第78話【昔話】知りません!
その14
次にリグルヴェルダスが姿を見せた時、ヴェルスはすでに出産を経験していた。ルルカラがするような、単為生殖によって娘を産んでいた。
ルルカラの娘は人の姿だったが、ヴェルスの産んだ娘は、彼女と同じ姿をしていた。
人の姿を取ることが、娘に備わったの力なのか、ルルカラの力なのか。リグルヴェルダスはかつて尋ねたことがある。その時に、ルルカラは自在だとの答えを提示していた。そのような力を持たせることも、そうしないことも。
だが、リグルヴェルダスにとって、今はどちらでも構わなかった。彼の想定通り、娘を産んでいることが重要だったのだ。それを見越して連れてきたものを、彼は再会に歓喜する自らの娘の眼前に放った。
『父上、これは?』
『ああ、麻痺させただけだ。まだ生きている』
達観した瞳を彼女に向けたまま、その魔獣が動くことはなかった。幾ばくかの知性を宿した魔獣だ。龍を前に抵抗の無意味さを悟る者を、術に捉える必要などなかったのかもしれない。
『ルルカラから《解析》は教わったか? お前にもその特性は受け継がれているのだろう?』
『はい、父上っ。では、これを《解析》すればいいのですね』
察しの良い娘は、即座に答えた。
巨大な龍の顎が、忘我の魔獣を包む。そこに存在するのは《解析》のための空間だ。魔獣は覚悟よりもわずかに生きながらえる。
『解るか』
『はい。——雷撃を放つ術。斬撃は紫光を纏わせた腐毒。縄張りでは敵なしね。親の代はより広範囲に君臨していたみたいです。きっとまだ成長するわ』
『状況は、それで正解だ。成長云々は俺には解らんがな』
答え合わせに嬉しさを滲ませながら、ヴェルスは口を大きく開く。解放された獣が転がり出た。
『ん? なにをしている』
『母上は、そうしていましたよ。可能性がある者は、より大きな実りを待つと。そう教えてくれました』
『そうか。そうだったな。だが、ヴェルス。俺が見たかったのはその先だ。その為に来たのだがな』
『あっ……はい。でも』
ヴェルスは躊躇していた。久しぶりに会う父に、自らの成長を見せたかった。しかし、彼女はそれをまだ教えられていなかった。
『母上は、見せてくれないの。《再構成》のことは聞いています。でも、私にはまだ早いって。娘を産むようになったばかりだから、もう少し体が慣れたら、と言っていました』
『ルルカラは、また娘を増やしているのか?』
『はい。また、国を創るそうです。あの、父上が、壊してしまったから』
壊してしまったこと、ではなく、それをリグルヴェルダスへ指摘すること、に彼女は心痛める。
かつて存在した亜人の都市国家。今はそこには砂漠があるだけだ。わずかばかりの草の生える荒廃した大地に、その面影はない。当然だ。
なぜなら当時、そこに暮らしていた者たちは、すでにルルカラとの関係性を消失していたからだ。そして、もう一方の事実の方がより重要な要因となっている。
砂漠の方が環境が良いのだ。『土』を形造る魔素の作用——精霊術的な表現でいうならば『土の精霊』というもの——と相性の良いヴェルスにとっては。
そう判断したリグルヴェルダスは、その一帯を造り変えた。国家の崩壊など、その余波に過ぎない。それは、ルルカラが娘たちの成れの果てともいうべき後世代と遭遇し、失意を覚えてからさほど時を経ずに起こされたことだった。
『無用な物を片付けただけだがな』
叱責を思い起こし、リグルヴェルダスは不機嫌に喉を鳴らす。
『まあいい。ルルカラが教えずとも、出来るだろう、ヴェルス。お前なら。それが、備わった『特性』というものだからな』
『私、出来るでしょうか——、ううん。やりますっ! 私、やれますからっ! 見ていてくださいっ』
『ああ。俺も助力しよう』
リグルヴェルダスはヴェルスの体を跨ぎ、覆いかぶさるようにしてその頭に両手をかざした。そこに在りながらも存在しない、異界の空間へと干渉する。
絶対の安心感と暖かさに守られながら、ヴェルスは再び顎を開く。
わずかに先送りされていた、魔獣の最期が訪れた。
その15
魔獣に亜人に人間。一帯の主と呼ばれる者も、英雄と称賛される者も、稀代の賢者と尊敬を集める者もいた。簡単なのは、人に仇なす魔獣を餌にすることだ。そうすれば、それを討伐に来る者もまとめて釣れる。
時には自らを晒すこともあった。しかし、それは著しく効率が悪い。今更彼に挑むものなど、どれほど現れようか。
そうして集めた教材、素材を手土産に、リグルヴェルダスは娘と会う。まるで逢瀬のように。
その想いは、方向を違える。いや。そもそもが異なっていた、ということに母は気づき始める。
『——リグ』
隠しきれない静かな怒りの声と眼差しが、砂漠を緊張感で満たしていた。
龍の父によって造られた、娘のための環境。ヴェルスは近年、砂漠にて暮らしていた。そこへリグルヴェルダスは断続的に訪れ、教育を施していた。
砂漠はヴェルスにとって心地良く、彼女の性質にも適した成長の場であった。隠す、という意図も父には少なからずあった。結局は察知されてしまったのではあるが。
『一体、なにをしているのですか、貴方は。ヴェルスにそれは、まだ早いのではないですか』
『お前が教えぬからだろう? 持てる力を伸ばさぬなど、なんと無為なことか』
砂漠にいるのは、龍たちだけではなかった。ヴェルスの娘たちと、素材たる生き餌の魔獣もまたその場にいた。ルルカラには、彼らが何をしようとしているかなど、明白なことだった。おそらくは、すでにしてしまっているだろうということも。
『母上、父上はちゃんと教えてくれています。心配しないでください。今までだって、上手くいかないことはあっても、危険なことはなかったの』
『今までは、ですって。そうではないでしょう? 『誤差』は積み重なるもの、と言っていたではないですか。リグ、貴方は伝えていないのですか?』
『無論、承知の上だ。だが、ヴェルスは望んだのだ。そして、俺には教えることができる。ならば、立ち止まる必要がどこにある?』
『そうです、母上。私が、父上にお願いしたのです。ですから、どうか父上を責めないでください』
彼女は、即座に父の言葉を継いだ。その純粋な瞳にルルカラは心を痛める。自らとリグルヴェルダスの間に立つ娘が、父に依っていることに、辛さを覚える。
『——貴方に、教育など無理なのですね』
言葉に、唸りが混ざった。
ルルカラの周囲の場が変容を始める。大気が震え、足元の砂が海面のように波立つ。あるいは沸騰するかのように。彼女を中心に、砂漠は過剰な熱を帯び始めていた。
『なんのつもりだ、ルルカラ』
『この地は、ヴェルスのためのものでしょう。でしたら、私にとっても相性の良い環境。リグ、いかに貴方とはいえ、止められますか、私を?』
『やめてください、母上っ!』
『離れなさい、ヴェルス。このひとは、貴方のことなんて考えていないのよ。貴方がどうなろうと、このひとの関心は自分にしかないの。それを思い出しただけ』
『そんなことありません! 父上は私のことを想ってくれています!』
『……最初は、そうだったのでしょうね。でも……でも今は!』
熱は臨界に達しつつあった。陽炎が景色を歪めていた。龍以外のその場にいる者にとっては、すでに棲息できる環境ではなかった。それでも、龍たちの発する圧にあてられ、逃げ出すことは叶わなかった。
『母上っ! わかりました。わかりましたから、どうか収めてください! 私、もうやめますから! もうこの特性は——』
『心外だな』
頭上からの短かな唸りに、彼女は言い切ることができなかった。正面からの身を焦されるような圧と、背後からの心飲み込まれるような視線に挟まれ、困惑する。
『理解していないのか、ルルカラ。確かに『誤差』は蓄積する。だが、お前にあの『発作』が生じるまでに、どれだけの時を要した? どれだけの数をこなしたのだ?』
『………………なんのことですか』
『結局、『誤差』はあくまで『誤差』に過ぎない。それが積み重なるまでには猶予がある。根本を解決するためのな。そのためには多くの検証が必要だろう』
『貴方に、それができるのですか』
『できない、とでも?』
一切の躊躇のない回答。それを受け、断続的に轟いていたルルカラの唸りが音域を狭める。
『で、ですが、貴方は。いえ、私とヴェルスとの『誤差』が同じとは限らないでしょう? 貴方がその時にいてくれるとは限らないでしょう?』
ルルカラの心が揺らぐ。彼女にはわかっていた。如何に力を持とうとリグルヴェルダスは全能ではない。それでも彼なら、どんな事象でもそこへと近づくことができる。そう彼女は確信していたのだ。
『そうだな。それは俺の問題だ。だが——ああ、そうだ。一つ思い出したが』
『な、なにを?』
『お前の『発作』が落ち着いた後に考えたのだがな。お前は本当に、あの時が初めての『発作』だったのか? 数千年の間、『誤差』が蓄積していくことに気がつかなかったのか? 俺にはそうは思えないのだがな』
『なぜそんなことを。私は、本当に知らなかったのですよ』
『ならば。無意識だった、ということだな』
リグルヴェルダスは長い首を下ろし、未だ戦闘態勢を解かないルルカラの眼前に迫った。彼からは敵意も反発も感じられず、彼女は戸惑う。変化のない表情が柔和なものに思え、彼女は術の維持に注いでいた魔素を断った。
『お前は、解決策を見つけていたわけだ』
『……え? いえ、私はなにも?』
『俺を、誘っただろう? あの時は『発作』が生じてからだったが。『発作』以前であっても、それは効果があったのだろう。無意識のうちに、お前は『誤差』を排出していたのだ。なあ、ルルカラ』
失われた、未知の文献を発見した研究者のように。知的好奇心から、彼はそれを覗く。
『これまでに、幾度、排出した?』
口先が触れるほどの接近して、彼は確認する。その意図にルルカラは思わず後退りした。周囲の砂は、とっくに熱を散逸させていた。
『なっ、なにを、言って——』
『その回数と時期がわかれば、どの程度まで『発作』が生じずにいられるか推測できるだろう?』
『………………それを、私の口から答えろというのですか』
彼女は一転、夜の砂漠のような、冷え切った口調になる。
『重要なことだ——ぶっ』
砂が、彼の口を塞いだ。もう一撃、とばかりにルルカラは尻尾を振りかざす。
『知りません! そんなことはっ!』
荒く息を吐いて、彼女は顔を背けた。
『ち、父上? 母上?』
対峙する両親を前に、息を殺して見守るしかなかったヴェルスは、首を傾げた。いつの間にか弛緩した空気を感じ、その変化に戸惑いながらも頭を上げる。
『私、頑張りますから。どうか、教えてください、母上。この《再構成》の問題を解決できる方法を』
『今、ここではダメです』
不満を口にし、砂を吐き出すリグルヴェルダスにチラリと目を向け、ルルカラは平静に娘を諭す。
『それに、これは根本の解決方法ではないですから。そうでしょう、リグ』
『そうなのですか、父上?』
苛むような瞳と、純真な瞳が、
『……ああ、そうだな』
つまらなそうに同意する彼を、いずれにしても責め立てた。
【次回予告】
《再構成》の欠点たる《誤差》の問題。
それを解決するために、リグルヴェルダスはヴェルスに課題を与える。
次回、「必ず、これを解きます」
よろしくお願いします。




