第72話 交代っ!
王国の北方には砂漠が広がっている。草原の海は徐々にまばらになり、干からびて、砂礫の大地へと変貌する。砂漠といえども全てが無機質な砂に覆われているわけではない。乾燥に強い植物もある。季節により勢いの増す大河もある。そこに国を構える者たちもいる。
さらに北方へ向かえば、砂漠は再び草原へと姿を変える。そこはすでに寒冷地。王国付近とは植生が異なる。大地に張り付くような短い草が、雪深き北の山脈へと続いていた。
しかしラースたちが向かうのはその手前。砂漠地帯の中央に位置する洞窟だった。
洞窟の入り口は石造りの建造物によって隠されていた。そこは洞窟を守護する娘たちの暮らす住居である。実際にはその地下、より深くに存在する、彼女たちの母の寝所への地下道が続いている。
「ひっ! ひゃぁっ! ダメ……っ」
経験したことのない浮遊感と、大地という絶対的なものから切り離される不安に、ソルシャは息を詰まらせる。
「なぁに、怖いの? 全然、平気よこんなの」
優越感をにじませながらルージュが声をかけた。すぐ隣で必死にしがみつくソルシャは目を瞑り、彼女の言葉など耳に入っていないようだった。
「大丈夫だよ、ソルシャ。みんなに任せておけば安心だから。それに、僕も最初にルドラに乗せてもらった時は怖かったんだけど、今はなんともないんだから」
『ラース様! あんな未熟者と一緒にしないでください』
『そうです。奴はただ、少し早く飛べるだけです! 上手く飛べるわけではないのですよ』
『それに、心遣いもできない奴です』
『そ、そんなこと……え〜と、あるかもだけど。だけどさ、ルドラも頑張っているんでしょ』
初めて飛竜の背に乗って飛んだ時を思い出すに、彼は否定できない。今の飛竜たちに比べれば、ずっと乱暴な、振り落とされかねない飛翔だったのだ。
『まだまだラース様に会わせられる程ではありません。奴も自覚しているからこそ、今回は来なかったのですよ』
リグとラースを慕い、一家の契りを結んだ飛竜ルドラ。彼は今、己の未熟を恥じて棲み家の山脈へ戻っている。飛竜たちの話では、自らの特性を鍛えようと奮闘しているらしい。それを聞いてラースは安心しながらも、少し残念だった。
『でも、みんなありがとう! こんなところまで付き合ってくれて!』
飛竜の背の上で、ラースは声を張り上げた。
大ねえさま、と呼ばれていた公爵夫人サフィーヤは一旦街に戻ったのち、草原で待つラースたちのもとに姿を現した。しかし、目的地である母の居場所までの案内はソルシャに任せ、彼女は幼い妹たちを連れて行ってしまった。母の元で会いましょうと言い残して。
飛竜で向かうほどの距離をどうやって。そう尋ねるラースに、彼女は詳しくは語らなかった。ただ、独自のルートがある、とだけ答えた。結局、ラース、リグ、ルージュ。そしてソルシャが飛竜とともに飛び立つこととなったのだった。
『なんの! 大したことではありません!』
彼らを乗せて飛ぶ飛竜は、わずかに振り向いて自信に満ちた笑顔を見せる。
『それよりも、共にいられる喜びで、我ら一杯です!』
周囲の飛竜たちも同じ思いだった。義務感と、それを上回る喜びが彼らを動かしていた。
『でも、あなたたちは森から来たんだよね? 疲れてないの?』
『お心遣い感謝します、ラース様。しかし、心配御無用です』
『この程度の速度と距離、風と魔力場さえ捉えてしまえば、労力などなきに等しいのですよ』
飛竜たちは編隊を組んで飛行していた。中央にラースたちを乗せた一頭を配し、残りの者たちが前後左右上下を囲む。そのため、立方体の重心位置にいるラースたちは風圧もあまり感じずに、快適な空の旅となっていた。
「ほんと、彼らほとんど羽ばたいていないみたいよ、ラース」
彼らの言葉を伝えると、感心したようにルージュが飛竜の背に触れた。翼の動きに連動して動く背中の硬い鱗は、くつろぐ彼女たちを邪魔してはいない。
「そうだね。それに気持ち良さそう。飛ぶのって気持ちいいんだね」
『お、お、オレだっていずれは。待ってろよ、ラース』
焦るリグの言葉に笑みが溢れる。リグがどれだけ強くとも、それだけは時間が解決するしかないこと、とラースは思う。
『うん、そうだね。一緒に飛べたらいいよね。ああ、僕も魔法とかで飛べたらなぁ』
『オマエは知っているだろ』
『え、僕が? 僕、魔法なんて』
確かに、知っているものもある。思い出した幾つかの術は。しかし使えるわけではない。ただ一つは、あの若返りの術だ。
『もう少し成長したらな。焦ることはないぞ』
『そっか。う〜ん、でもさ。飛ぶんだったら、やっぱり自分の翼で飛びたいよね』
ラースは両腕を広げて、煽ぐように上下に動かす。同意するように周囲の飛竜たちが頷いていた。
「ラースは、龍になりたいのですか?」
そんな様子を見て、ずっと押し黙っていたソルシャが口を開く。それまで彼女は、飛竜の背の突起を固く握り体を硬らせていたが、徐々に余裕が出てきたようだ。羽ばたきながら嬉しそうに語るラースを、これまで以上に不思議な存在だと感じていた。
「僕? ああ、うん。それもいいよね。おっきな、立派な龍。リグみたいに強い龍。それで、一緒に飛べたら。すごく気持ちいいと思うんだ!」
壮大な夢を語りながら、遠くに視線を送った。空にいると、いつもそんな想いが湧き上がってくる。それはリグルヴェルダスの記憶がなかったとしても、彼の憧れであった。
『いい。それ、いいぞっ、ラース!』
「それいいよねっ。そうなったら私も。私も一緒に!」
二人までもが興奮して、ラースに寄り添った。
「うん。でも今は。お願いするね」
ラースは飛竜の広い背中を、その首元まで這い進んだ。疲れはない、と飛竜たちは話していたが、それで感謝が薄れるわけでもない。ラースはその首に手を添わせ、労るようにさすった。
『お、おおっ!? ラース様!』
『ラース様っ。私にも! 私の背にもお乗りください!』
『交代っ! 交代しましょう!』
『俺だって我慢していたんだ!』
『お前ばかりずるいぞ!』
飛竜たちが色めき立つ。その陣形が縮小した。翼同士が、首が、尾が重なっていた。それこそ、容易に乗り移れそうなほどに。それを可能にしているのは、飛竜たちの高い飛行技術。そして、溢れんばかりのラースへの想いだった。
『わかったよ。順番に、ね』
それからは配置を変えつつ、皆が平等に堪能することとなった。飛行速度が少しずつ減少していることに、ラースは気がつかなかった。
「お待ちしておりました、皆様」
丁寧に頭を下げ、娘たちはラースを出迎えた。飛竜たちにも驚くことはなかった。一体どのような手段で、飛竜たちよりも早く彼の訪問が伝わったのか。ラースには皆目見当がつかなかった。が、さすがにサフィーヤはまだ到着していないようであった。
「しばらくここでお待ちください。サフィーヤもじきに到着します」
「ありがとうございます。あの、飛竜たちはここにいても大丈夫ですか?」
「ええ。日差しが強いので、あちらの日陰の方がよろしいと思いますわ」
ラースたちは、砂漠の上に敷き詰められた石の庭園に案内されていた。その一角にテーブルと椅子が用意され、そこで彼らは待つことになった。飛竜たちは庭園の奥、建物の壁面に寄り添い、落とす影に身を寄せ合っている。
簡単な食事と飲み物を給仕されながら、ラースはその姿を目で追っていた。
「もしかして、みんな姉妹なの、ソルシャ? 似ているよね」
「ええ、そうよ。ここにいるのは皆、かあさまの娘です」
「あの公爵夫人はお化粧していたのね。でも、うん。顔立ちは似ているかも」
ラースとルージュの抱く印象の通り、彼女たちは皆、似ていた。淡い金髪と瞳に、薄褐色の肌。輪郭も目鼻立ちも、ラースにとっては異国風でありながら整った美しさを感じさせるものだった。麻色の揃いの薄衣を身につけていることもあり、ここにいる者たちは背丈を除けばほとんど見分けがつかないくらいだった。
『擬態だぞ』
リグだけは無関心に、ラースの膝の上で体を休めていた。
「ところで、ソルシャ。この子なんだけど……」
ラースはシャツを捲り上げて、そこにいる生き物を光に晒した。爪を立てるわけでもなく、ラースの胸に吸い付くようにへばりついていたのは、小さな蜥蜴。今も目を閉じたまま眠り続けていた。
「え、その子……もしかして生まれていたの!?」
「うん。ただ、ちゃんと生まれたわけじゃあないんだ。あの壺が壊れていて、多分それと一緒に卵が割れちゃったんだよ。でも、鳴き声が聞こえたから。生きているってわかったから《恵みの水》で癒したんだ。それで連れてきたんだよ」
「そうですか。ありがとうございます、ラース。あの時は、その子のことなんて考えられなかったの」
「ううん、仕方ないよ」
そっと蜥蜴の脇をつまんで引き離し、掌にのせた。尻尾以外は収まってしまうくらいの小さな身体は、もしかしたら、まだ卵の中で成長を続けていたのかもしれない。そう思うとラースは、もう一方の掌も使って蜥蜴を包み込んだ。最後に、と《恵みの水》を与える。
「じゃあ、よろしくね、ソルシャ」
「ええ。ありがとうございます」
彼女の小さな掌へ、受け渡した。
『……? …………? !? !!!?』
不意に蜥蜴が頭を振った。尻尾を揺らめかせた。手にしたソルシャは、その小さな手足の指が不安げに押し付けられるわずかな力を感じる。
「えっ、なに? どうしたの?」
「ソルシャ? 僕なにか——?」
『くぅ〜〜〜。ぐ〜〜〜っ。ぎゅぅぅぅ……』
『そいつ、不安がってる』
リグが助け舟を出した。彼には理解できた。それは言葉ではなく、ただの鳴き声にすぎないものだったが。
眠っていたわけではない。まだ目が開いていないだけなのだ。安心できていた環境から突如引き離された彼の反応は当然だった。
『リグ!? わかるの? どうすればいいの?』
『オマエが、触れてやれ』
『う、うん』
慌てて、それでも丁寧に、ラースは再び手にした。細心の注意を払って包み込む。触れるか触れないかというくらいの力で、その蜥蜴の頭を撫でた。
『大丈夫だよ、安心して。ここにいるから』
龍の言葉でラースはあやす。
『ぎゅぅっ、ぎゅぅ、ぎゅ……ぅ? きゅ? きゅふ……ぅ……』
「あ、また大人しくなったよ、ラース」
目を丸くしながら、ルージュが声を抑えて感嘆した。
「そうだね。うん、よかった」
「やっぱりラースがいいのね。ねえ、リグ」
「なぜオレを見る?」
「だって、そうでしょ?」
そんなやりとりの中でもラースの膝から離れないリグは、蜥蜴がしていたようにラースの胸に頭を預けていた。
「いや、いいんだけどさ。どうしようか、ソルシャ?」
「ええ、そうね。ラースにお願いするしかないかもしれないですね」
「僕が? でも僕、この子のことよく知らないしなぁ。早くソルシャに慣れてくれるといいんだけど」
何気ない言葉だったが、ソルシャはそれを聞いて表情を曇らせた。
「もう、それはないかもしれません。ラースに懐いてしまったのでしたら」
「そんなことないと思うよ、ソルシャ。もう少し大きくなったら、大丈夫じゃないの?」
『そいつは魔獣だからな』
ラースの胸にぐいぐいと頭を擦りつけながら、リグが喉を鳴らす。小さな蜥蜴を丁寧に包む両腕が揺れた。
『魔獣には魔素があればいい。食べ物がなくても、それに代わる魔素があればそれで十分なんだ』
『魔素って、僕?』
『知らないのか、ラース。知らずに使っていたのか? オマエの《恵みの水》は、オマエ自身の魔素も与えているんだぞ。母親が子供に乳を与えているようなものだ』
『あっ! それでなんだ。僕のことをお母さんだと思っているのか』
言われてラースは思い出した。砦での戦いで倒れてしまった後にカロスケイロスに説明されたことを。この祈りによる術は、体内の魔素を消費すると。それゆえに体の自由を奪われたのだということを、彼は聞かされていた。
「無理に離すのはよくないのかな」
「そうですね。少なくとも、もっと成長するまでは。あなたにお願いしてもいいですか?」
「うん。じゃあ、それまでは僕が頑張るよ」
そう快諾するラースの腕には、リグの長い尻尾がしっかりと巻き付けられていた。
第13章始まりです。
【次回予告】
『龍』と対面するラースたち。
容赦なき攻撃がラースを襲う。
そして彼は、埋もれた記憶を見る。
次回、「こんな感じだよ」
よろしくお願いします。




