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第73話 こんな感じだよ

 ラースたちは急勾配の地下道を進んでいた。地上の建造物の敷地内からはとっくに外れていると思われる距離を、サフィーヤを先頭に下る。


 さほど長い時間ラースたちを待たせずに現れたサフィーヤは、休むことなく彼らの案内を始めた。幼い妹たちを地上に残し、娘たちの中では彼女とソルシャだけが、灯りを手に母の元へ向かう。


「しかし、不思議ですね、ラース」


 振り返ることも、足を止めることもなく、サフィーヤが問いかけた。


「母の存在は聞いたのでしょう? それでもなお、母に会おうなどと、よくもそのようなことを思いましたね」


「僕は、ソルシャを助けたいんです。それに、街を襲うようなこともやめさせたい。あなたがダメなら、直接話すしかないでしょ」


「それはそうですね。全ての決定権は我らが母、ルルカラにありますから。それでも貴方は龍という存在を甘く見過ぎています。リグ、と言いましたか? その龍と共にいるからでしょうか?」


「もちろん、リグは心強いですよ。でも、それだけじゃあないかな。多分、いろんなドラゴンと会ったからですよ。飛竜とか、龍とか、いろいろ」


 ラースは思いを馳せる。ここ一、二ヶ月ほどのことなのだ。リグルヴェルダスを皮切りに彼が出会ってきたのは。親しげな者だけではない。恐ろしい龍もいた。しかし、確かに感覚が麻痺しているのかもしれない。彼は意識していなかったが。


「でもやっぱり。リグがいるから、だよ」


 肩の上の存在に触れる。腕に巻きつく尻尾が、応えるように強く彼を抱いた。


「ルルカラ、というのか。その龍は。その名、聞いたことがあるぞ。命を生み出す龍だと」


「その通りです。我らのように龍ならざる者を、生み出すのです。それゆえ、我らは母のために尽くさねばなりません」


『知ってたの、リグ?』


『その名前はな。けど、それだけだ。だからオレも興味がある』


 確かソルシャにもリグはそう言っていた。ラースはそう記憶している。近しい存在である龍と会いたいのだろう、と彼は想像していた。


「あ、誰かいるよ!」


 明かりの境界線に、人影が現れた。その背後には通路を塞ぐ重厚そうな扉。ルージュが声を上げるずっと以前から、その門番は警戒態勢をとっていた。


 しかし、すんなりと彼らはその先へ進むことができた。すでに知らされたことであり、門番はただ頭を下げ、道を譲るのみだった。


 一本道の通路はその先も大きく様子を変えることなく続き、ついには大きな、手持ちの灯りでは照らしきることのできない空間に彼らは到達した。






「————まるで、遙か昔。過ぎし日のよう」


 岩の擦れるような、低く無機質な声が響いた。


 その空間は広い。が横幅はそれほどではない。彼らが通ってきた通路の数倍程度だ。光差さないのは奥行き方向。その闇溜りから、金属音が近づいてくる。


 ラースとリグは首を傾けて仰ぎ見る。暗視の効く彼らは、いち早くその姿を捉えていた。


 龍、と聞かされていた。だから、これは龍なのだろう。唾を飲み込みながら、ラースは片足を引いていた。


 巨大な龍の頭部が、彼らを見下ろしていた。壁面に溶け込むような黄土色の鱗。それは短く鋭い棘を持つ鱗だった。それが全身を覆い尽くす。全身の形態は蜥蜴のよう。今もラースの胸にへばりついている子蜥蜴を、そのまま巨大にしたような姿だった。


「ひっ!」


 龍が光の中に鼻先を突き出し、ようやく目にすることのできたルージュは短く悲鳴をあげた。予想はしていても、絶対的な強者を前に彼女は平静を保てなかった。ラースに近づくこともできずに、ただ膝を震わせている。


「連れてまいりました、母様」


 サフィーヤは恭しく頭を垂れる。光と闇の朧げな狭間を突き破って、暗く沈んだ瞳が、ついで長い指と鉤爪を備えた前脚が現れた。その歩みを、ラースたちは黙したまま見守っていた。


『オマエが、ルルカラか』


 最初に発したのはリグだった。ラースの肩を離れ、巨龍の目線まで飛び上がる。


『………………ああ、そう。我は、ルルカラ』


 ゆっくりと瞬きしながら、鷹揚に答えた。覚醒を促すように緩く、大きく頭を振る。その動きに合わせて、ジャラジャラと、鎖が音を鳴らした。


 そう、鎖だ。


 龍の体は、鎖に拘束されていた。その巨体を縛るに足る、人の胴ほどの太さの金属環。それが全身を絡めとっていた。鎖の端部は闇の中に消える。

 ラースは視線のみを動かしてその先を追ったが、叶わなかった。リグだけが、闇の壁面に配された、古文書のような魔法陣を捉える。この鎖がそこから生成されているものだと理解する。


「かあさま! 久しぶりです、かあさま! ソルシャです!」


 母であるはずの存在に彼女もまた硬直していた。それを振り払うように、強く力を込めて叫ぶ。


「……ソル、シャ……?」


 頭を傾けて、ルルカラは娘を視界に納めた。


「……ああ……、おまえが、そう、なの。そいつがおまえの……」


「あ、あなたが、ソルシャのお母さんなんですね、ルルカラさん。僕はラースといいます。僕、あなたにお願いがあってここに来ました」


「ねが……い……? そう、そうね。そうでしょうね」


 緩慢な動きで鼻先をラースに向けた。その声は事務的で、虚な瞳と同様に関心などまるで無きかのような呟きだった。


「ここに来る者は皆、そう、だから。願いを……叶えましょう……」


 地割れの如く鱗が上下に分かれ、その隙間から研ぎ澄まされた牙が覗く。それまでと変わらぬ、ゆったりとした動きで、ルルカラは顎をわずかに開いていた。


「え————?」


 まだ、何も。


 そんな思考の途中で、ラースの姿はその場から消えていた。


 消えた、と思わせるほどの速度だった。辛抱強く待ち伏せし、通りかかる獲物に跳びつく捕食者さながら。その一瞬だけ、ルルカラの動きは突風よりも早く。ラースの全身をその口内へ納めていた。遅れて、彼女を拘束する鎖が音を鳴らす。


「——え? え? ラー……ス……?」


 事態を飲み込めぬルージュの声に、唸りによる詠唱が重なる。


 掌に発現させた、歪な魔力場。引きずられて変異した空間。それを以て物質を崩壊せしめる、触れるものを砂礫と化すリグの術だ。


 ルルカラの上顎へ迫り、掌をかざす。鱗に触れる。


 崩壊が、伝播する。


 だが、それは鱗にではない。鱗の外面にルルカラが発生させた薄い土膜。それが衝撃の波を引き受ける。


『子供の術なんて……効かない。そんなに……甘く、なかった……』


『ラースを返せっ!!』


 闇を帯びた瞳で、彼女はあしらう。遊び程度の術だと断じて。


 舞う砂塵に紛れ、土槍が洞窟の壁面から生成された。避けるまでもない。込められた魔素量が、リグにそれを語る。


 ルルカラの呟きが聞こえ、リグが距離を取る。小さな掌が、退路の土槍を触れるだけで破壊する。残りの槍は洞窟を襲い、衝撃を与えることなく、溶け込むように消えた。


『————龍を《解析》するのは、はじめて』


 赤い闇が迫る。ラースを襲った、その顎門が。リグは動かなかった。避けようする本能を強靭な意志で押さえ込む。待ち受け、彼は飛び込んだ。


 闇が、リグを閉ざした。


 土埃に咳き込みながら、ルージュは視界が晴れるのを待った。そこにラースも、リグもいないことを認識し、彼女は体を震わせる。


「また——、また騙したのねっ!」


「わ、私、違います。本当にそんなことは————、大ねえさまっ!」


 ルージュに迫られ、動揺しながら姉にすがる。返ってきたのは無情な言葉。


「これがあなたの望みでしょう。それ以外に、なにができますか? それに、彼もあなたの役に立つことができて満足でしょう」


「大ねえさま! 私はもう、そんなこと……。ラースは、私のことをちゃんと考えて——」


「うるさいっ!!!」


 姉妹の言葉を、絶叫が切り裂いた。


「うるさいうるさいうるさいっ! もう嫌! もうやだ! 何で、なんでなんでみんなラースを奪うの! やだやだやだぁぁぁぁ〜〜〜っ!」


「彼が有能だったからよ、淫魔のお嬢ちゃん。あなたももっと使えそうならば、同じように母様に捧げますが」


 冷静に見定めて、サフィーヤは言を下した。


「ラースは私のものなの! わたさないのだれにも! ぜったいぜったいぜったいっっ!」


「あなたに、できますか?」


 上目遣いに、ルージュはその言葉を押し返した。涙に濡れた瞳でサフィーヤを睨み、そしてうつむく。呼吸が徐々に短く、早まる。肩を震わせ、小さな拳を握りしめ、目を見開く。瞳孔が散大し、彼女の意を汲んで、一転針の様に収縮する。


 彼女の全身に、変化が起こり始めていた。






 一瞬の闇は、白壁の空間になった。何もない、どこまでも広がっている白。ラースは同じような状況をすでに体験していた。


「僕、喰べられたの……?」


 彼に認識できたのは、ルルカラの牙が見えたところまでだった。痛みもなかった。それどころか、身なりも直前までと何ら変わるところはない。


 腰には龍の手甲があった。リグに指摘されて以降、身につけることはなく、ベルトを使って鞘のようにそこに固定していたのだ。彼はそれに手を通すと、何もないこの空間を歩き始める。


 前は、森で狼の魔獣と戦った時だった。リグを守るために戦い、死に至る傷を負った時。それゆえ、彼は自分が死んでしまったものと思っていた。実感はまるでなかったが。


「リグ……」


 呟く彼に、異変が訪れた。眩暈に襲われた。平衡感覚が失われ、腰が折れ曲がる。


 ぶつかる——


 そこが地面であれば、頭を打ちつけただろう。彼の体はただ回転しただけだった。逆さになった感覚もなかった。腰を伸ばすと、頭の向いたほうが上、と彼の意識は判断する。


 立っていると思っていた足場は、強固なものではなかった。重力、という概念を彼は理解していたわけではないが、ただ無重力の中、宙に浮いているかのようだった。


 そう認識すると、ラースは自身の体がとても希薄なものに思えてくる。空に漂う雲の如く、その一部が容易に分離できる存在となってしまった、と。


「これ……は、なに……?」


 彼の体から、離れていくものがあった。とても大切な、なにか。それは、彼の目の前で形を成した。まるで人形劇でも見ているかのように、動き始める。


「リグルヴェルダス——」


 ラースは、これまでに幾度かその記憶を思い出していた。実際は、思い出そうとする能動的な行為の結果ではなく、湧き上がるように、その記憶が彼の意識へと伝わってきただけであったが。


 いずれにしろ、彼が思い出すとき、それはリグルヴェルダスと意識が重なっていた。自分が、かの邪龍になったかのように感じるのだ。


 しかし、今は違った。邪龍の記憶を、自分とは別の存在として捉えていた。目の前の邪龍は、その記憶は、映像として彼の目に映る。ラースは客観的にその行為を鑑賞することができていたのだ。


 映像のリグルヴェルダスは語りかけていた。掌に乗せた小さな龍に向かって。人を容易に引き裂く自らの凶爪に細心の注意を払って、その指先を小さな龍の下顎に当てていた。


 あんまり上手くないなぁ。


 ぎこちない動きに、そんな感想をラースは漏らす。それでも、彼には小さな龍が満足していることはわかった。時折目を瞑って、嬉しそうに喉を鳴らしているのだから。


 撫で続けるリグルヴェルダスの表情に、ラースは驚く。それは邪龍と畏れられる存在とは結びつかない柔和な印象を与えていた。だが、彼はすぐに自責する。そんなはずはないのだ、と。


「でも、もっと。こんな感じだよ」


 指導するように、ラースは映像に手を伸ばす。彼がリグルヴェルダスに優っているのは、これが唯一だろう。純粋に、気持ちよくなってもらいたい。その献身が彼の行動原理だった。


 しかし、その手に応えるものはない。当然だ。語り合う二頭の龍を、もどかしく、それでも微笑みを浮かべてラースは見守る。ずっと見ていたい想いに浸る。


 だが、しばらくして映像は途切れた。現れたときとは逆に、彼の体内へと戻り。同時に、この白い空間が揺れる。


「え、な、なに!?」


 体が、引っ張られた。等方の空間では、どちらへ、とは言い表せない。ただ、その力だけを彼は感じる。


 白は消え、刹那の闇を越え————


————気がつくとラースは土の洞窟で座り込んでいた。


「ラースぅぅっ!」


 涙声と共に小さな体が飛び込んできた。彼の傍らでは、リグが弛緩した体を地につけていた。同じように彼女の声に反応して、ラースを見上げる。


「大丈夫。僕、何ともないよ、ルージュ」


「うん、うんっ! よかった!」


 抱きついた彼女の体に変化は見られなかった。柔らかな、暖かいいつもの感触がラースを包む。


「なに……。何だというの、おまえはっ!!」


 ラースとリグを解放したルルカラの顔が、視界一杯に迫っていた。それまでの気怠い調子が消え、焦りと戸惑いが言葉を震わせていた。


「母様、如何したのですか?」


「何故! 何故そんな記憶があるっ! おまえは、父上の——、何故なのっ!」


 耳をつんざく叫びと、再び食いつかんばかりの勢いに、ラースは顔を背ける。熱風を生み出すかの様な荒い吐息が、ラースとルージュを吹き飛ばさんばかりに吹き荒れた。


『黙れ、ガキが』


『な、なにっ!?』


 ルルカラが頭を向けると、憎しみを溢れさせたリグの視線があった。地中に光射すかのごとき瞳が彼女に畏怖を誘う。


 その隙にラースは立ち上がっていた。龍の手甲を、先に見た記憶のようにルルカラの下顎にそっと添え。彼と同じように囁く。


『ヴェルス』


 と。


 その呼び名に、ルルカラの心は震えた。

次回より、しばらく昔話が続きます。

それは、龍の親子の物語。


【次回予告】

その龍は、人に力を与えることができる特性を持っていた。

それゆえ、力を求める者が集う。

興味深い特性。

その龍のもとに、リグルヴェルダスが現れる。


次回、「欲しいくらいだ」

よろしくお願いします。

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