第76話【昔話】いくらでも?
その8
『ん、く、くうぅぅぅーーーーっっ!』
苦痛がルルカラを苛む。嘔吐してしまいそうな不快感が集中を奪う。そんな中、彼女は懸命に知覚していた。
自らの中に存在する、自分ならざるもの。身体中に散らばった微細な断片。それらを網で掬うように集める。《解析》空間を利用し、成型させる。
『ふぅーーーーっ! ふうぅぅっっ!』
荒い息遣いが下草を揺らす。涙と涎が地面を濡らす。その操作に彼女は意識を向けられない。
『ふ、あ、あーーーーっ! リグ、リグっ! だめっ、うま、くああっっ!!』
『無理か、ルルカラ。ならばもう一度』
『ちがっ、捉えた、の、でもっ! っくぅぅっ! 造れな——』
必死の形相で自らと戦うさ中、見下ろす瞳と視線が合う。彼女に必要なものが、そこにはあった。
『リグっ、かく、が、集める、には——うぅっ!』
『かく? 核、か?』
『そ……ぅ、よ。リグ……。あな、たを——。あなた、の……を、くださ……い』
『…………………………ぁあ?』
それは千年以上溢れたことのない声。ついぞ恐怖など感じず、意図的なもの以外ではそうすることのない彼が、思わず身を引いていた。
『むすめ、を産む、ように……。そうすれ、ば、できる——』
『し、正気か、ルルカラ!?』
苦痛と不快感に、固く閉ざされようとする目を懸命に見開き、涙に溺れる瞳を意中の存在に向け、懇願する。
『お願い、します、私に————リグルヴェルダス!』
その喘ぎが彼に熱をもたらした。身体の奥底から、意志に従わぬ力が溢れ、邪龍と畏れられる存在を動かす。
『いいだろう、ルルカラ。だが、やる以上、失敗は許さん』
暴れる彼女の身体を押さえ込むように、リグルヴェルダスが両手を添えた。
『あり……が、とう。……ね……ぇ、私、ズルい……?』
『いいや、俺好みだ』
短い囁きに、ルルカラもまた熱に浮かされる。
それ以上の言葉は必要なかった。二頭の龍は首を重ね、尾を交わらせた。
その9
数度目の夜が明け、太陽が天頂を過ぎる頃になって、ようやくルルカラは落ち着きを取り戻すことができていた。心乱すことなく集中し、異常をもたらしていたモノの処置を続けていた。
『上手くできたか?』
彼女の余裕を感じ、声をかける。
『ええ、大丈夫です。ありがとうございました』
大きな背中に向けて、ルルカラは答えた。穏やかな、普段の彼女の声に戻っていた。
『ならばいい』
『え? ちょっと、リグ? どこへ』
『もう不要だろう? そいつを出せば仕舞いだ』
『待って!』
空を見上げ翼を伸ばす姿に、ルルカラは慌てて叫ぶ。
「ひどいひと。ええ、ええ、知っていましたけれどね。ですが、病み上がりで身重の相手を置き去りにするなんて」
『まさかとは思うが、お前が遅れをとると?』
リグルヴェルダスの動きが止まる。その言葉は、彼女と顔を合わせることなく紡がれた。
『そういうことではありませんよ。全く、今の貴方はまるで獣ね。それとも、ここには居たくない理由でもあるのですか』
『お前とは……』
『ん? なんですか?』
呟きを彼女は聞き逃さなかった。苛つき、憤然とした表情が容易に想像できて、彼女の促す声は弾んでいた。微かに震える目の前の翼が、思いを確信に変える。
リグルヴェルダスはその場に身体を横たえた。大地を揺るがすほどの勢いで手をつき、頭を地につけた。
『ああ、そうだな。確認を怠るわけにはいかないな』
背を向けたままの呟きに、ルルカラは笑みを漏らした。
ゆっくりと下草を薙ぎながら、尻尾が彼女に近づく。悪戯を目撃された飼い猫が、何事もなかったと誤魔化すかのように。目の前に投げ出された尻尾に、彼女は表情を緩めながら頭を預けた。
その10
数年を要して産み落とされた卵は、数百年をかけて抱かれる。それを知らされ、リグルヴェルダスは心穏やかではなかった。
『正確にはわからないわ。強き生命力を持つものほど、雌伏の時が必要なの』
『そこまでは付き合えないな。当初の目的を忘れたか、ルルカラ。それは最早——』
『リグっ!! 何をいうのですかっ! この子は孵します。貴方だってそれを望んだでしょう』
『子、か。確かにな。だが、そいつは本当に我らの子か?』
『な、何をいうのですか? 違うとでも——』
疑惑の視線が、ルルカラの言葉を遮った。
『子が欲しいだけなら、いくらでもくれてやる。だが、そいつは——』
『いくらでも?』
咎める声に、図らずもリグルヴェルダスは黙ることとなった。頭を傾け、見上げるルルカラの瞳を、彼は外す。ただ正面を向くだけで、直立している彼の表情は隠れる。ルルカラからはその喉と下顎の動きを捉えることしかできない。
『いくらでもいくらでも。いくらでも、ですか』
『こ、言葉の綾、というやつだ』
『なぜ、綾が必要なのですか?』
『……………………』
少しの隙も見逃さない。そんな彼女の瞳は、長い首のその先、喉元のわずかな震えを掴んだ。そこ以外は、刃を突きつけられたかのように動きを止めていた。言葉を、待っていた。
『いいわ、リグ。もう行きなさい。私だけで十分よ。残念ですが、貴方の相手も今はしてあげられないですし』
『大丈夫、なのか』
『貴方のほうこそ』
常に先手を握られれている。その感覚が彼に苛立ちを呼び起こす。不快ではない、心揺さぶられる不思議な苛立ちを。
『行きなさい、リグ。ですが、最後にお願いがあります』
『な、なんだ。言ってみろ』
『貴方の、名をください。生まれてくるこの子のために。いいでしょう?』
『……好きにするがいい』
大袈裟に大気をかき乱して、リグルヴェルダスは飛び去った。残されたルルカラはため息ひとつ、すぐに抱卵に入った。
この時のルルカラは、考えもしなかった。
数日後に、そして定期的に供される贈り物のことを。いつの間にか置かれてある魔獣の肉と魔晶石の巨塊のことを。
そして、静謐な空気をもたらす、森林を覆う結界。侵入者を拒み、警報を伝える結界。多重に展開された護りが構築されていることに、やがて気づく。
贈り物と共に残された、荒々しくも離れ難い魔素の残り香が、彼女とその宝を安らぎで包む。
経過すること数百年。
永き時を経て、新たな龍が世界に誕生した。
その11
『本当に我らの子か——、なんて言っていたのにね』
大樹の幹の高所に登って、ルルカラは目を細める。視線の先、空中に留まるリグルヴェルダスの掌には、小さな龍が乗せられていた。ルルカラと同じ体型の、砂色の龍だ。
ぎこちなく這わせる指先の動きに、ルルカラは笑みを漏らす。彼に見られたら、きっと怒られるだろうと思いながら。それでも緩んだ表情は戻らない。
『いいぞ、ヴェルス。お前は術の構築が淀みない。すぐに次の段階に達するだろう』
『父上の、教えが良いから。あと、構築は母上からも教わっているの』
『そうか、ルルカラの特性が影響して——。いや、お前の努力の賜物だな』
『はいっ! 私、頑張ります。もっと頑張って、早く父上みたいに、凄い術が使えるようになります。だから、もっとたくさん教えてください。もっと厳しく教えてくださいっ!』
それは、彼でなくとも教えやすい、素直な生徒だった。彼の指先ほどの小さな頭を反らして、誇らしげな瞳を向ける。讃える指の動きに心満たされるとともに、その目は喜びに閉じられる。
『いい志だ。何処ぞの馬鹿どもに聞かせてやりたいくらいだ。だが、お前の目指す頂は遥か遠いぞ。一時も止まることなく追い求めよ』
『くる……ぅぅ。あっ、は、はいっ』
心地よさに気を抜き、娘は図らずも喉を鳴らしてしまっていた。しかしそれを咎めることなく、逆に促すようにリグルヴェルダスはそこに指先を送る。
穏やかに、長く続いてゆく日々だった。
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おまけ
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ルルカラの想像し得ぬことは、他にもあった。
それは、彼女の抱卵中に、遥か南方の大陸にて行われていた。
虐待。
いや。当人の意識としては『教育』なのではあるが。受けるものが虐待と捉えれば、いかに手心を加えていようと、それは虐待と呼ぶべきなのだろう。
『ぐ……、ちょ……っ、まっ……て……』
『ひいっ……ひ、もぅ————』
『く、きゅぅぅぅ』
揃いも揃って大地に身体を沈められながら、黒龍たちは喘いでいた。
『つまらん。相変わらずだな、いつまで経っても』
『い、いや、わが師よ。これは、これまでよりも随分と——』
『ガロア、貴様も加われ。貴様は怠っていないだろうな』
凄む彼は、それが憂さ晴らしだとは微塵も思っていなかった。
ここで一旦区切りとなります。
第13章を締め、次回より新章になります。
章は変わりますが、話としては今回の続きの昔話となりますので、どうかお付き合いください。
【次回予告】
新たに生を受けた龍 ヴェルスは順調に成長していた。
父の教えと母の愛情。
それらを余すことなく受け、彼女は真っ直ぐに生きる。
次回、「一緒に飛びたくて」
よろしくお願いします。




