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第7話 とっても可愛いかったよ

「ぐっ、がああぁぁぁぁっっ!!」


 痛みでルージュは獣のような叫び声を上げていた。自らの変化に気づく。光の中で身体が壊れ、新たな、いや、かつての姿へと再構築されていく様を、彼女は限界まで見開いた目で見届ける。


「何だっ! 貴様、何をしたっ!」


 ラースは答えない。答える余裕もない。彼もまた痛みに苛まれていたのだから。

 それでも、自らの成した効果に彼は安堵していた。二度目ということもあり、彼女の変化を見るだけの余裕はあった。


 ルージュの全身から光が散逸し、その分だけ変化をもたらす。それはあまりに早く。妖艶で豊満な肉付きの身体は縮退し、凹凸のない小さなカラダへと変じる。張り詰めた胸に支えられていた衣服がするりと脱げ落ちる。人外の象徴であった頭部の双角も、変化から逃れることはできず、髪の間から僅かに覗く程に縮んでゆく。


「ぐぅぅぅぁ、あ……ワタシの……カラダが……ぁぁ……」


 分からない。が、この男が何かをやったに違いない。彼女は殺意を持ってラースの首に手をかける。


 小さな、紅葉のような手で。


「いっ、嫌ぁぁぁぁ〜〜〜っ!」


 幼き声を響き渡らせながら、ルージュはラースの体の上で崩れ落ちた。


「やった……できた……」


 暖かな重みを感じながら、ラースは息をついた。ルージュの変化が終わると痛みも嘘のように消えた。リグルヴェルダスの時とは比べ物にならない、ほんのわずかな時間だった。

 彼はそっと少女の体を地面へ下ろす。眠るルージュは十歳にも満たない少女に見えた。妖艶さとは無縁な、無邪気な寝顔だ。


(きっと、さっきまでのことなんて覚えていないんだろうな)


 リグと同じであれば、そういうことなのだろう。その推測が間違っていないと、すぐに彼は知ることとなる。


「ルージュさまぁ、どうしましたぁ?」


 気の抜けた声が聞こえ、ラースは緊張を取り戻す。もう一人の存在を思い出す。


「あれ? あんただけぇ? ルージュさまは?」


 未だに脚に巻きついたままだった黒鞭を意を決して掴むと、ラースは一気に引き剥がして立ち上がった。歯を食いしばり、疲労感にふらつく身体を気力だけで支える。


「——そこにいるよ」


「はぁ? あんた、何言って——」


 ラースは鞭で地面を打つ。使ったことなど無かったが、牽制のために振るった得物は思いのほか軽快な音を立てた。


 エリスの歩みが止まる。


「それ、ルージュさまの……? なんであんたが。あんた、ルージュさまに何をしたのよ」


 その問いには答えない。代わりに再度鞭をふるい、睨みつける。


「ここは。ここはリグルヴェルダスの棲み家だ。無断でやって来て、お前たちは、何を勝手なことをやっているんだっ!」


 精一杯、凄んで叫ぶ。その勢いにエリスは気圧されていた。


「な、なによぉ。アイツはもう死にかけでしょ。それより、ルージュ——」


「……ぅ……ん……」


 ラースの足元で桃色の少女が目を覚ました。


「ここ……どこぉ……」


 目を擦りながら呟く。ゆらゆらと身体を起こし、大きな欠伸ひとつ。いつもと変わりのない、彼女の寝起きの仕草だった。


「ルージュさまっ! ルージュさまなのっ!?」


「もう覚えていないよ。君のことは。僕がやったんだから。リグルヴェルダスの魔法で」


「リグルヴェルダスの? あんた、まさか。リグルヴェルダスの眷属——」


 エリスは一歩引いた。唯の弱々しい、獲物に過ぎなかった人間が、今や得体の知れない生物に変貌してしまったかのように感じていた。

 ラースにはその言葉の意味は分からなかった。が、下がる相手に対して前へ出る。更に下がる。明かに動揺が見てとれた。


『何してるんだ、ラース』


 背後からの声に、エリスは短く悲鳴をあげて身体を強張らせた。


『リグ! 大丈夫だったの?』


『ん、何が?』


『なにがって、こいつらに捕まって。身体は何ともないの?』


『ああ、あれか。全然気持ちよくなかった。こいつら使えない。やっぱりラースじゃないとだめだな〜』


『え……そ、そうなんだ……』


 あまりの言い方に拍子抜けしてしまった。あの拘束がリグにとっては『施術』を受けている気分だったと聞かされて。


「なんなの? なんなのよぉ」


 泣き出しそうな情けない声だ。エリスには二人の会話の意味が理解できなかった。ただ、その響きと雰囲気は知っていた。彼女の遥か上役の言葉。

 それが決定的だった。


『で、ラースは何をしてたんだ?』


『えっと。この人に帰ってもらおうかと思って』


『ああ、そうだな。使えない奴だしな』


 興味なさそうに言うと、エリスの目の前に小さな頭を向け、


「帰れ」


 一言。ラースが初めて聞く、リグの発した人間の言葉だった。


「ひ、ひゃいっ!」


 舌を噛みながら、エリスは反射的に返事をする。後退りながら胸を覆う小さな布を外すと、軽く宙に放った。布切れは意思を持っているように複雑に、何度も折れ曲がり、鳥のような形へ変わっていく。


「ルージュさま、ごめんなさいっ!」


 浮かび上がる鳥に掴まり、エリスの体も宙に舞った。そのまま高度を上げ、彼方へと飛び去って行った。






 なんとか助かった、とラースは大きく息を吐いた。リグルヴェルダスの術が使えたことも、あんな脅しのようなことが上手くいったことも。その嬉しさよりも安堵の方が今は強かった。


『こいつは?』


『ああ、さっきの奴ら。もう一人居たでしょ。そいつをね。えっと、魔法で』


 そこで彼は言い淀む。リグに対して詳しく説明することに、どこか心に引っかかるものがあった。それを口にしようとすると、まるで頭の中が霞ががったようになって、言葉がでてこなかった。


『魔術で……? オマエが?』


『あ、うん。まあ』


『おおっ! すごいなっ! ラースはそんなこともできるのかっ!』


 目を輝かせて騒ぎ立てる。そのままリグはルージュの周りを飛んで観察する。


「な、なぁに。あなた」


「黙れ」


 身を引きながら恐る恐る尋ねるルージュに、リグは短く唸った。


『ちょ、ちょっと、リグ! だめだよ。怖がってるじゃないか』


 ラースが慌てて割って入り、リグを抱えて言い聞かせた。


『大丈夫だから——、あ』「大丈夫だからね。怖がらせてごめんね」


 切り替えができずに、一瞬言葉が絡まった。リグと話していると、自然と彼らの言葉になってしまう。すぐに言い直したが、それがかえって混乱をルージュに与えていた。


 目覚めたばかりのルージュにとっては不安と恐怖しかなかった。見知らぬ場所。見知らぬヒト。同族と思われる女性を脅し退けて。その人間とドラゴンが今度は自分に向かって迫り来て——


 ちょろちょろと、小さな水音が聞こえた。


「あ」

『あ』


「やっ……いやぁ……」


 ルージュの座る地面に染みが広がる。大粒の涙もまた溢れ落ち、混ざる。


「やだぁ……もう……こないでぇ……」


「ご、ごめん。ごめんね」


 リグを抱えたまま数歩下がって、ラースは背を向けた。


『あいつ、漏らした』


『だ、だめだよ。そんなこと言ったら』


『オレはただ、ラースの術を観ていただけなんだけど?』


『まだ幼いんだから仕方ないよ。それに不安なんだよ。ね。だから優しくてしてあげないと』


 落ち着かせるように首筋を撫でる。顎下に手を当ててさすると、抑えきれない鳴き声がもれた。


『きゅ……ん。分かった。もっと調べたかったけど』


『また今度、教えてあげるからさ』


 深く考えずにラースは答えた。背後では泣き声が徐々に止んで、小さなすすり泣きへと変わっていた。完全に落ち着くまで辛抱強く待つと、反応は向こうからやってきた。


 ズボンの裾が引かれ、ラースは振り返った。桃色の鮮やかな髪と小さな角が見えた。小柄なラースの腰の辺りだ。見上げる大きな瞳は潤み、ふっくらとした焼きたてのパンのような頬には幾筋もの涙の跡があった。


「……パパ。私、ママに捨てられたの……?」


「捨てられた、って、え? パパ!? なんでパパ!?」


 思いがけない言葉に混乱するラースに、裾を掴む小さな手から震えが伝わる。


「こんな森の中に、私、置いていかれたんでしょ。ママはわたしのこといらなくなったんだ……」


 声が震える。再び感情が爆発しそうになるのを感じて、ラースは咄嗟に小さな身体を抱きしめた。


「大丈夫。大丈夫だよ。僕がいるからね」


 濡れた頬を押しつけて、ルージュもまたラースに縋りついた。やがて、ルージュが手を離すのに合わせて二人が離れる。代わりにラースの袖が引かれた。


「ん、なに?」


 顔を近づけたラースに短く唇が重ねられた。


「ありがと、パパ」


 そう言って笑うルージュの顔は無邪気。しかし一瞬。妖艶な大人の顔に見えた。






 森林地帯の上空。温い風に晒されながら、エリスは未だに独りごちていた。


 何だったの、あいつら。リグルヴェルダスの奴、そろそろくたばっていると思っていたのに。あんな眷属まで増やしていて。


 報告しないと。


 そう思いはしたものの、すぐに身震いした。きっと、いや、絶対叱責される。それに、ルージュさままであんなことになって。


「ルージュさまぁ。ああ、でも。とっても可愛かったよぉ」


 ふるふると身体を、胸を揺らす。


「ぜったい、連れ戻すから、多分。待ってて」


 それには助けがいる。それには報告しないと。ああ、でも——

次回で第一章完になります。

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