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第69話 待てなくて

 庭に飛び出したラースは、リグの足元で横たわる黒い塊に目を落とした。


『リグ、彼女は……』


『悪い、ラース。逃げた』


 恐る恐る尋ねたラースに、つまらなそうに答え、リグは目の前の塊を尻尾で払う。それは脆くも崩れ、庭の土となった。


『え、それ——』


『抜け殻だぞ。ラース、こいつらは人ではない。ただの擬態だ。気づいてなかったか?』


『ぎたい、って、え? 人じゃないって、どういうこと? ソルシャも?』


『正体がなんだかまでは、わからないけどな。それと、気をつけろラース』


 リグは荒れた庭に目を向けた。そこには大きく陥没し、すり鉢状になった窪みが二つ。リグの術によって刻まれ、先の振動の原因となったものだ。


『随分深くまで潜っている。最初の奴もあの触手の奴も。届かなかった。けど、まだ奴らはいるんだ』


 地面に手を当てる。リグは相手の魔素の動きを捉えていた。地中深くに、その存在を感じていた。


『そっか、じゃあ今のうちにソルシャたちを助けよう。それと、できればあいつらを捕まえたいんだけど』


『わかった。なら、やるか。ラース、オマエの術を使えばきっと届く』


『いや、待って! それはやめよう。そこまでしなくていいから』


 すかさず術を生み出すの唸りを発し始めたリグを、慌てて制する。リグの初哮が、大森林を破壊した術のものだとラースにはわかった。あれを地中に向かって放てば、どれほどの被害が及ぶのか。彼には想像もつかない。


「ラース、今のうちに行こうよ」


「ルージュ! あ、さっきはありがとう。おかげで助かったよ」


「うん! 鞭がね、素直に動いたの。ラースを助けたいって思ったらね」


「すごいね。またルージュに助けられたね。あ、それでソルシャたちは?」


「知らない」


 その問いに眉を潜め、一転刺々しい口調で彼女は答えた。


「あいつら逃げたもん。ラースがあんなに頑張ってたのに。守ってたのに。逃げたの!」


「逃げた、って。そっか、よかった。じゃあ今のうちにここから離れよう」


「よくないよっ! どうしてラースは彼女を助けるの? ラースを騙したんだよ。それでこんな危ない目にあってるのに。なんでなの!」


 うっすらと涙を浮かべていた。ぎゅっとラースの腕を掴んで、訴えかける。


「ルージュ、それは……、ソルシャにも何か事情があるみたいだし……。僕もちゃんとソルシャから聞きたいんだ。でも今は、ソルシャたちを連れて逃げないと。ね、わかって、ルージュ」


 腰を落としてラースは彼女の頭を撫でる。膨らむ頬に手を当てて、真っ直ぐな視線を受け止めた。彼自身も動揺しながら、それでも小さく頷いたルージュに笑顔を返す。


「行こう。ソルシャたちを探さなきゃ」


「——逃げる? 逃げられると思うか? 逃すと思うか?」


 ラースたちが屋敷へ戻ろうと踏み出したとき、足下から声が響いた。それはシーラのものだったが、地中で濾されたかのように低くしわがれたようなものに聞こえた。


「この街の地中には、すでに何匹ものソイルワームが待機しているのさ。どこへ行こうが逃しはしないよ」


 その言葉にラースたちは顔を見合わせ、応えることなく屋敷へ足を踏み入れた。そうであるなら、尚更早くソルシャたちを安全な場所まで避難させないと。そう考えながら、走った。


「ソルシャ〜〜〜! どこにいるの!」


 ラースの呼びかけをかき消すように、破壊の音があちこちで沸き起こっていた。再び肉の触手が活性化したのだということは、目にするまでもなかった。


「ソルシャ、どこっ! 早く、ここから出ないと!」

「ラース、もういいよ。私たちだけで行こう!」

「駄目だって! ちゃんと彼女も——」


 言いかけて、ラースは微かな声を拾った。木製の床を突き破り、内装を破壊する音に混じり。聞こえたそれを確かめようと言葉を止め、足を止める。


 その目の前に、触手が現れた。集中するラースに近づく前に、それはリグによって切り裂かれる。


「こっち、だ」


 ラースは一つの扉に手をかけ、引いた。部屋はすでに荒らされていた。いくつかの触手が獲物を求めて蠢き、室内の古びた調度品を引き倒し、破壊している。


 触手が彼を認め、つるりとした先端を向ける。襲いかかる肉は、金属の鉤爪によって呆気なく払われた。断片が散らばり、干からびる。あっという間に動くものの無くなった部屋の中で、ラースは再び声を受け取る。


 床には砂が撒き散らされていた。陶器の破片が散乱していた。その破片の一つに押しつぶされた拳二つ分くらいの大きな卵。隙間から、かすれた生命が漏れ出ていた。


 ……き……きゅぅ……


 破片を退け、卵の殻を外し、鳴き声に誘われるようにラースはその生き物を手にしていた。


「——《恵みの水》」


 生まれたばかりの、いや、未だ孵化前だったはずの生命に、微かな癒しを浸透させる。


 く……ぅぅ……


 両の掌に収まるほどの小さな砂色の身体。未だ目も開かぬ小さな蜥蜴に、ラースは癒しの術を繰り返す。


『駄目だぞ、ラース』


 肩の上から、リグが覗き込んでいた。遥か遠縁の生き物に、リグの声は感情を表さない。


『助かってもな、そいつは弱い。自分で殻を破れなかった奴はな』


『リグ……。でも、そのままになんてできなくって』


『別にいいぞ。けど、そんな暇ないだろ』


『う、うん。そうだよね』


 ほんの短い間、屋敷を侵食する触手のことも、ソルシャのことも彼は忘れていた。卵の代わりに両手で蜥蜴を包み込み、ラースは頭をあげた。


 彼らと同じように獲物を探し回る触手たちを退けつつ、今やラースたちは、屋敷の東端の部屋まで来ていた。


「ソルシャ! そこにいるの!」


 その部屋には梯子がかかっていた。屋根裏部屋へ続く垂直に近い角度で架けられた梯子の先に、天板が開いていた。そこからはうっすらと明かりが漏れている。


「ソルシャ?」


 眠る蜥蜴を片手で胸に添わせながら、ラースは薄闇の屋根裏部屋へ登った。天窓からの傾いた日差しは部屋の一部を照らしているのみだ。


「ラース……こないで。ごめんなさい……」


 暗がりに妹たちと身を寄せて、彼女は声を震わせた。


「私、もうだめ……。シーラねえさまも、ラースも怒らせた。ごめんなさい」


「ソルシャ、僕は怒ってないよ。ただ、聞かせて欲しいだけなんだ。ううん、無理にとは言わないから。あなたのお母さんに会いに行こう。一緒にここから出ようよ」


「私を、連れて行ってくれますか……? ねえ、ラース。お願いしても、いい?」


「もちろんだよ。行くって言ったよね」


「……わかりました。ありがとう。でも、シーラねえさまは……」


「うん、なんとかするよ。だから待ってて」


『やっぱりやるのか、ラース。オマエの術を使えば、纏めて潰せるからな』


 肩の上でリグが低く唸る。その響きにラースは不快を感じ取った。正確には、苛つきというものだったかもしれない。獲物を逃したことへの。


『ううん、それは……。何かほかにあれば』


 全てを破壊する術は、軽々に使用するものではないとラースはわかっていた。しかし、屋敷を襲う触手は衰えていない。ここが高所である故に未だ襲撃されていないが、いつまでもこの屋根裏部屋にいるわけにもいかない。姿を消したままのシーラも再び襲ってくるかもしれないのだ。


 触手自体は弱い。対処はできる。しかし、ルージュやソルシャ、ましてその幼い妹たちを全て守りながら抜け出せるか。ラースにそこまでの自信はなかった。


 どんな被害が出るかわからない術は、最終手段に。そう考えながらラースは視線を巡らせる。


 目に入ってきたのは、天窓だった。そこから見える、早朝にけぶる空だ。


『……ねえ、リグ。飛竜を呼べないかな』


『できるぞ。奴ら近くにいるだろうからな。けど——、逃げるのか』


 明かな不満を感じた。リグはもっと戦いたがっている、触手たちを殲滅し、ソルシャの姉を倒したいのだということがラースにはわかった。彼自身にも少なからずその思いはあったのだ。彼女たちがいないのであれば、だが。


『ソルシャたちを守るのが先だよ。だから、飛んで行けば大丈夫だと思うんだ』


『そうか……。オマエの、その手甲は』


『え!? い、いや、僕だって』


 見透かされていた。だが、リグから言われたことで、彼は思い出す。ソルシャだけではない。このままにはしておけないことを。


『わかった』


 乱暴に天窓を開けて、リグは飛び出した。遥か上空までその身を昇らせ、甲高い呼び声を上げる。ラースの耳には微かにしか届かなかったが、それは以前に牧場で耳にしたものと似ていた。羊をまとめるために、牧羊犬を呼んだときのリグの声だ。


「リグ、どうしたの?」


 遅れて梯子を登ってきたルージュが、その姿を目線で追う。


「飛竜を呼んでもらうんだ。それで一旦ここから逃げられるよ」


「え、ここに来てもらうの? 大丈夫なの?」


「大丈夫だよ。近くにいると思うし」


「そうじゃなくってね、ラース。——ううん、仕方ないよね。でも、彼女たちを飛竜で運ぶってことだよね」


 闇に向けられたルージュの視線は鋭い。その表情に影が差す。そして、彼女自身の顔も、影に隠れた。


 天窓からの光が遮られていた。


(飛竜の影?)


 一瞬ラースはそう思った。そうではなかった。何事かと、天窓から身を乗り出した彼は、黒雲を目にする。この敷地付近にだけ発生している不自然な雷雲。その正体を彼はすでに知っていた。


 緩い傾斜の屋根に上り、ラースは地上に視線を落とす。


 おぞましい光景に、鳥肌が立った。庭に触手が林立していた。肉色の、臓腑のごとき物体が海藻のように不規則に揺れている。吐き気を催すような生理的な嫌悪感がラースの中に湧き上がった。


 それは、自分たちを逃さぬためのものだとラースは悟った。同時に、それが全く意味を為さないものであることも。


 ラースの予想通りに、現象は進行した。雷光が迸り、庭に降り注ぐ。目で追うことすらできない速度で地表を巡り、触手を捕らえる。


 かつて牧場で冒険者を襲ったときのように、触手はその動きを凍りつかせていた。これもまた、ラースが思い出しリグに伝えた、リグルヴェルダスの術だ。


 その術に触手ごときが抗することなど出来るはずがなかった。本体がいくら地中深くに身を潜めていようと。だが、動かぬ触手を押し除けて、新たな肉が現れる。


 二撃目は、放たれなかった。全体としては効果的ではない。それがリグの判断だった。


「ラース、なに? なにがあったの?」


 落雷の轟音を聞き、天窓からルージュが顔を覗かせてた。


「大丈夫、リグの術だよ。でも、やっぱりキリがないみたい。外にあの触手がまだいっぱいいるんだ」


「そうなの。飛竜は?」


「まだみたい」


 答えるラースの影が、ルージュを覆った。雷雲は消え日光が屋敷の屋根を照らす。


 至近で、木材のへし折られる音が聞こえた。


「——飛竜? 随分とキツい一発だったねぇ」


 うねるように響く声と共に、ルージュの体が引きずり下ろされた。悲鳴が、複数の悲鳴が交錯する。


「ルージュっ!」


 天窓から飛び降りたラースは、屋根裏部屋でその姿を認める。


 シーラ、なのだと思った。声からは確信が持てなかった。まして、その姿からは。戸惑うラースの視界から不意に色彩が消えた。


 天窓が遮られていた。その小さな空間は完全に闇に取り囲まれている。日の光を通さぬほどに密集して上空に現れたのは——


 飛竜たちだった。


 ラースたちを乗せてきた二頭だけではない。ひしめき合うは十数頭もの飛竜の顔。


『ラース様っ!』

『我ら、待てなくて』

『お呼びいただき感謝します』

『皆で、来てしまいましたっ!』


 高揚した、その場にそぐわぬ歓喜の声を上げていた。

【次回予告】

すでに機を逃した。

飛竜の助けを得たとしても。

王都は混乱に陥る。


次回、「炙り出して見せましょう」

よろしくお願いします。

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