は隣の映像に話しかける。
『言いたいことはわかります、ルルカラさん。でも、きっと違います。その話だって、あなたは悲劇で終わったと思っていますよね。けれど、そうではないのですよ。悲劇で終わると思われた娘の元には、ある時、人間の少年が現れたの。それで娘は気づかされたの。その言葉に救われたのよ。そして最後には、娘は希望を持って立ち上がった。そんな、決意の物語だったのよ』
『ヴェルス……あなたはそれで、また』
他の者たちに聞こえないように、母は漏らす。
『で、何だ? オマエの提案は?』
『あ、ああ、ごめんなさい。話が逸れましたね。それではリグ、そして皆も聞いてください。皆も思っている通り、『彩地』を止めることはできません。これは、本来は遊びでも競技でもない。それは我々の、いえ、あなたにとっても必要なはずの活動なのです。ですから、我々のすべきことは、休戦の取り決めです。リグ、あなたの本意は、その子供との生活を乱されたくないことでしょう』
『そうだな』
『であれば、そう、人の子など百年もあれば期間としては十分でしょう。もちろん、これはただの休戦です。対外的な争いを抑制する、というだけのことです。『彩地』自体は継続中ですから、その間も活動は自由です。力を蓄えるも、導くも、工作するも、惰眠も貪るも。人の国ならば、百年もあれば十分に発展させることも可能ですし、ね』
それは幾度も国を興し、滅した龍の言葉だ。それ自体に異を唱えるような存在は、この場にはいない。だが、その提案に、彼らは黙したままだ。
『……ワ……タシは……賛成、だ……』
最初に答えたのは、映像から姿を消されていた龍だった。牙を剥き出し、噛み締めながら、その姿を再び現わす。体を僅かに震わせながらも、その眼光だけは鋭さを保ち、リグを見据えていた。
『サクメ、あなた、大丈夫ですか?』
『無論……だ。ルルカラ……ワタシ、は……それで、いい。百……年あれ、ば、十分ソイツを……倒す、力を——』
『あ〜、オレも賛成、だな〜』
言葉半ばに崩れ落ちたサクメミガチを引き継ぐように、別の龍が口を開いた。まるで岩のような鱗を持つ彼は、今の今まで、話すことも動くこともなく、見た目通り言葉通りに重たい瞼を閉じていた。それが、今が機とばかりに動く。
『百年かぁ。いいじゃないか。ゆっくりするのもいいよ。それに、そうなったらこの『会合』も、次は百年後ってことだよね〜』
『馬鹿言え。『会合』の有り様は変わらん』
軽口にしか聞こえない言葉を捉え、ファルズフルールが嗜める。
『え? そう? ん〜、まあ少しでものんびりできるなら、いいか。てことで賛成で』
そうして彼は目を閉じる。そこにはすでに、岩の塊があるようにしか見えなかった。
『オレは邪魔されなければ、それでいいんだ。なぁ?』
『そうね、リグ。それから、あなたの意見を聞きたいわ、ガロアレクス。あなたが最も『彩地』に精力的のようだから』
リグとルルカラの視線の先には、黒龍の姿があった。自らを貫く二組の瞳に、黒龍は必死に狼狽を抑えていた。
『————そ、そうだな。俺は皆よりは急いでいた、か。ゆえに、そうだ。一旦は内を固めるか。俺の配下は魔族が多い。人間よりも時間に余裕がある。休戦、か。休戦。それもよかろう、な』
ルルカラに向かって話しながら、その折々で黒龍帝ガロアレクスはリグに視線を向ける。その度に、一切揺らぐことない金色が、いっときたりとも彼から離れていないことに気づかされ、彼は肝を冷やしていた。
『直接の戦争以外は全て許容される、ということか、ルルカラ』
『そうね。あなたなら、色々とやりようはあるでしょう? さっそく、楽しんでいませんか?』
遠雷の轟きの如く喉を鳴らす深緑の巨龍の声は、ルルカラにとっては含み笑いのように思えた。
彼も含め、賛否はすでに聞くまでもなかった。
『会合』の会場となったカロスケイロスの結界から、リグはひとりラースを抱いて退出した。ルルカラの提案は通り、後は決まり切った誓いの手順があるだけだ。そこに彼がいる必要はなかった。
リグは深く、長く呼吸を繰り返す。ラースを抱く腕が、僅かに震えていた。
『祭壇』の地の空中には、何頭もの金龍たちが舞っていた。地上にもまた数頭が降り立ち、リグの壊した仲間を囲んでいた。リグが結界から現れると、一斉に視線が注がれる。畏怖と、畏敬と、憎悪と。どう捉えていいかわからない対象に、彼らの感情は一言では言い表せない、複雑な絡まりを成していた。
それらを一切無視し、傷癒えぬ黒龍や、姿の見えないイシュカたちさえも気にかけることなく、リグは地下の洞窟へ向かう。リグルヴェルダス、彼自身が居住とした魔素の満ちた空間へ、貫通させた岩盤を降下していった。
地脈、という言葉があるように、その地の魔素には流れがある。濃淡が存在する。その最も濃き場所へ、リグはラースの体をそっと寝かせた。
直後に、リグは倒れ込む。全てを使い果たしたかのように。辛うじて、ラースの上に重なることだけは避けながら、無様に四肢を投げ出し崩れ落ちる。
彼は疲弊しきっていた。肉体も精神も膨大な負荷がかかっていた。
取り戻した記憶の導くままに、術を使い続けた。本来、その若さでは得ることのできていなかった術は、魔素欠乏をもたらすほどではないにせよ、彼から力を奪っていた。短時間に受け止めた膨大な情報も、その解析のために彼の頭脳を熱し続けた。
なによりも、彼は緩むわけにはいかなかった。『会合』の龍たちを前に、一瞬たりとも隙を見せるわけにはいかなかったのだ。怒りを糧にしながら、懸命に、そのそぶりすら見せぬように振る舞ったのだった。
しばらくの間、不格好に突っ伏したまま、リグは湧き上がる場の魔素を浴びるにまかせた。それからようやく、自らの意思で魔素の吸収を始める。
『ラース————』
這うように手を動かし、指先でラースの手に触れた。小さく、柔らかく、暖かいてのひら。緩く握られたそれは一旦開かれ、龍の指先を包み込む。
意思はなかった。ただ、暖かさだけが伝わる。それを受け、リグは魔素を返す。膨大な、ゆえに荒々しいこの地の魔素を吸収し、自らの内で咀嚼し、授乳するかのようにラースへ巡らせる。
『もう、安心だぞ……。これで……オマエの望み、叶えてやれる……』
弱々しい呟きには、強い決意が込められていた。しかし、すぐに思い直して否定する。
『いや……違う、な。それは、オレの……望み、でも……』
彼の意識が蝋燭の炎のように揺らめく。炎は、徐々に小さくなって消えてしまう寸前まで、想い続けていた。
——今度こそ、オマエを。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
これにて第16章完結となります。
次回は最終話となります。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




