第79話【昔話】必ず、これを解きます
その16
(うん。これが母上の話していた『誤差』なのね)
砂漠で独り、ヴェルスは考える。父も母もいない中で、《再構成》の結果を吟味していた。
産まれた娘の方に問題はない。ただ、自らの体内の違和感を彼女は認識することができていた。感覚を、主には魔素に対して研ぎ澄ますと、そこには拭いきれない澱のようなものが、確かに存在している。
(これを排出する、と言っていたけれど……)
それは空中に漂う埃にようで、とらえどころがなかった。しかし、母にはできた。ならば自分にもできるはずだ。方法があるはずだ。そう思いを定め、彼女は次の《解析》と《再構成》を続ける。
(父上も、自分で考えろって言っていたし。私だけでもやらなきゃ、ね)
砂漠へと様相を変えたこの地は、未だ生態系が安定していなかった。ヴェルスの娘たちに相応しい、強力な魔獣も、人の暮らす街も存在しない。リグルヴェルダスが、いつ次の素材を持ってくるかもわからないなか、彼女は自らで調達し、検証を続けていた。
そんな彼女の姿を、両親は見守っていた。隠遁のための術を使いながら、ルルカラをその腕に抱え、リグルヴェルダスは上空で得心する。
『見ろ。如何に制止しようと、その想いは止められぬものだ』
『貴方の血、ですか』
母にとっては気が気でならない。割り切ることなどできなかった。
『お前の血、だろう。己の特性に根差す行為なのだからな。だが、良い傾向だ。その意思は正しい』
『危うい正しさよ。それを貫くにはね。けれど。ねえ、リグ。ひとの気も知らない貴方に、想い、なんて言葉を聞かされてもね』
非難、というよりも落胆の意を込めて、彼女は強靭な胸元に頭を寄せる。
『考慮に値せぬものには、影響されない。というだけのことだ』
『では、止める気はないのですね』
『ああ』
揺れのない短かな決意を口にして、彼はルルカラを見下ろす。
『だが、正しい解法へと導いてやろう。検証を繰り返すだけでは、進めないだろう』
『解法? それは貴方の言う方策ですか? 『誤差』に対処する手立てがあるのですか?』
『そうだ、ルルカラ。これより俺は、ヴェルスに課題を与える。それをクリアできるなら、この問題も解決できるだろう』
『それは、危険な方法ではないでしょうね?』
『死にはしない』
死ぬことだけはない。ルルカラにはそう聞こえた。それでも、方法があるのなら、と彼女は否定しなかった。
『発作』を恐れ、特性を使わないわけにはいかないのだ。この特性は彼女たちの生態に基づくものであったから。それを抑制することは、本能を抑えることに等しい。全てを、いつまでも理性によって制することはできなかった。
『お前もやる必要があるのではないか? 結局はお前ら自身の力で解決する類のものだぞ、これは』
『そうかもしれませんね。『発作』のときに、いつも貴方がいるとは限らないですから。でもね、リグ』
『なんだ、ルルカラ』
『気づいたのです。いえ、決心した、というべきでしょうか。貴方はすぐに行ってしまう。不安なのです。それならば、私も行けばいい。貴方と共に。どこまでも。そうすれば、なんの不安も、恐れもなくなるとは思いませんか?』
真剣な眼差しに、リグルヴェルダスは返す言葉を失った。しかし、わずかな時間で彼の明晰な頭脳は探る。彼女の意図を。その利得を。自らの返答を。その効果を。行き着く先を。答えは——
リグルヴェルダスは術を解いた。二人の存在が露わになる。
『馬鹿か』
震えた言葉が漏れた。
その17
思考のさ中でも、ヴェルスはすぐに二人の存在に気がついた。全てを放り出して、砂の翼で飛び上がる。
『父上! 母上! お久しぶりですっ!』
全身から喜びを溢れさせて、ヴェルスは迫った。行き詰まった迷宮に光射した、どころではない。迷宮そのものを破壊する存在の登場に、全てが晴れた気分になった。
『元気そうで、何よりです』
『母上こそ、お元気そうで嬉しいです。それに相変わらず、父上とも仲良くって、楽しそうですね』
『そう見えますか?』
ルルカラの緩む口元と、弛緩した四肢がヴェルスにそう感じさせていた。それを見ているだけで、ヴェルスもまた、心躍る。勢いよく、頭を振って肯定していた。
『ヴェルス、変わらず励んでいるか?』
『もちろんですっ! それで、独りでいる間に考えたのです。母上の話していた『誤差』のことを。母上は解決できたのでしょう? それで、私も考えて、思い至ったのです』
『ほう。自ら解決の手段を見つけたのか』
『はいっ! 私と母上の違い。それは、父上の存在です。父上が、もっと私と一緒にいてくれたら。母上と同じように私にも——』
『待てっ!』
父が鋭く吠える。抱えられたルルカラは、彼の腕に力が込められたことを感じた。
『そ、それは、おそらく誤った結論だ』
『え、でも父上。私まだなにも』
『お前の考えなど聞くまでもなく解る。それは捨てろ。代わりに、お前には課題をくれてやる。ついて来い』
身を翻して、リグルヴェルダスは砂漠の上空を舞った。戸惑いながらヴェルスが追従する。やがて、目的の地へ着くと、彼はヴェルスに降りるよう指示した。
『動くなよ』
上空に残り、リグルヴェルダスは術の行使を始めた。魔素への働きかけが、砂漠に降り立ったヴェルスを中心に魔法陣を形成させた。
リグルヴェルダスが翼を広げてもなお、余裕のある巨大な魔法陣。そこから発せられる光の柱は、彼とルルカラのいる上空まで伸びていた。
父の命に忠実に従うヴェルスは、ただ様子を伺うだけだった。術を成立させる最後の言葉が放たれ、彼女の立つ大地を揺るがしても、彼女は留まった。
大地が沈んだ。
魔法陣の描かれた範囲のみが陥没を始めていた。光の柱もまた沈む。あたかも打ち込まれる杭の如く。光はヴェルスと、彼女の足元の魔法陣を、地中深くに押し込めていた。
形を保ったまま、昇降機のように地中へ沈む地面を追いかけ、リグルヴェルダスが降下した。円柱型にくりぬかれた竪穴を、再び詠唱をしながら降る。
地の底で、ヴェルスは見上げていた。救いを求める者の元へ降臨する天使。父の姿は彼女にはそう見えていた。父のほうは、慈悲を纏わせていたわけではなかったが。
ヴェルスの頭上で、リグルヴェルダスは停止した。同時に、詠唱が終わり、術が発現する。
『えっ?』
『リグっ!?』
母娘の疑惑の声が重なった。ヴェルスの足元の魔法陣は書き換えられていた。さらには彼女を取り巻く壁面を覆い尽くすように、新たな陣が発現する。
巨大な鎖。
そこから生成されヴェルスを襲ったのは、龍を縛るに足る、濃密な魔素の鎖だった。それは、ヴェルスの全身に幾重にも巻かれ、その姿を覆い隠す。
『ち、父上、これは……?』
ゆっくりとヴェルスは体を揺すった。圧迫による痛みを感じるような強さの束縛ではなかった。しかし、抜け出せるような緩みはない。
『単純な力では振りほどけまい。そのように造った術だ。ヴェルス、お前はこれを解くのだ』
『解く、のですか』
鎖の隙間から、声が届く。このような状況でも、父への不審も不安もその瞳は映さない。動揺するのは母のみだ。
『そうだ。解く、のだ。破壊するのではない。それができれば、問題は解決するだろう』
『リグ、こんなことを、貴方は——』
ルルカラは、その鎖の組成を認識し声を震わせる。鎖、に見える魔素の塊。塊、といえど単一ではない。糸を撚り合わせたかのように、魔素を絡み合わせれ造られた鎖だ。
それを、破壊せずに解きほぐす。それも、この量を。自らの体を、細胞一つひとつに分離する方がまだ早いのではないか。ルルカラにはその困難が即座に理解できた。
『つまりは、魔素の操作なのだ。以前に話したよな、ルルカラ。『誤差』は排出するか、完全に自らのものにすればいい、と。『再構成』するための素材を完全に扱うには、お前らの魔素の扱いは荒い、ということだ』
『で、ですが、リグ。これはあまりにも』
『それだけの技術が必要になるだろう。そのために俺が組み上げた術式だ』
課題、といっていたが、ルルカラにとって、これは想像以上に容赦のない無理難題にしか思えなかった。彼自身、これを解けるのか、と非難せざるを得ないような複雑さだった。
『心配しないでください、母上。私、やれますから。見ていてください』
『そうだ、ヴェルス。この場所は地脈の要所、魔素も豊富だ。邪魔も入らぬ。打ち込むことができるだろう』
『はいっ! 私、必ず、これを解きます。待っていてくださいっ!』
『ああ、期待しているぞ』
その言葉に次いで、リグルヴェルダスは新たな術を行使した。術が円柱の外壁を動かす。リグルヴェルダスとヴェルスを分つように。土壁が中心に向かって迫り、先ず、両者の間の空間を埋める。次いで上方の地表へと。
地脈を乱さぬための措置。しかし、ヴェルスには理解できない。
『え? ち、父上っ!?』
消えゆく両親の姿に、ヴェルスは飛び上がろうと無意識に地を蹴った。それを、鎖は許さない。
『父上? どうしてっ!?』
彼女からはすでに見えなかった。頭上の空間は全て埋まり、地表からでは、そこになにがあるかは判別できなくなっていた。
ヴェルスの周囲だけが、地中の空洞として残された。
次でこの昔話も終わりとなります。
【次回予告】
無理難題と思われた課題。それでも彼女は懸命に取り組む。
それは着実に解決に向かっていた。
しかし、ふとしたきっかけで、彼女は停滞する。
抜け出せなくなる。
——沈む。
次回、「これは父上の」
よろしくお願いします。




