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第82話 そんなに甘いわけがない

 その一撃に、ダメージを与えるような威力はなかった。虚をついたとしても、龍を傷つけるほどの力など、ラースには無い。だが、全くの意識外の攻撃に、ヴェルスは動きを止めていた。その後の言葉など、彼女の考えの及ぶところではなかった。


「どうしてっ! どうしてこんなことをするの! なんであなたは、信じないのっ!」


 ヴェルスは、微弱な攻撃から、憤りを感じていた。彼女の中の不安が膨れ上がる。理解できなかった。僅かな時間の《解析》で観たラースの記憶も、彼の無謀な言動も、怒りも。

 今、この瞬間に力を振るえば、跡形もなく崩れるであろう脆弱な存在が、なぜ歯向かうのか。仇敵でもない相手に怒りをぶつけるのか。


 戯言、と断ずることもできた。ラースの記憶を覗きさえしていなかったら。しかし、もう遅い。彼に反発しながらも、ヴェルスには無視できなかった。解らずに彼女は混乱していた。


「なにを……信じろ、と? お前を? 父上を……? なにが言いたいの、お前は」


「あなたも覚えているんでしょ。それなのに、あんなに優しくしていたリグルヴェルダスを、あなたは信じていないんだ」


「ええ、お前の所為で思い出してしまった。もう、忘れたかったのに。父上は、私を棄てた。私も、父上を棄てたいのに。お前は——」


「そんなことじゃないよっ! わからないのっ!」


 乱暴に、ラースは言葉をぶつけていた。ソルシャを助けたいと思った時のように、自らの過去に押されながら。


「あなたは、リグルヴェルダスに捨てられた、って言ったよね。もしかして、違うんじゃないの? あなたが、リグルヴェルダスを捨てたんじゃないの?」


「なっ! 何を、お前はっ! 私が父上を捨てたなどと、よくも巫山戯(ふざけ)たことを!」


「違うんだ? じゃあ、あなたは捨てられて、それで何をしたっていうの?」


「……どういうこと」


「ソルシャは、あなたの娘は必死だったんだよ。あなたの役に立ちたくって。あなたは、そんな娘のことをちゃんと想っているの? ねえ、あなたは自分が捨てられた、って思っていて、それで何をしたの? ねえっ? 何をしたのさ!」


 ヴェルスは言葉を返せなかった。人間に対して喚く鼠。その程度にも満たない存在であるというのに。迫力に気圧され、目を逸らしたいと思いながらも、逆に引き寄せらる。うっすらと涙を浮かべながら、彼女を責める少年を見つめ、何かを飲み込むように喉を鳴らしていた。


「諦めたんだ、あなたは! だからなんだ! あなたの娘は頑張っているのに。あなたは……あなたは、リグルヴェルダスの娘なんでしょう! どうして自分で会いに行こうとしないんだよっ!!」


 言葉が雷光となり、ヴェルスの全身を疾った。


 言い当てられた。後悔は、確かにヴェルスの中にあった。疑念もあった。もしかしたら、原因は自分にあって、全ては自業自得なのではないか。そんな思いを、彼女は悲しみで覆い隠していたのだ。それを曝け出され、再認識させられ——、彼女は怯えた。


「ぅ……う、わ、わたし、は————」


『鬱陶しい奴だな、オマエは』


 動揺するヴェルスの隙をついて、リグは彼女の上顎に乗った。先に負った脚の傷から流れる血が、彼女の口元を汗の如く伝う。


『オレは、ルルカラもリグルヴェルダスもどんな奴か詳しく知らないけどな。オマエのような奴は、捨てられて当然だ』


 片手をヴェルスの額に当て、爪を立てた。硬い鱗はそれを通さない。しかし。


『こう、だったな』


 鉤爪に短かな魔素の刃を纏わせる。極薄のそれは、熟れた果実のように鱗を裂き、肉を浅く傷つけた。


「ぎっ! お、お前はあっ!」


『今のオマエの方が、オレよりも巧みだけどな。それだけのことだ。こんな土の中で燻っている奴に先なんてない。オマエは、いつまでもここに留まっていればいい』


 一切の情けを感じさせない金色の双眸。痛み。その言葉。それらが彼女に、かつての記憶を思い起こさせる。父との、教育という名の戦いに明け暮れた在りし日を。


 立ち止まるな。常に上を目指せ。そう語っていた父の言葉と真逆の行為。それが今の、いや、父と会えない間ずっと続けてきた愚行。そうであるなら、ラースの問いかけは間違っていない。


 ヴェルスは、そう認めるしかなかった。


「でも……でも、私は。父上に会いたくて」


 震えながらリグの瞳を見つめ、彼女は(すが)る。父と同じ金色に映る己の姿に、彼女は過去を憶う。そして、龍の娘は懐かしい魔素に触れる。


 ラースが、ヴェルスの口元にそっと手を添えていた。


 祈りとともに与えらえたわずかな魔素は、紛れもなく父のもの。見つめる瞳もまた同様。ヴェルスは一時、憂いなき思い出の中にいた。


「まだ、間に合うと思うよ。だから、わかって。想うひとがいるなら、諦めないで。そうしたら、きっと振り向いてくれる」


「父上は、まだ私を————?」


『リグ、おいで』


 ヴェルスから、ラースの手が離れた。リグを手招きし、《癒しの水》で手当てを行う。警戒を解かないままの小さな瞳が、やがて至福に蕩け細められる様を、ヴェルスは目の当たりにしていた。


 片腕で小さな龍を抱えながら、もう一方で少女を抱き寄せ。ただ、そうしているだけで十分、と頬を緩める姿。


 音が消えた。言いかけたヴェルスは、静寂を破れなかった。柔らかな灯りが、ひとかたまりになった三人の姿を、ただ、揺らす。


 憧れを写し、飛びつきたい衝動に駆られながらも、ヴェルスは動けなかった。あまりに魅力的で、畏れ多く、呼吸すら憚られる。それを乱すことなどできない。巨大な体躯の隅々まで強張らせたまま、彼らの姿を理想と重ね、心は引き込まれていた。


「かあさま」


 そんな彼女の時を動かしたのは、不安を宿した囁きだった。無力と蔑まれた娘が、小さな体を母へと寄せていた。


「私にも、何かできますか」


 夢から醒めたような表情で、ヴェルスは顔を向ける。そこには、彼女を慕う強い意志があった。


「ええ、娘よ。そのままでいいわ」


 母の労いの言葉に、娘は頷いて目を閉じる。


「ヴェルス、さっきは怒鳴ったりしてごめんね。僕は、あなたに知っていてほしかっただけなんだ。そうしたら、ソルシャのことも、僕の国のこともなんとかなるかなって思っていたから」


「————お前の言葉は、響いた。お前たちが何者なのか、なぜここへ来たのか、本当のところは知らない。けれど、私のすべきことは理解した。恐れはある。しかし————感謝します」


 ヴェルスは静かに瞼を閉じた。少しだけ四肢に力を込め、抜く。深く、長い呼吸に体が膨張・収縮する。


(父上)


 最後に、そう念じ。彼女は魔素の供給を絶った。


 彼女を包む鎖が、崩壊を始めた。彼女自身が創り上げた鎖を、自ら解く。硬い殻を剥がされ現れた果実は、本来の鎖。彼女がその消失を防いでいた、リグルヴェルダスの生成した鎖だ。


 それはすでに末期状態だった。維持するための魔素はとうに無い。結合は緩み、放っておいても自壊は目前。


 それを待つなどできない。待つべきではない。膨大に積み重なった自責を晴らすためにも。ヴェルスは、遙か昔に培った解法を以って挑み——


 鎖は、魔素に還元され、消えた。


 粉雪が溶けるように。


 皆が、目にした。魔素など視認できるはずのない、龍以外の者たちも。鎖がゆっくりと分解し、漂う魔素が空間に消えていくように見えていた。


 それは錯覚だ。


 魔素はこの場に散らばり、僅かに乱し、すぐに平衡へと至る。その過程を視ることなど、ラースたちにはできるはずもなかった。それでも、そう思わせたのは、ヴェルスの強烈な未練だった。


 場に還る魔素を、ヴェルスは感じる。離別を想う。同時に、彼女は前を向いた。


「重ねて、感謝します。ラース、といいましたね。お前たちがここに来なければ、私は、私を取り戻せなかった。娘のことも————、父上のことも」


「良かったです。うん。そのほうが、ずっといいと思うよ」


「そうね。早速ですが、私にはやることができました。サフィーヤ、彼らをお連れしなさい」


 じっと控えていたサフィーヤは、愚直にその言葉に従い、頭を下げる。


「仰せのままに、母様」


「あ、待って。あの、ヴェルス。もう、僕の国を襲ったりとか、戦争とか」


「お前の? あの国は、父上のものでしょう? なぜ私が手を出すというのですか?」


「あ、そうですよね。そう、だったよね」


 安心しながら、ラースは神龍カロスケイロスの言葉を思い出す。国が、リグルヴェルダスのものだという事実を。それを否定することまでは、彼はできなかった。


「では、行きなさい。私もすぐに父上を————」


 見送るヴェルスの動きが、不意に固まった。


「かあさま?」


『————————ぐ、うぅ!?』


 ヴェルスは限界まで目を見開いていた。在りもしない存在を目にしたかのように。痛みが、眩暈が、彼女を襲っていた。全身から力が抜け、四肢を折り、腹が大地に接触する。


『う————、ふうぅぅっっ!!』


 呻きながら、鼻先を地面に擦り付ける。不快感が全身を駆け巡る。体内で何かが暴れ回っているかのようだった。寄生虫の如き輩が、内部を食い荒らしている。そんなおぞましい光景が、ヴェルスの脳裏に浮かぶ。


 リグは、別のものを視ていた。虫、などではない。荒れ狂う魔素の流れだ。暴走するそれは、彼女のものでありながら、別種の魔素が混在しているようにリグには思えた。


 縦横無尽にヴェルスの体を暴れ回り、彼女の魔素を徐々に収奪しながら、形を成す。彼女の魔素と、異種の魔素が絡まり合い、強固なものを生み出す。それは終に、彼女の体内を飛び出した。


『ぐ、があああああーーーーーーーーっっっ!!』


 鎖。


 ヴェルスの体から生えたような鎖。今しがた、解いたはずの鎖。消滅寸前ではない、堅牢な鎖。それが彼女を拘束していた。


「母様!」

「かあさまっ!」

「ヴェルスっ!」


『な……どうして————』


『次の課題だ』


 洞窟に、冷静な唸り声が顕現した。


『小手調べには丁度良かっただろう、ヴェルス』


『え、な……、まさ、か————』


 彼女に反応することなく、声は定められた言葉を紡ぐ。


『次は、お前自身の魔素を使用した。これを解くことができれば、お前は『誤差』にも対処できるだろう』


『父上!? 父上なのですか!』


『————期待して待つぞ、ヴェルス』


 設定されたメッセージは、条件付け通りに発され、消えた。音の残滓は余韻を残すことなく、呆気なく途切れた。


 皆が動きを止め、その龍の言葉を聞いていた。音が消え去ってもなお、状況が理解できずに沈黙していた。


 そんな中、細かく震える金属の摩擦音がかき鳴らされた。弱く、次第に強く。その音は、狂気にも思える笑い声に上書きされる。


『ふ、ふふっ。くふ、ふ、ふはははっ。あははははははははっっ。あ〜〜〜っははははははははははははははっっ!』


 ヴェルスが豪雷の如く叫んでいた。俯き、あるいは顔をのけぞらせ。自由の効く限り体をよじりながら。岩壁が振動し、その表面が剥がれ落ちる。


「母様、落ち着いてくださいっ」

「きゃぁぁっ!」


『ヴェルス、《恵みの水》を————』


 その術で彼女を鎮めようと、ラースは暴れるヴェルスに近づく。だが彼女は、魔力の切れた土人形のように、不意に動きを止めた。


『————そう。そうよね。父上は、そんなに甘いわけがない』


 全てを悟った、悔恨の瞳。それを彼女は地面に向けた。


『ヴェルス。今のは、リグルヴェルダスだよね』


『そうよ、ラース。私は、やはり立ち止まっていた。お前の言う通り、私が父上を捨ててしまったの。でも————』


 ヴェルスは蹲み込み、目線を合わせるラースを真っ直ぐに見つめ返した。


『————でも、父上は待ってた。待つ、と言ってくれた。だから私は、これを解く。すぐに解いて、もう一度父上に会う。父上は、いるのだろう?』


『そうだね、ヴェルス。ずっと見ているよ』


 ラースは、彼女の額にそっと手をかざした。そこはリグによって傷つけられた箇所。《恵みの水》が、再び彼女に懐かしい魔素を感じさせた。





ーーーーーーーーーー

おまけ

ーーーーーーーーーー


 少年には、理解も共感もできなかった。


 だから、ただ心配そうに見守っていた。


『こんなものに、どれだけ時間をかけているんだ、オマエは』


『ご、ごめんなさい。私——』


 言葉を、鈍い音が遮る。


『ちょっと、リグ!? 何しているのっ!?』


 手をあげたリグを見て、我慢できずにラースは間に入った。


『いい。いいのです、ラース』


『でもっ』


『これは、私のけじめなのです。リグはその瞳も声も、父上に似ていて。ですからお願いを————』


『誰が父だと? オマエのような愚図がオレの子を名乗るな』


『は、はいっ! ちちう——いえ。そう、私はまだ』


『一体、どれほどの時を無駄にした? オマエに、ラースと話す時間があると思うなよ』


 鋭い視線で威圧しながら、リグはヴェルスの横面を尻尾で打ち据える。


『あっ、ああっ! わかっていますっ。私は愚かで、後ろ向きで。ですから、もっと。もっと私を叱責してくださいっ!』


 小さな龍には理解できた。共感はできなかったが。ゆえに牙を見せつける。楽しみからか、演技だかわからない、凄絶な笑みを湛え。鎖に拘束されたヴェルスを見下ろす。


『馬鹿か。それこそ無駄な時間だ』


『は……あうぅぅ』


 ラースにはわからない感情で、彼女は体を震わせた。


 少女には、理解も共感もできた。そのため、ルージュは無言でリグに黒鞭を差し出す。


 ヴェルスの瞳に、期待の色が浮かんだ。





ーーーーーーーーーー

おまけ2

ーーーーーーーーーー


『ふ……くふぅ……。ああ……っ、すご、い……。ふぅ……んん……』


『大丈夫、ヴェルス?』


 リグの責めが終わって、彼女は頭を地につけたまま、生温い吐息を漏らしていた。


『————すごく、んん……、良かった、わ』


『それならいいけど。え〜と、あなたが、リグルヴェルダスのことを大好きだ、ってことはわかったよ』


『あたり、はあっ、じゃない……』


『そっか。じゃあさ、教えてほしいな。あなたの知っている、リグルヴェルダスのこと』


 ラースの言葉に、ヴェルスは勢いよく頭をあげた。


『知りたいか、ラースっ!』


『うん。あなたが大好きなリグルヴェルダスのこと、僕の知らないことを。聞いてみたいな』


『そうか、知りたいかっ! いいわ。話しましょう。父上のことを』


 すっかり娘の顔になって、彼女は語り始める。


『————それで父上は、私に言ったわ。お前は素晴らしい。術も淀みない、って。だから私も言ったの。父上の教えがいいから、って。そしたら父上は褒めてくれて。撫でてくれて。それがすごく気持ちいいの。厳しいけど、気持ちいいの。柔らかくて、暖かくて、大きくて。厳しいだけじゃないの。私のためにって、邪魔な国を片付けてね。この砂漠をプレゼントしてくれたし。強い人間や魔獣も、私の成長のために生き餌にしてくれたの。ねえ、凄いでしょう? 強くて、優しくて。私のことを想ってくれる、世界一の龍なのよ。ああそうだ。父上はね、母上や私の特性まで理解しているのよ。なんでも知っている。どんな術も使えるし。魔素の扱いだって。ねえ、見たでしょう。あの鎖は元々————

ここまでお読み頂き、ありがとうございました。

これにて第14章完結です。

次回から新章ですが、物語としてはすでに終盤です。

あと2章分くらいで完結となる予定です。


【次回予告】(次章予告)

王都への襲撃が、再び起こされる心配はなくなった。

目的を果たし、ラースは故郷の村に戻る。


彼は直面する。

それは、彼がずっと避けていたこと。

誤魔化し続けるなどできないこと。


次回、「我々が、未熟で」

よろしくお願いします。

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