第68話 悪いのはどっち
彼らの足下から肉の塊が現れた。土中を掘り進んで通路に躍り出たのは、ミミズのように細長い、肉の触手だ。ボロボロと通路を崩しながら、それは左右の壁からも現れる。
一見、感覚器官など見当たらないのっぺりとした先端を、空気を嗅ぎ分けるように振るわせ、複数の触手は一斉にその先端を彼らに向けた。
『ラースっ!!』
誰よりも早く、リグが鉤爪を振るった。牙を剥いた。一動作ごとに、触手は木の葉のように容易く引き裂かれる。
「きゃあぁぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜〜っっっ!」
妹たちの悲鳴に吸い寄せられるように、新たな触手が現れた。通路の表面に新たな穴が開けられ、それが土の地下通路そのものを崩壊に導く。
『ラース、ここはだめだっ!』
「みんな、戻ろうっ!」
最後尾にいた幼い子供たちの背を押すようにして、階段へ導いた。ラースとリグが殿となって地上の部屋へ戻ると、すぐに跳ね上げ式の床を閉じる。地下からの突き上げるような音は、やがて静まった。
「みんな、大丈夫?」
「うん。でも、なんなの。あの気味悪いの」
「へいきよ」「うん、へっちゃら」
「あれは……。どうしてこんなところに……」
ラースの問いかけに息荒く答えるなか、ソルシャは不安な表情で俯いていた。
その頭上から、リグが見下ろす。
「オマエ、ラースを餌にしたな」
平板でありながら、怒気を孕んだ言葉だった。
「わ、私……、知らない。あんなのが来るなんて」
「何を隠している? それでラースを襲う気か?」
「襲う……? 違います! そんなこと私がするわけないです!」
「リグ、何を言っているの? ソルシャは僕に頼みがあるって言っているんだよ。僕を襲うなんてことするわけないじゃないか」
空中のリグを抱きかかえて、諫めた。二人の間に体を入れて姿を隠す。
「ラース、こいつはな——」
床の破壊音が、その言葉を遮った。地下通路への入り口などお構いなしに、床下から、先の肉の触手が姿を見せる。
すぐにラースは体を反転させ、右腕を振った。その鉤爪は、草を刈り取るように触手を両断する。しかし、すでに複数の触手が蠢いていた。
「出よう! 早くっ!」
襲いくる触手を薙ぎ払いながら叫ぶ。ソルシャを先頭に走り、彼女たちは扉を潜り、廊下へと抜ける。
「ラースもっ!」
「うん、先に行ってて、ルージュ!」
こんな状況だというのに、ラースは少し楽しかった。触手の動きは早いわけでもなく、それ自身硬いわけでもなく、容易に切り裂くことができた。そうやって戦う隣に、同じ様に鉤爪を振るうリグがいる。並んで戦えることが彼には嬉しかった。
余裕のある戦いの中で、リグに視線を送る。自然と口元が綻ぶ。リグもそれに気付いて頷いていた。
『僕らも行こう。キリがないよっ』
『ああ。おそらく、元から断たないとな』
切断された触手は萎れる様に縮んで床に散らばる。残った根元の方は、床下へ引っ込むものの、すぐに別の触手が湧いていた。
『オオオオオーーーーッッ!!』
咆哮と共にリグとラースは触手の群れに突撃した。一段速度を上げ、一気に大半の触手を殲滅すると一転。二人は部屋を飛び出す。
廊下の先で待っていたルージュたちと合流し、二人は触手の湧く部屋を離れた。息を切らす彼女たちの手を引いて屋敷の外へ向かう。
古くも広さのある入り口のホールのその先で、重い扉は彼らを迎え入れる様に自ら開いた。
逆光の中、それでもそこに立つ人物の姿をラースは視認できた。
見知った顔だった。金属鎧に身を包んだ大柄な女性。短く刈り込まれた金髪が、差し込む光を背後から受けて暗く染まって見えた。
数日前市場で出会った、冒険者らしき女性だった。名前は聞かなかったが、ルージュへのプレゼントを物色していたときに声をかけてきた人物だ。
「お、なんだ、少年じゃないか」
ラースの記憶の通りの、ざっくばらんな口調だ。腰の大剣に手をかけながら、大股に彼らに近づく。背後のルージュの頭にちらりと目を遣り、頷いた。
「ああ、手に入れたんだな。よかったじゃないか。あたしのオススメ、選んでくれたんだな」
「あ、はい。あの、とっても似合ってて——」
「シーラねえさまっ!」
緊迫感のない会話に、ソルシャはたまらずその名を叫ぶ。ラースの背に隠れながら。添えられた手からの震えをラースは感じ取った。
「お前にそう呼ばれたくないねぇ」
「待って、ねえさま! 私、かあさまに会いに行くの。彼と、ラースと一緒に行くの。だから、やめて!」
「ラース? ああ少年のことか。お前に、それほどの価値があるのかい? それよりも、そっちのドラゴンの方がいいんじゃないか?」
「ラースは、すごいの! 彼なら、きっとかあさまも気に入りますから!」
「そうかい。なら、試してもいいだろ」
柄に添えた手を引いた。幅広の刃が現れ、新たな影を落とす。
「え、あの、ソルシャ? 何を言っているの?」
事態の飲み込めぬラースは、そう尋ねるよりなかった。手甲を構え、シーラと呼ばれた女性から目を離さずに。肩にかかるリグの足趾に力が込められたのを感じる。
「助けて、ラース! ねえさまは私達を、こ、殺そうとしているの! さっきの奴だって、ねえさまが連れて来たの! お願い、ラースなら大丈夫だから!」
「殺す、って……、え!? わからないよ、ソルシャ」
「守るのかい、少年。そいつを」
思わず振り返ったラースに打ち込むことなく。しかし緊張を高めたまま彼女は大剣を構えた。彼女の意識は、すでにラースやソルシャには向いていない。爆発寸前のドラゴンから視線を外さずにいた。
「そいつは話したかい? それを聞いた上で守るのか? なあ、少年。悪いのはどっちだ? かあさまの為に戦うあたしか、ゴミ屑の様に生きるだけのそいつか」
「話って、なに? 僕は……、ソルシャに、お母さんに会って、としか……」
「そうかい。なら、あたしが教えてやるよ。そいつがなぜ少年を連れて行きたいかを。ま、その力があれば、だがね。少年、かあさまに会えばお前は——」
「やめてーーーーーーっ!」
絶叫だった。全身から絞り出した声が、シーラの言葉をかき消す。全てを吐きだし、それから呼吸を整えると、彼女は屋敷の奥に向かって駆け出していた。
「はぁ、そんなんだからな。お前は屑なんだよ」
逃げるソルシャの目前に肉の触手が現れた。部屋の時と同じ様に床を突き破り、彼女の体を拘束しはじめる。
「ソルシャっ!」
反射的にラースは彼女を追い、巻きつく触手を切り裂く。断面からの粘液に濡れる彼女の体を抱きしめる。
「大丈夫、ソルシャ?」
「え、ええ。ありがとう」
「これは、あの女の人が操っているの?」
「違うの。シーラねえさまはできない。きっと向こうの奴よ」
ソルシャは外に目を向けた。その視線を追うラースは、玄関越しに、庭に座り込む人物を認めた。俯き、地面に手を当てるその人物の表情までは見えない。
「あいつがこの『ソイルワーム』を操っているの」
「分かった」『リグ! 外の奴を止めて! そうすればこの魔物はいなくなるから!』
『いいんだな』
その不審な瞳にも、ラースが頷くことを確認し、シーラの頭上を易々とすり抜けて、リグは飛び出した。
「お願い、ラース。私、どうしてもあなたを」
「迷うならな、少年。彼女と一緒に田舎に帰りな。せっかくのプレゼントだろ。あたしは少年に手を出すつもりはないんだ」
「僕は……。ねえ、ソルシャ。僕はちゃんと聞きたいよ。僕に都合が悪いことでも。教えて。僕ができることならやるから。だって、昨日真剣に言ってたでしょ。お母さんの役に立ちたいって。だから僕はあなたの話を聞こうって思ったんだよ」
思いやる言葉と表情に、ソルシャは視線を逸らす。
「ごめんね、ラース。でも、お願いだから今は何も聞かずに——」
「屑、ね。ああ、少年が哀れだね。いいかい、少年。そいつと行けば、お前はかあさまに殺される。お前はな、言わばかあさまえへの生贄だ。それも、そいつが生き残るためのな」
「……え? なに……ころすって、僕を? ソルシャ……?」
シーラの暴露にソルシャは青ざめていた。未だ理解できないままのラースは、混乱しながらも二人に交互に視線を送る。彼女を抱く腕から力が抜けていった。
ぱあん、と乾いた音が響いた。空気を切り裂き、床を撃つ破裂音が。
「騙したの! ラースを騙したのねっ!」
「ルージュ……。ルージュ待って……」
心の整理が追いつかなかった。力の抜けたラースの両腕は、それでも彼女を離さない。
「そういうことさ。そいつはな、なんの力もない役立たずだ。だから、使えそうな奴をかあさまの所に連れて行く。そうすればかあさまに認めてもらえるからね。そして、かあさまの力で強さを手に入れることができる。その代償は連れて行かれた者、つまり少年の命だ。そうだろう?」
「わ、私……ラース……そんな……」
否定しながらも、彼女は視線を合わせない。ただ体を震わせていた。
「後悔するくらいならな、ふん縛ってでも連れて行けばいいものを。ま、それができないから屑なんだがね」
「や、やめてよ。ソルシャは」
「おや、まだ庇うのかい? 変わってるな、少年。それとも、そんなにそいつが気に入ったのかい」
「まだ、よくわからないけど……。僕は、そんなつもりはないけど。でも。でも、ソルシャの気持ちは、わかるんだ……」
「へえ? ま、けどね。もう遅いのさ。すでに事態は動いている。シャラフィの話じゃ邪魔者もいなくなったようだしね。今日にも侵攻は始まる。あたしはコトが始まる前に、そいつらを殺し、力を増しておく必要があるのさ」
その言葉に、ラースはソルシャを離した。彼女を背に置き、シーラと相対する。決意は固まっていた。
「それでも守るのかい、少年」
再びの問いに、ラースの瞳は揺るがなかった。
「どっちがどう、とか、わからないよ。そんなのもう、どうでもいい。ただ、僕はソルシャと一緒に行く。あなたたちのお母さんに会って、話さなくちゃならないんだ!」
「そうかい。ならあたしが連れて行ってやるよ。そいつらを片付けた後になっ!」
シーラの纏う雰囲気が変化した。戦いへ集中するものへと。それを感じ取り、ラースも構えた。腰を落とし、手甲を着けた右腕を前に半身になる。二人の意思が、両者の中間で凝縮する様だった。
「ラース、後ろっ!」
「きゃああっっ!」
意識を、悲鳴が切り裂く。肉の触手が、ソルシャの足に巻きついていた。
気を逸らした瞬間に襲いかかってくる。そう感じながらもラースは反転して、即座にその触手を断ち切っていた。
「大丈夫!? 下がってて——」
当然の帰結だった。首元に押し付けられた刃に、ラースは言葉を詰まらせる。
「ここで向かってこないならな、なにを言い繕っても同じさ。覚悟が足りないから、お前は役立たずのままなんだよ」
じりじりとラースから、シーラから離れようとするソルシャに向けて言い放った。一方で黒鞭を握りしめたまま敵意を向けるルージュを称賛する。
「これなら嬢ちゃんの方が立派ってもんだよ」
「わ、私は……、ラース、ごめん……」
「おかしいよっ!」
刃を突きつけられていることを忘れているかのように、猛然と向き直ってラースは叫んでいた。
「何がだい、少年?」
「ソルシャはお母さんの為に頑張ろうとしているんだよ! 僕のことはともかく、それってあなたと同じじゃないか。あなただって、お母さんの為に、って言ってたじゃないか。それなのに、どうしてソルシャの邪魔をするの!」
「言ったろ。時間切れだって。あたしだって放って置いたんだ。期待はしていなかったがね。けど、もう遅いんだよ。この国を守る奴はいなくなったんだ。ならば、一刻も早くかあさまの悲願を達成させるのが、あたしら娘の役目なのさ」
大剣を、シーラは僅かに押し込んだ。剣に施された刃は鋭利なものではない。それは、切ることを主眼としたものではなかったからだ。だが、殺傷力が劣るというものでもない。特に単純に強き力を持つ者が振るうのであれば。
「それとな、少年。邪魔するなら、あんたをやるのに躊躇はないさね」
「邪魔は——するよ! ソルシャを襲うなら!」
「あたしもっ!」
「なら——、仕方ないねっ!」
大剣握る腕に、力が込められた。瞬間、ラースには彼女の腕全体が倍ほどに膨張したように見えた。切り落とす、というよりも粉砕する為に。横薙ぎに払えば、それは確実だろう。
その直前。
屋敷全体が軋んだ。足元が、激しい揺れに襲われた。
「んなっ!?」
玄関に背を向けていたシーラには見えていなかった。肉の触手が一斉に屋敷の床を突き破ったのではないか。そんな光景が彼女の脳裏に浮かんだ。
そうではない。
ラースには、土煙に覆われた庭が見えていた。その砂塵の奥にいるリグの姿が見えていた。地面に手を添え、放たれた力が庭の大部分を陥没させたことを知り、彼は先手を取る。
戸惑いが、シーラの意識を逸らす。その一瞬の間に、ラースは彼女の大剣を手甲で弾いた。おお、という驚愕の声と、気合の咆哮が重なる。
鋼の爪が鎧を浅く抉った。
「出て行けっ! これ以上、ソルシャに手を出さないでっ」
「そうはいかないね」
軽くバックステップしながら、追撃を避ける。ラースの動きは、彼女の想像よりも速く、鋭い。それでも彼女は打ち込む隙を捉えていた。
だが彼女はそうしなかった。
面倒だね。獣のような爪撃を前に、徐々に彼女は後退していった。ラースをソルシャから離す為に。さらには、彼を観察する為に。
彼女は興味を持ち始めていた。自分が連れて行く。そう吐いた先の言葉は半ば本心だった。これまでのラースの行為から、その価値があるのではないか、と考えていた。であれば尚更。屑、と断じるソルシャなどに渡せない。
ソルシャと他の娘たちを奪い、ラースを捕らえる。
それがシーラの今の考えだった。そしてそれは完遂できる。そう確信できたのは、彼女の足元。床越しとはいえ地中からのソイルワームの気配を捉えたからだ。そこに身を潜めた相棒の存在も。
彼女が失念していたのは、もう一人の存在。
『る、ヴうヴぁァッ!』
短い唸りの直後、再び屋敷が揺れた。シーラの態勢が崩れる。同時にラースも。踊るようによろめく二人は、空気を切り裂く攻撃に対処できない。
襲われたのはシーラの方だ。彼女の片足が浮いた。ラースは床を踏みしめた。転がる主から意思だけを受け継いだように、黒鞭が彼女の足に巻きついている。瞬間、ラースに感謝の思いが疾る。
(ありがとう、ルージュ!)
突き出した拳が、シーラの腹部を捕らえた。黒鞭が主の元へ戻るのを見て、もう一撃。
彼女の鎧の腹部が陥没した。その力は大柄な体を屋敷の外まで吹き飛ばす。意図せずに、彼女は砂塵に濁った空を見せられていた。
「ぐっ……。やる、ね……」
呻く彼女の視界に赤い体が、琥珀色の爪が現れた。咄嗟に腕で顔を覆い、同時に彼女は被弾の覚悟を決める。
衝撃は、陥没した腹部を正確に襲った。全身がくの字に折れる。緩んだ地盤に押し込まれる。開いた顎は熱を生み、炎となって彼女の全身を包んだ。
【次回予告】
圧倒しながらも、駆除しきれない。
徐々にラースは追い詰められる。
ソルシャやその妹達を逃すために、ラースが思いついた手段は。
次回、「待てなくて」
よろしくお願いします。




