第77話【昔話】一緒に飛びたくて
その12
さらに数百年の時が過ぎていた。長寿の龍ほど成長は遅い。それでもヴェルスの体は、リグルヴェルダスの両手になど、とうに収まらないほど成長していた。母ルルカラと比しても、六割ほどの体長だ。
それに伴って、内包する魔素量と、扱うことのできる術の数も増えていた。リグルヴェルダスの厳しい指導に耐えうる意思と、潜在的な力が彼女には内在していた。
彼らは対峙していた。森を離れ、阻むもののない草原の上空で、互いに距離をとり向かい合っていた。
ヴェルスの背には、母にはない翼があった。本物ではなく、土によって形造られた皮翼。それをはばたかせ、彼女は父と同じように自在に宙を駆ける。
『行きますよ、父上!』
彼女の遥か下方、大地にいくつもの魔法陣の輝きが現れる。それぞれの陣から土の粒子が柱のように立ち上り、彼女の周囲で槍を形成した。追加の詠唱で、その一本を操る。
真正面からの初撃。それがただの攻撃であれば、効果的なものではないことなど両者承知済みだ。
囮? 変異? 炸裂?
——まあ、受けるか。
可能性を探りつつも対処はしない。リグルヴェルダスの目前で、土の槍は爆ぜた。
『目眩し——。いや、それ以上だな』
砂塵と化した土が周囲を漂う。確かに目眩しの効果もあるだろう。これがもたらす異変を、彼はすぐに認識する。それは魔力場の擾乱だ。魔素の力場を重視する彼であるからこその、効果的な一撃をヴェルスは選んだ。
魔素の流れが捉え難い。リグルヴェルダスの嫌う状況。彼の対策は二つだ。己の術によって直ちにこの空間の魔力場を正すこと。あるいは物理面のみの知覚に頼った攻防とすること。
どちらも、ヴェルスの想定内だった。しかし、どのような動きも起こさせる前に、彼女は土槍を放った。リグルヴェルダスの全方位から。その中にも魔力場を乱す槍を潜ませながら、彼女は攻撃を続ける。
土槍は、大地の魔法陣から供給され続ける。だがこの程度で、父が傷つかないことは解っていた。だからこの間に。土煙と乱れた魔力場がリグルヴェルダスの感覚を弱めている間に。
決定的な一撃を。
ヴェルスの目の前には、人の子ほどの岩が浮いていた。彼女の球型魔法陣がそれを包む。圧縮する。小さく、より小さく。術による圧力をかけ、それが岩だと認識できないほどに。一握の土に。一摘の砂に。圧縮し、放てば、今のリグルヴェルダスに躱せるはずがない。他ならぬ、父から教わった技術なのだから。
そう確信して、彼女は圧縮のための詠唱を続ける。
——ぽつり。
天空からの小さな一滴が、そんな彼女の思考を冷ます。頭部に落ちた雨粒が、汗のように彼女の頬を伝った。
『……え?』
戸惑いのうちに、雨粒は豪雨に変わる。いや、それはもはや雨と表現されるような生易しいものではなかった。水滴は数十年を費やして岩をも穿つものだ。それを、この雨は瞬く間に成す。生成された土槍を飛来直後に崩壊させ、ヴェルスの翼を破壊するこの雨は、天空からの無慈悲な迎撃兵器だった。
それでも、ただの雨であることには変わりなかった。
『お前の槍と同じ、ただの雨だ』
砂塵に隠されたリグルヴェルダスの姿は、とうに露わになっていた。ヴェルスが想像した通りの無傷の姿で。
『ただの土の塊など、これで十分だ』
『うそ……でしょ』
『魔素を纏わせたのは、生成時と、打ち出し時だけだったな。乱れた魔力場の中を、コントロールする自信がなかったか』
『う……うう、うるぁぁぁ〜〜〜っ!!』
ヴェルスが天に向かって叫ぶ。大気を震わせ、風を呼ぶ。風が、重厚な雨雲を吹き散らすようにと。龍の脅迫は、彼女の思い通りに天候を治めた。周囲に日差しが戻り、遠くの大地に二頭の龍の影を映す。
『術、だけではないぞ』
リグルヴェルダスが迫る。振り上げられた鉤爪を見て、彼女は前面に土壁を生成する。同時に後方へ逃れながら。
だが、翼も、大地から供給される土も、彼女の想像よりも動きが鈍かった。含有する水分が想定との極わずかの遅れを生む。魔素の伝達に誤差を生じさせる。リグルヴェルダスが逃すはずもなかった。
『きゃあああっっっ!』
鉤爪が土の防壁を砕き、その先に纏わせた魔力の刃がヴェルスの胸を切り裂く。
『術で全てを操れると思うな。魔力場も状態も全てが環境条件だ。状況の変化を精密に反映させろ』
リグルヴェルダスは娘の腕を掴み、速度を増して降下した。魔法陣の消えた地面に向かって、彼女を叩きつける。
『む?』
その直前。リグルヴェルダスは小さな詠唱を耳にした。が、構うことなく彼は腕を振り、娘の体を放る。
雨を含んだ土が舞った。が、衝撃を感じない。大地を砕くほどの力を乗せて放ったはずだった。
彼は見ていた。娘の体が大地に飲まれていくのを。それはまるで、水中に飛び込んだかのよう。いや、衝撃を感じない以上、水面ですらない。地表という実体のない境界を、ヴェルスの体が潜り抜けたと言う方が正確だろう。
着地したリグルヴェルダスにとっては、変わらぬ大地だった。彼の周囲には、残滓たる土が漂っている。まるで、先の攻撃のように。
『——いや、これは。準備していた、か』
呟く彼の足元から、ヴェルスが姿を現した。這い上がる蛇のように、螺旋を描きながら父の体に自らを巻き付かせる。
『捕まえましたよ、父上っ!』
首元で、抑えきれずに彼女は声を弾ませた。
その13
『——で? どうするつもりだ』
しがみついたままで次の行動を起こさぬ娘に、リグルヴェルダスの声は重い。
『まだ、ですよ、父上!』
ヴェルスの体がざわついた。内部の魔素の動きが活性化し——しかしすぐに鎮静化してしまったことに父は気づく。次いで、己の背を濡らすものに。
リグルヴェルダスは力任せに娘の体を引き剥がし、地面に転がした。腹部を天に向けた姿勢で押さえつけ、自ら負わせた深い傷を目にする。
『や……っ、父上……。見ないで。未熟な私を、見ないでください』
『未熟だと思うなら、尚更目を背けるな。だが、もう限界だろう?』
『まだ、やれます。私は、まだっ』
『今のお前には何も感じないな』
傷口に手をかざし、再生を促す術を施す。同時に彼女の感覚に干渉し、痛みを麻痺させる。
『う……ふ、うぅ……。ちち、うえ……、なおさ、ないで』
『何を言う。状態も把握できぬお前が』
『私、目を、背けたりしない、から……。そのままに……』
『馬鹿か? このままでは次の訓練に障る。それにな、こんな傷など、この先いくらでも負うぞ。お前が、負傷しない日が来るといいが、な』
『ん……嬉しい、です』
『今日のところは引き上げる』
傷が塞がるのを確認し、リグルヴェルダスは娘の体を解放した。
『——だがな、ヴェルス。それは効率の良いものではないぞ』
治癒を終え、森へと帰る空中で、リグルヴェルダスは彼女の生成した翼に目を向けた。土で作られた翼は淀みなく動いてはいたが、リグルヴェルダスにとっては不満だった。
『そうですか?』
『ああ、飛ぶだけであれば翼など必要あるまい。魔力場の操作だけで十分だろう。その力を伸ばした方がいい。それは基本にして、無限に応用が効くものだからな』
『それはわかります。私ももっと頑張りますから。でも』
『なんだ?』
『あの、これは……。この翼は、父上と同じで……。父上と同じ翼で、一緒に飛びたくて。だから、あの、無駄、かもしれないですけれど。許してください、父上』
真っ直ぐな視線と、逸らされた顔と。交互の動きが、リグルヴェルダスを戸惑わせる。そして、彼なりの答えを導き出す。
『不利な状況にあえて身を置くことも必要、ということか。少なくとも、お前はもう、独りで飛べる』
『はいっ! でも、二人で、ううん、母上と三人で飛ぶ方がずっと嬉しいですっ』
『む、その方が心強いのは確か——ん?』
視界の先に、リグルヴェルダスは森の大樹を捉える。周囲の樹々の隙間から、地に降りたルルカラの姿が見えた。その巨体に迫る人々の姿も。
『なに、あれは?』
『ああ、そういえば、すでに結界は解いていたな。だが、娘、というわけではなさそうだ』
リグルヴェルダスはすでに何度も見ている。ルルカラの娘が男を連れて来るところを。この娘とは単為生殖によって生まれたものだ。彼女達は自らの強化のため、ひいてはルルカラのために、強き者を連れてくるのだ。
ゆえに、ルルカラを訪れるのは男女のペアというのがこれまでの常だった。
しかし今、ルルカラを囲むのは、そういった数ではなかった。男女ひと組みではなく、複数の者が、男女に関わらず彼女に刃を向けていた。
『母上、襲われているのっ!? 急ごう、父上!』
『待て、ヴェルス。その必要があると思うか?』
リグルヴェルダスは、その場で停止した。ここからでも戦況は十分に確認できる。そして、ルルカラが、最古の龍ルルカラ・ラクトルスが遅れを取るなど、世界の終焉を迎えるまであり得ることではないとわかっていた。
『でも……』
『余計な刺激を与える必要はない』
その判断は、誤りではなかった。たちまちのうちに、囲む者たちは膝をつく。
さほど影響のない予想外のことは、ルルカラが敗走を許したことだった。それも、リグルヴェルダスは容易に修正する。森の上空から、敗残兵に気取られることなき攻撃によって。後始末は森の魔獣が果たすだろう。
『あら、戻ったのね。リグ、ヴェルス』
何事もなかったかのように、ルルカラは二人を迎えた。そう、戦いの痕跡を完全に消し、それ自体無かったこととしていた。しかし、その声はわずかに沈んだものであることにリグルヴェルダスは気づく。
『ただいま、母上。ねえ、聞いて。今日はね、初めて父上を捕まえることができたの!』
『あら、それはそれは。素晴らしい成長ね。リグを手玉に取るなんて』
からかうような口調で見上げたのち、彼女は娘の口先に自らのものをそっと重ねた。
『うん。でも、まだまだです。思うようには、全然、足りないの。ねえ父上』
『誰を手玉だと? だが、成長しているのは事実だ。楽しみにしておくぞ。次に会う時まで緩むなよ』
『え、行ってしまうのですか、父上』
『己のみで考える時間も重要だ。ヴェルス、今のお前が考えうる全てを考慮し、自らの力とするのだ。お前なら、出来るだろう』
『はい……けれど……』
その先を、彼女はぐっと堪えた。母が寄り添い、なだめる。
『このひとはね、止まることができないのよ。いつも何かを追い求めているの。満ち足りて、心落ち着けることの必要性がわからないのよ』
なだめに、恨み節が混ざる。反論に口を開こうとするリグルヴェルダスを制して、彼女は言葉を続ける。
『立ち止まることが、無駄なことだと思っているのよ。そんなことはないのに。充足に一時心奪われることは、停滞ではないのよ。それは次の力を生むための泉なのに』
『ルルカラ。また、娘を産みたいのか? 奴らは、違っただろう?』
小さく芽生えた思いを言い当てられて、驚きに顔をあげた。諦めのため息が漏れた。
『そう……無駄でしたね。分かっていましたか』
『当然だ。先の奴らがお前の娘たちであるはずがない。一体どれほどの時をヴェルスの為に費やしたと思っている? 人の世など百年もあれば入れ替わるものだ。世代を重ね、すでにお前の要素は薄まりすぎている。お前のことも、歪んで伝わっているのだろう』
『そうですね。ええ、貴方のいう通りでしょう。最早、私の手を離れました。ほんの少しだけ感じるのは、虚しさ、でしょうか』
『母上……』
母を案じ、娘の顔が曇る。頭を、預けるように母へ寄せた。
『心配要りませんよ。ありがとう、ヴェルス。永き生のうちには、こういうこともあります。そして今、一番大切なのは、貴方ですからね』
母もまた娘へと体を寄せた。
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
ここより第14章開始となりました。
【次回予告】
父と母は対立する。
いずれもが、子を想って。
次回、「知りません!」
よろしくお願いします。




