第93話 どの記憶よりも素晴らしいもの
外部から見る者がいたら、それは不自然に浮かぶ巨大な泡に思えただろう。虹色に輝く球体は、内から外は伺えても、その逆は不可能な造りをしていた。『会合』のために急遽設えた、カロスケイロスの簡易的な結界がその正体だ。
「くははははっ! なんと、なんと素晴らしいことかっ」
呼ばれた男は、黒色のローブをはためかせながら豪快に笑った。
「こんなことが可能であるなら。ああ、確かに御主の言う生命の定義に合致するなぁ。御主もまた『不死』となったわけだ」
「相変わらず喧しいんだな、ノスフェル。そんなものは、オレはどうでもいいんだ。早く始めろよ」
「ああ、ああ、そうだなぁ。後でじっくり聞きたいものだ。さっさと終わることを願って、始めるとするかぁ」
そう宣言し、ノスフェルは各地を結ぶ触媒たる杖を放る。今、彼らがいるのは森林の上空だ。空中であろうとも、杖は所定の配置で留まり、陣を描き術を増強させる。
その場にはリグとカロスケイロス、そして『会合』を司る、『不死の王』と呼ばれるノスフェルがいた。カロスケイロスの張る巨大な球形の結界の内側で術は行使され、その効果を表していた。
杖が、対となる各地の杖と結ばれる。杖に設えられた宝石が輝き、空中に映像を描き出す。もう一方の杖に対象が働きかければ、その姿を写すだろう。今はまだ、現れるものはいない。
『突然のことなのだから、すぐには集まらないと思うわ、リグ』
『そうか。そんなものか』
「御主は普段ですら参加しなかったからなぁ。皆が来るとも限らんぞ」
ノスフェルは当然ながら龍の言葉を理解していた。しかしながら、自らがそれを用いることはしない。それは礼を失することだと判断してのことだ。
『リグルヴェルダスの名で召集すれば、皆の動きも違うかもしれないけれど。貴方は良しとしないでしょう?』
『手段として用いるなら、別によかったけどな』
千年程前の、直近の参加時の記憶をリグは探っていた。記憶の全てを即時に思い出せるわけではない。細かな部分は都度、熟慮の必要があった。
「まあ、そもそもが、だ。緊急召集など使うとは思わなかったからなぁ。御主たち龍にとっては、大した違いなどないのだろうからなぁ」
『そうね。新たな参加者の中には、定例の『会合』すらも煩わしいという声もあるのは確かよ。でも——』
カロスケイロスは言葉を止めて、空白の映像の一つに目を向けた。そこに揺らぎを見る。揺らぎはやがて一つの像を結び、その先の存在を鮮明に映した。
そこに、一頭の龍の姿があった。金色の鱗に、同色の瞳。それを模すことができるなら、どの国であろうと、国宝として認定されるであろう立派な双角。それらは輝きを曇らすことないまま、同時に幾千を刻んだ深みのある色合いを湛えていた。
画角ゆえに全身を伺うことはできなかったが、映し出された表情だけで判る。龍の纏う厳粛な空気は、世の流れを超越した者の持つものに相違なかった。
『相変わらず早いのね。感心するわ』
『当然だ。何の為の緊急召集か。その定めがあるのなら、常時備えるが必然だろう』
雰囲気に違わぬ、重く、深みのある響きだった。まるで目の前にいるかのような熱までもが伝わる。
『だが、カロスケイロスよ。部外者がいるようだな?』
『部外者ではないわ。ああ、彼の方はそうなるかしら』
リグは、ラースを抱いたままこの場にいた。カロスケイロスはあえて濁す。最初に現れたのが彼であったから。おそらくは、というリグの意を汲んで。
『オマエは暇なのか? あまり早いと、そう思われるぞ、ファルズフルール』
現れた金龍の長を思い出しながら、リグはその名を口にした。
『なんだ、この礼なき輩は。早う摘み出せ』
『そうはいかないわ。今回の『会合』は、彼が主役なのだから』
全身をたゆらせながら、カロスケイロスが答える。今の彼女は本来の巨大な姿だ。通信のための魔法陣を取り囲むようにその体を浮かべ、金龍と対面していた。
『主役、だと。まさか貴様は、この成龍にも満たぬ若輩を伝統ある『会合』へ誘う気なのか? それが通ると思うのか?』
『いいえ。言ったでしょう。彼は元より参加者よ。ただここ千年あまり姿を見せなかっただけ。それに、貴方には彼から特別に話があると思うわ。ねえ、リグ』
彼女の合図に、リグが術を発した。現れたのは映像。彼らの遥か下方の森の様子。そこに潰れたように伏した龍の姿だ。
『これは、オマエの一族か?』
僅かに身をのり出し、金龍は映像を凝視した。その瞳孔が収縮し喉が鳴る。
『ああ、少しわかりにくいか。だいぶ壊したからな』
映像は方向を、角度を変えた。四肢を、翼を、角を折り、鱗を破壊し。全身を、地面を赤く染め。折り重なるように倒れる二頭の龍は、拘束こそ解かれたものの、それで自由を得たわけではない。たとえ身体に傷一つなかったとしても、最早彼らは逆らえない。そのような意識を抱くことはなくなっていた。
『貴様が、やったのか』
その正体に金龍はようやく気づく。『会合』のための映像は、隔てた距離を感じさせない怒気をリグに向けて放っていた。
『そうだ』
一切怯むことなく、リグは睨み返す。
『——フェルサスとファウスス。その兄弟は儂の一族だ。あまりに怠惰な奴ら故、先日放り出したのだがな。それでも儂の一族であることには変わりない。貴様が、我ら誇り高き金龍が一族に手を出したのであれば、長たる儂自らが貴様を断じてくれよう』
『それは無理ね、ファルズフルール。貴方も知っているでしょう。『会合』の参加者同士の争いは禁止事項。貴方はそれを破るつもりかしら』
蒼色の龍が割って入った。彼女もまた怒りを湛えながら。
『破るつもりなど毛頭ない。おかしなことを言うていたな、カロスケイロス。其奴が参加者だなどということ——』
『黙れ。そんなことはどうでもいい。ただな、オマエは奴らのことを一族だと認めたな。なら、オマエはどう責をとるつもりだ。コイツらは、オレとラースの居場所で好き勝手暴れ、挙句オレの大切なものを奪った。コイツらだけでは、オレは収めないぞ』
『不敬な小僧だ。儂のすべきことは唯一つ。我が一族に仇なした貴様を、断罪するのみ。おい、カロスケイロス。貴様はどこにいる。いつもの湖底ではないな』
彼の中では、両者が共謀しているように感じていた。リグに向けるものと同じ視線で、金龍の長は水龍を睨み付ける。が、彼女はため息を以て流す。
『ここに来るつもり? 『会合』を抜けて?』
『どのみち、他の奴らはすぐには現れまい。その前に、儂の翼はそこへ到達し、事を終える。それが目的であれば、『会合』の意味はなくなるだろうな』
『そう? それなら来るといいわ。ここはラフマーヌ王国クルシュナ地方。彼の領域たる大森林の上空よ』
『ラフマーヌ? ふん、大した距離ではないな。そこのクルシュナ——————クルシュナ、だとぉ!?』
終始怒りを露わにしながらも、その態度は平静を保っていた彼が、思わず低俗に声を荒らげていた。
『それは真か? 謀っていないだろうな? クルシュナという地には、近年、奴がいたはずだ。フェルサス達は、そこを荒らしたというのか、カロスケイロス。それで彼らは——いや、莫迦な。奴は——』
『彼は、いるでしょう?』
怒り鎮まらないリグに、彼女は顔を近づける。映像の向こうの金龍に流し目を送り、見せつけるように、小さな龍に頭をすり寄せる。
『若さが、溢れているでしょう? 少し幼なすぎるかもしれないけれど、その分、可能性の泉が湧き続けていると思わない? 気づかないの、ファルズフルール? この姿になっても、私の彼は輝き続けているのよ』
『離れろ。オマエのじゃあないと言っただろ。それに、気づかなかったのはオマエも同じだ』
邪険に押し退けられ、しかし彼女は引かない。リグを取り囲むように頭を動かし、彼を取り巻く輪を造る。
『私はすぐに気づいたわ。ああ、貴方の、この魔素が主張しているのよ』
『……もういい。で、ファルズフルール。オマエはここへ来て、何をするつもりだ?』
龍の頭が描く円を抜け、リグはカロスケイロスの頭部に立つ。彼が触れているだけで、水龍の鬣は震えた。
『ま、待て。お前が奴だというのか。その姿、そんな確証がどこにある』
『必要ないだろ、そんなもの。オマエが理解できるかどうかだ。で、どうするつもりだ?』
考える間を与えずに、畳み掛けるように迫る。見た目通りとは思えぬ物言いは、金龍の長をして、伝説と呼ばれた龍の姿を想起させる。逆らうことの無意味さを知る相手を。
『……助命を。彼らを助けてはくれまいか、リグルヴェルダス。彼らも気付けなかったのだろう。その姿だけで与し易いと思ったのだろう。未だ未熟ゆえ、どうか、彼らを許してもらいたい』
『馬鹿か。アイツらにも言ったけどな。オレは殺す気なんてないんだ。そんなことで収まるほど、オレの失ったものは軽くない。ラースはな、オレの命を救ってくれた。今回だけじゃない。以前も——』
リグは思い起こしていた。リグルヴェルダスとしての記憶、ではない。リグ、としての記憶。ラースと出会い、彼が仇と呼んだ《震脚の王》を倒し、自らが倒れてしまった時のことを。
言葉にすることで、記憶は鮮明に蘇る。リグは白銀の狼ウォルフェウの魔素を吸収することで回復を果たした。しかし、それが可能だったのも、ラースからの力を得たからだった。
初めての術に過剰に魔素を消費し、『魔素欠乏』に陥っていた彼は、動けぬ中で自らに似た魔素を感じていた。それはリグの体にラースが叩きつけられたときのこと。もちろん、ラースにその意図はなかった。しかし、流れ落ちる彼の血が、そこに含まれる魔素が、指先一つ動かすだけの力をリグにもたらしていたのだ。
そうしてリグはチャンスを待ち、それをものにして生き延びた。今回と同じようにラースを危機に晒しながら。
その過去が、再び彼の心を沸騰させる。
『——そうだっ! ラースは、オレを助けてくれたんだ! それに、アイツがオレに与えてくれた、あの心地良さは! アイツと一緒にいた時間は! オレのどの記憶よりも素晴らしいものだったんだ! オマエらはそれを奪ったんだっっ!!』
怒号に映像が乱れる。体の内の熱を撒き散らし、冷静であれば「無様」と自責するような荒さで魔素を放出し、威嚇するかのように翼を広げていた。
『リグ……』
《恵みの水》を与えようとカロスケイロスが動く。しかし、翼を二度三度扇ぐように打ち、リグは息を整えた。
『あの屑共は誓いを立てたぞ。そんなもの必要なかったがな。オレは受けた。殺すつもりはなかったしな』
『ならば! ならば、儂がその誓いを引き受けよう! 彼らがどんな誓いを立てようと、長たる儂が——』
『オマエが、じゃないだろ。オマエも、だ』
『あ……ああ、そうだな。その通りだ』
疑念はすでに消えていた。彼とて長き時を刻む龍。目の前に映る小さな龍がどんな存在であるのか、今更ではあったが理解した。金龍の長ファルズフルールの信義は、彼のもとにあった。誇りは、目指すべき頂として、彼に向いていた。
『だが、先ずは。そこへ向かおう。そこで是非とも直接詫びを! リグルヴェルダス殿!』
投影された姿が、映像を突き破って現れるのではないかと思えるほどに迫る。画面一杯に、輝く瞳を写し金龍は言葉を待った。
『——好きにしろ』
拳を握りしめながらリグは吐き捨てた。その言葉を受け、金龍の姿が消える。感謝する、という響きを残して。
「オマエは、シロだったな」
やつれた表情を見せるルージュに対して、リグは穏やかにそう伝えた。
治癒を終えたルージュ達は、『祭壇』の近くまで来ていた。目的地まで来たものの、そこに倒れる龍たちを見て、それ以上近づくことをためらっていた。そこにはラースの姿もリグの姿もなく、ただ見知った者に似た、褐色の獣が伏せているのを認めるのみだった。
上空に佇む虹色の球体にも、彼女達は気付いていた。その巨大で不可思議な存在が、一層彼女達を不安にさせ、その場に留まらせていた。
金龍ファルズフルールが現れるまで、あるいは『会合』のメンバーが揃うまでの合間に、リグはラースをカロスケイロスに預け、会場となる結界を抜けた。『祭壇』の地で動かぬままの龍たちを確認すると、抑えきれない低い唸りが漏れる。
そうして足下に目を向けている中で、彼はルージュ達に気づき、降下していたのだ。
『リグ様、よくぞご無事で!』
『オレは、な』
飛竜を平伏するに任せ、思わず漏れた言葉。ルージュには理解できない言葉だ。
「シロ……って、リグ? なあに?」
「オマエは最初にラースを襲った。それは間違いない。けど、それ以前のことは、オマエとは関係ない。あの女から確認できた」
「エリスに、聞いたの? そっかぁ。私。……でも、私やっぱりラースのことを」
胸元に手を当てて、彼女は塞ぎ込む。安心した一方で、彼を襲った事実は変わらないと知って。
「そういうことだ。オマエは、もう帰れ。故郷にはもう戻れないだろう? ラースの村にも戻るな。だから、そうだな。王都にでも行ってあの貴族を頼るんだな」
「え? なんでそんなこと言うの? 待って、リグ。ラースは? ラースが来たでしょう?
どうして一緒にいないの?」
掴みかかろうとするルージュの手をすり抜けて、リグは舞った。
「この先にイッシュがいる。アイツに聞け。それが済んだら、飛竜に連れて行ってもらうんだな」
「待ってよ、リグ! どうしてそんなこと言うの! 私は、ラースと一緒にいたいのっ! 私がラースを傷つけたんだったら、それなら、だから、一緒にいたいの! ラースのために、一緒にいてあげたいの!」
ルージュは不穏な空気を感じ取っていた。ラースが現れないはずがないのだ。急なリグの提案が不自然すぎて、何も語らぬ龍が、答えを告げているようだった。叫びながら、胸の奥が熱くなる。
「オマエは以前に、ラースのためにやりたいことがある、と言っていたな。話を聞いて、それでもそう思うなら、ここに残ればいい」
思い直したリグは、『祭壇』に背を向けて地に降りた。視線を感じながらも、もう彼女の方を向くことはなかった。
ぼんやりとしたまま、飛ぶこともなくリグは歩を進める。どこへともなく、ただ『祭壇』の地からは離れるように。
しばらく後に、風が吹き抜け、彼の頭上を金龍の群れが通り過ぎた。
【次回予告】
思い通りに運ばない『会合』
それでも合意はされつつあった。
しかし、一頭の龍が反旗を翻す。
次回、「オマエら全てを消せばいいか」
よろしくお願いします。




