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第87話 我が命にかえても

 リグを先頭に、飛竜が追従する。その背にラースとルージュを乗せて。


 ラースがトウサと共に『祭壇』に訪れた時には、森の縁辺から二日間かかった。森歩きに慣れていない少年に合わせた、ゆっくりとした歩みの結果だった。


 そんなものとは比較にならない速度で、遮るもののない空中を一直線に飛ぶ彼らは、瞬く間に『祭壇』の地に到着する。


 そのまま、何事もなければ。


 のんびりとした飛翔とは違う。単騎で全力で飛ぶ飛竜に、龍の手甲でしがみつく。ラースの腕には力が込められていた。それは、ルージュを抱く方の腕も同様だった。


 無言で目的地の方向を凝視するラースの腕の中で、ルージュもまた沈黙していた。痛むほどの締め付けを、ただただ耐える。


 行程を半ばも過ぎた頃には、身を切る大気が二人の体を冷やしていた。小刻みに体を震わせながら、それでも姿勢を変えない。飛竜の気遣いの言葉も、ラースは生返事を返すだけだった。


 そんな折、眼下の緑を突き破って現れた二つの金色をラースは目にする。後方のラースたちを一瞥し、彼らは先導するリグの左右に位置取った。


 風に攪拌されながら、不明瞭な声が流れてくる。金龍たちがリグを挟んで会話をしていた。ラースには、その体躯が一瞬膨張したように見えた。


————直後。


 衝撃波がラースを襲った。遅れて、痛みが体を貫く。平衡感覚が奪われ、体が傾く。


 彼を乗せる飛竜もまた、身体の自由を奪われた。滑空のままに高度を落とし、大気の乱れが、バランスを崩す。翼も、魔力場もコントロールできずに、失速する。


「うああああああああああ〜〜〜〜〜〜っ!」


 硬直ののちに発したのは、悲鳴と鮮血。空中に放り出されたラースは、ルージュを抱えたまま大森林の上空から落下していた。


『ラースさまぁーーーーーーっ!!」


 咆哮と共に飛竜が身を翻す。衝撃波によって阻害された神経を昂らせ、血を巡らせ、骨軋ませながら翼で大気を打つ。身体の悲鳴を彼自身の叫びでかき消しながら、小さな主を救うべく駆ける。


『ガアアアアアアーーーーーーッ!!』


 ラースの体が森に飲み込まれる寸前。飛竜は誓いの親をその背で受ける。勢いのままに樹々の枝葉をなぎ倒し、半ば墜落と呼べるほどの衝撃で着地する。


『ぐっ、く、う……』


 土煙舞う中、背に少年の感触はなかった。戦慄が飛竜の全身を貫く。確かに受け止めたはずだった。しかし保持する余裕などなかった。首を伸ばす飛竜は、離れた地面に座り込むラースの姿を認める。


『ラース様!』


 駆け寄る飛竜に、ラースは反応しなかった。彼はすでに治癒を開始していた。仰向けに寝かせたルージュと、うずくまるメグに手をかざし、幾度もの《恵みの水》を与えていた。


『ラース様! 私も!』


 治癒の魔法陣が二人の体を包む。表面上の傷は浅い。損傷は内部により強く与えている。自らも衝撃波を受けた飛竜には、それがわかっていた。


『後は私が。あなたも横になってください』


『僕は大丈夫だから! 二人を助けて! 二人に力を使ってよ!』


『し、しかし——』


『こんなの、平気だよっ! 僕よりも、ルージュやメグが!』


 訴えるラースのシャツは彼自身とメグの血に染まり、重たげに彼の体に張り付いていた。似たような攻撃である《震脚》の王の力に耐えたことを、飛竜は知らない。ラースの言葉が信じられなかった。


『ラース様、これはあの金龍共の攻撃です。私は以前も奴らのこの術を受けています』


『彼らが……? どうして僕たちを襲うの?』


『わかりません。しかし、奴らは元々、外部からの者です。リグ様を襲い森を我がものにしようとしていたのです。リグ様によって阻まれましたが』


『そう————待って! リグは? リグはどこに!』


 その問いに飛竜は目を伏せ、頭を振った。


『申し訳ありません。ラース様をお救いすることだけで精一杯で』


『リグは、あんな近くで、これを受けたんだよね? あいつらに襲われているんじゃないの! 僕、行かなきゃ!』


『お待ちください!』


 ふらつきながら立ち上がるラースを見て、飛竜が制する。


『危険です! あんな龍を相手にするなど。私も一緒に参ります! 仲間も呼びましょう!』


『——ルージュは、メグは大丈夫なの』


 ラースに睨みつけられ、飛竜は首を引いた。心底、彼は恐怖を覚える。親と慕う存在ではあったが、純粋に戦いとなれば、人間など圧倒できる存在であるはずなのだ。にもかかわらず、彼の感じた恐怖は、暴力としての力。小さな体から溢れ出る純粋な力だ。


『治癒を……術を継続しなければなりません。少なくとも、まだ危険な状態です』


『じゃあ、わかるよね』


『……は……い。で、ですが——』


 反論を小さな手が遮った。そこには先の力の発露はなく、『施術』のときのような暖かさを伝えていた。


『お願いします。どうか、二人を助けてください』


 懇願する瞳に、口の端に、血が伝う。飛竜にそれを咎めることなどできない。彼は息を呑み、歯を食いしばり、


『我が命にかえても』


平伏した。






『祭壇』に向けて駆けながらラースは祈り、縋っていた。何かの間違いであって欲しいと願っていた。足をもつれさせ、あるいは盛り上がる木の根に躓きながら、痕跡を探る。


 そして、広範囲に破壊され散乱する枝葉を、彼は発見する。血痕を前に足を止め、鱗の欠片のようなものを摘み上げる。


(リグ——、どうか無事でいて)


 地面に残る巨大な足跡と、引きずられ倒された下草が行き先を告げていた。その遥か先の開けた場所、『祭壇』の地をラースは再び目にしていた。


 胸に手を当てて、息を整える。平気であるはずがなかった。自らの魔素も消耗していた。それでも助けに行く以外の選択肢などない。


 戦えるなどとは、彼も思っていない。なんとか金龍たちを説得する。あるいはリグを連れて逃げ切る。それくらいならできる。ラースはそう考えていた。


(今度こそ、僕が助けるからね!)


 決意を胸に、ラースは『祭壇』の地へ踏み出した。






 そこには、ラースの望む者たちがいた。


 リグルヴェルダスが居付いたとされる洞窟。その周囲に広がる、『祭壇』の地には、それを象徴する『祭壇』と、かつての建物の名残である基礎が散在していた。


『祭壇』とは、実際には《石毱》という、術の施された道具だ。エリスが獲物を捕らえるために設置した罠のようなものだ。今は、仕掛けた本人が腰をかけてくつろいでいる。


 洞窟の入口には一頭の黒龍がいた。緊張感なく身を横たえているのは、比類なき強者であるから、というだけではない。洞窟の奥から溢れ出す濃密な力、大森林の中でも特に強い魔素を感じていたからだ。その心地よさに、黒龍は陽だまりの猫のように浸っていた。


『リグーーっっ!!』


 彼らのことなど一瞬で意識外に追いやられ、ラースは何もかもを忘れて、飛び出していた。彼が見ていたものは、囲う二頭の金龍の巨体、そして。


 廃墟の只中で、刻に侵食された支柱。その半ばに、磔にされた小さな龍の姿だ。龍は漆黒の刃に貫かれ、四肢を、尾を垂らす。不自然に開いた皮翼が風に揺れる。


 血を零す顎が小さく動き、その名を呼んだ。掠れた囁きに、ラースの全身に鳥肌が立つ。


『リグっ! すぐに僕が!』


 無数の傷があった。とりわけ、胸元を斜めにはしる裂傷が深い。ラースの添えた手を、見る間に紅く染めて流れ落ち続ける。


『なんだお前、生きていたのか』


《癒しの水》を与えるラースの背後から、金龍の兄フェルサスが威圧の唸りを発した。


『きっと飛竜が頑張ったんだね〜。ねえ兄ちゃん』


『お前たちが、リグをっ!』


 治癒を続けながら、ラースは頭だけを動かした。振り返ったその眼前に、金龍の鼻先が迫っていた。わずかに開いた口から不揃いの牙が覗く。響く唸りは、彼らの放つ衝撃波のように、少年の心を乱し、生暖かい息吹がラースの頬を濡らした。


『う……、なんでっ! リグが何を————』


 金龍が鉤爪を振り抜き、言葉半ばのラースを吹き飛ばした。すでに残骸となっていた石造りの基礎を粉々に砕きながら、暴風に巻き上げられた枝葉の如き勢いで岩肌に打ちつけられ、ようやく彼の体は止まった。


『ぴーぴー煩えな。人間如きが、対等ぶって話すんじゃねえよ』


 赤く染まった軌跡の先、一撃で決定的なダメージを負わせた人間を一瞥し、金龍は吐き捨てた。

次回で第15章完結となります。


【次回予告】

リグを助ける。

そのためなら。


次回、「とっても、嬉しい」

よろしくお願いします。

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