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第70話 炙り出して見せましょう

 本来なら、この時点で両者共に撤退すべきだったのだ。ラースもシーラも。


 ラースは屋上で目にしていながら、意識していなかった。これだけの轟音や振動に、街の者が気付かないはずがないのだ。たとえ早朝だったとしても。


 様子を伺いに来た街の者たちは、触手の立ち並ぶ異様な光景を目にした。飛竜の群れを目にした。彼らがどう行動するのか。ラースには考える余裕がなかった。まして、それ以上のことが起こった時にどうなるかなど。


 シーラにしてもすでに予定外なのだ。準備したものは無駄になった。タイミングも違えている。


「ゴミを片付けるだけのはずだったのにさ。厄介だねえ」


 けど、今更。


 そう続けた呟きに、彼女の決意が込められていた。


「シーラねえさま! 私は……、私はラースと行きます。だからお願いです。見逃してくださいっ!」


「大丈夫だよ、ソルシャ。ルージュと一緒に、早く上へ!」


 ラースは彼女たちの間に体を入れた。床に引き倒されていたルージュは、すでに屋上へ出ている。妹たちを伴って、ソロソロと彼女は移動していた。


『みんなっ! ルージュたちをお願い! 街の外まで連れて行って!』


『わかりましたっ』『お任せください!』


「逃すかよっ」


 弧を描いて、爪撃がラースを襲う。手甲で受け、動揺しながらも彼は一歩も引かなかった。


 シーラの姿は変貌していた。大柄な姿はそのままに。その両腕は人の形を成していなかった。肘にあたる部分から先は、獣の様相。不釣り合いに大きな鉤爪が闇を裂く。人の顔の大半が、仮面が剥がれ落ちたかのようにひび割れ、落ちていた。その下から、小さな瞳と突き出た鼻先が覗く。


「魔物……なの?」


 至近でその姿を観察しながら、呟く。圧を受けたままの手甲が震える。踏みしめた屋根裏部屋の床が軋んだ。


「偉大な、かあさまの娘さ!」


 もう一方の腕からの攻撃に、一瞬彼も腕を上げかけ、咄嗟に飛び退く。代わりに小さな体が飛び込み、獣の爪を龍の鉤爪が払う。


『ラース! オマエも上がれ! コイツは俺が!』


『うん、お願い!』


 もたつくソルシャの妹たちを抱え上げて、押し出すように屋上へ連れ出す。彼の背後で、絶対の安心を与えてくれる咆哮が、壁となって守っていた。


 ラースの指示に、飛竜たちの一部が、彼女らを連れてその場を離れる。


『ラース様も早く! お乗りください』『そうです、是非、私に』『いや、私に!』


『ありがとう、みんな。リグが来たら行こう』


『はっ! しかしラース様。これは一体何なのですか。街なかにこのようなものが現れるなど』


 飛竜は触手の海となった庭を見下ろしていた。その大半はリグの術によって硬直したままであったが、その後に地中より現れた触手は、獲物を求めて今も蠢いている。


『地面の中にいるみたいなんだ。ずっと深いところに本体がいるって。だから逃げられなくなっちゃって。あなたたちに来てもらったんだよ』


 まさか、自分たちを連れてきてくれた者以外まで来るとは思わなかったが。この短時間に応じたということは、残りの者たちもとっくに近くまで来ていたのだろう。ラースにはそう推測できた。


『地中に?』


『うん。リグの術でも届かなかったって』


 ラースは抉れた庭を指し示した。人の身長よりも深い窪地でも、その奥の姿は見えない。


『ならば、我らがやってもよろしいですか?』


『え、できるの?』


『ラース様、我らの特性をお忘れですか?』


 特性、という言葉に牧場での戦いが思い出された。冒険者に襲われ、同じ飛竜のルドラが使った技。それは牧草地に撒き散らされた腐食性の毒だ。


『ルドラがやってた、あれ? あんなのをここで使うの?』


『未熟なルドラの奴と同じに考えないでください』『我らの《触腐》はより自在です』『地中まで、容易に届きます』『ご安心を、ラース様』


 口々に語る言葉に現れていたのは、自らの特性に対する誇りだった。自身の体を傷つけ、乗り越えたからこそ扱える《触腐》という特性。それゆえの口調だった。


『うん。じゃあ、お願い』


『疾く!』『ご覧ください』『地中の虫けらなど、炙り出して見せましょう!』


 その場に残っていた五頭の飛竜たちが、庭の上空へと移動した。


 飛竜たちの口から、一斉に水球が放たれた。それは地上に現れた触手に触れ、それらを侵食する。硬直した触手はみるみる内に溶け落ち、うねる触手たちは地中へ逃れる。


 地上から、肉の荒縄が駆逐されつつあった。そこへ追撃の水球が放たれる。飛竜たちの特性、腐食性の毒液は地面を覆い、浸透してゆく。地層に濾過されることなく、毒性を保ったまま深層まで。


 そのように調合されたものだった。ただ撒き散らすだけのルドラのものとは違う。確かに彼を未熟と断ずるだけの、技術と練度の込められた《触腐》であった。


 異変は、平穏を取り戻した庭ではなく、敷地の外で起こった。


 悲鳴をあげたのは、見守っていた付近の住民だった。人垣が散り、地面が揺れる。未舗装の通りが盛り上がる。


 ギイイイィィィーーーーーーッ!


 金切り声と共に、魔物が姿を現した。馬ほどの大きさの、まるで芋虫。しかしその上面は岩のような甲皮に覆われ、そこに無数の短い触手が蠢く。小さな頭部では触覚が震えていた。


 ラースは屋根から飛び降りた。《触腐》の影響の感じられない庭を突っ切り、開けることももどかしいと金属製の門をひと跳びで越える。


「どいてっ!」


 周囲を牽制しながら、魔物の頭部を手甲の鉤爪で裂いた。元々弱っていた魔物は、彼の一撃で完全に動かなくなる。


『お見事です、ラース様!』『ラース様! ですが、早く!』


(早く……?)


 称賛の中に混じる言葉に、疑問がよぎる。それは彼の中ですぐに不安に変わる。


『ラース様————ぐっ!』『早くっ。お戻りくださいっ』


「あ——、なんで……」


 彼らは魔術による攻撃を受けていた。飛竜たちが身を翻すと、その空間を矢が飛び去る。攻撃を避けながらも、彼らはこの場に留まろうと必死だった。


「動くな!」


 重い、複数の足音が迫り、ラースを囲む。いち早く駆けつけた、街の衛士たちだった。油断なく獲物を構え、魔物のそばに立つ彼を見据える。


「貴様が魔獣どもを引き入れた奴だな」


「え、ぼ、僕……彼らは、いや、あの……、魔獣が、いて……」


 一度に多くを説明しようとして、言葉にならなかった。


「ここの者たちが見ているのだ! おぞましい魔物を呼び、飛竜を呼びよせ、我らの街を襲ったな!」

「飛竜を使って、子供を攫ったところも見ているぞ!」

「奴らを街から離れさせるんだ!」


「ち、違います! 僕は、何も——」


 通りの先から悲鳴が響いた。微かな振動が足元に伝わる。


『ラース様! 向こうにも!』


「何だ!? 何が!」

「隊長、同じ奴が現れました!」


 衛士たちも地中からの魔物の出現に気づき、数人を向かわせた。その間に、ラースの思考が巡った。魔獣の死骸を踏み台に、彼は衛士たちの囲いを、その後ろの人垣を飛び越える。


 先行する衛士たちを抜き去り、路地の先の魔獣を同様に屠る。《触腐》の影響を受けているのか、地中に住む魔獣だからか、姿を露わにした魔獣の動きは鈍い。


「聞いて! コイツらは地下にたくさんいるんです! いつ襲ってくるか分からないんです! だから気をつけて!」


 追いついた衛士たちに向かって、ラースが叫ぶ。


「貴様……、貴様が放ったのではないのか!?」


「だから、僕じゃなくって! これは——」


 これは。


 口にしながら、ラースは理解していなかった。その元凶がどこにあるのかを。さらには、今地上に出現しているのが、街に配された魔獣ではないことを。


 これはソルシャの屋敷の敷地内の地中にいた魔物だ。それが《触腐》に追い立てられ、逃れ出てきたのだ。そして、これで全てではなかった。


「な、ならば、あの飛竜どもは」


「彼らは襲ったりしないよ! だから彼らを攻撃しないで! みんなは、彼らは僕の家族なんだから。——来て!」


 ラースの呼びかけに、嬉々として飛竜が着地した。彼らにとっては狭い街の通りに注意を払いながら。


『ら、ラース様! 我らを家族と!』『ついにお認めくださるのですねっ!』『我らは生涯、リグ様とラース様の子であり続けます!』


 周囲の建物に気を配りながら、飛竜たちは精一杯の範囲で翼を震わせる。その勢いに戸惑いながらも、続けて発した言葉はラースの本心だった。


『え? ちゃんと言ったこと、なかったかもしれないけど。ずっとそう思っているよ。最初はびっくりしたけれどもね』


『あ、ありがたき幸せっ!』『僥倖! 僥倖です!』『我ら、それに気づかないなど——至らずに申し訳ありません!』


『——それで、如何しますか、コイツらを?』


 感激に身を包まれながら、一頭が目を細め、衛士たちを横目で睨みつける。周囲に衛士たちがいることで、遠距離から放たれていた攻撃は止んでいた。代わりに、多くの足音が近づきつつあった。


『あの虫みたいな奴らを見つけてくれればいいかなって思うんだ。そしたら僕が倒すよ。あなたたちじゃあ窮屈そうだし』


『容易いことです』『お気遣い感謝します』『お任せくださいっ!』


「だから、彼らには攻撃しないで。それより、あの虫みたいな奴に注意してください。どこに出てくるかわからないんです。あなたたちも、みんなで、やっつけないと」


 最後にラースは衛士たちに向かって訴えた。


 唸り声にしか聞こえない声で意思疎通を成している少年を、それでも衛士たちはにわかには信じ難かった。目の前の少年は飛竜の巨体に親しげに触れ、飛竜もまたそれに満足しているように見える。


 魔獣使い、と呼ばれる者達がいることは皆知っている。あるいは魔物を召喚し使役する者の存在も聞き齧った程度には。


「し、しかし。貴様は本当にその飛竜たちを操っている、というのか。貴様が?」


「違うよ! 彼らを操るなんて! あなたは自分の親とか子供とかを操るっていうの?」


 不快な言葉と、初めて見せた飛竜の敵意を前に、衛士は息を呑む。すぐに失言だと気づき、半歩下がるように身体を引き————そのまま押し戻された。


 実際に背を押されたわけではない。そう感じた。他の衛士たちが振り返り、道を開けるなか、その衛士もゆっくりと背後に目を向ける。


 彼らの間を、黒い物体が横切った。それは地面に落ちて転がり、ラースの足元で止まる。その後を追うように現れた者の威圧感に、衛士たちは動くことができなかった。


『リグ様! ご無事で!』


『リグ、これは……?』


『ああ。もう訊くことはできないな』


 仕留めた獲物に対し、感情の動きを見せなかった。


『そっか。じゃあ、仕方ない、のかな……』


 異形の亡骸を目にして、寂しそうにラースは呟いた。


「あの、信じてもらえないかもしれないですけど。このひとが魔獣を操って襲ってきたんです。でも、まだ他にも土の中に魔獣がいるのは間違いないんです。だから、あなたたちも、そいつらをやっつけてください」


「……お、おまえは。いや。分かった」


 衛士たちの隊長は、そう絞り出すのが精一杯だった。


「すまなかった。家族、だったな。私も、守るべき者を思い出した」


 そう言って頭を下げた。ラースたちの緩みを感じて、その衛士は緊張を解くことができた。だが、すぐに意識を敵に向ける。この少年の言葉通りなら、これからが戦いなのだと。


「あと、エスティさんとか、アルフさんとかにも伝えてください。昨日言ってあるから。みんなで協力すれば、きっと大丈夫です」


 その言葉に、衛士たちの隊長が号令を下し、彼らはその業務の遂行に走った。






 王都から離れた平原で、飛竜たちは翼を休めていた。その傍らでソルシャと妹たちが固まって腰を下ろしている。


 ルージュだけは立ち上がったまま、王都の上空を見つめていた。草原に吹く涼風に髪を靡かせながら、時折、その髪飾りに手を添えて。


「おかえり、ラースっ!!」


 無事に姿を見せたラースに勢いよく飛びついて、彼女は笑顔を見せた。


「ただいま。待たせちゃったね。みんな無事でよかったよ」


「うん。うんっ!」


「あ、でも」


 ラースは一緒に戻った飛竜たちに手をかざす。


『ごめんなさい。僕のせいで怪我させて』


 祈りを捧げ、《恵みの水》を施す。祈りによる回復は、飛竜たちのものとも、森の癒し手イシュカのものとも違う。この術は、信者の祈りにより集積された力が源。それを変換し、術者の、つまりはラースの魔素を媒介に癒しをもたらすものだ。


 痛みなき治癒は、飛竜たちには未体験のものだ。『施術』とはまた違ったその心地よさに酔いしれ、彼らはラースへの畏敬の念を深めていた。


『こ、このような想いを抱けるのなら。ラース様の魔素を感じることができるのならば。我らは喜んで——。いや、そうでなくとも我々は』


『それは嬉しいよ。でも、変なことは考えないでね』


 幸い飛竜たちの傷はかすり傷程度だった。僅かな癒しではあったが、十分だった。体よりも心に。それは響いていたから。


 治癒を終えたラースは、崩れ落ちるように草原に背をつける。


「だ、大丈夫、ラース?」


「うん。ちょっと疲れただけだよ。少し、休んでいいかな」


 そう言ってラースはぼんやりと、遠い空を眺めた。


「そうね。朝早かったし。私も」


 仰向けに寝転ぶラースの左腕をとって、彼女も体を横たえた。その様子に一瞬だけ顔をしかめて、リグもまた逆側の二の腕あたりを腕枕にして体を密着させる。胸元では、きゅう、という小さな鳴き声が寝言のように漏れていた。


「みんなも休もう。ソルシャも、ね」


 気が急いていたはずであった。しかし、一旦解けてしまった緊張が眠気を誘い、たちまちラースは寝息を立てていた。

次回で第12章完結になります。


【次回予告】

ラースは想いを告白する。

ソルシャもまた、打ち明ける。

彼女の背後にいる存在について。

それでも、ラースは先へ進む。


次回、「オレの頼み、きけるか?」

よろしくお願いします。

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