第67話 かあさまに会ってほしいの
街の中央広場の泉の前で、少女は待っていた。祭りの熱狂も一旦は落ち着く夜明け頃が、約束の時だった。泉の中央に立つ女神像に、身を隠すように息を潜めていた少女は、その姿を認め表情を輝かせる。
「来てくれたんですね、ラースさん。ありがとうございます」
「うん、おはよう。ソルシャさん」
「おはよ」
ラースの挨拶に、まだ眠いのか少し機嫌悪そうなルージュが続く。寝ていていいよ、と断ったのだが、彼女は一緒に行くことを譲らなかったのだ。
約束は、昨日の大会の合間に成されていた。ラースが運営の手伝いとして控えている間に近寄ってきたソルシャは、ゆっくり時間をとることができないと知って、ただ約束を交わした。どうしても、お願いしたいことがある、と。
「じゃあ、行きましょう。ラースさん——。あ、いえ。ねえラースさん。これからはラース、って呼んでいいですか? 私のこともソルシャ、でいいから。ね、その方がいいの」
「うん、いいよ。ソルシャ」
「ありがとう。それじゃ家に案内しますね」
そう言って差し出された手を取ろうとして、伸ばしかけた腕をラースは戻した。そこにはルージュがしがみついていたから。そしてもう片方の腕には龍の手甲。人の手を優しく握るようにはできていない。
きまり悪そうに視線を落とすラースに、ソルシャは背を向けて歩き始める。
「昨日は少ししかお話しできなかったから、ちゃんと話しておきますね」
人通りのない早朝の路地を進みながら、彼女は楽しそうに切り出した。
「ラースにはね、私のかあさまに会って欲しいの。私ね、いつもかあさまを心配させているんです。かあさまは動けなくって、今は遠いところにいるから。遠くからいつも心配しているんです。ちゃんとやってるかなって。だからラースと一緒にいるところを見てもらえば、きっとかあさまは安心すると思うの」
「僕と一緒に? 君のお母さんは病気か何かなの?」
「ううん。それに死んじゃうとか、そういうものじゃないんだけれどね、動けないの。だから会いに行かなきゃいけないんです」
足でも怪我をして動けないのか。単純にラースはそう思った。そして、そうであるなら《恵みの水》で癒すこともできるのではないか、とも。
「でも、どうして僕なの? 大会を見たのなら、僕でなくても他の冒険者とかさ」
「とんでもないわ!」
足を止めて、猛然と振り返った。ラースの正面に立ち、触れんばかりの距離で語気を強める。
ソルシャはラースと同じくらいの背丈だ。自然と視線が合う。細身のラースよりもさらに華奢な体つきは生来のものではなく、健康そうには見えない。そんな彼女の絞り出すような声にラースは平静ではいられなかった。
「あ、ご、ごめん……」
「あんな冒険者なんて、ラースよりすごい奴なんていなかったわ! 精々一番最後の奴らくらいよ。それほど凄いの、あなたは」
「そうかなぁ。そこまででも」
「そうよ! だって、ラースは全然本気出していないでしょ。あんな冒険者達なんて目じゃないと思うわ。それに」
彼女は視線を逸らした。定位置にしがみつくリグに向けて。
「この子ともお話ししていましたよね。魔獣使い、って言ってた人いたけど、それって素晴らしいことなの。きっとかあさまも気に入ると思うわ。私がこんなにラースのこと好きでいられるんだもの」
ぴくり、とルージュが反応した。眠気を吹き飛ばす言葉に頭の中のもやが晴れ、彼女はソルシャを見上げた。ラースを掴む腕に一層の力を込めながら。
「え、リグとの話、聞いていたの? 分かるの?」
「あ、いえ。分かるっていうかね、そんなふうに見えたんです」
「そっか」
少し残念に思いながら、ラースはリグの首筋に手を這わせる。
龍の手甲は、硬質でやや弾力のある革の手袋が基になっている。そこに成型と強度を増すための芯材、その外側に鱗を模した金属が装飾されている。掌側は鱗状に型押しされただけの革だ。とはいえ手袋越しに伝わる感覚は鈍い。
怪我をしていた時のように、ラースはもどかしく感じていた。それでもその手甲は、いずれ血の通ったものとなる。そんな無根拠な思いが彼と手甲を結びつけていた。もっとも、『施術』の時にはさすがに外すのではあるが。
再び通りを歩き始めたラースは、寂れた建物が少しずつ増えていく様子に気づく。屋台の並ぶ大通りとは違う、淀んだ雰囲気。それは早朝という時間帯がもたらすものではなかった。
「どんな大きな街でも、こういうとこはあるのよ、ラース」
街育ちのルージュが、指摘した。いわゆる貧民街というものだ。それでもラースの目には、自分の村の家々よりも立派な建物に映っていたのだが。
「この辺りなの、ソルシャ? なんだか寂しそうなところだね」
「それに危なそうよ。早く終わらせて帰ろ。ね」
ラースは何処かから視線を向けられているように感じていた。その視線はリグが首を振ると断ち切られる。
『邪魔なら、片付けるか?』
『……リグ、怒ってるの?』
威嚇するような響きに、尋ねずにはいられなかった。
「こんなところですけれど、危険ではないですよ。少なくとも危ない目にあったことはないですから」
ルージュの言葉を受けて、安心させるようにソルシャは答えた。
「着きましたよ、ラース」
結局、何が起こるわけでもなく歩み続けた彼らは、通りに面した金属柵の門の前で立ち止まった。ソルシャがそれを押し開けると、錆び付いた金属音が響く。
そこには、荒れた庭が広がっていた。敷地の奥には平屋建ての屋敷がひっそりと在った。まるで貴族所有の別邸、という佇まい。ただし、それが丁寧に整備されていれば。あるいは数十年前であれば。半ば朽ちたような外観は、街のこの区域にふさわしいものであった。
内装も、外観から予想されるものに相違なかった。玄関をくぐり、廊下を通り抜けるその足元で、床が軋む。
「おかえり、お姉ちゃん!」
「おかえり〜」
「あっ、そのひとがそうなのね」
「こんにちは〜」
ソルシャよりも小さな子達が、一斉に集まってきた。人懐っこい笑顔を浮かべながら、ラースにまとわりつく。
「妹達です。昨日話をしていてね、みんな楽しみにしていたの」
「そっか。こんにちは。僕、ラースって言うんだ。こっちのドラゴンがリグ。彼女がルージュだよ」
紹介されるたびに大袈裟に頭を振って、幼い子供達は目を輝かせた。そんな無邪気な様子に、ラースもルージュも頬が緩む。
「あなた達だけ? あ、そっか、お母さんは遠くにいるって。一緒に住んでいないんだったっけ」
「ええ。だからね、ラースが来てくれて、かあさまに会いに行けるって、みんな喜んでいるの」
「そうなんだ。じゃあ今から行くの?」
「そうね。でも、ちょっと待って。その前に少しお話しさせてください」
ソルシャは妹達に囲まれたラースを部屋の中央へ誘った。端端に埃の浮いた、手入れされていないソファに腰を落ち着かせて、ラースは彼女の言葉を待つ。
その肩からそっとリグが離れた。無言で、つまらなそうに顔を背け、戸惑うラースを置いて部屋を出て行ってしまった。
やっぱり、何か怒ってる……?
そうラースに感じさせる態度だった。その理由を深く考える前に、ソルシャの話が始まっていた。
「さっきもお話しましたけれど、かあさまはこの家にはいません。離れたところにいるの。そこに行くために、まず私の大ねえさまに会って——」
「待ってよ! 遠く、とか、ここにいない、とか。すごく時間かかるんじゃないの? お祭り終わっちゃうよ。ねえ、ラース。やめよう?」
「え、でも。……すぐには会えないの、ソルシャ?」
「大丈夫です! 確かにかあさまは遠いところにいますけど。大ねえさまの力があれば、すぐに会えますから!」
身を乗り出して、迫った。周りの妹達が、必死の姉を心配そうに見つめていた。勢い込んだ彼女は、すぐに視線を落とす。
「と、いうかねラース。大ねえさまの力がないと会えないの。私だけじゃあ、会わせてもらえないのよ」
「わかったよ。それなら、すぐに行こう。それでいいよね、ルージュ」
「うん。じゃあリグを呼んでこよう!」
「それで、その、大ねえさまっていう人は、どこにいるんですか」
床の軋む音が進んでゆく。部屋を小走りに出たルージュの背中を見つめながら、ラースはそう尋ねた。
「お屋敷に。でも、ここから行けますよ」
「あれ、妹さん達も?」
「ええ、せっかくですもの。皆、かあさまに会いたいの」
「そうだよね。ずっと離ればなれなんて、寂しいよね」
鴨の子のようについてくる幼子の一人の頭を、ラースはそっと撫でた。皆、うんうんと頷きながら、期待していた。
「リグ、だめよ。勝手に入っちゃ」
「あ!」
開いた扉の奥にその姿を見つけて、ルージュはその部屋に入った。すぐにソルシャが彼女を追いかける。
「触ったらだめっ!」
ソルシャは叫んでいた。リグとルージュがそれに触れようとしている姿を見て、駆け寄る。
その部屋の奥に大きな壺があった。ラースがやっとひと抱えにできるくらいの素焼きの壺。そこには砂が満たされていた。その表面に少しだけ頭をのぞかせていたのは、砂の色に擬態したような卵だった。
壺の前で、ソルシャが二人を遮る。
「リグ、ルージュ、だめだよ。勝手に触ったりしたら」
優しい調子で注意するラースに、二人は壺から離れ、ラースのもとへ戻った。
「ごめんなさい。ソルシャ」
「い、いえ、あの。私こそ怒鳴ってしまって。あの砂はね、少し毒があるの。ちょっと触ったくらいなら平気ですけど、長く触れていると危ないんです。それで」
「なんの卵だ? 毒砂で孵化させる卵なんてな、魔獣以外ないな」
目を細め、リグは金色の視線で彼女を射抜く。
「魔獣!? え、なんでそんなのがあるの?」
「本当なんですか? 魔獣って」
三人の不審な瞳に迫られて、ソルシャは小さく唇を噛む。俯き、意を決してラースに訴えかけた。
「お願い、ラース。そっとしておいて。その子はね、確かに魔獣ですけれど、違うんです。私の故郷の砂漠を浄化してくれる魔獣なんです。だから、その砂が必要で。その子が必要なんです」
「別に退治しようとかじゃないよ。浄化って、じゃあ悪い魔獣じゃないんだよね。だったら気にしないよ」
魔獣という存在が、悪い者ばかりではないことをラースは知っている。森では守護者たる狼の魔獣たちと出会っていた。自分を助けてくれた飛竜の存在もあった。それに、魔獣といえばリグだってもそうなのだから。
村を襲うような魔獣もいるのは確かだ。自分に襲いかかってきた山羊の姿の魔獣もいた。山羊は、最後には逆らうことはなくなったが。
この生まれる前の魔獣が、どちらなのかはわからない。結局は、触れてみなければわからないのではないか。ラースの直感はそう告げていた。
「それよりもさ、早く行こう。大ねえさまって人に会って、あなたのかあさまに会って、安心させてあげようよ」
「ありがとう、ラース。それじゃあこちらに。ついて来てください」
彼らは階段を下っていった。この先は地下通路だ。固められた土壁が彼らを待ち受けていた。大森林の中の洞窟よりも、ずっと乾いた感じの空気が頬を緩く撫でる。灯りを手に、ソルシャを先頭にして彼らは階段を下り続けた。
「ここはね、抜け道なんです。勝手に使ったら怒られてしまいますが、今はラースがいるから大丈夫なんですよ」
人為的な長方形の断面の通路は、二つの屋敷を地下で繋げていた。城などにはよくある緊急時の避難通路だ。
ここが本来の用途で使用されたことはなかった。ソルシャも、使用したのは一度きり。ゆえに不安はあった。しかし、ここしか確実な道がないということを彼女は知っている。
「ここから遠いの?」
「いいえ、数区画先のお屋敷ですから、そうはかからないわ。安心して、ラース」
「あんしんして、らーす」
「そうよ。私たちも歩けたもの」
「もっとちっちゃいときなの」
「らーすもだいじょうぶだよ〜」
姉の言葉を、最後尾に続く妹たちが肯定した。皆不安な様子もなく、むしろ久しぶりのお出かけに心躍らせている、というふうであった。
「君たちがそういうなら、安心だね」
振り返ってラースは彼女たちに話かけていた。闇の中、並ぶ笑顔がはっきりと見える。
『いや、ラース——』
小さくも緊張した唸りが、耳元で響く。肩の上のリグが息を殺す。魔素を伸展させ、彼は探っていた。そして、捉えた。
『くるぞっ!』
リグの叫びと共に、通路が揺れた。
第12章、開始です。
【次回予告】
ソルシャの屋敷で、戦いが始まる。
襲撃者から、ラースはソルシャの本当の目的を聞かされる。
次回、「悪いのはどっち」
よろしくお願いします。




