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第91話 死ねると思うか?

「オマエは、クロだったな」


 樹々の間に身を隠しながら『祭壇』の地を離れる少女の姿を見つけ、即座にリグは追い詰めていた。


「ラースの記憶の中には、アイツの記憶もあった。アイツが関わっていないことと、オマエが根源であることは確定だ」


 怯えるエリスを大樹の幹に押しやり、リグは冷淡に事実を告げた。そう言い切る根拠がどこにあるのか、エリスには理解できない。しかし、もう言い逃れできないことだけは実感できた。そして、助けがこないだろうことも。彼女の畏れる黒龍、ガリウスレクスが堕とされた姿を見てしまったが故に。


「けどな、オマエにはまだ確認することがある。いいか? 隠さず話せよ」


「あ、あの……ぉ。ちゃんと話したら——」


「別に、直接訊いてもいいけどな」


 額に爪先を突きつけ、龍は感情を込めずに口にする。


「え、ひっ、は、はなし、ますからぁ……」


 自らの最期を感じながら彼女は語る。リグの抱く疑念の答えが、幸いにしてそこにはあった。聞き進めるうちに、龍の表情は一層険しくなる。


「————そうか。わかった。もういい」


「そ、そぉ? じゃあ私……いい、よね?」


 一縷の望みを抱いて、エリスは上目遣いに伺う。だが、そこには怜悧な視線があるだけだ。


「オマエのことは考えたんだがな。ラースにやらせようとも思った。けど、やっぱり。オマエは二度とラースに接触させない。オレとラースの世界に、オマエの居場所はない」


「え……、ひいっ!」


「オマエは一つだけ役に立った。オレをラースと引き合わせたんだからな。だから————殺してやろう」


 リグはエリスの肩に触れた。その手に宿した術が、彼女の体に作用する。彼女の体を崩す。ゆっくりと、少しずつ。表面から。痛みを麻痺させたのは、慈悲ではない。


『二、三日くらいだな』


 呟き、リグはその場を後にした。






 リグの帰還を、金龍の兄弟はなすすべもなく見ていた。黒龍の残した黒球を消し去り、彼らの前に現れたリグは、少し前まで嬲っていた小さな龍ではなかった。その姿に変化は見られない。しかし、未熟な兄弟は、実感していた。何もかもが別次元の存在だと。二頭はただ、息をのむ。


『リグ……さん。あ、あ、あなたが、これを……』


『そうだ。待たせたな屑共』


 動けぬ二頭の龍を見下ろし、静かに喉を鳴らす。落ち着いた低音の響きは金龍の体に深く浸透し、細胞一つ一つを揺さぶる。


『く……っ、リグ、ガリウス様は、どうした』


『ああ、ここからじゃあ見えないか。オマエの方がまだマシだな』


 四肢を土に貫かれ固定された兄に向かって、まだ生きている、と事実だけを伝え、飛び上がる。そうして空中に黒龍の姿を映し出す。術を編み、自らの視界を金龍たちの眼前に投影させる。


『な!? あれ、が、ガリウス様……なのか?』

『リグ、さんが、やった、の……』


 胸を貫かれ、脱力したまま動かない黒龍の姿に、兄弟は狼狽する。まだマシだ、と口にしたリグの言葉が真実だと知る。痛みに、苦しみに苛まれながらも、一時それを忘れてしまうほど全身を強張らせた。


『リグ……さん……僕らは、あの——』


『ああ、わかっているぞ。ガリウスの術だろう? 奴は強化をはじめとした支援の術を得意としていたからな』


『そ、そう。そうなんです。僕ら、強くなった、て思って。だから、つい、気持ちよくって、だから』


『つい、だと』


 リグは闇の小槍に手をかけた。弟ファウススの背に未だ刺さったままのものだ。それを引き抜き、再び突き入れる。直前に炎を纏わせ、正確に、同じ場所に、より深く。肉の焦げる臭いが漂った。


『つい、でラースをあんな目に合わせたのか。オマエのその口の血は、オマエのものだけではないだろう』


 炎を纏った槍は、リグの手の内で炎そのものに変化した。形にとらわれることのなくなった凶器は、龍の体内に潜り込み、その臓腑を焼く。


『ぎ、ぎああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!』


『オレのことはまだいい。オレが弱かったんだからな。けど、ラースはっ! アイツがオマエらに何をした! オマエらのような屑にも、ラースは『施術』をしていただろ! オマエらなんかの為に、やってただろうがっ!!!』


『や、やめろ! やめてくれ、リグさんっ! 俺たち、あなたに従うから! もう絶対に! だから、やめてくれよおっ!』


 弟に代わって兄は懇願していた。ファウススは苦痛にのたうち、彼を拘束する鎖が悲鳴に金属音を添えている。


『オマエらなんかいるか』


 弟を捨て置き、リグは兄の足元へ降りた。


『それに、オマエらは、自分よりも強い奴に従うんだろ? オレでなくても、オマエらよりも強い奴なんていくらでもいる』


 貫かれ血を流し続ける金龍の前脚、その鉤爪に手を添える。ラースを打ち払い、命に届く傷を負わせた凶爪だ。それが、指ごと爆ぜた。


『うぎいぃぃっっ!?』


『そら、少し増えたんじゃないか?』


 続いてリグは、痛みで剥き出した牙に手を添える。亀裂が走り、鋼鉄をも噛み砕く龍の牙は、全てが粉々に砕ける。


『ああ、これで随分と増えたな。オマエを上回る奴が。嬉しいだろ、従うことのできる奴が増えて』


『あ……あ……あ————。あがああっ!』


 フェルサスが全身を震わせた。連動して振動する鱗が、衝撃波を生む。近くの弟を気遣って使わなかった彼のとっておきを、なりふり構わず放つ。


 リグの体を風が吹き抜けた。衝撃波という名のそよ風が。周囲の樹々と弟が、リグの代わりに悲鳴をあげる。


『な……、な、で……?』


『何度オレに見せた? オレが打ち消せないとでも?』 


 平然とリグは答え、フェルサスの頭に手を当てる。


『そういえば、ラースは言っていたな。オマエの鱗が綺麗だと』


 それまでと異なる雰囲気を纏わせた言葉に、フェルサスに怖気が奔る。目の前の小さな体に焦点を合わせ、やめてくれ、と口に出せぬ思考が湧き上がると同時に、痺れにも似た振動が全身に伝播した。


 ぴきっ。


 乾いた音と共に、崩壊が始まった。リグの手が添えられた頭部から全身へと。それは金龍の鱗を粉砕し、その粒子を舞わせ、やがて地面に積もらせた。全身の鱗は砂金の如く、主から解離して輝いていた。


『ひ、ぎいぃ……、俺の……』


『ん、まるで蚯蚓だな。いや、蚯蚓に手足は必要ないか』


 可笑しそうに口の端を引き、術を唱えた。術はフェルサスの四肢を貫いていた、土の刃を操る。刃の動きは、表皮をさらけ出された龍の脚を無理矢理動かし、その可動域を逸脱させ、歪に成型させた。


『ぎゃあああああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!』


『五月蝿い』


 森を引き裂くような絶叫を、その発生源から破壊すべく、リグの尻尾が動いた。先端がフェルサスの喉を貫く。悲鳴は血に濁され、消音された。


『や……めて、リグさん……。もう……兄ちゃん、死んじゃう……』


『死ねると思うか?』


 体内を焼かれ、自らも血を吐きながらの弟の懇願を、リグは一蹴する。


『死? そんなもので、オマエらを逃すわけないだろ。オマエらは、オレのこの苦しみが続く限り苦しんでもらう。今のオレには、それができるしな』


『そん、な……、そんなの……、ねぇ、僕たち……リグさんに、ラースさんにも服従しますから……。ずっと従いますから……お願いします……』


『——その言葉、誓いとしての言葉か?』


『もちろん……です。誓い、ますから……どうか、リグさん……』


 弟の言葉に、兄も弱々しく頷く。声を奪われた彼の、精一杯の肯定だった。


『そうか。けど、ああ。なかなか難しそうだな。難しい、けど、やりがいがあるか』


 そう言って舌舐めずりするリグの心中を、金龍たちはまだ理解できない。


 待ってろ、と言い残してリグはその場を離れた。


 束の間、金龍たちは息をつく。酷い傷ではあったが、強靭な生命力を誇る龍が、絶命するにはほど遠い。無論、リグがそのように加減したこともあったが。他の生物であれば致命傷ともなる状況でも、彼らなら生き残るだろう。まして、魔素の充満したこの森、この地では。自然治癒力もまた促進されているのだから。


 それは、このままであったなら、の話だ。二頭は拘束から逃れられない。解放されたわけではないのだ。


 しばらく経ってから戻ったリグは、イシュカを連れていた。


「リグ、この龍たちは————、前にボクが癒した龍、なの?」


 腕に赤子となったラースを抱えながら、イシュカは金龍たちから距離を置く。


「そうだ、オマエが助けた奴らだ。コイツらがラースをこんな目に合わせたんだ」


「そう、君たちなんだ」


 抑えた声を出しながらも、知らず知らずのうちに腕に力が込められていた。ラースの小さな悲鳴に我に返り、頭を振る。赤く染まりかけた視界を一旦閉ざして、イシュカは数歩後退した。


「あ、ま、待って。お前は、兄ちゃんを助けてくれた……。また、助けてくれるんだね。やっぱり、リグさんは、助けてくれるんだね」


 希望を見出したファウススは、懸命に言葉を絞り出す。しかしイシュカは無言で、リグに顔を向けるだけだった。


「ねえ、早く。兄ちゃんを、治して。僕を治してよ。聞いてるの? リグさんに、言われたんでしょ。ねえっ! 聞こえてるの! その長い耳は飾りなのっ! 早くっ!」


『馬鹿か。オレがそんな指示をするわけないだろ』


 ファウススとイシュカの間に位置取って、リグは金龍を睨みつける。視線を外さないまま、背後のイシュカに促す。


「けどな、イッシュ。オマエが治したいなら止めはしない。一度は助けたんだ。なあ、イッシュ。その結果が、これだけどな」


「いちど、は……」


「そ、そう、だよ。僕たち、森を壊したり、してない。だから、また、助けてよ」


「ラースはオマエに感謝していた。気に入っていたぞ。だから、オマエがそう選択するなら、ラースも喜ぶかもな。もっとも————」


 また壊す。リグのその意に気づくのは、すでに絶望していた金龍の兄だけだ。


「ボク……、ボクは……、癒してあげたい。けど……それでラースが……。ボクが癒したから、ラースがこんなことになったの、リグ?」


 リグは答えない。遠因であることには間違いない。しかし彼にイシュカを追い詰める意図はなかった。代わりに、腕の中のラースをそっと奪う。無邪気にしがみついてくるラースに、かつてそうしたようにリグは魔素を同調させた。それは母親に抱かれているかのような安心を赤子に与える。リグはラースから力が抜けるのを感じた。


 その姿を金龍たちに見せつける。


『ラースだ』


『————え、なにを、言って……?』

『ぐ、ぐく?』


『今の、ラースだ。誓ったよな。けど、オマエらは自分より強い者にしか従わないんだよな。気にするな。オレなら、できるはず』


 笑顔の意図に、ようやく気づく。そんなはずはない、と否定したくとも、しきれない。一体なにをされるのか。極度の恐怖は、彼らの思考を氷結させた。

【次回予告】

ラースと縁のあるもう一頭の龍。

彼女の絶望と歓喜。


次回、「まだ早い」

よろしくお願いします。

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