第71話 オレの頼み、きけるか?
「ねえ、ソルシャ。ちゃんと教えてほしいんだ」
わずかな休息ののちに、ラースは柔らかな口調でそう切り出す。
飛竜たちに守られて眠っていたラースを、先ほどまで彼女はいたたまれない気持ちで見ていた。針の筵にいるようだった。妹たちもまた、雰囲気を察して押し黙ったまま待ち続けていた。
そして、ラースの目覚めとともに追及の時を迎えた。
「あなたのこととか。お母さんのこととか。ね、僕のことはともかくさ。これから、あなたのお母さんに会いに行くんだからさ」
「私、ラースのことを……、どうしてもかあさまの役に立ちたくて……だから……」
それは聞いたよ。そう言いたい気持ちを抑えて、ラースは辛抱強く待った。待てなかったのは、彼らの方だ。
「もういいよラース。戻ろ。お祭り、今日までなんだよ」
『ラース、なぜコイツをそんなに気にする? オマエに必要ないだろ』
「ごめんね、二人とも。僕のわがままで。でもね、放っておけないんだよ。ソルシャがお母さんのために必死だから」
「でも! ラースを騙して! あんな怖い目に合わせたんだよ!」
「——僕には、もうそんなことはできないから。お母さんのために、なんてできないから」
観念したように、ラースはそう口にした。
「聞いて、ソルシャ。リグとルージュも。ちゃんと話したことなかったよね。僕の家のみんなが魔獣にやられたってこと、二人には話したと思うけど」
「うん……」
ルージュはすぐに察していた。ラースが治療のために彼らの元を離れたとき、セイヤ夫妻に聞かされた内容を思い出す。口元を手で覆い隠し後悔する。ラースの顔を見ることができずに、彼女は顔を伏せながら聞き続けた。
「僕はね、父さんも母さんも大好きだった。でも、最初は父さんと母さんはそうじゃなかったと思うんだ。すごく辛かった。よく叩かれたり、嫌なこと言われたりもしたんだ。家に入れてもらえないことも何度もあってね。羊たちと一緒によく寝てたよ」
「なに、それ……。だってラースはいつも」
「うん。僕は大好きだったよ。僕の誕生日をお祝いしてくれたんだ。本当の誕生日なんてわからないのに。一生懸命牧場の動物たちの世話をして、『施術』が上手くできるようになったら、ほんの少しだけど褒めてくれたんだ。セイヤさんのところの羊の世話もして、それでセイヤさんも父さんに僕のこと褒めてくれた。初めて父さんが頭を撫でてくれた。すごく嬉しかった。こんな羊たちのお世話しかできない僕でも、役に立てたって思えたんだ。——ねえ、ルージュ」
思い出しながら、彼は同じようにルージュの頭を撫でていた。
「なにもできないって、すごく辛いんだよ」
「でも、でも……。ラースは、凄いもん……」
「今は、少しは色々とできるようになったよ。だけど、その頃はそれしかできなかったんだ。でもね。そうやってみんなのことを想って頑張ってきたから、この『施術』ができるんだよ。リグや、飛竜たちや、カロスとか、みんなに喜んでもらえるんだよ」
それが、僕は嬉しい。
曇りなき思いを吐露して、彼は皆の顔を順に見る。飛竜たちは神妙な顔で頷き、そのまま頭を垂れて恭順を表した。
『オレは、今のオマエがあればいい』
小さな龍の頭が、頬に触れた。ソルシャに向き直るその背後で、柔らかな掌が背を温める。
「僕ね……、わからなかった。そんなはずないのに。だって父さんも母さんも僕を助けてくれたんだから。魔獣たちから守ってくれたんだから。だから僕はもっと、もっと——」
言葉を切って、首を振る。リグの、ルージュの、飛竜たちの想いが、ラースの心を支えていた。
「何か、あると思うんだ、ソルシャ。僕のことじゃなくても、きっとあなたのお母さんの喜ぶことが、お母さんの役に立つことができると思う。もし見つからなくても、僕があなたのお母さんに話すから。ね」
見つめ返す瞳が、ラースの言葉を受け止めて揺らいだ。わななく唇から、ようやく紡ぎ出された言葉は、感謝だった。
「ラース……、ありがとう。こんなに、こんなに私のことを想ってくれる人なんて、いなかったの……」
妹たちを抱き寄せながら、彼女は肩を震わせる。ぐっと奥歯を噛み締めて、堪えた。言わなければならないと決意を込めて。
「でも…、でもね。きっと、ダメです。だって、私たちのかあさまは、人ではないもの。私たち全てを産んだ、偉大な龍なのですから」
「龍……? ドラゴンってこと……?」
その告白に、ラースはリグと視線を交わせる。ソルシャの姉シーラのことを、人ではないとリグに教えられていた。そのためラースは、彼女たちの母親も人間ではないのだろうと薄々思っていた。だが、それが龍であるなどとは考えもしなかった。彼の見た変貌したシーラの姿は、龍どころか獣を想起させるものであったのだから。
「ええ。だからあなたの、人間の言葉なんて聞いてくれないと思うんです。その……、リグだったらもしかしたら」
「オマエの為に動けと? オレが? ——けど、少し興味沸いたぞ」
『リグ、じゃあ、もしもの時はお願いできる?』
『ああ、いいぞ。どんな奴か気になるしな』
『ありがとう、リグ! よかった。リグはずっと気に入らないみたいだったから。僕、嬉しいよ』
両腕でその身体を抱きしめながら、小さな頭を包み込んだ。
『ん? オレが、何を気に入らないって?』
『ごめんね。今日ずっと機嫌が悪かったみたいだったから。リグは分かっていたんだよね。僕が騙されているって。僕が気がつかないから怒っていたのかなって、さっき思って』
『そんなことないぞ』
理解できない、というふうに首を傾げ、リグはラースの腕の中で目を閉じた。少しの間考えて、長い首を動かしてラースの腕を払う。
『オレの頼み、きけるか?』
珍しく、遠慮がちな口調。違和感を覚えながらも、ラースは笑顔で頷く。
『もちろんだよ。言って』
『あのな。その……オマエの手甲、外してくれ』
『え? うん、いいよ。——ああっ!?』
手甲を外しながら、すぐに思い至る。その理由に。きっと間違いない、と。
だからラースは、改めてリグを抱きしめて、両手で首を、頭を撫であげた。
「ううん。私は龍ではありません。もし、そんな存在だったらどんなに良かったかと思います」
ラースに尋ねられて、ソルシャは悲しげに首を振った。
「もちろん、この子たちも。だから私は力が欲しくて。かあさまの役に立つことができるような力が欲しかったんです。本当にごめんなさい、ラース」
「いいよ、ソルシャ。もう気にしないで。あなたのお母さんに認めてもらえばいいんだから。リグだって協力してくれるしね」
「————判断するのは、我らが母です。母のみが我らの行末を決めるのですよ、ラース」
突如、二人の話に流麗な響きを持つ声が割って入った。街の外で集まっていた彼らの目前に姿を見せたその女性に、ラースたちは見覚えがあった。
しかし、彼らは直前まで気がつかなかったのだ。風が巻き上げる僅かな砂塵に紛れて、彼女が現れるまでは。
「大ねえさま!? どうして!?」
草葉を払い落としながら、ソルシャは直立した。
「畏まる必要はないわ、ソルシャ」
凛とした口調だった。力強く、芯の通った声は、その痩身から発せられたものとは想像できない。色白でありながらも薄弱さは微塵も感じられず、切れ長な目の奥からの強い意思が際立っていた。
その姿は、華美だ。ゆったりとした着付けゆえにその体型が表れることはなかったが、のぞくほっそりとした指からは、その肢体もまた同様であることは明白だった。
そよぐ金髪が落ち着きを取り戻すと、彼女はゆっくりと彼らに近づいてきた。
草原を踏み締める足元の鮮やかな靴は、絨毯以外を踏みしめたことなどないような繊細なものだった。部屋着としてのドレスは、造形としては簡素であったが、その素材は上質な綿花から造られたものだ。
神龍カロスケイロスの寝所にふさわしい。彼女の衣装と身のこなしに、そんな感想をラースは抱いていた。
「街の騒ぎを知って、飛竜を追ったのよ。少し、こんな予感がしていました」
その表情が和らぐ。しかし、ほのかな柑橘の香水が漂い、薄絹のヴェールのようにその表情を曖昧な印象にした。
「公爵夫人様!?」
驚きながらもルージュは深々と頭を下げた。
「え? あ——街に入った時の? そっか、そうだっけ」
うろ覚えだったラースは、慌ててルージュに倣った。形だけの礼になってしまったが、公爵夫人は気に留めていない。
「楽にしていただいて結構です。ラース、ルージュ。それから、この場では私のことはサフィーヤと呼びなさい。それが母から賜った名です」
「サフィーヤ、さん? 大ねえさまってことは、あなたもソルシャと同じなんですか?」
「大ねえさま! 私をかあさまに会わせてください! ラースと一緒に行きたいんです!」
「あなたの事情は理解できます、ソルシャ。しかし」
サフィーヤはラースに、控える飛竜たちに目を向けた。
「ラース、あなたのことはわかりませんね。そこの飛竜たちと共にソイルワームを止めたそうですが。貴方は我々の敵ですか? 我が母の意思を阻む愚か者ですか?」
「僕も訊きたいです。どうしてあなたたちは僕たちの国を襲うの? それもあなたのお母さんが命令しているの? それなら僕は、それも止めるように言わなきゃならないんです!」
礼を失したラースの言葉をあげつらうことなく、公爵夫人は答える。
「無論、母の意思です。それを察することはありません。あなたの目的が阻止にあるのであれば、今回は成功と言えましょう。祭りは中断され、式典も中止となったのですから。すでにソイルワームも引き上げています。次の機会までは、ね」
とりあえずは阻止できた。そうわかってラースは胸を撫で下ろす。同時に理解する。彼女たちが敵であり、まだ諦めていない、と言うことを。
「もし、ここであなたを——」
「私を? ふふっ、だめですよ。私にはこれでも、この国でそれなりの地位があります。あなたにできますか? それに、私がいなくとも、母の意思を遂行する娘たちはいくらでもいます。そこのソルシャも含めて、ね」
彼女の言葉にソルシャは体を硬らせた。恐る恐るラースを伺う。彼の表情に変化は見られなかった。
『ラース、無駄だ。元を断たないとな。まあ、やってみてもいいけどな』
彼は首を振った。指摘されるまでもなく、ラースにはわかっていた。ソルシャや姉のシーラ。そして公爵夫人たるサフィーヤ。彼女たちの第一は母親なのだということを。結局はソルシャの望む通り、会うしか手段がないと感じていた。
「僕たちを、あなたのお母さんのところに連れて行ってください。あなたがいないと会えない、ってソルシャが言ってました」
「何を思い違いしているのですか? ——いえ、そうね。貴方にどうこうできる母ではないですね。たとえそこの龍の力を以ってしても。いいでしょう。母に会わせて差し上げましょう。ですが一つ」
「なんですか?」
彼女は目の前に指を立てた。
「今回の発端はシーラの暴走です。ソイルワームはこのタイミングで使用されるものではなかったの。原因はあなただと聞いています、ラース。あなたはなぜ、その場にいたのですか?」
「ラースは、私が連れてきたんです、大ねえさま! 私が声をかけたんです!」
「そうですよ。僕はソルシャにお願いされて。それで」
「それで、こんな娘を守ったのですか。なるほどあなたは相応しい。是非我が母に会ってください。早速、と言いたいところですが、しばしお持ちください。準備がありますので」
そう告げると、彼女は風の中に消えた。現れた時と同じように。
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おまけ
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リグは上機嫌だった。蕩けていた。その手はいつも通りに暖かく、彼の身体を、心を癒してくれる。
ラースにも少しは葛藤があった。彼の手に入れた龍の手甲は、手放し難いものになっていたのだから。自分の体の一部のように感じていたのだから。
けれども。
やはり違うのだ。直接触れているのとは。
いずれは同じようにできる、とも彼は思っていたのだが。その時まで我慢はできない。
結局、リグとラースの思いは一致していた。
『戦いの時につければいいんだぞ』
ラースは普段、何気なく、折にふれリグの身体と接しているのだ。そこに手甲の存在は邪魔でしかない。
『うん。そうするよ』
ラースは決断した。しかし彼は、リグがそれ以上を求めていることなど思いもよらなかった。その言葉によって気づかされ、戸惑う。
『けどな、食事の時はつけていてもいいぞ』
ここまでお読み頂き、ありがとうございます。
これにて第12章完結となりました。
次章は、ソルシャの母たる『龍』と対峙します。
長めの昔話があります。
【次回予告】
飛竜たちと共に、ラースは砂漠地帯に向かう。
そこは母たる『龍』の住まう場所。
次回、「交代っ!」
よろしくお願いします。




